寵愛のテベル

春咲 司

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香鶯祭1

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 香鶯祭最終日、夜の帳が下りる頃。人々の熱狂は最高潮に達していた。賑わう王都を照らすのは、鱗粉に蛍光色素を持つ夜光蝶。小さな子供の手のひらのほどのその蝶は、春に咲く月光花の蜜を吸収し、蒼い光を放つ。その習性を利用し舞踏会の会場となる城前広場には、円を描くように月光花が飾られた。そこに蝶が集まって天上の星々の輝きに負けぬ程の煌々とした光が灯る。

 夜光蝶の寿命はたった十日。彼らは春に月光花が咲き始めると一斉に羽化し、そして十日目ちょうどに死んでしまう。
 香鶯祭の開催が羽化から五日後と決まっているのは、蝶の寿命が関係しているからだ。今年はひと月以上もずれ込んでしまったが、無事に訪れた春に人々はこれ以上ない盛り上がりをみせた。

 時刻は十八時。広場の時計塔から鐘の音が鳴り響く。約束の時間は一時間を切った。
 新調した濃紺のドレスを身に纏ったハーミヤは、自室のドレッサーの前に座っていた。腰まで伸びた長い髪は一つに結い上げられ、白い花飾りが付けられた。
 清楚で可憐な装いに仕上ると、支度を手伝った侍女は満足気に部屋を後にした。

 ハーミヤは鏡に映った自分の姿を見て溜め息を吐く。そこには自分が思っていた以上に、余裕のない顔があった。
 昨年の舞踏会での出来事が苦い記憶として残っているので、参加するつもりはなかった。
 目立たない格好をして、会場の隅の方で兄や姉のワルツを見ることができればそれで充分だったのに。まさかルドルフと舞踏会に参加することになるとは。

 彼とは城内ですれ違った際に挨拶を交わす程度で、きちんと話をしたのは叙任式を除けば昨日がはじめてのことだ。
 むしろ初対面でおかしなことを言ってしまった後ろめたさから、実は少し避けていた。
 誘われた際は、驚きと混乱で断る余裕すらなかった。おかげで昨日からずっと心臓が早鐘を打っていて、体に悪い。

 気を落ち着けるように何度も深呼吸を繰り返すうちに、次第に疑問が湧いてきた。
 何故ルドルフは自分をダンスに誘ったりしたのだろう、と。

 昨日盗み聞いた侍女の話では、ルドルフはダンスの誘いを片端から断っていたという。
 ダンスが苦手なのか、はたまた嫌いなのか。
 それに彼には、昨年の舞踏会で自分がしでかしたことを話している。相手の足を踏んで転んでしまうような人と一緒に踊りたいなどと思うだろうか。

 尚更わからなくなって考え込んでいると、部屋の外から侍女の黄色い悲鳴が上がった。
 こういった声が上がるのをこの二週間で何度も聞いてきたので、確認せずとも外の人物が誰なのかわかった。

 ハーミヤが椅子から立ち上がるのと、部屋の扉がノックされるのはほぼ同時だった。

「ハーミヤ様、ルドルフです。お迎えに上がりました」

「はい」

 予想通りの声にハーミヤは返事をしてすると、ゆっくり扉を開けた。
 目の前に立つルドルフは、いつもの黒い軍服ではなく夜会用の正装に身を包んでいた。
 この人は何を着ても似合うのだな、とハーミヤは頭一つ分高いところにあるルドルフの顔を見つめた。

 一方のルドルフは、先程から一向に動く気配がない。気付けば瞬きすらしていなかった。

「あの、ルドルフ。どうしたのですか?」

 ハーミヤが顔の前に手を翳すと、ルドルフは慌てて顔を横に向けた。手で口を抑えると申し訳なさそうにチラリとハーミヤを見つめる。

「申し訳ありません。その、あまりにも綺麗だったものですから……。不躾でした」

「えっ……」

 思わぬ不意打ちにハーミヤの頬が朱に染まる。見ればルドルフの顔も心なしか赤く見えた。今のは社交辞令というわけではなく、本当にそう思ってくれたようだった。
 そう思うと気恥ずかしくなって、ハーミヤは俯いた。

