極星 青と赤 《希望の山羊》

春野 サクラ

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収友の中学生活最後の一学期は、あっと言う間に終わり、待ち焦がれていた夏休みに入った。とは言え、高校受験を控えた収友は、毎日自宅や図書館で勉強に明け暮れ、結愛は部活動で毎日中等部に通っていた。
……そして夏休みもあと数日で終わろうとしていたある日、事件は起こる。
その日は偶然、自宅には結愛しか居なかった。
真夏の太陽が強烈な日差しを放つ正午過ぎ。クーラーのかかった涼しいリビングでイビキをかきながら寝入ってるイチをお供に、結愛はひとりソファに横たわりテレビを見ていた。
「……はぁーあ。なーんで今日に限ってみんなと予定が合わなかったのよー。もうすぐ夏休みも終わるってのにィ。……どっか出かけてこようかなぁ。でもこの暑さじゃなぁ」
横になったままぼんやりとテレビのチャンネルを適当に押していると、どこかの局でフラワーアレンジメントの番組がやっていた。
「ヘェー。花びんじゃなくってお皿に浮かべてもいいんだぁ。かわいー」
結愛は横になった身体をいつの間にか起こし、真剣に見入っていた。
「今回はクレマチス三種類にそのつぼみと葉、ナズナなんかも取り入れてディッシュアレンジをしてみました。弓張月に花を配置するのがコツですねェ」
「うわー。センスを感じますねえ」
結愛は腕を組みながらその番組を見ていたが、思い立ったかのように突然、立ち上がった。
「よし、やってみよう! 確かウチの庭にもあんな風な花が咲いていたよね」
結愛はリビングの窓を開けて蒸し暑い庭に出ると、東南の位置に造られた花壇に咲いている花々を物色し始めた。
「あー。なんかこれ、さっきのテレビに出てた花に似てるなぁ……。ちょっとこれ、もらっちゃお」
そう言って結愛は、部屋に置いてあった文具ハサミで勢いよく数本の花を根元から切り始めた。

けたたましいセミの声が鳴り響く灼熱の午後。時計の針が二時を指した頃、玄関の扉が開く音がした。
「……ったく。あと少しで学校が始まるってのに、なんで今頃になって宿題教えろなんて言ってくるんだよ、ヤッシのやつは」
手の甲で汗を拭きながら収友は冷めた顔をしてダイニングに入ってきた。
「あ、お兄ちゃんお帰りー」
結愛はソファに横たわり、棒アイスをかじりながらテレビを見ていた。
「うん。ただいま」
収友は床に荷物を下ろしてダイニングテーブルの椅子に腰かけると、何気なくリビングの方に目を向けた。
ソファにはだらけた結愛の姿。テーブルには大皿が置かれ、その上に花とつぼみ、葉っぱが散乱している。
収友はその風景をしばらく見つめていたが、静かに腰を上げるとリビングに向かって歩き出した。
「……結愛。テーブルの花、どうしたの?」
「ああ、これ? さっきテレビでフラワーアレンジやっててさ。なーんかできるかなーって思って庭に咲いてた花取ってきてやってみたんだけど、上手くできなかったー。むずかしいね。アレンジって」
テレビの画面を見ながら結愛はそう答えた。
「これ、どうするの」
収友は立ったまま静かな口調で結愛に尋ねた。
突然、何かを察知したかのようにイチがソファから跳ね起きると、身を縮こませながらダイニングの端の方に逃げて行った。
「あ、ゴメン。これ終わったら捨てるから」
収友はテーブルに置かれたテレビのリモコンを握りしめると、電源ボタンを押してテレビを消した。
「な、なにすんのよ、お兄ちゃん! 終わったら捨てるって言ったじゃん!」
収友はリモコンをテーブルに置くと、結愛を睨みつけた。
「捨てるってどういうことだ。……捨てるって、どういうことなんだッ!」
