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四人を乗せた車は宴の会場に向かって一路、幹線道路をひた走る。車内では、運転席で車を操縦する明日夏と助手席の葉奈がひっきりなしに他愛もない話をしている。
「……でね、……なのよ。ニーさんってさぁ」
「えーっ。そうなの? 信じらんなーい。……でもそんな感じがするかも。ふふっ」
後部席で父母は二人の楽しそうな声を聞いている。
「何だか今日はずいぶんといろんなことがある日だな。泣いたり、笑ったりして」
「卒業式だったから、……少し興奮してるのかもしれないですね。特に、葉奈ちゃんは」
会場の駐車場に入ると、車は速度を落としゆっくりと停車した。約束の時間から遅れること十五分。四人は予約していたレストランに到着した。
「ニーさん、静かに待ってるかなぁ」
明日夏が、いそいそと店の扉を開いて父母たちを招き入れる。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
店員は、四人を個室に案内する。
「こちらでございます。お連れ様が既にお待ちとなっております」
店員は一礼すると奥に戻って行った。
「いやいや、遅れてすまなかった」
父が二賀斗に挨拶をする。
長テーブルの奥に座っていた二賀斗が、座っていた椅子から立ち上がった。
「こんばんは、本日はおめでとうございます」
続けて母が室内に入り、明日夏も入る。
「陽生さん、遅れてすみませんね」
「ニーさんごめんね、遅れちゃって」
そして、最後に葉奈が二賀斗の目の前に姿を現した。
柔らかな笑顔とともに緑の黒髪をなびかせ、燦然と二賀斗の目の前に降り立った。……白銀の鳥が大きな翼をはためかせ、ゆっくりと地上に舞い降りるかのように。
静かに降り立つ白銀の姿が二賀斗の網膜に照射されたその瞬間、二賀斗の脳裡には”葉奈”と過ごした思い出が何の前触れもなく一気に飛び出した。走馬灯のように目まぐるしく、津波のように荒々しく降り注ぐ記憶の嵐と目の前の少女の姿とが二賀斗の眼球の中で激しく、重なり合う。
二賀斗は、こぼれ落ちるほどに大きく目を見開いた。
「……は、な? ……は、は、葉奈ああ――ッ!」
「ニーさんッ! ネクタイ汚れてるよッ! なにこれ、上着も汚れてるじゃない! ちょっとこっちできれいにしてよッ!」
明日夏は、急に色めき出した二賀斗の腕を押さえると、ネクタイを掴んで無理矢理に部屋から連れ出した。そして、そのままトイレへと連れていった。
「ニーさん、落ち着いて!」
「ななな、なんっだよ! あれッ! あの顔、まるっきり葉奈じゃねえか! お前隠してたのかよッ!」
二賀斗は、声を殺して明日夏に食って掛かった。
「違うわよ! 気付いた時にはもう、葉奈ちゃんの顔つきになってたのよ。……でも、ほんとこの一、二カ月の間よ。変わったって言っても」
「ハア、ハア。……し、信じられない! ほ、ほんとに、ほんとにアイツは生まれ変わったんだ! また、会えたんだ! は、早く戻ろうぜッ!」
二賀斗は妄想に駆られたような虚ろな表情をしていた。明日夏は訝しい顔をすると、二賀斗の手を掴んだ。
「ニーさん。確かにあの顔は葉奈ちゃんだわ。柔らかくて、優しい顔」
「だから早く戻ろうって!」
「心は? あの子の心も葉奈ちゃんになってると思う?」
「……え? 違うの?」
明日夏の一言が二賀斗の表情を曇らせ、本来の冷静さを取り戻させた。明日夏は握り締めていた二賀斗の手を離して話を続けた。
「同じ顔の人なんて、世界に何十人といるわよね。成長の過程でたまたま葉奈ちゃんに似た顔立ちになっちゃったのかもしれないし……。まぁ、外見的には葉奈ちゃんそっくりに見えるけど、中味に関しては少なくとも私の見る限りじゃあ、相変わらずの気分屋葉奈だわ。そもそも心って前世から持ち越せるっていうものじゃないんじゃないの? 違う?」
「…………」
二賀斗の表情は凪のように静まり返っていた。まるで置物のような硬直した顔つきでその場に立ち尽くしている。
