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重機で均された道を三人は黙々と登る。先ほどまで青く輝いていた空には何処から湧いて来たのか、いつの間にか厚い雲が漂い始めていた。陽生と結愛は歩きながら道の脇に横たわる押しつぶされ、へし折られた木々を目にする。
「……ハア。……この有り様、ずいぶんな光景だな」
陽生は登りながら明日夏に尋ねた。
「……そうね。人工物じゃないから自力で再生するか、それとも人の手で再生させるかのどっちかしか……ないわね」
明日夏は視線を落とし、沈みきった顔つきで陽生の問いかけに答えた。
結愛は二人の会話を聞きながら、胸の骨箱をしっかりと抱いて坂道を登る。
灰色に染まった薄暗い空の元で三人が山を登り始めて三十分ほど経過した頃、大きなカーブを描いた道の先が急に開けて、大地がむき出しになった斜面が目の前に現れた。そしてその斜面の一番上の方で収友はシャベルを使って地面を掘り起こしていた。
明日夏はその姿を見つけると、覇気のない声で収友に呼びかけた。
「収ゥ。パパが来たわよ」
その声に収友は振り返って陽生たちを一瞥したが、すぐまた背を向けて作業を続けた。
陽生は視線を落として唇を堅く結んだ。
〈ひねくれちまってるなァ。やっぱり……引き離すことなんかしないで葉奈のそばに置いていたほうがよかったか〉
遠く離れた収友に声をかけようと陽生が口を開いたその時、結愛が収友の元に歩き出した。
「お兄ちゃんッ!」
結愛はむき出しの斜面を登りながら収友に向かって叫んだ。収友はその声に反応するや、すぐに振り向いた。
「入ってくるなッ! ここはお前みたいなヤツが入っていい場所じゃないんだ。すぐに出ていけッ!」
収友は結愛の頭上から睨みつけた。
結愛は胸に抱いていた骨箱を収友の前に出すと、半べそをかきながら声を出す。
「お兄ちゃん! ママ、死んじゃったんだよ! ママ……いなくなっちゃったよォ……。なんで……そんなこと言うのよ」
「うるさいッ! だから何だっていうんだ!」
収友の怒鳴り声に呼応するかのように、深い藍色の雲から雷鳴が響き渡る。
「なんなの! お兄ちゃんはママのこと嫌いだったのッ?」
「……結愛、よく聞け。俺はここに来てからの二年間、いろんなものをこの目で見た。……無残に木が切られて禿げ山となった山の姿。飢えに苦しんだ動物を遊び半分に殺す人間の姿。そういうものを目の当たりにしながら俺は日々考えた。一体、何がどうなっているんだ。俺もあーねーちゃんも少しでもこの自然を守ろうと必死になって木を植えたりしてるのに、次から次へと自然が破壊されていく。次々と、動物たちが殺されていく。みんな……みんな絶滅していく。なんでなんだ。何でこうなるんだ。俺たちの努力が足りないからなのか? 俺たちが怠けているからなのか? この惨劇は……無能な俺たちが引き起こしたものなのかよ――――ッ!」
収友の目から涙がこぼれ落ちる。と同時に、数十メートル離れた距離にいる結愛の所にまで響くほどの怒気が結愛に伝播する。結愛はその気迫に堪えながらその場に立ち尽くし、収友を見つめていた。
「俺たちがいくら修復したって、それ以上に、もっともっとこの世界は破壊される。直しても直しても直しても……」
収友は急に肩を落として頭を垂れた。その体からスウッと怒気が消えていく。
「お兄ちゃん……」
結愛がつぶやいた次の瞬間、異様な空気が辺りに流れる。殺伐とした、有無を言わせぬ無情の冷めた空気感。
「なに? この感じ」
「……な、なんだ、これは」
結愛からさらに遠く離れたところにいる陽生と明日夏たちでさえ、その異様な雰囲気を感じ取った。
収友はゆっくりと顔を上げると、冷徹な目で結愛を睨みつける。……もはやその目に涙はない。
「根本は……一体、何なんだ? 直しても直しても壊されるんなら、そもそも壊されないようにすればいいんじゃないのか? ……じゃあ、誰が壊してるんだ?」
収友は目を細めた。
「そうだ。……人間だ」
突然、木の葉が舞い上がるほどの強い風が吹き出した。風を切る轟音とともに地表の葉が勢いよく飛び散ると、山の木々の枝も波打つように大きく揺れだした。
「きゃッ」
結愛は左手で骨箱を抱きしめながら右手で顔を覆う。
「おわっ! なんだッ」
「ニーさん、こっち!」
陽生と明日夏は木の陰に隠れて腰を落とした。
収友は陰に隠れた陽生と明日夏に向かって叫んだ。
「我慢するのも今日で終わりだ――――ッ! 父さん! あーねーちゃん! 今までずっと黙っていたけど、俺たち兄妹はまともな人間じゃない! 俺も結愛もこんな凶暴なチカラを操れるバケモノなんだッ! でも、俺は感謝している! このチカラさえあれば、この世界を本来あるべき姿に戻すことができるんだからなッ!」
「お……兄ちゃん」
「この世界の人間どもをォォ……。人類という異物を滅亡させることができれば、この世界は真に正常な状態に戻る。だが俺一人のチカラじゃ時間がかかり過ぎる。だから結愛、俺に手を貸せ! そうすればこの世界を正常に戻す時間も短くすることができる!」
