最後の山羊

春野 サクラ

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 珠子の孫娘がかつて住んでいたアパートの隣人から連絡を受けて以降、二賀斗はそのスーパー周辺の地図を何度も何度も見たり、孫娘の行動範囲をいろいろと想像したり、そんなことに何日も時間をかけた。そして今、二賀斗は隣人に教えてもらったK市のスーパー、フレッシュ大吉の駐車場に立っている。フレッシュ大吉自体、店舗の規模はそれほど大きくもなく、その駐車場もそれに見合った広さといったところだった。二賀斗は愛車をスーパーの駐車場に置いて、そこからそのまま北に向かってしばらく歩いてみた。すると川が流れているのを見つけた。
 「う、け川? ……有卦川。ああ、これか、有卦川は」
 川幅が十mくらいありそうな川。結構な水量があり、しかも流れが速い。でも上流だからなのか、流れる水が澄んで見えた。
 辺りを見渡すと、大きな山々がそびえ立っている。そしてそこに民家がポツポツと点在している。彼女の住まいは果たしてこの中にあるのか、それともないのか。二賀斗は不安と期待の入り混じった表情をしていた。見上げた空も薄い雲に覆われていて、この先晴れるのか、それとも曇りのままなのかあいまいな様子だった。
 二賀斗は腕時計を見た。今の時刻はまだ正午前。アパート隣人のおばさんが話していたことをふと、思い出す。
 “葉奈ちゃんは自転車に乗ってフレッシュ大吉から北の方に向かって行ったのよ” 
 実はフレッシュ大吉から東に一キロほど進んだところにも別のスーパーがあり、そのスーパーはフレッシュ大吉よりも規模が大きいことは調査済みだった。
 「多少の距離なら大吉よりむこうのデカいスーパーで買い物するほうが品数も豊富だし、ふつうはむこうに行くよな。それでも大吉に来るってことは、大吉の方が住処から相当近いか、それとも人目に付かないことを望んでいるか。……とりあえず北側を調べてみるか」
 孫娘の住んでいるところからフレッシュ大吉まで自転車で三十分かかると仮定すると、その距離は約六キロ。二賀斗は六キロの範囲を歩いて調べてみることにした。

 点在する民家を避けるように幹線道路は伸びており、たまに大型ダンプが重低音でほこりをまき散らしながら通り過ぎる。二賀斗は黙々と歩いては点在する民家一軒一軒を訪ねて孫娘のことを聞いてみた。

