暁の山羊

春野 サクラ

文字の大きさ
4 / 26

しおりを挟む
 I県H市日喜側町。そこは太平洋側に位置する田舎町。広大な畑が見渡す限り広がっている。
 かつて葉奈と過ごした、あの小屋の敷地の持ち主である葛重市朗の相続人は、あの小屋から車で二時間半ほどの距離に位置するこの町に住んでいるらしかった。
 数日後の日曜日の午後。二賀斗は相続人である三男、葛重實の自宅を訪問してみた。
 御影石の塀の前に車を置き、正面から屋敷の敷地に入る。
 広い敷地の中には、南向きに和風の二階建ての家があり、西側にはトラクターやコンバインが置かれてある大きな車庫が見えた。一見しても農家ということがわかる佇まいだった。
 二賀斗は玄関の外壁に付けられてあるインターホンを押した。呼鈴が家の中に響く。
 「……はーいッ」
 しばらくすると家の中から応答する声が聞こえてきた。
 「はーい、どうぞォ。開いてますよ」
 二賀斗は玄関の引き戸を左手で開けた。
 「あの、こんにちは。突然失礼します」
 「はぁ。……どちらさんで」
 ほこりの被ったキャップを頭の乗せて無精ひげを生やした中年の男性が、不思議そうな顔つきで二賀斗を見つめた。
 「私、行政書士の二賀斗と申します」
 二賀斗は会員証を男性に提示すると、深くお辞儀をした。
 「……はあ」
 「葛重實様のお宅でよろしかったでしょうか」
 「ああ、そうですよ。何か……」
 男性は首を傾げてそう答えた。
 「ご本人様は御在宅でしょうか」
 「親父は今、入院中なんですよ。俺もいま出かけて帰って来たばっかりだから、……何か用ですか?」
 男性はキャップを脱ぐと、荒れた右手で頭を掻いた。
 「そう、ですか。……あの、ご本人様のご様子は?」
 「ん、ええ。……脳卒中でぇ」
 その男性は渋い顔をして答えた。
 「ご入院は長くなりそうですか」
 二賀斗は目を細めて尋ねた。
 「そんな、……長くなるも何も、もうかれこれ入院して二カ月位経ちましたよ。意識が無いんだから。……ふぅ」
 男性は眉間にしわを寄せて、とても疲れたような表情で語った。
 〈マジか、ついてる!〉
 二賀斗は心の中で叫んだ。そして、静かに呼吸を整えた。
 「……あの、今日はお父様と少し込み入った話をさせて頂きにこちらに伺わせて頂きましたが、お父様のご家族様でいらっしゃいますか」
 二賀斗は冷めた眼差しで男性を見つめた。
 「え、ええ。息子ですよ」
 その視線に、實の息子は少し吃った返答をした。
 「……そうですか。少し、お話させていただいてもよろしいでしょうか」
 二賀斗は息子にプレッシャーをかけるように、ゆっくり目な口調で話をした。
 「あ、はあ。……どうぞ」
 息子はそう言うと、スリッパを二賀斗に差し出した。
 「では、お邪魔します」
 二賀斗はスリッパを履くと、長男の後について行った。