収友は右手を足下の結愛に伸ばす。結愛は顔を赤くして収友の言葉に咬みついた。
「バッカじゃないの。そんなのに手ェ貸すわけないじゃない! お兄ちゃん頭おかしいよ! パパのこと殺すってゆうのッ?」
「……そうだ」
結愛はその言葉を聞くと、眉をひそめて奥歯を噛みしめた。
「そんなこと、よく言えるよねッ! ……じゃ、じゃあ。……明日夏お姉ちゃんも殺すって言うのッ?」
収友は眉間に皺ができるほど硬くまぶたを閉じると、ためらいながらも無理やりに声を吐き出した。
「例外なんて、いない。……この世界を、救うためだッ!」
明日夏は収友の返答を聞くと、思いつめた表情で唇を噛み締めた。
「狂ってる。ホントにどうかしちゃってる。お兄ちゃん病院行った方がいいよッ。どうしてそういう考えになるの!」
「……結愛。俺にチカラを貸すのか? どうなんだ?」
「貸すわけないでしょ! 何で人殺しになんかならなきゃいけないのよッ!」
長い髪をなびかせながら、結愛は瞳を潤ませわめき散らした。
収友が結愛に軽く微笑むと、猛烈な風が急に止んだ。空を覆う暗雲が雷鳴を唸らせると、収友は再び結愛を睨みつけた。
「だったら……お前なんかにもう用はない。とは言っても、俺のやることにお前は反対なんだろうから、俺にとってお前は一番の邪魔者だ! お前さえいなくなれば俺を邪魔するヤツなどこの世には存在しなくなる。だから結愛。……お前死ねッ!」
収友が目を凝らすと、その瞳が白銀色に光り輝いた。
突如、静電気が発するときの様な空気を裂く音が結愛の周囲から聞こえてきたかと思うと、不意に結愛を取り囲むように頭上から足元から、前から後ろから、四方八方から青白い火花放電が結愛に襲い掛かってきた。
「キャアアアアア―――――!」
大気を震わせる強烈な破裂音を連れて、無数の青白い放電がヘビのように結愛に絡みつく。
「あ……あぁ……」
陽生と明日夏は茫然と口を開けたまま、石像のように硬直していた。只々、木の陰から愛娘の苦痛に歪む顔を目に映すことしかできなかった。
青白いヘビが姿を消すと、結愛は雪崩落ちるように地面に膝をついた。辺りには焦げ臭い匂いと煙が漂う。
「ガハッ……。アアァ……ぅぐッ」
結愛は苦しそうに息を吐き出す。
「下手な防御なんかするな。……苦しむだけだぞ」
収友は右の腕を伸ばすと、そのまま手のひらを大きく開いた。
「ぁああアアアアア―――――――ッ!」
手の平が青白く輝くと、雷鳴とともにそこから五匹の黒犬が大きく弧を描いて一気に結愛に襲い掛かってきた。
ブラックドッグは大口を開けて結愛の喉元、両腕、両足の五体に食らいつく。
「ぎゃあアアアアアアア―――――――!」
五匹の黒犬に咬みつかれた結愛の身体が放電によって真っ白く輝く。
「結愛ァ、ガードを解け! 今さら無駄な抵抗なんかするなッ。苦しみが長引くだけだぞ! 黒犬はアーク放電の塊なんだッ、半端な温度じゃないんだぞ!」
「アァアアアアアア―――――――!」
結愛が骨箱を抱きしめたまま、甲高いうめき声をあげたその時、黒犬の咆哮に応えるかのように天を覆う妖雲が光った。
そして轟音とともに白い稲妻が結愛の身体めがけて一直線に空から落ちてきた。
「ガアアアアアアアアアアアア―――――――――!」
硫黄のにおいを残してブラックドッグがはじけ飛ぶと、結愛は腹ばいになってその場に倒れ込んだ。足元の土が円周状に真っ黒に焼かれ、着ている服の所々が焦げて大きく穴が開いていた。
「ゆ……ぁ……」
陽生と明日夏は蒼白になったまま、身動き取れず固まったままでいる。
〈結愛。俺の……妹〉
収友は両手を握り締めた。
〈考えるな! もう、後戻りはできない。情愛を……捨てるんだッ!〉
収友は、ぼろきれの様に倒れ込んだ結愛を見つめる。結愛のそばには先ほどまで大事そうに抱えていた骨箱が転がっていた。
「……ッっつ、ウウッ」
全身に裂傷を負いながらも結愛は何とか肘を立てて身を起こした。地面についた手の甲に赤い鮮血が滴る。左の側頭部から頬を伝って血が流れていく。
「ハア……ハア。あ、あれ。……マ、ママ? どこ……」
結愛は慌てて周りを見渡した。
「あっ、ママ!」
骨箱に気づいて結愛が箱に手を伸ばすと、指にバチッと静電気が走った。
「あちッ!」
結愛は思わず手を引っ込めた。
「ちょ、お兄ちゃん……な、何する気? や、やめてよ。マ、ママに触らないでッ!」
収友は悲しみを堪えるような顔で骨箱を見つめる。
〈母さん……。優しかった俺の母さん。……許してくれ〉
瞳に涙を溜め込みながら収友は箱を睨みつけた。骨箱はスウーッと宙に浮きあがっていく。
「やめてよォォオオオ――――――――――――ッ!」
結愛の哀願する叫び声を弾き飛ばすように、骨箱がオレンジ色の炎に包まれた。
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