純文学のブックマーク ~栞と五人の文芸部員~

海獺屋ぼの

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第一章 樹脂製の森に吹く涼しい風

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 八月二九日。私の作品が完成した。魔法とカーバンクルという幻獣の物語。やはり私はファンタージ小説が好きなのだ。一般向けの大衆文芸も書いたことがあるけれど、やはりこちらの方が落ち着く。私はカーバンクルに〝ナギ〟という名前をつけた。ふわふわな白い体毛。額には菱形の真っ赤なルビー。ウサギと犬を掛け合わせたような姿をした獣だ。これは完全に私の好みだ。最高に可愛らしい見た目だと思う。もっとも、文章で書いただけなので姿を想像するのは読者なのだけれど。
 文章の校閲と校正に入る。当然のように毎回、誤字脱字、表記のブレはあるので丁寧に行わなければいけない。
 例えば「アカリ」という言葉一つ取っても、「明かり」「あかり」「灯り」と何パターンも表現方法はある。これに関しては文章の流れと作風によって変わるわけだけれど、私は平仮名で書いた「あかり」が気に入っている。ぼんやりとしたイメージ。優しい光。そんな感じ。
 祖母は店の奥で珈琲豆の仕分けをしていた。彼女は仕入れてきた新しい豆を焙煎機から取り出すと、それをカウンターの上に並べた。香ばしい香りが店内に漂い、一気に喫茶店らしい匂いになる。
 祖母は珈琲豆と茶葉の選定にはいつも気を使っていた。特に珈琲豆は念入りに行っているようで、五感を使って豆の選定を行っている。祖母の店がそれなりにやっていけるのはきっとそんな細やかな努力の成果だろう。祖母は母と違って繊細なのだ。細やかで気遣いができる人。仮に身内でなかったとしても尊敬できる女性だと思う。
 祖母の姿を横目に文章校正を始める。校正作業はプロット作りや実際の執筆よりも集中力のいる作業だ。迂闊にストーリーとして読んでしまうと目が滑るし、かといって事務的に行いすぎても文章の情緒が失われてしまう。その作業はまるで筋力トレーニングやダイエットのようだと思う。負荷を掛けすぎてもいけないし弱すぎてもいけない。
 文章とは生き物だ。私はそう思う。頑丈なようで脆く、一瞬でその輝きが失われてしまう。そんな存在。
 原稿用紙に赤ペンで訂正箇所を書き込んでいく。原稿用紙は赤に侵食され、用紙全体が赤く染まっていった。傷跡のように赤く。
 小一時間ほど校正した。原稿用紙五枚分。良くも悪くもないペースだ。まだまだ先は長いけれど、ひとまず休憩しようと思う。
「お婆ちゃん。お水貰っていい?」
「ちょっと待ってね」
 祖母はそう言うと氷入りのピッチャーからグラスに水を注いでくれた。
「ありがとう。目がしばしばするよ」
「赤入れは疲れちゃうわよね。お母さんも若い頃はそうやって原稿と睨めっこしてたわ。まぁ……。あの子はそれが生きがいみたいだからいいけどね」
「お母さんの赤入れってすごいよね! 声かけても気づかないぐらいだし……。あれくらい集中できたらいいんだけどなー」
 母の校正・校閲能力は作家の中でも群を抜いていると思う。彼女は早いうちからワープロを使うようになったし、編集の人間も母が相手だと編集作業が楽なようだ。
 おそらく母は、編集の人間に対して気を使っているわけではない。自己満足。それだけだと思う。母はそういう人間なのだ。結果的に他人の役に立つことはある。でもわざわざ人の役に立つための行動はしない。言葉は悪いけれど、母は完全な利己主義者なのだ。まぁ、利己主義と言っても他人に迷惑を掛ける気はあまりないので問題ないと思う。
 私が休憩していると店のドアが開いた。カランという音が鳴り、見覚えのある男の子が顔を覗かせる。
「あの……。すいません」
「はーい。あ! この前の!」
 そこに立っていたのは、先週にプラモデルを作っていた男の子だった。背が高い方の子ではない。普通な男の子。
「この前はどうも」
 彼はそれだけ言うとバッグから小箱を取り出した。白い箱のパッケージには絆創膏のイラストが描かれている。
「別に良かったに」
「いやいや……。ちゃんとしたいからさ。返すの遅くなってごめんね」
 彼は右手の人差し指で頬を掻くと、絆創膏の箱を私に差し出した。
「ありがとう。あの、良かったら何か飲んでいって!」
 それから私は祖母に頼んでコーヒーを用意して貰った。祖母特製のオリジナルブレンド。
「いらっしゃい。栞ちゃんのお友達みたいだからサービスよ」
「すいません……。ありがとうございます」
 彼はそう言うと珈琲にミルクと砂糖は入れた。ミルクは少し、砂糖は二粒。
 改めて見る彼は本当にごく普通の少年のようだ。顔立ちは幼く、太い髪は綺麗に切りそろえられている。
「なんかごめんね。ご馳走になっちゃって」
「いいんだよ。それよりこの前は来てくれてありがとう。お盆で誰も来なかったからさ」
「そっか……。ああ、ごめん。自己紹介してなかったよね。僕は半井水貴……。キミは?」
「私は栞だよ。川村栞。歳は一四だよ」
 年齢を聞いて水貴は不思議そうな顔をした。
「中二? じゃあ僕と一緒だね。どっかの私立通ってるの?」
「ううん。違うよ。先月こっちに引っ越してきたんだ。来月……。もう明明後日からだけど、瀬田中に通うんだ」
「え!? 同じ中学じゃん」
 ここに住んでいるのだから当然だけれど彼と私は同じ中学校のようだ。
「みたいだね……。ほら、ここから通うなら瀬田中だしさ」
「そっか……。じゃあもしかしたら同じクラスになるかもしれないね」
 彼は納得したように言うと私の手元の原稿に目をやった。
「ああ、これは私の書いた小説なんだ。まだ校正途中だから汚いけどさ」
「小説書くんだね。良かったら読ませて貰ってもいい?」
「うーん……。いいけど赤ペンだらけだから読みづらいよ?」
 正直恥ずかしい。赤ペン塗れなのもそうだし、何より自分の書いた作品を面と向かって読ませるのには抵抗がある。
「いいよ。僕、小説好きなんだ」
「じゃあ……」
 恥ずかしいけれど仕方ない。私は諦めて原稿をページ順に並べて彼に手渡した。
「本当に荒削りだから……。恥ずかしいよ」
「大丈夫。気にしないからさ」
 彼はニッコリ笑うと真剣な表情で私の原稿用紙を読み始めた――。
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