「……疑うんなら、自分で確認してみる? あの子に前の記憶があるのかどうか」
二人はトイレから出ると、家族の待つ個室に向かった。
「おまたせー。ニーさんったら、こんな時に限って汚してくるんだから」
明日夏は葉奈の隣の椅子に座った。
「すみません、お待たせしてしまって」
二賀斗はおじぎをして葉奈の正面の席に腰を落とした。それぞれの席の前には可愛らしい小さなクリスタルグラスが置かれており、頃合いを待って店員が黄金色に染まったスパークリングワインをゆっくりと注いだ。
「みんないい? じゃあ、葉奈の卒業を祝って、カンパーイ!」
五人はグラスを目の高さに持ち上げると、煌めく粒を含んだワインを傾けた。
「ん? なんだ、ノンアルコールか」
父が気の抜けた声を出した。
「ごめんね、葉奈がいるからノンアルコールにしてもらったのよ。飲みたいものがあったら好きなもの頼んでね」
明日夏はニコッと笑ってそう答えた。テーブルには華やかな料理が運ばれてくる。
「うわぁ、きれいだね、明日夏お姉ちゃん」
「すごいね、食べるのもったいないわぁ」
葉奈は、ナイフとフォークを少し不器用に使いながら料理を口に運んだ。
「んんー。おいしー。お姉ちゃんこれなに?」
「んーっとねえ、アボガドのタルタルだって、おいしい!」
次々と料理がテーブルに並び、その度に葉奈は目を輝かせていた。
「うっわ! おいしー。なにこれ!」
「あはははっ。葉奈ちゃん、さっきからそればっか。でもおいしーよねえ」
明日夏と葉奈は、仲良く雑談しながら出てくる料理に興奮していた。ふと、明日夏は正面に目をやった。視線の先には静かに下を向いて食事をしている二賀斗がいる。明日夏は二賀斗に聞こえるように咳ばらいをした。
「んんっ。ニーさん、料理はどぉ?」
明日夏は、ほんの少し顎を上げた。
「……あ、ああ。こんな料理、普段から食べ慣れてないから味がわかんないや。……ん。ああ、いや、うまいなあ。ははは」
明日夏は白い目で二賀斗を見つめた。
「ん、えっと。そうだ、……は、葉奈ちゃんさぁ」
「ん? なに?」
「あの、なんだ。……五右衛門風呂に入ったことって、ある?」
二賀斗は真剣な眼差しで葉奈を見る。葉奈は口をモゴモゴと動かしながら答える。
「ゴエ……。何それ?」
「……知らないか。……じゃさぁ、桜の木に登ったこととか、覚えてる?」
「サクラ? 桜の木なんて毛虫ばっかで登れないでしょ。いつの時のこと言ってんの? ニーちゃんは」
「あ、あれ。……登ったことなかったんかな? うーんっと、俺の勘違いだったかな」
「ニーちゃん、さっきから訳わかんないことばっか言って、どうしちゃったの?」
「ああ、うん。……ごめんね、つまんないこと聞いちゃったな」
二賀斗は、笑顔を取り繕うと、特に飲みたくもない炭酸水を口に含んで気を紛らわせた。
「あっ、そーだ。葉奈ちゃん、ニーさんに報告してあげれば。あのこと」
明日夏は得意げに笑ってみた。
「ええっ? 別にいいよォ、明日夏お姉ちゃん。そんな、言うほどのことじゃないから」
葉奈は食事に夢中で、明日夏の誘いもそぞろに答えた。
「な、なに。なんなの」
「うん。葉奈ちゃんね、大学受かったの」
「そっか。おめでとう。……えっと、どこって聞いちゃってもいいの?」
「ニーさん、聞いて驚けッ。J医科大学だって」
「……えっ。ええーッ! ほ、ほんとかよ! ひえー、すっげえなアー。……で、ほんとなの?」
二賀斗は、呆気にとられた顔で葉奈を見た。
「うん。なんか受かってたね」
「……いや。よ、よかったですね、おじさん。跡取りができましたね」
「ああ、そうだな。でもすごいよ葉奈は。現役であそこに受かるなんてな」
父はアルコールをたしなみながら誇らしげに話した。
「は、葉奈ちゃんは、やっぱりお父さんと同じく産科のお医者さん目指すのかな?」
二賀斗は、遠慮しがちに葉奈に尋ねた。
「んー。なれないかなぁ、私大学行かないから」