「こんなに美しい人をエスコートさせて頂けるなんて光栄です」

 今度はきちんとハーミヤの顔を見て微笑む。既にパンク寸前のハーミヤは言葉が出ずに、口を開けたり閉めたりする。常に冷静で余裕があるルドルフのこんな様子を見るのは初めてだった。

「もうすぐ十九時ですね。参りましょうか」

 普段の落ち着いた様子に戻ったルドルフが手を差し出す。白い手袋がはめられたその手をハーミヤはしっかりと握った。

 会場に近付くにつれて緊張は増していく。
 何故自分を誘ったのかと本人に訊ねようと思っていたハーミヤだったが、既にいっぱいいっぱいで声をかけることができずにいた。
 そっとルドルフの顔を盗み見ると、彼が振り返り、逸らす間もなく視線がぶつかる。
 何か言わなくては、と慌てるハーミヤにルドルフは優しく声を掛けた。

「緊張、していますね」

 どうしてバレてしまったのだろう。
 ハーミヤが戸惑っていると、ルドルフは自身の右腕に添えられたハーミヤの手に反対の左手を重ねる。

「少し震えていらっしゃいます。すみません、無理にお誘いしてしまって」

 心苦しそうに言うルドルフに、ハーミヤは精一杯反論した。

「そんな! ルドルフが謝るようなことなんてありません。でも、どうして私を相手に選んだのですか? それがどうしてもわからなくて」

 ハーミヤが問い掛けると、ルドルフは僅かに罰の悪そうな顔をして口を開いた。

「実は昨年の香鶯祭でハーミヤ様がカイン様と踊られているところを見ておりました。その、お転びになったところも」

「あ、あああ、あれを見ていたんですか!?」

 ハーミヤは赤面し両手で必死に顔を隠した。穴があるなら入りたい。無いなら掘ってでも入りたかった。

「はい。王都への使いとしてこちらに来た時に。せっかくだから見て帰ってはどうかと、陛下に言っていただいたので」

「では、尚更どうしてなんですか! 観ていたなら分かると思いますけど、私本当に下手なんですよ?」

「大丈夫です。私はリード得意ですから」

「でも今度だって、ルドルフの足を踏まないとは限らないんですよ。それに練習だってほとんどしていませんし」

 婚約者に手を引かれホールの中央で踊ったワルツ。しかしハーミヤが相手の足を踏み付け、二人は無様に転倒した。笑い者にされた嫌な記憶。そして人前でダンスを踊るのが怖くなったきっかけ。
 不安に顔を曇らせるハーミヤに、ルドルフは微笑みかけた。

「あなたの笑った顔が見たかったのです」

「え……」

 思わぬ一言にハーミヤは目を丸くすると、じっとルドルフを見上げた。
 するとルドルフは恥ずかしそうに目を逸らした。

「昨日私に舞踏会でのことを話してくださった時、ハーミヤ様は悲しそうな顔をなさっておりましたから」

「だから気を遣ってダンスに誘ってくださったのですか?」

「気を遣ってというよりも、私があなたと踊りたかったのです」

 ルドルフはハーミヤの方に向き直ってはにかんだ。
 それがなんだかくすぐったくて、ハーミヤは目を泳がせた。それから顔を見られないように左手で隠してしまう。

「ハーミヤ様?」

 ルドルフに呼ばれてもハーミヤは返事をしなかった。
 彼の優しさは自分に限ったことではないし、なによりほんの二週間前に出会ったばかりだ。
 だからこんな気持ちになるのは何かの間違いなのだ。
 ハーミヤは高鳴る鼓動を無視して、必死に言い聞かせた。
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