 「はぁ……。雨、降らなきゃいいけど。こんなところで降られたら完全にずぶ濡れになっちまうぞ」
 二賀斗は空を見上げてポツリと独り言を言った。
 訪ねた先で相手にされなかったり、お茶をいただきながら世間話をしたりで、歩き始めてから既に二時間近くが過ぎていた。ここまで何軒かの民家で話を聞いてみたが、目撃情報はゼロだった。
 〈こっちの方角じゃなかったか……〉
 二賀斗は来た道を引き返してみることにした。……が、ふと右奥の高台にある一軒の民家に目をやると、茶色いアルミの格子フェンス越しにお婆さんが何やら作業をしているのが見えた。
 「あのおばちゃんに聞いて何もなかったら、来た道戻ってみるか」
 道は左右二股に分かれ、右側の道は高台の民家から奥の山へと続いている。二賀斗は、高台の家に続く坂道を進んだ。
 「こんにちはー」
 二賀斗はお婆さんを見つけると挨拶をした。お婆さんは、物干し竿にかかっている洗濯物の乾き具合を見ている。
 「お婆さん、こんにちは」
 門の外から二賀斗は、お婆さんに声をかけた。
 「ん、んー。……はい?」
 「あの、すみません。ちょっと人を探しているんですが。……この人を見たことありますか?」
 二賀斗は、珠子の孫娘が写っている新聞の切り抜きをお婆さんに見せた。
 「ふーん。……だれだろ、見たことないねぇ。お宅さん、お巡りさんですか?」
 お婆さんは不思議そうに二賀斗を見つめる。
 「ああー、いえいえ。スカウトというか……なんというか」
 「ええーっ。この子はそんなにすごい子なんですかぁ。ちっともわからないけど」
 お婆さんはびっくりして、改めて新聞の切り抜きを見てみた。
 「ははは、そうですか。どうもすいませんでした」
 二賀斗は苦笑いをすると、切り抜きをシャツのポケットにしまい込んだ。
 「おばあちゃん、洗濯物乾いたの?」
 そのとき、家の中から五十代位の女性が姿を現した。
 「ん? ……何ですか?」
 恰幅のいい女性は、二賀斗を見つけるなり怪しげな顔をした。
 「ああ、すみません。今……この女の子を探しているんですが、見かけたことってありましたでしょうか?」
 二賀斗はシャツのポケットから先ほどしまった新聞の切り抜きを急いで取り出すと、その女性に差し出した。
 「んー? ……わかんないですねぇ。誰なんですか?」
 「ああ、あの……この子を探し出すっていうゲームをしてまして……」
 ずいぶん突拍子もないことを言い出したな、と二賀斗は内心、自分自身に驚いた。
 「探し出すゲームって……。はぁ、今はいろんなことがはやってんですねェ」
 女性はあきれ顔でそう答えた。
 「はは。……で、この子自転車に乗ってるらしいんですが、その……見かけませんでしたか?」
 「自転車かぁ……。でも、あれぇー。……もしかしたらこの子が自転車押してたのを見かけたかも」
 女性は、ボソッととつぶやいた。
 「エッ! ど、どこでですか!」
 二賀斗は身を乗り出して女性に詰め寄った。
 「ええッ? ……えっと、この道を真っ直ぐ、奥の方に」
 女性は驚いた様子で山の奥に続くこの道を、奥に向かって指さしした。
 「い、いつごろですか」
 「いつ頃だったかな? ……結構、前の事よ。……うーん。でも一回ぐらいしか見かけなかったけどね。なんだかその子、すごい色が白かったから何となく憶えていたわ」
 「この道って、何処に行くんですか?」
 二賀斗は、山の奥に続く道の先を見つめた。
 「これは旧道よ。これ真っ直ぐ行くとね、山を抜けて隣町に行くのよ」
 「じゃあ、この子は隣町まで行ったんですかね」
 「あはは、まさか。車でも二十分くらいはかかるのよ。道も細いし、街灯は無いし」
 女性は軽く笑いながら答えた。
 「この先には住んでる人って、いないですか」
 「いないわよ! 杉林しかないんだから。……まぁね、昔、この裏山の奥の方に小さい集落があったらしいんだけど、それだってもう何十年も前に誰もいなくなっちゃったって話しだし。……その集落だってぇ、かなり上らないと着かないわよ」
 「……なるほど。色々とお話しいただき、ありがとうございました」
 礼を言うと二賀斗は、道の奥へと歩き出した。