 「まぁ、どうぞォ」
 息子は二賀斗を居間に通した。タタミ十畳ほどの広さのその居間には、中央に長方形のコタツと、脇に小さなストーブが置かれてあり、上にはヤカンが掛けられていた。和風の屋敷らしく真壁の造りで、壁は漆喰で仕上げてある。
 「よかったら、座布団敷いてください」
 息子が座布団を差し出した。
 「これは、ありがとうございます」
 二賀斗は座布団を置いて、その上に腰を下ろした。
 「いま、母ちゃんも出払っちゃってて……お茶っぱどこだっけか」
 息子は辺りを見回した。
 〈余計な奴がいない今のうちにカタをつけないと……〉
 二賀斗は息子に向かってその動きを制止するかのように少し大きな声で話しかけた。
 「いえ、どうかお構いなく。……それよりも早速、話に入らせていただきたいのですが」
 「……あ、そうですか」
 そう言うと息子は、二賀斗の正面に腰を下ろした。
 息子が座るのを見計らって、二賀斗は上目遣いで正面の息子の顔を見つめ、話し始めた。
 「……実は、T県K市にあります山の中に、木造の小屋が建っているのですが、その敷地所有者というのがお父様のお父様、つまりはお宅様のおじい様のご名義となっております」
 「……はあ、そうですか。……そんな話、初めて聞いたなぁ」
 息子は、要領を得ない風な顔をしながら答えた。
 「その後、おじい様がお亡くなりになられた後に、おばあ様がその権利を相続なされましたが、おばあ様は私のご依頼主様の母親と賃貸借契約を結び、その小屋を貸し出されました」
 「はあー」
 息子は目をパチクリさせながら懐疑的な顔で話を聞いていた。
 「……その後、私のご依頼主様の母親が亡くなりましたが、それに伴い、借地権が私のご依頼主様に相続されました。私の方で調査いたしましたところ、おばあ様もお亡くなりになり、その相続人様はお宅様のお父様である實様のみとなっていることが確認できましたので、今回その報告に参った次第です」
 二賀斗は、息子に話の内容を理解されないよう、敢えて専門用語を交えて早口で話してみた。
 「……は、あぁ」
 案の定、息子は全く状況が飲み込めない様子だった。二賀斗はその様子を見るや、すかさず話を続けた。
 「借地権は相続の対象となりますので、特に貸主様である葛重様から承諾をいただく必要はございませんが、ご依頼主様は大変律儀な性格をお持ちのため、改めて契約を結びたいとお話しされております。……私の方では、特に改めての契約は必要ないと説明いたしましたが、なにぶん律儀な方でして」
 そう言うと、二賀斗は黒い手提げカバンを開け、中から契約書を取り出し、テーブルの上にそっと置いた。
 「ご依頼主様は現在、国外に留学しておりますが、帰国後はあの小屋をアトリエとして使用したいとお話しされております」
 息子は目をパチパチさせながら不思議そうな顔で話を聞いていた。
 「……はあ。行政書士さんて、書類書くだけが仕事じゃなかったんですね」
 「契約書の作成は書士として、交渉は個人的な代理人として行っております」
 二賀斗は目を細めて静かな口調で語った。
 「賃貸借の期間はとりあえず二年間といたします。賃借料につきましては、当該地区の山林相場、幹線道路からの距離、場所が山頂ということを考慮すると平米二千円にもなりませんが、ご依頼主様のお母さまと葛重様のお母様が大変昵懇だったこともあり、ご依頼主様は年間百二十万円を提示しております」
 「えっ! ひゃ、百二十万!」
 息子は目を見開いて大声を上げた。
 「……はい。二年で二百四十万円のお支払いとなります」
 二賀斗は静かに答えた。
 「……親父がそんなとこ相続してたなんて、初めて聞いたし。……どうすりゃいいんだかぁ」
 息子は被っていたキャップを手に取り、目を躍らせていた。
 二賀斗は睨みつけるように息子を見つめた。
 「……すでに借地権はご依頼主様に相続されています。本来であれば契約などもする必要はありません。それをわざわざ契約書まで作り、しかもこのような破格の賃料を受け取れる。期間もとりあえず二年間。……いままでその存在さえ知らなかった辺鄙な土地に。……掛値なしで私はいい話だと思いますが」
 「……ええ。でもそんな話、親父から聞いてねえし、どうしたらいいんか」
 息子はうつむいて首を左右に振っている。
 「いままでは、一年間の賃料はまとめて年に一回、直接實様にお渡ししていたそうです」
 「え? そうなの? でもぉ……親父は入院中だし、俺じゃだめでしょ?」
