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第3章 狐の嫁入り、夢か現か

第47話 もしもの虚構√A

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「へへっ、なんだそりゃあ。寝ぼけて作り忘れたってんならわかるが、その逆は聞いたことねぇぞ? 勤勉なこって」

 僕の話を聞いて、寛人は豪快に笑い飛ばす。
 
 しかし、不思議なこともあるものだと思う。
 親がいないのだからいつも弁当を作っているのは僕なのに、こんな大きな弁当箱に詰めてくるなんて。

「中身の入ってる弁当箱と、空の二段弁当を間違えて持ってきちゃったとか?」
「いや、それはないと思う。持った感じ、ずっしりしているし」

 亜実さんの言葉に、しかし僕は頸を横に振って否定する。
 それも一瞬考えたが、これは明らかに中身がぎっしり詰まっている重さだ。朝のことを思い出そうとするも、霧がかかったようにもやもやしていて、どうにも思い出せない。
 まるで、一昨日の朝食の献立が思い出せないように、記憶の彼方に溶けていく。

「……まあ、いいか」

 考えるのをやめて、ずしりと重い二段弁当を机の上に置いた。
 寛人と亜実さんも、僕の机に前の席の机を反転させてくっつけてくる。

「そんじゃ、いただくとしようぜ」
「うん。いただきます」
「いただきます!」

 三人揃って手を合わせ、それぞれお弁当の包みを開く。

「うげ! 母さんめ。俺がグリンピース嫌いだって知ってるくせに入れやがって」
「あ、ピラフいいな。ウチなんてただの白米だよ」
「グリンピース嫌いなんだって言ってんだろ。いくらピラフだろうがグリンピース入ってたら、台無しなんだよ」

 亜実さんの発言に対し、ピラフの上に乗っかった緑の玉を箸で突きながら、寛人が答える。
 そんな二人の様子に苦笑しつつ、僕は自分の弁当を開けた。
 とたん、視覚に飛び込んで来たのは鮮やかな色合いだ。右半分は小さな俵おむすびが詰まっている。

 それも、どれも一緒というわけではない。
 炊き込みご飯のものもあれば、豆ご飯を使ったものもある。
 更に視線を横に滑らせれば、黄金色の卵焼きにおひたし、きんぴらごぼうなど、色とりどりの美しい料理が整然と並んでいた。
明らかに手が込みまくっている。

一つの芸術と言えるくらい完成された弁当に圧倒されていると、不意に視界に影が飛び込んで来た。それは、二本の棒――箸だ。

「もらうぜ」

 箸の持ち主である寛人は、僕の弁当箱から二個ある卵焼きのうち一つを抜き取る。

「! ちょっ!」

 慌てて制止するが、そのときにはもう、美しい卵焼きは寛人の口の中に消え去っていた。
しばらく無言で味わっていた寛人が、飲み込んだ瞬間僕を睨みつける。

「……なあ、絆。お前、急に料理のレベル上がった?」
「いや、そんなことない……はず?」
「じゃあ、もしかしてプロのシェフでも雇ったか?」
「雇ってないけど」
「じゃあ、なんだこの味は!」

 ばんっ! と、寛人が掌を机にたたき付けた。

「卵焼きは、シンプル故に奥が深く、料理人の腕を正確に映し出す鏡のような料理。だからこそ、卵焼きの旨さは料理人の腕を確かめる手法たり得る」
「ず、随分詳しいんだね」
「で、だ。子卵焼きは、卵の甘み、口の中でとろけるような食感、やんわりと香るダシの風味……どれをとっても完璧に過ぎる! これほどの完成度を誇る卵焼きを俺は未だかつて知らない!」
「そ、そんなにか!」
「というわけで、味の違いがわかる俺が残りの一個も――」
「って待てぇい! ナチュラルに僕の弁当を食い尽くそうとすんな!!」

 伸ばされる手をはたき落とし、僕は卵焼きを口に運ぶ。
 とたん、「あー!」と悲鳴を上げる寛人だが、悲鳴を上げたいのは実際に一個食われた僕の方だ。
 だが、そんなイライラなど、卵焼きを噛みしめた瞬間吹き飛んだ。

 こんな美味い卵焼き、今まで食べたこともないぞ。
 口の中で溶けていくほど柔らかく、甘く、ほのかにダシと醤油の香りが鼻を突く。
 何より――味覚では証明できない“思い”が詰まっている気がして――

 ――どう、なってるんだ?

 自然と、混乱が頭に過ぎる。
 僕は、こんな美味しい卵焼きなんて作れない。百歩譲って作ることができたとして、自分のために作る以上、こんな温かな味は作れるはずがない。

「どうしたの、絆。ぼーっとして」

 不意に、正面から亜実さんの声が聞こえる。
 反射的に彼女の方を向いた僕は、一瞬目を疑った。彼女の姿が、尾ひれを持った人魚のような少女に錯覚したからだ。

「――え?」
「ちょっと絆、ウチの顔になにかついてる?」

 僕は慌てて目を擦る。改めて彼女の方を見ると、不機嫌そうに頬を膨らませる亜実さんの姿で。

「なんでも、ないよ」

 答えながら、僕の心は困惑に支配されていた。
 今の幻は、いったいなんなんだ。混乱したまま、僕は弁当に顔を落とす。

「……そういえば、お肉が入ってないな」

 ということは、下段か? 
 そう思いつつ、上段をどかすと――案の定、下段にはお肉がぎっしり詰まっていた。

「うわ、なんだそりゃ」
「お肉多!? 絆って小食だよね! これ、食べきれんの!?」

 正面に座る2人も、その異様に目を剥く。
 普通、上段はおかずで下段はご飯、とかにするものだろうに。
 いくらなんでもアンバランス。これではまるで、上段と下段で、

 ずくん。
 胸が、疼く。
 そのうずきに突き動かされるように、僕はローストビーフを口に運ぶ。
 とたん、牛肉の甘さと香ばしさが口に弾け、溶けてゆく。まるで火入れのプロが焼いたような、絶妙で完璧な焼き加減の成せる技。そして同時に――

「しょっぱ!?」

 凄まじい塩辛さが、口をじゃりじゃりと侵した。

「なんだこれ! 焼き加減は天才的なのに、味付けはど素人じゃないか! アイツ、少しはあの子の調理技術を見習って――ッ!」

 ――あれ? アイツ? あの子?
 僕は一体、何を言って……

 わからない。
 何かが、僕の心を引き留めている。その正体が、蜃気楼の向こうに霞むようで――

「絆? どうした?」
「絆くん……なんで?」
「……え?」

 戸惑う僕に、正面から声がかけられる。
 正面を見た僕の目に、2人の姿が歪んで見える。僕は、声もなく涙を流していることに気付いた。

 歪んだ視界。そこに映る2人は、酷く輪郭が曖昧で。
 その影の向こうに、誰かの姿を幻視する。1人は、角を生やした小柄な少女。もう1人は、さっきも見た、人魚の少女。

 ――『なんじゃ、旦那様。そんなに見つめられたら照れるではないか』。
 ――『これからもどうぞ、末永くよろしくお願いしますね。絆さん』。

 そんな、愛しい2人の声が、頭の中に響き渡り――

 僕は誓ったはずだ。
 この日、このプレゼントは何があっても絶対に忘れないと。
 
 たとえ、いかなるに意識が上書きされようと。
 決して上書きできないものもある。だから――

「ありがとう、2人とも」

 僕は、小さく呟く。
 その瞬間――空間がヒビ割れ、ガラスの砕けるような音を立てて幻想が崩れ去った。



 
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