 山の奥に通じる旧道は、普通の車が一台、何とか通れそうなほどの狭い道幅だった。当然、歩道などは無く、二賀斗は辺りを見回しながら道の真ん中を歩いていく。杉の人工林が両側を埋め尽くしている。辺りは薄暗く、街灯もない。
 「カァ――、カァ――」
 上空からカラスの泣き声が聞こえてきた。
 「……夜になったら一体が真っ暗闇だな、こりゃ」
 そのまま何百mか歩き続けると、偶然、脇道が目に入った。その道は隠れるようにひっそりと存在していたので、歩いていなかったら見つけられなかったかもしれない。
 「これが上の集落跡に行く道なんかな。今は……二時三十分か。……ちょっとだけ登ってみるか」
 二賀斗はその脇道を上り始める。ここも車一台分あるかどうかの道幅。踏み固められた土と砂利の道。
 「おいしょ、おいしょ……」
 足の指に力を入れて上っていく。
 「はぁ……、はぁ……」
 息が切れる。
 「俺まだ三十だぞ。なんだ、このなまった体はァ」
 二賀斗は自分自身の体力のなさに自信を失った。
 「この道を自転車で上るなんざ、絶対無理だよ。あの子、ここにはいないな。……ハァ、ハァ」
 突如、視界が開けた。二賀斗の頭上に空が広がる。斜面の下を見ると、麓の民家や、あの有卦川が小さく見える。空を見渡すと、西の方は雲が切れて太陽が顔を出していた。
 「おおー、いい見晴らしだァ。よーし、もう少しだけ上ってみるかぁ」
 二賀斗は再び山道を進む。杉の人工林の間を通り抜け、さらに数十分上り続けた。
 前を見ると、道の先が明るく照らされている。
 「よいしょ、……よいしょ」
 人工林がひらけた。二賀斗の目の前に再び空が広がった。柔らかな風が身体を通り抜ける。
 「あー、気持ちいいー」
 辺りを見回すと、拓けた平地の少し先の方に大きな山桜の木がそびえ立っている。二賀斗は山桜の方に足を運んだ。
 「でっかいなぁ……。すごい立派な木だ」
 四階建ての建物ほどの高さのあるその山桜は、両手を広げるかのように高く、空に向かって枝を伸ばしている。今は葉桜となっているが、花が咲いていたときにはすごい綺麗だったのだろう、と二賀斗は想像した。そして、その十数m奥の方に古びた小屋が見える。二賀斗はその小屋に向かって歩き出した。
 小屋の外壁は灰色に色あせてはいるが、堅牢そうな造りだった。
 「……これ、板倉造りってやつだろ?」
 その小屋は板倉造りと言われるログハウスの様な構造で、南向きに建てられていた。小屋の周囲は東から南西にかけて拓けており、日当たりも見晴らしも良い。……ただ、小屋の周りには黒く塗られたポリタンクが何故か十個ほど並んで置いてあった。
 「……何だ、これ。……何かのまじないか?」
 二賀斗は背筋が寒くなるような気味悪さを覚えた。
 そんな折、小屋の奥の杉林から何かを引きずるような音とともに人がこちらにやって来るのが見えた。こちらに背を向けて何かを引っぱっている。徐々に近づいてくるその人は……短い髪を一つに結び、白い半そでと濃赤色の長ズボンを着ていた。
 〈……? あれって、体操着?〉
 二賀斗は、何気なく声をかける。
 「こんにちはー」
 その人は二賀斗の声にビクッとして動きを止めた。
 二賀斗はその動作を見ると、眉をひそめて恐る恐るその人に再び声をかけた。
 「あのー、……こんにちはー」
 その人はゆっくりと、窺うように後ろを振り向いた。
 〈ゲッ! あ、あの子だッ!〉
 二賀斗は思わず口をひらいた。
 「あ、あのッ!」
 「きゃああああ―――――――ッ!」
 その子はつんざくような叫び声をあげると、疾風の如く一目散に林の中に身を隠した。一方、二賀斗は突然叫ばれたことに対して全く状況が飲み込めず、目を点にしながらその場に立ち尽くしていた。
 「……い、いや……ああ」
 〈なんだッ、上手く声を出せない。……頭の中がパニクってる!〉
 「だ、誰ッ! なに! なんなのよッ!」
 林の中から彼女のヒステリックな怒号が矢のように飛んでくる。
 「い……あ……」
 「来るなッ! 出てけェエエ――――ッ!」
 二賀斗は声を失い、口を開けたままその場に突っ立っていた。
 「……あ……の」
 「帰れェ――――ッ!」
 突然、林の中から勢いよく石が飛んできた。
 ゴルフボール大の石は二賀斗のこめかみに強く命中し、そのはずみで二賀斗はよろめいた。
 「あぅッ!」
 強烈な痛みに思わず声を吐く。
 二賀斗はこめかみを手で押さえながら反射的に石が飛んできた林の方に目をやった。杉の木の陰に見え隠れする少女、その目は狂気に満ちた野獣のように鋭くこちらを睨んでいた。
 「……すいま、せん」
 二賀斗は頭を下げると、静かにその場を離れた。

 下山しながら二賀斗は打ちつけられたこめかみに軽く触れる。
 「いってッ!」
 明らかに腫れ上がっている。
 「なんなんだ! くそッ。……全っ然聞いてた話と違うじゃねーかよ! なんなんだよあいつはァ!」
 これまでいろいろな人からの話を聞いているうちに、もしかしたら二賀斗自身、あの家族を偶像視するようになっていたのかもしれない。……やさしい笑顔、礼儀正しいふるまい。……どんな人なんだろうと、勝手に妄想していたのかもしれない。
 「……幻滅したよ、ったく!」
 二賀斗は吐き捨てるように言い放った。しかし、地面を叩きつけるように歩いていたその足が突然、止まる。
 「……でも、あんな仕打ちされてもしょうがないかもしンないか。実際俺もズケズケと遠慮なく立ち入っちまったんだし。ホントこんな山ん中でなにやってんのか知んないけど、わざわざこんな所にいるなんて、よっぽど思い入れがある場所ってことなのかなぁ。母親の生まれ育ったところとか。……そういやあの子、母親亡くしてるんだっけ。……やっぱり悪いことしちゃったか。……いってて」
 二賀斗は振り返ると、下りてきた道をジッと見つめた。だがすぐに下を向いてそのまま無言で道を下って行った。
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