収友の怒りに呼応するかのように東の空から、西の空から、何処からともなく雲が張り出して来ると、折り重なるように青い空を覆い始めた。
雲海は徐々に厚みを増しながら黒く、黒くなってゆく。収友は奥歯をむき出し、雷鳴のような怒号を結愛に浴びせかけると、眉を吊り上げ深い藍色の瞳を白銀に染めた。
次の瞬間、炸裂音とともに結愛の身体が勢いよく弾かれた。
「きゃあ―――ッ!」
結愛もろとも三人掛けの長ソファが軽々と後ろに倒れ込むと、結愛は放り出されてそのまま壁に背中を強く打った。
「……い、痛ッたあぁぁ。ち、ちょっとオオッ! 何だってゆうのよッ!」
結愛は背中を押さえながら苦痛の表情で立ち上がると、収友を睨みつけた。厚い雲の間から稲光が雷鳴とともに顔を出す。
生まれながらにして備わった完璧な容姿が怒りに歪むと、二重に折り重ねられた瞼の奥に埋め込まれた輝く瞳が深い緋色から金色に変わった。
収友の白いワイシャツの襟首が掴まれたように勢いよく持ち上がると、そのはずみでボタンが跳ね落ちた。……が、収友は目を座らせたまま、さらに眉を吊り上げた。
「……んッ、ぐゥ」
結愛の首元に、かすかに締め付けるような跡が写る。
天空では大気が一気に膨張し、爆鳴が地上に向かって鳴り響くと、突然、部屋の照明が切れた。
「こ、のッ……」
停電になった暗い居間の中、結愛の金色の瞳が輝きを増すと、身体中から桜色の煌めく光のベールが溢れ出した。ベールは結愛を包み込むと首元の跡を弾き飛ばした。
「あ、あたしが何したって言うのよッ! なんの文句があるわけ? このバカ兄ィ!」
反転、今度は収友の喉元に薄く締め付ける跡が写し出ると、収友は見下すように結愛を睨みつけた。
「お前は花を殺した。無駄に殺したッ。お前の暇つぶしのために殺され、挙句の果ては飽きたから捨てるだと? ふざけるなァ―――――ッ!」
収友の身体から青白い霧が噴出すると、勢いよく渦を巻き始めた。艶やかな黒髪が波打ちながら逆巻き立つ。そして渦巻く気流の中を青白い閃光が龍のように泳ぎ始めると、その閃光が弓矢のように結愛のベールに飛び掛かった。
「いや――――ッ!」
結愛は防御するように両手でブロックする。閃光が結愛のベールに突き刺さると、バチバチッ、と激しい放電音を上げてベールを侵食し始めた。
「あぁ……ぐッ」
侵食されないよう、結愛は手にチカラを込めて必死に抵抗するが、取り巻くベールの輝きが徐々に薄まり始めた。……すると、結愛が苦しそうな表情を浮かべ出した。
「うぐ、ぐ……ぐッ」
結愛は懸命に収友を睨み返すが、瞳の金色はそれ以上、輝きを増すことは無かった。

「あー、怖かったー。何か急に変な雲が出てきたなー」
雷鳴が轟く中、冷や汗を流しながら陽生が玄関のドアを開けて帰宅した。
「あれ? 結愛は出かけちゃってるんかな……」
陽生は玄関に上がると、ダイニングに通じる扉から顔をひょっこりとのぞかせた。
「!」
思わず目を見張った。……暗いリビングで収友と結愛がにらみ合っていた。
結愛は苦しそうな表情で立ち尽くし、収友は髪を逆立てながら猛獣のような顔をしている。そして二人の周りには発光体のような気体がまとわりつき、それが互いに激しく光っては消え、光っては消えている。
〈なな、なんだあれはッ! アイツら……一体何をやってんだ!〉 
陽生は目の前の出来事が理解できず、思わず玄関に舞い戻った。
〈なんなんだ、あの霧みたいなものはッ! ど、どういうことなんだよ! アイツら……なにを、やって。……ん? 待てよ。昔アイツらがまだちっちゃかった頃、あんな感じのモノつけてたときがあった!〉
陽生は隠れるようにその場に座り込んだ。
〈確か……あれは結愛の幼稚園の遠足の前の日で、雨が降っていたんだ。あんときは俺の目の錯覚かと思ってたけど、次の日見事に晴れたんだ! ……あの霧、あの光。……ま、まさか。……アイツらもチカラをもってるっていうのか!〉
