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第3章 狐の嫁入り、夢か現か

第55話 狂える恋心

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「あなたにだけは、この罪がわかるはずです。他でもない、私達には……」

 逃げることは許さない。そう言外に告げながら、もう一人のミリーはミリーに滲み寄る。

「私、は……」
「あなたの我が儘が、彼等を殺した。運命が一つズレていたら、あなたはこうなっていた。わかるでしょう? 私も、あなたなんだから」
「っ!」
「あなたの罪は許されるものじゃない」

 耳元で、もう一人のミリーが囁く。
 その言葉に、反論する術を持たなくて、ミリーは押し黙る。そうすることしかできない。
 自分の罪を自分自身に糾弾されて、言い訳なんてできるはずがない。ここにいる自分は、誰よりも自分のことを知っている鏡合わせの存在で――

「きっと、神結絆だって、そう思ってますよ?」

 ――だから、その言葉だけは、聞き流せなかった。

「あなたを助けた彼だって、「どうして助けなきゃならないんだ」って、心の奥底では思ってますよ。同じ過ちを繰り返したあなたに、辟易しない理由がない。「迷惑だ」「一緒にいるのも反吐が出る」……そう思っているに決まってる」

 おそらくは、ミリーを決定的に挫けさせるために放った言葉。
 でも、だからこそ。

「それはないです」

 ミリーは、きっぱりと否定していた。
 心を砕くつもりだったもう一人のミリーは、怪訝に眉根をよせる。

「それはない? あなた、何を言ってるんですか? いくら自分が心酔してる相手だからって、この期に及んで都合良く120%味方になってくれると思うのは、傲慢じゃないですか?」

 いっそ、嘲るような言葉に、ミリーは心底安堵する。
 自分と、相手の――同じであるはずの二人の、決定的な違いを悟ったから。

「私は、私が嫌いです。同じ過ちを繰り返した私が」

 ミリーは、自分の胸に手を置いてとつとつと語る。

「28階層で襲われたとき。お父さんが来て暴れ回ったとき。私は、自分の行動の浅はかさを呪いました。私のせいで、ダンジョンが壊れていく。お母さんも、シャルも、巻き込まれて。何より、見ず知らずの私なんかのために、命をかけて戦ってくれる絆さんを傷つけて。私はあのとき、世界の誰より、自分が大嫌いでした」

 同じ過ちをして、肉親と親友を傷つけ、手を差し伸べてくれる人すら傷つける自分。
 それなのに、権能は何一つ満足に操れなくて、肝心なときに自力で解決できないばかりか、誰の手助けもしてあげられない。
 それがもどかしくてもどかしくて。

「だから、私は諦めていました。いっそ、あの場で死のうとさえ思った。でも……それを許してくれない人が、一人だけいました」

 今もまだ、鮮烈に脳裏に響く言葉がある。
 夢の境界を越え、ミリーの心に熱く火を灯す、愛しい人の声が。

――「まるで、「これからはずっと自分の部屋で寂しく暮らしていく」とでも言いたげだな」――

――「別に、我が儘言ってもいいんだよ。まだ子どもなんだから。シャルと一緒に冒険して、怖い思いもして、でもそれ以上に楽しい経験をして、そうやって大人になっていく」――

――「それを親が心配するのは当たり前だけど、それでも君がここに来たことは間違いなんかじゃないよ。自分の意志で、したいことをしに来ただけなんだから。僕は君のせいで厄介ごとに巻き込まれたなんて、そんなしょうもない嘘は言わない」――

 あのとき、あの場所で。
 彼が叫んだ言葉が、凍り付いていたミリーの心を溶かした。
 自責の念にかられ、全ての不幸を己の運命のせいにして逃げていたミリーに、命がけで問うた。

「私は、あの言葉に救われた。ううん、立ち上がれと、そう言われたんです」
「……随分、脳天気ですね。それが嘘であることも――」
「それこそ、あり得ません」

 もう一人の自分の反論に、しかしミリーは毅然と応じる。

「彼の言葉には力があった。誰よりも自分を嫌っていた私すら見捨ててくれず、いっそ狂気的なまでに、私を信じてくれました。だから――あの表情が、声が、行動が。全部偽りだなんて、私だけは疑ってはいけない。私が疑うことで、彼という輝きを否定するわけにはいかないんです」

 救われたミリーだけは、それを信じる義務がある。
 何より、無条件で信じさせてくれる信頼がある。疑うようなことをしたなら、それは神結絆という人間そのものを否定することになる。そんなこと、彼を愛している自分ミリーが、するはずがない。
 そしてそれは、実際に彼に救われてしまった、ミリーだけがわかっている感情で。

、あなたには理解できない。彼と出会わなかった世界の私に、出会った世界の私の気持ちが、わかるはずがないですから」

 ――それが、決定的な答えだった。
 と同時に、ミリーは看破していた。今この場にいる幻影の自分が、ミリー自身ではないことを。

「だから、どうか!」
「っ!」

 声に、波動が乗る。
 精神に直接働きかける美声が、目の前の幻想に突き刺さる。

「こ、れは……人魚の固有スキル!」

 目の前のミリーが、苦しげに呻く。
 その姿が弱々しく明滅し、化けの皮が剥がれていく。

「《蠱惑之美声ローレライ》……これも、あの人がいたから、覚醒に至った私の権能です。精神に働きかけるのが、あなただけの専売特許だと思わないでください」

 毅然と伝えるミリーの正面には、もう一人の自分――否、変装が剥がれ落ちた九条梨狐がいた。
 その姿が薄れ、空気に溶けるように輪郭が崩壊している。
 夢の世界――精神がむき出しの世界で、《蠱惑之美声ローレライ》を喰らったのだ。いくら九尾の狐とて、精神をかき乱されて、この場で存在を維持することができないのだろう。

「あえて言うよ、キミのその信頼は、一方的で、身勝手で、独善的で。相手の気持ちを都合良く解釈しているだけ。相手の善意に付け込むそれを、愛と呼べるはずがない」

 もはや口調を偽る必要もなくなった梨狐が、苦々しげに吐き捨てる。
 
「会って数日の人間が、そこまで愛してなんてくれるわけがない! だったら、私は……今まで、どうして――ッ!」
「あなたが、何を見てきて、愛されることも愛することも否定してるのかわからないけど……私と絆さんの関係だけは、邪魔させません。速やかに、お引き取りを」

 そう言って、深々と頭を下げるミリー。
 そんな彼女へ向け、消えかけの梨狐が一言、

「……キミの愛は、狂ってる」

 そう告げ、それっきり気配が消えてしまった。

「そうですね。あなたにも、私の気持ちがいずれわかると思います。あの人は、泣いてる女の子を放っておけないから……」

 1人残されたミリーは、誰もいない空間にそう囁いて。
 ガラスが割れるような音と共に、夢の世界が砕け散った。
 

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