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第3章 狐の嫁入り、夢か現か
第50話 少女の思惑
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――音を立てて、屋上に続く扉を開け放つ。
そこは、あまりにも別世界じみていた。昼と夜をない交ぜにしたような、混沌渦巻く空と空気の色彩。
その空の下、紫色の魔法陣が燦然と輝いている。
教室から見上げた空の色は、確かに青かった。
しかし、魔法陣に近づいた今、その色すら認識を曖昧に歪めていく。ひょっとしたら、シャルとミリーさんが見ている景色とも違うかもしれない。
宇宙空間で上下左右の感覚を失うように、現実と虚構の境がわからなくなるような光景が広がっている。
でも――
「来たぞ……」
一歩、屋上の床を踏みしめる。
魔法陣の中心。その下に、一人の少女がいた。
銀の混じる金髪。黒瞳《こくどう》の中心に諦念と憎悪を宿し、少女は部外者である僕達を睨みつける。
その背後に、白銀の靄がクジャクの羽のように――否。九つに分かれた尻尾のように揺れていた。
「何をしようとしているのかはわからない。君が、何を思ってこんなことをしているのかも」
そんな少女へ向け、僕は言葉を投げかける。
思えば、最初から不思議な子だった。性格はマイペース。その黒い瞳にどんな感情を宿しているのか、まったくもってわからない。
そのミステリアスな雰囲気が人気で、学校のアイドル的存在に担ぎ上げられていることもあって。
そんなとき、彼女は嬉しかったのか? 悲しかったのか? それとも……恨んでいたのか?
何一つわからない。いや、違う。わかろうとしてこなかった。
不思議な少女なんだなと思って、それ以上の追求を怠っていた。
誰かが、気付かなければいけなかった。少女の抱えるものが、どれほど重たいのかを。彼女の中のなにかが決定的に歪んで、壊れてしまう前に。
だから――
「間に合わなかったけど、せめてここで止める」
僕は、目の前の少女を――九条梨狐さんを見据えて、そう覚悟を決めた。
風が、屋上を吹き流れていく。しばしの間、吸い込まれそうな黒い瞳を見据えていた僕は、彼女の唇が動くのに気付いた。
「……どうやって。どうやって、こんなに早くここへ来たの?」
チャーミングな太い眉をしかめて、梨狐さんが問いかけてくる。
「私の生み出した捏造世界は、皆が皆都合の良い夢を見られるように調節されてた。それに――学校中に幻想風景を張って、簡単には屋上に来られないようにしていたのに」
「前者については、僕も戻ってこられたのは奇跡だと思う。実際、シャルとミリーさんがいなかったら、今も幸せな夢を見たままだった」
僕は、左右両隣に並ぶ二人を見つつ、そう答える。
よく、現実に戻ってこられたなと今でも思う。それほどまでに、あの空間は幸せで満ちていて、虚構とわかった今でも名残惜しい。
でも――
「けど、梨狐さんが生み出したあの世界には、僕が一番大切にしているものが欠けていた。その違和感が、僕を現実に引き戻してくれた。君が生み出した世界がどんなに理想的で幸せでも、ここにある現実がもっと幸せなら……戻ってこない理由がない」
「っ!」
梨狐さんは忌々しげに歯噛みする。
あの空間は、どこまでも幸せで、優しくて――空っぽだった。とりあえず笑いあっている親友。とりあえずいてくれる思いを寄せてくれる人。とりあえずクラスメイトに囲まれている空間。
そこに、背景もストーリーもない。だから、幸せだけで思い出がない。
僕が抱きしめていたい幸せは、シャルとミリーさんと、命がけで勝ち取ったものだ。その重みが、薄っぺらい幻想に負けるわけもない。
「……じゃあ、後者は」
梨狐さんは、鋭い瞳で僕を見据えつつ、学校中に張り巡らせた幻想の罠を破った理由を聞いてくる。
あれは幻想で作られた迷路だ。そう簡単には突破できない。でも――
「視覚は騙せても、教室の配置まで全部変えてるわけじゃない。見えてる景色と現実が違うだけ。なら、」
僕は人差し指を軽く振るう。
すると、僕の背後を追い越して、バレーボールくらいの大きさの水玉が踊るように回った。
《水流操作》の権能で浮かべている、生物室前の水槽の水だ。
「やりようはある」
「……そう。水を操って自分の前に進ませ、障害物を察知して避けながら来たってわけ」
ミリーさんは、諦めたように嘆息する。
「そろそろ、こっちも聞かせてくれないかな? どうして、こんなことをしているのか。お遊びってわけじゃないでしょ?」
「そうだね。私の幻想を二重で打ち破ったんだし、それくらいのことは伝えてもいいよ」