 息子は眉を下げて尋ねた。
 「お父様の代理人としてなら契約できますよ」
 二賀斗は、ささやくように話した。
 「え? できんの?」
 息子は前のめりになって二賀斗を見た。
 「賃料もこの場でお渡しいたします。受領証は書いて頂きますが」
 そう言うと二賀斗は手提げカバンから厚みのある茶封筒を取り出し、テーブルに雑に置いた。
 万札が数枚、封筒からその姿を現した。
 「ぉお!」
 息子はその茶封筒を食い入って見た。
 「二年分の二百四十万円です」
 二賀斗はテーブルに置かれた契約書の最後のページを開き、胸に差して置いたボールペンを掴むと、契約書の脇に置いた。
 「誠に申し訳ありませんが、私もこのあと他の用事があるものですから」
 「……あ、ああ。はい」
 息子は、震える手でボールペンを持つと、二賀斗を見つめ、念を押すように話した。
 「……俺が書いても大丈夫なんですよねぇ」
 「……」
 二賀斗は胸ポケットを触ると、黙ってうなずいた。
 息子はボールペンを掴むと、契約書に署名をしようとした。二賀斗は息子に向かって言った。
 「そこはお父様のお名前をお書きください」
 「あ、ああ。はい」
 息子は賃貸人名の欄に父親の名前を記載した。
 「ハンコもお願いします」
 「あ、はい」
 息子は近くのタンスの引き出しを開けると、印鑑を取り出した。
 「名前の脇に押してください」
 「はい」
 息子は父親の名前の脇に印を付いた。
 「こちらにもお願いします」
 「あ、はい」
 息子は正本、副本二通の契約書に署名と押印をした。二賀斗は正本を息子に渡し、副本を手提げカバンにしまい込んだ。
 「一つアドバイスがあります」
 茶封筒を手にして興奮している息子に向かって二賀斗が話しかける。
 「な、何ですか」
 「それ、税金がかかりますよ」
 「え? そうなんですか?」
 息子は口を大きく開いた。
 「ただし、この契約について誰にも話さなければわかりませんから、そうすれば税金は徴収されません。それと、そのお金は銀行あたりに預金せずにタンス預金にしておいたほうがいいですよ。預金すると後が付きますから。契約書も含めてだれにも見つからないように。……そうすればその現金は全部、お宅様のものになります。……きちんと隠しておければですが」
 二賀斗は少し口角を上げて話した。
 「……では、これで失礼します」
 二賀斗は手提げカバンを持つと、立ち上がった。
 「あ、あの……これサギじゃないですよね」
 息子は怯えたような顔をしていた。
 二賀斗はその言葉を聞くと思わず微笑んだ。
 「……詐欺はお金を騙し取る行為です。お金を渡す詐欺って聞いたことないですよ」
 そう言うと二賀斗は部屋を出た。

 葛重實の屋敷を出て自車に乗り込むと、二賀斗はエンジンをかけて静かに車を発進させた。
 そしてしばらくそのまま車を運転していたが、急に脇道に入り、路肩に車を停めた。
 「ハ――ッ、ハ――ッ。……ハア、ハア、……ハァ」
 心臓の高鳴りが続く。緊張と震えでハンドルから手が離れない。
 「よ、よし……。これでとりあえず、あの小屋は確保できた。……よ、よかった。よかったよ。どんなに金を使ってもあの小屋だけは確保したかった。……あそこは俺と葉奈のただ一つの接点なんだ。これで堂々とあの小屋に行ける。でも、本人が意識不明ってのはほんとにラッキーだったよ。ハァ、ハァ。……もしあの息子が何か言ってきたら、表見代理を主張してやる。それと、このレコーダーで逆に脅してやる」
 そう言うと胸ポケットに仕込んでおいたレコーダーを取り出し、音声のチェックをした。
 “俺が書いても大丈夫ですよね”
 二賀斗は、目を細めて嫌らしく笑った。その歪んだ表情は、心なしか薄黒く染まっていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。 味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。 ――けれど、彼らは知らなかった。 彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。 すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、 復讐ではなく「関わらない」という選択。 だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...