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「……きついぞ、これ」
リュカは不満げに袖を引っ張った。
僕が貸したグレーのスウェット上下。身長一七五センチの僕にはゆとりのあるサイズだったはずなのに、彼が着るとまるで子供服のようだ。
広い肩幅のせいで生地が悲鳴を上げ、胸板の厚みでロゴが横に引き伸ばされている。ズボンの丈も足りず、足首が完全に出ている状態だ。
「我慢してくれ。君がデカすぎるんだよ」
「フン、人間の布ごときで我の美しさを覆い隠そうなど、不敬にも程がある」
文句を言いつつも、彼は大人しくちゃぶ台の前に座り直した。
とりあえず全裸の危機は脱した。僕は安堵のため息をつきながら、炊きたてのご飯と味噌汁、それに昨日の残りの煮物を彼の前に並べた。
「毒見は済んでいるのだろうな?」
「失礼だな。僕が食べるつもりで作ったんだよ。嫌なら食べなくていい」
「……いただく」
リュカは箸の使い方がわからないらしく、スプーンを鷲掴みにして味噌汁を啜った。
ズズッ、と音がして、彼の黄金の瞳がわずかに見開かれる。
「ほう……」
「どう?」
「悪くない。身体の芯まで染み渡るような、滋味深い味だ。この白くて四角い物体も、崩れやすいくせに舌触りがいい」
上から目線な食レポだが、どうやらお気に召したらしい。
彼はそのまま煮物を口に運び、さらに目を見開いた。
「美味い! なんだこれは。肉が口の中で解けるぞ」
「圧力鍋で煮込んだからね。……って、君、怪我人はもっと静かに食べなよ」
リュカの食欲は凄まじかった。
人間離れした美貌で優雅に食べているように見えるが、そのスピードは猛獣そのものだ。僕の茶碗の三倍はある丼飯があっという間に消え、おかわりを要求される。
結局、僕が三日分として作り置きしていた煮物は、すべて彼の胃袋に収まってしまった。
「ふぅ。久々に腹が満ちた」
空っぽになった器を前に、リュカは満足げに腹をさすった。
スウェット姿でちゃぶ台にあぐらをかいているのに、なぜか絵画のように様になっているのが腹立たしい。
さて、と僕は居住まいを正した。
「リュカ、と言ったね。ご飯も食べたし、傷の具合はどう?」
「うむ。貴様の施した包帯とやらも悪くない。我が治癒能力ならば、数日で塞がるだろう」
「それはよかった。……で、これからどうするつもりだい? 森に帰るの?」
僕がそう尋ねると、リュカはきょとんとした顔をした。
まるで「何を当たり前のことを聞いているんだ」とでも言いたげな顔だ。
「帰る? なぜだ」
「なぜって……ここは僕の家だし、君は野生動物……いや、神獣なんだろ? 山に自分の縄張りとかあるんじゃないの」
「縄張りなど、我の気分次第でどこへでも広がる。それに」
リュカは身を乗り出し、黄金の瞳でじっと僕を見据えた。
整いすぎた顔が近づいてきて、僕は思わずのけぞる。
「我は『銀狼族の長』だ。人間に助けられたまま、礼もせずに立ち去るなど、誇りが許さん」
「礼? いや、そんなのいいよ。昨日の晩ごはんの残りをあげただけだし、手当だって気休め程度だし」
「断る。我は借りは作らん主義だ」
頑固だ。
昨日の弱りきっていた姿からは想像もつかないほど、意志の強い目をしている。
「じゃあ、えっと……怪我が治ったら、山で木の実でも採ってきてくれたらそれでチャラってことで」
「却下だ」
リュカは即答した。そして、ふっ、と不敵な笑みを浮かべる。
「湊、と言ったな」
「え、うん。佐伯湊だけど」
「ミナトよ。貴様、見るからに貧相で、生命力も乏しい。一人で生きていくのがやっとという風情だ」
「……ほっといてくれ」
確かに会社を辞めて無職だし、貯金を切り崩しての生活だけど、そこまで言わなくてもいいじゃないか。
「だが、貴様は我を助けた。その功績は大きい。よって――」
リュカは宣言した。
まるで、王が民に勅命を下すかのような、絶対的な響きで。
「我が一生、貴様を養ってやろう」
「…………は?」
思考が停止した。
養う? 誰が? 誰を?
この全裸の不審者が、僕を?