葉奈は平然とした態度で言葉を発すると、テーブル中央に置かれたパンに手を伸ばした。
「はあッ!」
二賀斗と父母が一斉に奇声を上げた。父は身を乗り出して葉奈に問い詰めた。
「お、お前! 医者になるために頑張ってきたんじゃないのか! どうしたんだ、一体!」
「そうよ、葉奈ちゃん。行かないなんて、ど、どういうことなの?」
葉奈は落ち着いた顔でパンを咀嚼する。隣に座っている明日夏は肘をついて高みの見物客のような顔で父母の顔を見ている。そして、二賀斗はどうしていいかわからない顔つきで縮こまっていた。
「私ねぇ、なりたいものがあるんだァ」
葉奈は、ジュースを一口飲んだ後に笑顔で答えた。
「な、なんになりたいんだ、お前」
「私ねぇ。……お嫁さんになりたいの!」
「はあッ!」
二賀斗も父母も、眉をハの字にして感嘆の声を上げた。
「な、なんだ! えっ? 付き合っている奴がいるのか!」
父が興奮した声をあげる。
「えーッ? いないよォ。自慢じゃないけど私、まだ誰ともつきあったことないもん」
「葉奈ちゃん、それって将来の話でしょ? 大学行ったってお嫁には行けるわよ。お父さんとお母さんのことあんまりびっくりさせないでぇ」
母は、取り繕うように声をかけた。葉奈は胸の前で両手を握り合わせると、ロマンチックな顔つきで語り始めた。
「私の夢はね、幸せな家庭を築くことなの。高台にある白い一軒家を買ってね、それで……」
「バカかッ!」
父が一喝した。葉奈は胸元で握りしめた両手をテーブルの上に下ろすも、父に対して一歩も引かない眼差しをしていた。
「お、お前、せっかく受かったんだぞ! 取りあえず大学には行くんだッ!」
父は椅子に座ったままの姿勢で葉奈を睨みつける。
「行かない。私、そんなことに時間をかけてられないの!」
葉奈も父を睨み返した。
「葉奈。相手もいないのに……なんでそんなに結婚したいの?」
母は眉をしかめ、狼狽した声で葉奈に問いかけた。葉奈はそれに対して澄んだ笑みを浮かべてこう答える。
「……これが私のやりたいことだから」
その言葉を聞くと、父はテーブルに置いたこぶしを力いっぱい握り締めた。握られたこぶしがフルフルと小刻みに震える。
葉奈と父母の会話を聞いていた明日夏は一息つくと、そっと口を開いた。
「お父さん。……私が悪かったのよね。私がお父さんの後を継いでいればこんな話にならなかったんだから」
突然の明日夏の言葉に、父のフルフルとした拳の震えが止まる。
「なっ。……いや、そういう話じゃ……」
明日夏は、諭すような穏やかな表情で父を見つめる。
「ねぇ、お父さん。お父さんって、なんで子どもが欲しかったの? 子どもが好きだったから? 結婚したら作るもんだって思ってたから? それとも、……自分の言いなりになる人間が欲しかったから?」
「明日夏! そりゃ言い過ぎだろ!」
「ニーは黙ってて!」
明日夏は鋭い目つきで二賀斗の言動を制止した。
「お父さんってさぁ、わたしの言うことやること全部肯定してくれたよね。“あれやりたい”“いいよ”“ここ行きたい”“いいよ”“動物のお医者さんになりたい”“いいことだ、がんばれ”……それがどれだけ私にとってありがたかったか、ほんと感謝してもしきれないわ。今までお父さんからの愛情を感じなかった日なんて一日たりともなかった。……お父さん、葉奈のこと愛してるわよね?」
明日夏は父を見つめた。
「……ああ、お前と同じように大切だ」
「じゃあ、なんで葉奈のことは肯定してくれないの? 私も葉奈もお父さんの子どもよ。一緒にあの家で暮らして、一緒の学校に行って、……この子は私の大切な妹なのよ。彼女はもう、自分の足で歩けるの。自分の進むべき道だって自分で選べるのよ。だから……葉奈の選んだ道を肯定してください、お父さん」
「わおーッ! お姉ちゃん言うねェ。ちょこっとだけど感動しちゃった」
葉奈は笑顔で茶々を入れた。
「コラッ、葉奈ちゃん。アンタからもお父さんにちゃんと言いなさいよねー」