陽生は震える両手で頭を抱え込んだ。
〈おかしいだろッ。だって、葉奈は『もう無くなっちゃった』って言ってたんだぞ! それなのになんでアイツらに……。ま、まさか隔世遺伝とか! で、でも……〉
「あがぁアアア―――ッ!」
結愛の苦しがる声がリビングから聞こえてきた。
〈い……いや、チカラが遺伝するかどうかわかんないけど取りあえず今はアイツらの喧嘩を止めないとッ!〉
陽生は震える足を叩いて何とか立ち上がると、その場で大きな声を張り上げた。
「ただいま――ッ! 誰も……いないのか――!」
収友はその声に反応して玄関の方に目を向けた。その瞬間、渦巻く霧が晴れ、収友の髪も垂れ落ちた。白銀色に光っていた瞳が紺鉄色に戻り、口からひと呼吸……吐き出す。
結愛は崩れ落ちるように床に倒れ込むと、やはり瞬く間に取り巻いていた霧が消えた。乱れた髪の間から涙を流す結愛の赤い瞳が収友を睨みつける。
「ただい……お、おいッ! どうしたんだよ、この有り様は! 一体、何やらかしてたんだッ!」
陽生はダイニングに入るなり二人に向かって声を張り上げた。収友は倒れたソファを起こして元の場所に戻し始める。結愛は床にうつぶせに倒れたまま、激しく泣いていた。
「収友! お前結愛に何したんだッ!」
「……なんでこうなったかは、そこの結愛に聞いてみるといいよ」
そう吐き捨てると、収友はそのまま階段を上って二階の自室に入っていった。
陽生は結愛の所に駆け寄ると、うつぶせに倒れている結愛を起こした。
「うええ―――ん! ……ええっ……ううっ」
結愛は目を赤く腫らして大声で泣き続ける。初めて出会った頃の葉奈の面影が投影されてきた結愛の泣き顔を見て、陽生はどうしようもなく胸が締めつけられた。
「大丈夫か? どっか怪我してないか?」
「えええ―――ん!」
「……どうしたんだよ。いつもあんなに仲がいいのに。……結愛、何があったか話せるかい?」
結愛はその場に女の子座りすると、手の甲で涙をふき取りながら話し始めた。
「……なの。それでね、結愛だって花には申し訳ないなーって思ってたのよッ。申し訳ないなーって思ってたのにお兄ちゃんが急に怒り出したの。結愛悪くないよッ。お兄ちゃんの頭がおかしいんだよッ。なんでこんなことであんなに怒るの? なんでこんなことまでされなきゃいけないのッ! うえええ……」
結愛の話を聞きながら、テーブルに無造作に置かれた花の無残な姿を一瞥する。
「パパッ、どう思う!」
「あ、ああ。……そう、だね」
結愛の話に適当に相づちを打ちながら陽生は眉をハの字に描いた。
〈……確かに結愛のだらしなさも問題だけど、にしても収友の生き物に対する執念っていうか、考え方はちょっとまずい方向にいってるんじゃないのか?〉
「パパ聞いてるのッ!」
「あ、あああ。聞いてるよ。可哀想だったね、結愛。……よし、結愛がよーく我慢してくれたからパパがご褒美あげるよ」
そう言って陽生は尻のポケットから財布を取り出し、結愛にお札を手渡した。
「……えッ? 一万円? いいの? こんなにもらって」
「いいよ。それだけ我慢してくれたんだから」
「やったア――ッ! パパありがと―――!」
結愛は一転、大喜びで陽生に抱きついた。
「その代わりさ、お兄ちゃんのこと許してあげてくれないかな?」
「どうしよっかなー。うーん。…………いいよ、パパに免じて許してあげる」
そう言うと結愛は再びソファに横になって、テレビを点けた。
「……ところで結愛。この花はどうするの?」
「後でやるー」
反省しない結愛の言葉に陽生は肩をガクッと落とした。
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