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第2話:健気な努力

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(シルヴァン視点)


「公爵……奥様に嫌われてません?」
「?」

 一瞬何を言われたかよくわからなかった。
 3ヶ月前、没落寸前だったアルノワ伯爵家の長女ナタリー嬢と婚姻を結んだ。彼女を選んだのはお互いの利害が一致したからだった。
 もちろん圧倒的に優位な立場にいるのはこちらだ。弱みにつけこまれたと思われても仕方ない。しかし、そうでもしない限り「子どもを望まない」という条件をのんでくれる相手は現れなかっただろう。

「何かしたんですか?」
「身に覚えがない」

 それでも嫌われてるっていうのはいまいちピンとこなかった。嫌われてるはずがないとかではなく、俺と夫人はそこまでの関係ではない。憎悪の感情を抱くほどお互いのとこを知っているわけではないのだ。
 彼女も俺との関係は政略結婚として割り切っているようだったから、気にしたことがなかった。

「はあ……政略結婚とはいえ、もう少し歩み寄ったらどうですか」
「最低限にすると決めている」
「その最低限の域にも達していないということです」

 俺なりに夫人に対しては気遣っているつもりだった。1週間に1度は食事を共にしているし、欲しいものがあれば何でも買えるように金も渡してある。それでも最低限には至らないのか。
 
「使用人達はもう奥様を慕っていますよ。ほら、外を見てください」
「……」

 ディオンに促されて窓から庭園を見下ろしてみると、庭師のパトリスと談笑する夫人がいた。
 そういえば夫人の笑った顔を見たのは初めてだった。確かに俺はあんな風に笑顔を向けられたことはない。
 
「最近入れた新人の侍女が、奥様が名前を覚えてくださっていたと喜んでました」
「……そうか」

 夫人に任せたのは庭園と使用人の管理。庭園の手入れは自ら率先してやっているし、屋敷にいる50もの使用人の名前をもう覚えているようだ。
 彼女を笑顔にするのは、別に俺の役目ではない。使用人達とうまくやっているのであれば問題ないだろう。

「……」

 ふと、夫人がこちらを見上げて目が合った。と思えばその視線はすぐに逸らされ、俺の視界に映らないところに移動してしまった。
 ……なるほど。これが嫌われてるということか。側近のディオンが言うことは間違っていなかったようだ。
 だからといって何かが変わるわけではない。夫人にどう思われようと、俺の仕事や生活に支障はない。


***


「……寝てますね」
「ああ」

 2階の一番右端、今は使っていない父の書斎。この部屋の窓から騎士団の訓練を真剣な眼差しで見ていた夫人が目に入って、気になって来てみたら夫人はすやすやと眠っていた。

「これは……」

 いったいここで何をしていたのか。その答えはどうやら机の上の紙束にありそうだ。

「おおお……!!」
「?」

 ディオンが手に取ったのを横から覗き込むと、そこには夫人の筆跡で使用人ひとりひとりの名前と特徴が書かれていた。
 ここから訓練場を見ていたのは、騎士の名前と顔を一致させるためだったんだろう。一瞬でも悪い想像をしてしまった自分の浅はかさを悔やんだ。

「なんて健気な……! 感動で涙が……うぅッ」

 ディオンの反応は過剰だと思うが、俺も感心はしている。多くの使用人の名前を記憶していたのは、単に物覚えがいいというわけではなく努力の賜物だったというわけか。
 
「俺は何て書かれてるんだろ?」
「……わんこ」
「ははは!」

 好奇心に駆られたディオンが自分の名前を探し始める。先に見つけて読み上げてやるとディオンは楽しそうに笑った。確かに犬という表現は的を射ていると思う。

「公爵は……長ッ!!」
「……」

 俺のことは何か書いているんだろうかと興味が湧いてきた。
 見てみると、使用人達が一言二言でまとめているのに対して、俺には紙の半分くらいを使っている。内容は俺が行っている業務のことがほとんどだったが、一番下のメモが気になった。

・絶対に触らない
・不用意に近づかない
・近くではなるべく息をしない

 ……おそらくこれは夫人が俺と接する上での注意点を箇条書きにしたものだろう。「試験に出ます」とでも言うかのように下線まで引かれている。

「どんだけ気ィ遣われてるんですか!!」

 まさかここまで気を遣われているとは思わなかった。会う度こんなことを意識されていたのかと思うと少し申し訳ない。夫人には俺のことなど気にせず自然体で過ごしてほしい。

「ん……」

 ディオンの声がうるさかったのか、机に伏していた夫人が頭を上げた。

「え!? わ、私居眠りを……ごめんなさい!」
「いえいえ、ご自由にお過ごしください」
「……ハッ!」

 そして俺達がいることに気付いて驚き、更に紙束を手にしているディオンを見て全てを察したようだ。夫人の顔がみるみるうちに赤くなっていく。

「み、みみ見……」
「……わんこディオンです!」
「うわああ……!!」

 夫人の慌てふためく反応はディオンを調子に乗らせるだけだ。もはや面白がっている。

「あの、公爵様……」

 動揺を隠せない瞳が俺に向けられた。一縷の希望を抱いているようだが……その期待には応えられない。
 
「息は、普通にしてください」
「は、はい……」

 遠回しに見たことを伝えると、夫人は消え入りそうなか細い声で返事をした。
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