「はーい。……お父さん、ゴメンね。私、医学部が嫌とかじゃなくって、それよりも家庭が築きたいの。つまんない女だと思ってるかもしんないけどさぁ、それが私の幸せです!」
父は、うな垂れながら明日夏と葉奈の説教を聞いていた。母親はすでになにも言う言葉はない様子だった。
「なに? ニーさん。何か言いたそうな顔ね」
明日夏が、何かを見つけたかのように二賀斗に話を振った。
「ええっ? い、いや。あの、何てゆうか……頭のいい人って、やっぱ考え方も独創的だなぁって」
「はーあ。このおじさん、こんなこと言ってるよ」
明日夏が薄ら笑いをする。
「いやーねェー」
葉奈も同じく冷ややかな笑顔を浮かべた。
長いようで短い宴が終わり、明日夏の一行は車に乗り込む。二賀斗は後部座席の父に窓越しに話しかけた。
「今日はごちそうになってしまって、ほんとによかったんですか?」
「そんな、気にするな。……ヒロ、お前ももし結婚する機会があるんだったら子どもは居たほうがいいぞ。子どもに説教されるって言うのがこんなにも気持ちのいいもんだとは知らなかったよ。はははっ」
「はあ……。それはどうも……」
「ニーちゃん、またね」
助手席から葉奈が二賀斗に手を振る。
「おお、またね」
明日夏の運転する車は二賀斗を残し、ゆっくりと走り去って行った。
静まり返る夜の街。
「ふぅ。……なるほどね。見てくれは似てるけど、確かにあの子はあの子だ、葉奈じゃあ……ない」
二賀斗は自身の車にもたれて下を向いた。
「……葉奈、君は頑張って生まれ変わってくれたのかもしれない。……でも、もしそうだったとしたらうまくいかなかったみたいだよ。姿かたちだけがこの世に戻ったみたいだ。……これから君は俺の知らない誰かと恋をして結ばれていくんだな。あーあ、何だかそんなこと考えると、いよいよこの世に留まる理由もないかァ。……だからってあの世に行っても葉奈はいないし。……はぁーあ。あの世で収とつるんでもなあ。どっちにしてももう、この想いに踏ん切りつけないといけないのかなぁ。……俺ももういい歳だし」
二賀斗は苦笑すると、自身の安い車に乗り込み、自宅へと走って行った。
「……でね、……なのよ。ニーさんってさぁ」
「えーっ。そうなの? 信じらんなーい。……でもそんな感じがするかも。ふふっ」
後部席で父母は二人の楽しそうな声を聞いている。
「何だか今日はずいぶんといろんなことがある日だな。泣いたり、笑ったりして」
「卒業式だったから、……少し興奮してるのかもしれないですね。特に、葉奈ちゃんは」
会場の駐車場に入ると、車は速度を落としゆっくりと停車した。約束の時間から遅れること十五分。四人は予約していたレストランに到着した。
「ニーさん、静かに待ってるかなぁ」
明日夏が、いそいそと店の扉を開いて父母たちを招き入れる。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
店員は、四人を個室に案内する。
「こちらでございます。お連れ様が既にお待ちとなっております」
店員は一礼すると奥に戻って行った。
「いやいや、遅れてすまなかった」
父が二賀斗に挨拶をする。
長テーブルの奥に座っていた二賀斗が、座っていた椅子から立ち上がった。
「こんばんは、本日はおめでとうございます」
続けて母が室内に入り、明日夏も入る。
「陽生さん、遅れてすみませんね」
「ニーさんごめんね、遅れちゃって」
そして、最後に葉奈が二賀斗の目の前に姿を現した。
柔らかな笑顔とともに緑の黒髪をなびかせ、燦然と二賀斗の目の前に降り立った。……白銀の鳥が大きな翼をはためかせ、ゆっくりと地上に舞い降りるかのように。
静かに降り立つ白銀の姿が二賀斗の網膜に照射されたその瞬間、二賀斗の脳裡には”葉奈”と過ごした思い出が何の前触れもなく一気に飛び出した。走馬灯のように目まぐるしく、津波のように荒々しく降り注ぐ記憶の嵐と目の前の少女の姿とが二賀斗の眼球の中で激しく、重なり合う。
二賀斗は、こぼれ落ちるほどに大きく目を見開いた。
「……は、な? ……は、は、葉奈ああ――ッ!」