「いやいやいや! 意味がわからないよ! 一生って何!?」
「言葉通りの意味だ。我の伴侶……ではないが、それに準ずる庇護対象として、貴様の衣食住、そして安全を、我が一生涯保証してやる」
リュカは胸を張った。パツパツのシャツのボタンが弾け飛びそうだ。
「我は狩りが得意だ。貴様が食うに困らぬよう、毎日極上の獲物を獲ってきてやる。外敵からも守ってやる。貴様はただ、我のそばで安らぎ、我を崇めていればいい」
「崇めないよ!? ていうか、ペット!? それ僕が君のペットになるってこと!?」
「不満か? 神獣の加護を得られる人間など、千年に一人いるかいないかだぞ。光栄に思うがいい」
話が通じない。
この神獣様、見た目は麗しいけれど、中身はとんでもない俺様だ。
僕は頭を抱えた。
「気持ちは嬉しいけど、本当に大丈夫だから。怪我が治ったら帰ってくれれば、それで……」
「ならん。我は決めたのだ」
リュカは腕を組み、ふんぞり返った。
「貴様が老いて死ぬまで、我が面倒を見てやる。これは決定事項だ。拒否権はない」
「なんでだよ!」
「我がそうしたいからだ」
理屈が通じない。神獣だからか? 神獣だから理屈なんて関係ないのか?
僕が求めていたのは、静かで穏やかなスローライフだ。
誰にも干渉されず、野菜を育てて、本を読んで、縁側でお茶を飲む。それだけの生活だったはずなのに。
「あ、あのね、リュカくん。人間界には人間界のルールがあってね……」
「細かいことは気にするな。我がいれば全て解決する」
そう言って、彼はニヤリと笑った。
その笑顔が、悔しいくらいに魅力的で、そして猛烈に「嫌な予感」がした。
「さあ、契約成立だ。まずは貴様の寝床を案内しろ。我もそこで寝る」
「断る!!」
「なぜだ? 昨夜はあんなに寒そうにしていたではないか。我が温めてやる」
「いらない! 布団あるから!」
こうして、僕の「おひとりさまスローライフ」は、開始早々に崩壊の危機を迎えた。
家に転がり込んできたのは、恩返しを盾に一生居座るつもりの、常識知らずな神獣様。
……前途多難なんて言葉じゃ、生温い気がする。
リュカは不満げに袖を引っ張った。
僕が貸したグレーのスウェット上下。身長一七五センチの僕にはゆとりのあるサイズだったはずなのに、彼が着るとまるで子供服のようだ。
広い肩幅のせいで生地が悲鳴を上げ、胸板の厚みでロゴが横に引き伸ばされている。ズボンの丈も足りず、足首が完全に出ている状態だ。
「我慢してくれ。君がデカすぎるんだよ」
「フン、人間の布ごときで我の美しさを覆い隠そうなど、不敬にも程がある」
文句を言いつつも、彼は大人しくちゃぶ台の前に座り直した。
とりあえず全裸の危機は脱した。僕は安堵のため息をつきながら、炊きたてのご飯と味噌汁、それに昨日の残りの煮物を彼の前に並べた。
「毒見は済んでいるのだろうな?」
「失礼だな。僕が食べるつもりで作ったんだよ。嫌なら食べなくていい」
「……いただく」
リュカは箸の使い方がわからないらしく、スプーンを鷲掴みにして味噌汁を啜った。
ズズッ、と音がして、彼の黄金の瞳がわずかに見開かれる。
「ほう……」
「どう?」
「悪くない。身体の芯まで染み渡るような、滋味深い味だ。この白くて四角い物体も、崩れやすいくせに舌触りがいい」
上から目線な食レポだが、どうやらお気に召したらしい。
彼はそのまま煮物を口に運び、さらに目を見開いた。
「美味い! なんだこれは。肉が口の中で解けるぞ」
「圧力鍋で煮込んだからね。……って、君、怪我人はもっと静かに食べなよ」
リュカの食欲は凄まじかった。
人間離れした美貌で優雅に食べているように見えるが、そのスピードは猛獣そのものだ。僕の茶碗の三倍はある丼飯があっという間に消え、おかわりを要求される。
結局、僕が三日分として作り置きしていた煮物は、すべて彼の胃袋に収まってしまった。
「ふぅ。久々に腹が満ちた」
空っぽになった器を前に、リュカは満足げに腹をさすった。
スウェット姿でちゃぶ台にあぐらをかいているのに、なぜか絵画のように様になっているのが腹立たしい。
