悪魔の手の中 改訂版

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前編

穏やかな昼の陰

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昨日と同じ教室。
クラスメートが談笑する声はくぐもって聞こえるのに、自分の鼓動だけはやけに響いているように感じた。

頭の奥には、昨日の熱がまだこびりついている。

楓のしなやかな筋肉の感触がまだ肌に残っている気がして、どうも落ち着かなかった。

「あ、良かった。ちょうどいいところに早川が来た。」

自分の席に座ろうとした時、前の席の水瀬が振り返る。

「……水瀬くん、おはよう。」

いつものようになるべく自然に挨拶したつもりでも水瀬の目に自分がどう映っているか、不安で仕方なかった。昨日の行為で、快楽を感じてしまった体が、なにか別のものに変わってしまったようで。その変化を、誰かに見透かされるのが怖かった。

「あのさ、英語の課題、見せてくれない?」

そんな俺の不安など気づきもしないまま、水瀬はいつものように課題を見せてもらおうとする。

「…うん。……あっ、」

スクールバックから英語の教科書とノートを取り出そうとして、気づいた。俺、課題やってないかも。

「……ご、ごめん。…やってくるの忘れた。」

「……早川が?課題、忘れたの?」

おずおずと言うと水瀬が目を見開いてキョトンとした後、ジッと俺の顔を見つめた。

その後、何か言いたげに口を開きかけて、けれど、結局言葉にはしなかった。

「ま、そういうこともあるよな。」

ニコッと眩しい笑顔を向けると、水瀬はすぐに前の席の生徒の肩を叩く。

「なあ、お願いっ!英語の課題、見せてくんない?」

水瀬からのお願いに生徒はあっさりと応じた。人懐っこい水瀬は、生徒と軽く雑談しながら、ちゃっかり課題を書き写している。

その姿を見ながら、変に詮索してこなかった水瀬にホッとした。その時、なぜかふと視線を感じた気がした。気のせいかもしれない。

でも、なんとなく気になって教室を見渡すと、誰もこっちを見ていなかった。



昼休み。

俺の席までパタパタと小走りで苗代がやってくる。

「早川くん……、一緒にご飯食べよ。」

昨日のように四人で食べるのが嫌なのか、前の席の水瀬を気にして、ちらちらと見ている。

「おっ、苗代!俺の席、使っていいよ!」

水瀬は苗代の視線に気づいたのか、笑みを浮かべながらそう声をかけた。

「………ありがと。」

優しくされて戸惑ったのか、苗代はぎこちなく小さな声でお礼を言った。

「いーえ。昨日はちょっと強引だったかもって思ってさ。今日はゆっくりして!」

水瀬は爽やかに笑うと、仇野と並んで教室を出ていく。

水瀬は少し強引なところもあるのに、こうやって気を遣えて親切にできる。それが、みんなに好かれる理由の一つなんだろう。そう思いながら、その背中を見送った。



「…あの、これ……お口に合うか分からないけど……」

向かい合いながら、弁当箱を開いていると、苗代がおずおずと言う。

いつも弁当を手作りしている苗代はたまにこうやっておかずを分けてくれる。

「…ありがとう。」

差し出された卵焼きをすぐに、頬張った。ふわふわしていて優しくて甘い味がする。

「おいし……」

そう言葉をこぼすと、いつも申し訳なさそうに背中を丸めている苗代の顔がパッと明るくなった。

その後は口ベタ同士、会話が弾むことはないけれど、穏やかな空気が二人の間に流れていた。

昨日の楓との出来事からも、少しだけ意識を逸らすことができる。

窓から差し込む光が、ぽかぽかと暖かい。

気弱な性格が似ているだけではない。無言でも気まずさを感じないところが同じで、そこが好きだと思う。

そんなことを考えていた時、ふと苗代が箸を止める。

「あ、あの……早川くん、って……」

そこまで言って、ぐっと口をつぐむ。

「……やっぱ、なんでもない。ごめんね。」

苗代はまつ毛を伏せ、そっと視線を落とした。

いつものように言葉を飲み込む、その姿を俺は深く気にすることはなかった。
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