「ニーさんッ! ネクタイ汚れてるよッ! なにこれ、上着も汚れてるじゃない! ちょっとこっちできれいにしてよッ!」
明日夏は、急に色めき出した二賀斗の腕を押さえると、ネクタイを掴んで無理矢理に部屋から連れ出した。そして、そのままトイレへと連れていった。
「ニーさん、落ち着いて!」
「ななな、なんっだよ! あれッ! あの顔、まるっきり葉奈じゃねえか! お前隠してたのかよッ!」
二賀斗は、声を殺して明日夏に食って掛かった。
「違うわよ! 気付いた時にはもう、葉奈ちゃんの顔つきになってたのよ。……でも、ほんとこの一、二カ月の間よ。変わったって言っても」
「ハア、ハア。……し、信じられない! ほ、ほんとに、ほんとにアイツは生まれ変わったんだ! また、会えたんだ! は、早く戻ろうぜッ!」
二賀斗は妄想に駆られたような虚ろな表情をしていた。明日夏は訝しい顔をすると、二賀斗の手を掴んだ。
「ニーさん。確かにあの顔は葉奈ちゃんだわ。柔らかくて、優しい顔」
「だから早く戻ろうって!」
「心は? あの子の心も葉奈ちゃんになってると思う?」
「……え? 違うの?」
明日夏の一言が二賀斗の表情を曇らせ、本来の冷静さを取り戻させた。明日夏は握り締めていた二賀斗の手を離して話を続けた。
「同じ顔の人なんて、世界に何十人といるわよね。成長の過程でたまたま葉奈ちゃんに似た顔立ちになっちゃったのかもしれないし……。まぁ、外見的には葉奈ちゃんそっくりに見えるけど、中味に関しては少なくとも私の見る限りじゃあ、相変わらずの気分屋葉奈だわ。そもそも心って前世から持ち越せるっていうものじゃないんじゃないの? 違う?」
「…………」
二賀斗の表情は凪のように静まり返っていた。まるで置物のような硬直した顔つきでその場に立ち尽くしている。
「……疑うんなら、自分で確認してみる? あの子に前の記憶があるのかどうか」
二人はトイレから出ると、家族の待つ個室に向かった。
「おまたせー。ニーさんったら、こんな時に限って汚してくるんだから」
明日夏は葉奈の隣の椅子に座った。
「すみません、お待たせしてしまって」
二賀斗はおじぎをして葉奈の正面の席に腰を落とした。それぞれの席の前には可愛らしい小さなクリスタルグラスが置かれており、頃合いを待って店員が黄金色に染まったスパークリングワインをゆっくりと注いだ。
「みんないい? じゃあ、葉奈の卒業を祝って、カンパーイ!」
五人はグラスを目の高さに持ち上げると、煌めく粒を含んだワインを傾けた。
「ん? なんだ、ノンアルコールか」
父が気の抜けた声を出した。
「ごめんね、葉奈がいるからノンアルコールにしてもらったのよ。飲みたいものがあったら好きなもの頼んでね」
明日夏はニコッと笑ってそう答えた。テーブルには華やかな料理が運ばれてくる。
「うわぁ、きれいだね、明日夏お姉ちゃん」
「すごいね、食べるのもったいないわぁ」
葉奈は、ナイフとフォークを少し不器用に使いながら料理を口に運んだ。
「んんー。おいしー。お姉ちゃんこれなに?」
「んーっとねえ、アボガドのタルタルだって、おいしい!」
次々と料理がテーブルに並び、その度に葉奈は目を輝かせていた。
「うっわ! おいしー。なにこれ!」
「あはははっ。葉奈ちゃん、さっきからそればっか。でもおいしーよねえ」
明日夏と葉奈は、仲良く雑談しながら出てくる料理に興奮していた。ふと、明日夏は正面に目をやった。視線の先には静かに下を向いて食事をしている二賀斗がいる。明日夏は二賀斗に聞こえるように咳ばらいをした。
「んんっ。ニーさん、料理はどぉ?」
明日夏は、ほんの少し顎を上げた。
「……あ、ああ。こんな料理、普段から食べ慣れてないから味がわかんないや。……ん。ああ、いや、うまいなあ。ははは」
明日夏は白い目で二賀斗を見つめた。
「ん、えっと。そうだ、……は、葉奈ちゃんさぁ」
「ん? なに?」
「あの、なんだ。……五右衛門風呂に入ったことって、ある?」