さて、と僕は居住まいを正した。
「リュカ、と言ったね。ご飯も食べたし、傷の具合はどう?」
「うむ。貴様の施した包帯とやらも悪くない。我が治癒能力ならば、数日で塞がるだろう」
「それはよかった。……で、これからどうするつもりだい? 森に帰るの?」
僕がそう尋ねると、リュカはきょとんとした顔をした。
まるで「何を当たり前のことを聞いているんだ」とでも言いたげな顔だ。
「帰る? なぜだ」
「なぜって……ここは僕の家だし、君は野生動物……いや、神獣なんだろ? 山に自分の縄張りとかあるんじゃないの」
「縄張りなど、我の気分次第でどこへでも広がる。それに」
リュカは身を乗り出し、黄金の瞳でじっと僕を見据えた。
整いすぎた顔が近づいてきて、僕は思わずのけぞる。
「我は『銀狼族の長』だ。人間に助けられたまま、礼もせずに立ち去るなど、誇りが許さん」
「礼? いや、そんなのいいよ。昨日の晩ごはんの残りをあげただけだし、手当だって気休め程度だし」
「断る。我は借りは作らん主義だ」
頑固だ。
昨日の弱りきっていた姿からは想像もつかないほど、意志の強い目をしている。
「じゃあ、えっと……怪我が治ったら、山で木の実でも採ってきてくれたらそれでチャラってことで」
「却下だ」
リュカは即答した。そして、ふっ、と不敵な笑みを浮かべる。
「湊、と言ったな」
「え、うん。佐伯湊だけど」
「ミナトよ。貴様、見るからに貧相で、生命力も乏しい。一人で生きていくのがやっとという風情だ」
「……ほっといてくれ」
確かに会社を辞めて無職だし、貯金を切り崩しての生活だけど、そこまで言わなくてもいいじゃないか。
「だが、貴様は我を助けた。その功績は大きい。よって――」
リュカは宣言した。
まるで、王が民に勅命を下すかのような、絶対的な響きで。
「我が一生、貴様を養ってやろう」
「…………は?」
思考が停止した。
養う? 誰が? 誰を?
この全裸の不審者が、僕を?
「いやいやいや! 意味がわからないよ! 一生って何!?」
「言葉通りの意味だ。我の伴侶……ではないが、それに準ずる庇護対象として、貴様の衣食住、そして安全を、我が一生涯保証してやる」
リュカは胸を張った。パツパツのシャツのボタンが弾け飛びそうだ。
「我は狩りが得意だ。貴様が食うに困らぬよう、毎日極上の獲物を獲ってきてやる。外敵からも守ってやる。貴様はただ、我のそばで安らぎ、我を崇めていればいい」
「崇めないよ!? ていうか、ペット!? それ僕が君のペットになるってこと!?」
「不満か? 神獣の加護を得られる人間など、千年に一人いるかいないかだぞ。光栄に思うがいい」
話が通じない。
この神獣様、見た目は麗しいけれど、中身はとんでもない俺様だ。
僕は頭を抱えた。
「気持ちは嬉しいけど、本当に大丈夫だから。怪我が治ったら帰ってくれれば、それで……」
「ならん。我は決めたのだ」
リュカは腕を組み、ふんぞり返った。
「貴様が老いて死ぬまで、我が面倒を見てやる。これは決定事項だ。拒否権はない」
「なんでだよ!」
「我がそうしたいからだ」
理屈が通じない。神獣だからか? 神獣だから理屈なんて関係ないのか?
僕が求めていたのは、静かで穏やかなスローライフだ。
誰にも干渉されず、野菜を育てて、本を読んで、縁側でお茶を飲む。それだけの生活だったはずなのに。
「あ、あのね、リュカくん。人間界には人間界のルールがあってね……」
「細かいことは気にするな。我がいれば全て解決する」
そう言って、彼はニヤリと笑った。
その笑顔が、悔しいくらいに魅力的で、そして猛烈に「嫌な予感」がした。
「さあ、契約成立だ。まずは貴様の寝床を案内しろ。我もそこで寝る」
「断る!!」
「なぜだ? 昨夜はあんなに寒そうにしていたではないか。我が温めてやる」
「いらない! 布団あるから!」
こうして、僕の「おひとりさまスローライフ」は、開始早々に崩壊の危機を迎えた。
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