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日も暮れた午後五時過ぎ。玄関を開ける音がする。
「たっだいま――っ」
結愛の弾んだ声が家の中に響く。靴を脱いで玄関の框を上がる足音。結愛はダイニングに通じるドアを開けて中に入る。
「……ん?」
灯りのない暗い部屋の中をキョロキョロと見回すと、リビングのソファに陽生と葉奈がいるのを見つけた。
「……どったの? 電気もつけないで。……あっ、ごっめーん。ラブラブ中だったのね。邪魔はしないからー」
そう言って、結愛は二階へ通じる階段へ向かう。
「結愛。こっちにおいで」
「え? いいわよ。お邪魔でしょ?」
「……こっちに、おいで」
結愛は眉を落としてリビングのソファに向きを変えた。葉奈は陽生の膝枕に頭を乗せて眠っている。
「なーにィ? ママ眠ってるじゃーん。寝顔を見ろっていうの?」
結愛は葉奈の顔を見下ろす。
「綺麗だろ。ママ」
陽生は葉奈の長い髪を指で梳かした。
「そうだねー。ママってば女優にでもなったほうが良かったんじゃないのー?」
「……この血は、結愛にも流れているんだよ」
「ええーッ。私はママほど美人じゃないからなー。なんちって……」
結愛は顔を綻ばせながら葉奈を見つめていた。……が、一転してその表情を曇らせた。
「……ママ? ……寝てる、の?」
陽生は葉奈の髪を指で梳かし続ける。結愛は立ってるところから一歩踏み込むと、ゆっくり葉奈の寝顔に顔を近づけた。
「……マ、マ?」
葉奈の白い肌。いつもの真珠色ではなく、赤みの抜けた乳白色。結愛は恐る恐る右手で葉奈の頬に触れる。……冷たい肌の感触。命の脈動が手に伝わってこない。
「……えッ? ……マ……マ」
結愛の視線がブレながら陽生の顔に移動する。葉奈を見つめる陽生の目が赤く腫れていた。結愛の唇が震える。
「……パ……パ。マ、ママ……死んじゃった、の?」
「ああ。……眠りに就いた」
唇を噛みしめながら陽生は言った。
「ああ……あ……ああああ! アアアアア――――――ッ! ママ――――――――ッ!」
結愛は葉奈の胸に顔を埋めると、半狂乱になって泣き喚いた。
「ママああああ――――ッ! なんでよォオオオ―――ッ! なんで死んじゃうのよォオオオ―――!」
結愛は気が狂ったように泣きじゃくり、そのうち引き付けを起こし始めた。
「結愛ッ! 落ち着け!」
陽生は葉奈の頭をソファに置くと、結愛を抱きしめて背中を擦った。
「ヒクッ、ヒック……ゥアアア……ヒクゥ……」
「結愛、深呼吸をしろ!」
ぼんやりと灰色に沈みゆく部屋の中で結愛の異様な声が不気味に漂っていた。

葉奈をソファに横たえたまま、陽生と結愛は床に腰を下ろして面と向き合っていた。
「ママは……な、なんでェ死んじゃったの? 結愛何かいけないことしちゃったからなのッ? 全然勉強しなかったからなのッ? うええェ……」
結愛の瞳からは絶え間なく涙がこぼれ落ちる。
「……結愛。……ママはね、役目を終えたんだよ」
「ぐすっ。役……目?」
「世代の交代。新しい”私”への命の交換だ」
「……なに、言ってんの? パパ」
「結愛。お前と収友は何か特別なチカラを持っているんだろ?」
「……え? ……どういうこと?」
「もう何年も前の話になるけど、俺はお前たちがここで喧嘩をしているのを見かけたよ。何か、変なオーラの様なものがお前たちの周りにまとわりついていた。……俺に隠す必要なんてないよ」
「…………」
「結愛。そのチカラはね、君のママから受け継いだものなんだよ」
「……えッ?」
「そしてママもそのチカラをママの母親から受け継いだんだ。お前の持つそのチカラは、もう何百年も前からそうやって引き継がれてきたんだよ」
「ど、どういうこと……」
陽生は立ち上がると、部屋の灯りを点けた。そして元の場所に座り直すと結愛に物語を話し始めた……。陽生が若かりし頃に明日夏から受けた頼みの中で葉奈と出会ったこと。葉奈が死んで、その後生まれ変わったこと。葉奈の一族の生い立ち……。
結愛は怯えた目つきをし、そして口元を半開きにしたままその話を黙って聞いていた。
「よ、要するにィ、ゆ……結愛は……その尼さんの……生まれ変わりってことなの? 人のために何かやんなきゃいけないのオッ! そんな……できないよお――――ッ」
そう叫ぶと、結愛は両手で顔を覆って床に頭を押し付けた。
「結愛。どうやって生きていくかはその人それぞれが自分で決めることだ。ただ、パパは結愛のママ、葉奈を含めたお前たちの背負う重荷の正体だけでもお前たちに教えてやらないと……って思っただけだ」
陽生はその場から立ち上がった。
「……どこ行くの? パパ」
「ママのお友だちに電話する。……ママが眠ったらそこに電話するよう、ママに言われていたからね」
陽生はダイニングに置いてあったスマホを掴むと、画面に目をやる。家族全員の画像が待受画面として映っていた。そこには優しい笑顔の葉奈がいた。陽生は涙がこぼれないように目を閉じ、唇を噛みしめた。そして名刺の電話番号に電話をかける。
「……もしもし。庄堂クリニックですか? 私、二賀斗葉奈の夫ですが庄堂先生をお願いします……」

それから二日後の平日、午前十一時。澄み渡る青い空のもと、小高い坂の上にある斎場で陽生と結愛の二人きりで葉奈を見送った。
「昇っていくね。……ママ」
「ああ。……パパは今からとっても楽しみだよ」
「……なにが?」
漆黒のセーラー服を着た結愛が横目で陽生を見る。
「んー。向こうでママはパパと初めて出会った時の姿になって待ってる、って言ってたからさ。逢うのが楽しみなんだ」
「……それって、パパも死にたいってことなの」
結愛は上目遣いで苦虫を噛み潰したような顔をすると、陽生に向かって吐き捨てるように言葉を投げつけた。
「あっ、いや。……そんなことじゃないよ。パパはちゃんとママと約束したんだから。お前たちが自分の進むべき道を見つけるまでは傍にいてきちんと見守るって」
「じゃあ、ずっと見ててよね! 結愛……何処にも行かないからッ」
「ええッ? それも……困ったね」
そうしてふたりは上を向くと、黙り込んだまま青い空を眺めた。
それからしばらくすると火葬が終わり、二人して葉奈の骨を拾い集めると、静かに斎場を後にした。
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