二賀斗は真剣な眼差しで葉奈を見る。葉奈は口をモゴモゴと動かしながら答える。
「ゴエ……。何それ?」
「……知らないか。……じゃさぁ、桜の木に登ったこととか、覚えてる?」
「サクラ? 桜の木なんて毛虫ばっかで登れないでしょ。いつの時のこと言ってんの? ニーちゃんは」
「あ、あれ。……登ったことなかったんかな? うーんっと、俺の勘違いだったかな」
「ニーちゃん、さっきから訳わかんないことばっか言って、どうしちゃったの?」
「ああ、うん。……ごめんね、つまんないこと聞いちゃったな」
二賀斗は、笑顔を取り繕うと、特に飲みたくもない炭酸水を口に含んで気を紛らわせた。
「あっ、そーだ。葉奈ちゃん、ニーさんに報告してあげれば。あのこと」
明日夏は得意げに笑ってみた。
「ええっ? 別にいいよォ、明日夏お姉ちゃん。そんな、言うほどのことじゃないから」
葉奈は食事に夢中で、明日夏の誘いもそぞろに答えた。
「な、なに。なんなの」
「うん。葉奈ちゃんね、大学受かったの」
「そっか。おめでとう。……えっと、どこって聞いちゃってもいいの?」
「ニーさん、聞いて驚けッ。J医科大学だって」
「……えっ。ええーッ! ほ、ほんとかよ! ひえー、すっげえなアー。……で、ほんとなの?」
二賀斗は、呆気にとられた顔で葉奈を見た。
「うん。なんか受かってたね」
「……いや。よ、よかったですね、おじさん。跡取りができましたね」
「ああ、そうだな。でもすごいよ葉奈は。現役であそこに受かるなんてな」
父はアルコールをたしなみながら誇らしげに話した。
「は、葉奈ちゃんは、やっぱりお父さんと同じく産科のお医者さん目指すのかな?」
二賀斗は、遠慮しがちに葉奈に尋ねた。
「んー。なれないかなぁ、私大学行かないから」
葉奈は平然とした態度で言葉を発すると、テーブル中央に置かれたパンに手を伸ばした。
「はあッ!」
二賀斗と父母が一斉に奇声を上げた。父は身を乗り出して葉奈に問い詰めた。
「お、お前! 医者になるために頑張ってきたんじゃないのか! どうしたんだ、一体!」
「そうよ、葉奈ちゃん。行かないなんて、ど、どういうことなの?」
葉奈は落ち着いた顔でパンを咀嚼する。隣に座っている明日夏は肘をついて高みの見物客のような顔で父母の顔を見ている。そして、二賀斗はどうしていいかわからない顔つきで縮こまっていた。
「私ねぇ、なりたいものがあるんだァ」
葉奈は、ジュースを一口飲んだ後に笑顔で答えた。
「な、なんになりたいんだ、お前」
「私ねぇ。……お嫁さんになりたいの!」
「はあッ!」
二賀斗も父母も、眉をハの字にして感嘆の声を上げた。
「な、なんだ! えっ? 付き合っている奴がいるのか!」
父が興奮した声をあげる。
「えーッ? いないよォ。自慢じゃないけど私、まだ誰ともつきあったことないもん」
「葉奈ちゃん、それって将来の話でしょ? 大学行ったってお嫁には行けるわよ。お父さんとお母さんのことあんまりびっくりさせないでぇ」
母は、取り繕うように声をかけた。葉奈は胸の前で両手を握り合わせると、ロマンチックな顔つきで語り始めた。
「私の夢はね、幸せな家庭を築くことなの。高台にある白い一軒家を買ってね、それで……」
「バカかッ!」
父が一喝した。葉奈は胸元で握りしめた両手をテーブルの上に下ろすも、父に対して一歩も引かない眼差しをしていた。
「お、お前、せっかく受かったんだぞ! 取りあえず大学には行くんだッ!」
父は椅子に座ったままの姿勢で葉奈を睨みつける。
「行かない。私、そんなことに時間をかけてられないの!」
葉奈も父を睨み返した。
「葉奈。相手もいないのに……なんでそんなに結婚したいの?」
母は眉をしかめ、狼狽した声で葉奈に問いかけた。葉奈はそれに対して澄んだ笑みを浮かべてこう答える。
「……これが私のやりたいことだから」
その言葉を聞くと、父はテーブルに置いたこぶしを力いっぱい握り締めた。握られたこぶしがフルフルと小刻みに震える。
葉奈と父母の会話を聞いていた明日夏は一息つくと、そっと口を開いた。
