深夜水溶液

海獺屋ぼの

文字の大きさ
62 / 67
第五話 今、挟まれる栞

しおりを挟む
 早朝の事務所は死にかけの犬のように静かだった。ブラインドから夜と昼の境界線のような僅かな光が入るだけでかなり薄暗い。どうやら昨日に徹夜した社員はいなかったようだ。
 手探りで蛍光灯の電源を入れる。蛍光灯はチカチカと数回点滅した後に部屋を薄暗く照らし始めた。
「さてと」
 僕は独り言を呟くと自分のデスクに自宅から持ってきた書類を並べた。昨日の夜の仕事の続き。ただ場所が変わっただけだ。
 この仕事最大の利点はどこでも出来るということだ。必要なものは原稿と赤ペンだけ。それさえあればファミレスだろうが病院の待合室だろうが問題ない。むしろこうして事務所でやるほうが面倒ごとが多いかもしれない。人間関係。それがこの仕事最大の敵だから。
 だからこうして朝からデスクに向かって作業するのはとても楽だった。ただただひたすら校正に没頭できる環境。昼間の営業さんや上司から呼び出される環境よりは何倍も楽だと思う。
 始業時間までが勝負だ。そう決めて校正すると普段の何倍も早く筆が進んだ。やはり僕にはひとりぼっちの作業が性に合っていると思う――。

「お、半井くんおはよう。早いね」
「おはようございます。今日は夕方から用事があるもので……」
 始業時間の三〇分前。直属の上司の寺内さんが出社してきた。
「用事? そうかそうか。彼女さんか?」
「ええ、まぁ……」
「ハハハ、なら早めにあがったほうがいい。三雲くんたちに仕事押しつけられたら帰れなくなるよ」
 寺内さんはそう言うと茶化すように言うと僕の肩を軽く小突いた。
「そうですね……。気をつけます」
「うんうん。あれだよ半井くん。君はもう少しずるくなった方が良いね。別に彼らに尽くしたって良くしてくれるわけでもないんだからさ」
 寺内さんはそんなアドバイスを言うと「カカカ」と乾いた笑いを付け加えた。この笑いを聞くと不思議と気持ちが落ち着く。
 寺内さんが来てから続々と同僚が出勤してきた。もうすぐ仕事納めなので心なしかみんなそわそわしている。年末の空気。それは出版業界にも多少はあるのだ。
 それから僕は朝の掃除と朝礼を淡々と熟した。そして当然のように三雲先輩から仕事が降りてくる。
「半井ぃー。これ午前中に下読みしといて」
 そんな風に原稿を投げられた。彼には僕の意思と予定は関係ないのだ。
「分かりました」
「ああ。俺、午前中用足してくるから帰るまでに終わらせとけな」
 そう言うと三雲先輩はすぐに事務所を出て行った。これも平常運転。いや、逆に優しいぐらいだと思う。
 それから三雲先輩から預かった原稿の下読みを始めた。どうにか午前中に終われせよう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

同級生

真田直樹
青春
主人公:新田里奈(にった・りな) 彼氏:藤川優斗(ふじかわ・ゆうと) 二人の共通のクラスメイト真奈 (まな) 同じ高校の同級生 笑 涙 人生を一生懸命に生きる物語 大学時代にある女性との関係で二人の仲は揺るぎない物になる

処理中です...