案外あっさりと、梨狐さんは首肯し、真っ黒な瞳を僕に向けて言った。
「復讐。――ありきたりだけど、それが私がこうしてここにいる理由だよ」
そこは、あまりにも別世界じみていた。昼と夜をない交ぜにしたような、混沌渦巻く空と空気の色彩。
その空の下、紫色の魔法陣が燦然と輝いている。
教室から見上げた空の色は、確かに青かった。
しかし、魔法陣に近づいた今、その色すら認識を曖昧に歪めていく。ひょっとしたら、シャルとミリーさんが見ている景色とも違うかもしれない。
宇宙空間で上下左右の感覚を失うように、現実と虚構の境がわからなくなるような光景が広がっている。
でも――
「来たぞ……」
一歩、屋上の床を踏みしめる。
魔法陣の中心。その下に、一人の少女がいた。
銀の混じる金髪。黒瞳《こくどう》の中心に諦念と憎悪を宿し、少女は部外者である僕達を睨みつける。
その背後に、白銀の靄がクジャクの羽のように――否。九つに分かれた尻尾のように揺れていた。
「何をしようとしているのかはわからない。君が、何を思ってこんなことをしているのかも」
そんな少女へ向け、僕は言葉を投げかける。
思えば、最初から不思議な子だった。性格はマイペース。その黒い瞳にどんな感情を宿しているのか、まったくもってわからない。
そのミステリアスな雰囲気が人気で、学校のアイドル的存在に担ぎ上げられていることもあって。
そんなとき、彼女は嬉しかったのか? 悲しかったのか? それとも……恨んでいたのか?
何一つわからない。いや、違う。わかろうとしてこなかった。
不思議な少女なんだなと思って、それ以上の追求を怠っていた。
誰かが、気付かなければいけなかった。少女の抱えるものが、どれほど重たいのかを。彼女の中のなにかが決定的に歪んで、壊れてしまう前に。
だから――
「間に合わなかったけど、せめてここで止める」
僕は、目の前の少女を――九条梨狐さんを見据えて、そう覚悟を決めた。
風が、屋上を吹き流れていく。しばしの間、吸い込まれそうな黒い瞳を見据えていた僕は、彼女の唇が動くのに気付いた。
「……どうやって。どうやって、こんなに早くここへ来たの?」
チャーミングな太い眉をしかめて、梨狐さんが問いかけてくる。
「私の生み出した捏造世界は、皆が皆都合の良い夢を見られるように調節されてた。それに――学校中に幻想風景を張って、簡単には屋上に来られないようにしていたのに」
「前者については、僕も戻ってこられたのは奇跡だと思う。実際、シャルとミリーさんがいなかったら、今も幸せな夢を見たままだった」
僕は、左右両隣に並ぶ二人を見つつ、そう答える。
よく、現実に戻ってこられたなと今でも思う。それほどまでに、あの空間は幸せで満ちていて、虚構とわかった今でも名残惜しい。
でも――
「けど、梨狐さんが生み出したあの世界には、僕が一番大切にしているものが欠けていた。その違和感が、僕を現実に引き戻してくれた。君が生み出した世界がどんなに理想的で幸せでも、ここにある現実がもっと幸せなら……戻ってこない理由がない」
「っ!」
梨狐さんは忌々しげに歯噛みする。
あの空間は、どこまでも幸せで、優しくて――空っぽだった。とりあえず笑いあっている親友。とりあえずいてくれる思いを寄せてくれる人。とりあえずクラスメイトに囲まれている空間。
そこに、背景もストーリーもない。だから、幸せだけで思い出がない。
僕が抱きしめていたい幸せは、シャルとミリーさんと、命がけで勝ち取ったものだ。その重みが、薄っぺらい幻想に負けるわけもない。
「……じゃあ、後者は」
梨狐さんは、鋭い瞳で僕を見据えつつ、学校中に張り巡らせた幻想の罠を破った理由を聞いてくる。
あれは幻想で作られた迷路だ。そう簡単には突破できない。でも――
「視覚は騙せても、教室の配置まで全部変えてるわけじゃない。見えてる景色と現実が違うだけ。なら、」
僕は人差し指を軽く振るう。
すると、僕の背後を追い越して、バレーボールくらいの大きさの水玉が踊るように回った。
《水流操作》の権能で浮かべている、生物室前の水槽の水だ。
「やりようはある」
「……そう。水を操って自分の前に進ませ、障害物を察知して避けながら来たってわけ」
ミリーさんは、諦めたように嘆息する。
「そろそろ、こっちも聞かせてくれないかな? どうして、こんなことをしているのか。お遊びってわけじゃないでしょ?」
「そうだね。私の幻想を二重で打ち破ったんだし、それくらいのことは伝えてもいいよ」
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