「お父さん。……私が悪かったのよね。私がお父さんの後を継いでいればこんな話にならなかったんだから」
突然の明日夏の言葉に、父のフルフルとした拳の震えが止まる。
「なっ。……いや、そういう話じゃ……」
明日夏は、諭すような穏やかな表情で父を見つめる。
「ねぇ、お父さん。お父さんって、なんで子どもが欲しかったの? 子どもが好きだったから? 結婚したら作るもんだって思ってたから? それとも、……自分の言いなりになる人間が欲しかったから?」
「明日夏! そりゃ言い過ぎだろ!」
「ニーは黙ってて!」
明日夏は鋭い目つきで二賀斗の言動を制止した。
「お父さんってさぁ、わたしの言うことやること全部肯定してくれたよね。“あれやりたい”“いいよ”“ここ行きたい”“いいよ”“動物のお医者さんになりたい”“いいことだ、がんばれ”……それがどれだけ私にとってありがたかったか、ほんと感謝してもしきれないわ。今までお父さんからの愛情を感じなかった日なんて一日たりともなかった。……お父さん、葉奈のこと愛してるわよね?」
明日夏は父を見つめた。
「……ああ、お前と同じように大切だ」
「じゃあ、なんで葉奈のことは肯定してくれないの? 私も葉奈もお父さんの子どもよ。一緒にあの家で暮らして、一緒の学校に行って、……この子は私の大切な妹なのよ。彼女はもう、自分の足で歩けるの。自分の進むべき道だって自分で選べるのよ。だから……葉奈の選んだ道を肯定してください、お父さん」
「わおーッ! お姉ちゃん言うねェ。ちょこっとだけど感動しちゃった」
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「コラッ、葉奈ちゃん。アンタからもお父さんにちゃんと言いなさいよねー」
「はーい。……お父さん、ゴメンね。私、医学部が嫌とかじゃなくって、それよりも家庭が築きたいの。つまんない女だと思ってるかもしんないけどさぁ、それが私の幸せです!」
父は、うな垂れながら明日夏と葉奈の説教を聞いていた。母親はすでになにも言う言葉はない様子だった。
「なに? ニーさん。何か言いたそうな顔ね」
明日夏が、何かを見つけたかのように二賀斗に話を振った。
「ええっ? い、いや。あの、何てゆうか……頭のいい人って、やっぱ考え方も独創的だなぁって」
「はーあ。このおじさん、こんなこと言ってるよ」
明日夏が薄ら笑いをする。
「いやーねェー」
葉奈も同じく冷ややかな笑顔を浮かべた。
長いようで短い宴が終わり、明日夏の一行は車に乗り込む。二賀斗は後部座席の父に窓越しに話しかけた。
「今日はごちそうになってしまって、ほんとによかったんですか?」
「そんな、気にするな。……ヒロ、お前ももし結婚する機会があるんだったら子どもは居たほうがいいぞ。子どもに説教されるって言うのがこんなにも気持ちのいいもんだとは知らなかったよ。はははっ」
「はあ……。それはどうも……」
「ニーちゃん、またね」
助手席から葉奈が二賀斗に手を振る。
「おお、またね」
明日夏の運転する車は二賀斗を残し、ゆっくりと走り去って行った。
静まり返る夜の街。
「ふぅ。……なるほどね。見てくれは似てるけど、確かにあの子はあの子だ、葉奈じゃあ……ない」
二賀斗は自身の車にもたれて下を向いた。
「……葉奈、君は頑張って生まれ変わってくれたのかもしれない。……でも、もしそうだったとしたらうまくいかなかったみたいだよ。姿かたちだけがこの世に戻ったみたいだ。……これから君は俺の知らない誰かと恋をして結ばれていくんだな。あーあ、何だかそんなこと考えると、いよいよこの世に留まる理由もないかァ。……だからってあの世に行っても葉奈はいないし。……はぁーあ。あの世で収とつるんでもなあ。どっちにしてももう、この想いに踏ん切りつけないといけないのかなぁ。……俺ももういい歳だし」
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