銀狼様とのスローライフ

八百屋 成美

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「……ぺっ、ぺっ。すごい毛だ」

 翌朝、僕は口の中に残る銀色の毛を吐き出しながら目を覚ました。
 布団は毛だらけ、パジャマも毛だらけ。コロコロが欲しくてたまらないけれど、あいにくこの家には箒と雑巾しかない。
 それでも、昨晩の極上の暖かさと安心感は代えがたいものだった。

「さて、今日は買い出しに行かないと」

 冷蔵庫の中身が空っぽだ。それに、リュカに貸せる服がない。いつまでも僕のパツパツのスウェットを着せておくわけにはいかないだろう。
 相変わらずスウェットのサイズが合っていない人型に戻ったリュカを連れて、僕は山を降り、麓の町へと向かった。
 軽トラックの助手席に、大きな身体を小さく折りたたんで乗っているリュカは、窓の外を興味深そうに眺めている。

「人間というのは、妙な箱に乗って移動するのだな。走ったほうが速いのではないか?」
「君の脚力ならそうかもしれないけど、荷物もあるからね。それに、君が走ったら目立ちすぎる」

 そう釘を刺した僕だったが、町に着いてすぐに、それが無駄な努力だったことを思い知らされた。
 ――ザワッ。
 商店街の駐車場に車を止め、リュカが降り立った瞬間、周囲の空気が変わった。
 平日の昼下がりの商店街。買い物客の奥様方や、井戸端会議をしていたお婆ちゃんたちが、一斉に振り返る。

「あら、見てあの人……」
「なんて背が高いの。それに、あの髪」
「モデルさんかしら? それとも俳優?」

 注目の的は、間違いなくリュカだ。
 プラチナシルバーの長髪を無造作に束ね、黄金の瞳を煌めかせている長身の男。着ているのは安物のスウェットなのに、彼が着るとハイブランドのラフな部屋着に見えてくるから不思議だ。
 その隣に立つ、平凡な顔立ちで中肉中背の僕は、さしずめマネージャーか付き人といったところだろうか。

「……ミナトよ。なぜこやつらは、ジロジロと我を見てくるのだ?」

 リュカが不機嫌そうに眉を寄せた。
 どうやら神獣様は、自分が人間離れして美しいという自覚がないらしい。

「君が目立つからだよ。ほら、行くよ」

 僕は彼の腕を引いて、逃げるように紳士服店へと飛び込んだ。 
 田舎の小さな洋品店だ。お洒落な服など期待できないが、サイズが合うものがあれば御の字だ。
 店に入ると、店員のおばさまが目をハートにして飛んできた。

「いらっしゃいませぇ! あらまぁ、なんて男前な!」
「あ、あの、この人に合う服を探しているんですけど……」
「はいはい! 大きいサイズね! 奥にあるわよ、こっちこっち!」

 おばさまの勢いに押されつつ、僕たちはいくつかのシャツとズボンを選んだ。
 試着室から出てきたリュカを見て、僕とおばさまは同時にため息をついた。
 シンプルな白シャツに、黒のチノパン。
 ただそれだけの格好なのに、どうしてこうも様になるのだろう。袖をまくった腕の筋肉の筋や、シャツの上からでもわかる厚い胸板が、男性的な色気を放っている。

「……悪くないな。動きやすい」

 リュカは鏡の前で身体を捻ってみせた。

「どうだ、ミナト。似合うか?」

 黄金の瞳が、期待を込めて僕を見つめる。
 まるで「褒めてくれ」と言わんばかりの、尻尾を振る犬のような表情だ。

「うん、すごく似合ってるよ。……悔しいくらいにね」
「フフン、そうかそうか。ならばこれを貰おう」

 上機嫌になったリュカは、そのまま着て帰ると言い出した。
 会計を済ませて店を出ると、外の視線はさらに熱くなっていた。スウェットから着替えたことで、彼の美貌がより際立ってしまったようだ。
 すれ違う女性たちが頬を赤らめ、学生たちがスマホを取り出しそうになる。
 田舎町に突然現れた異邦人。その注目度は抜群だった。

「……おい、ミナト」

 スーパーへ向かって歩いていると、不意にリュカの声色が低くなった。
 見上げると、彼の瞳が剣呑な光を帯びている。

「なんだか、不快だ。あやつら、なぜ我らを見る? 獲物を狙うような目で……」
「えっ? いや、それは君がかっこいいから……」
「気に入らん」

 リュカは短く吐き捨てると、突然、長い腕を伸ばして僕の肩を抱き寄せた。

「わっ!?」

 ぐいっ、と引き寄せられ、僕の身体はリュカの硬い身体に密着する。
 スーパーの入り口で、衆人環視の中だ。

「ちょ、ちょっとリュカ! 何してるの!?」
「威嚇だ」
「はい?」
「どいつもこいつも、ジロジロと……。貴様は我の獲物……いや、我の庇護下にある人間だ。誰にも手出しはさせん」

 リュカは周囲の視線を「僕を狙っている敵」だと勘違いしたらしい。
 彼は僕の肩を抱いたまま、周囲をグルリと睨みつけた。その瞳は完全に、縄張りを荒らされそうになった猛獣のそれだ。
 周囲の人々が、ビクリとして道を空ける。
 そりゃそうだ。こんなデカくて美しい男に、殺気立った目で睨まれたら誰だって怖い。

「リュカ、違うから! 誰も僕を取って食おうとなんてしてないから!」
「油断するな。人間というのは欲深い生き物だろう? 貴様のような無防備な男、目を離した隙に拐われでもしたらどうする」
「拐われないよ! 僕、二十七歳の男だよ!?」

 僕の抗議も虚しく、リュカは腕を緩めないどころか、さらに顔を近づけてきた。
 整った鼻先が、僕の首筋に触れる。
 フン、フン、と匂いを嗅ぐような仕草。

「ひゃっ……!?」

 くすぐったさと、ありえない距離感に、変な声が出た。
 周囲の視線が痛い。これじゃまるで、昼ドラのワンシーンか何かのようだ。

「うむ。我の匂いがついているな」

 リュカは満足げに囁いた。

「これで他の有象無象も、貴様が誰のものか分かるだろう」
「……マーキングかよ!」

 犬か。いや、狼だった。
 彼は本能に従って、僕に自分の所有権を主張しているのだ。
 端から見れば、イケメン外国人が恋人(?)に独占欲を露わにしているようにしか見えないだろうけれど。

「ほら、行くぞミナト。我から離れるなよ」
「……はいはい」

 真っ赤になった顔を隠すように俯きながら、僕はリュカに引きずられてスーパーに入った。 
 カートを押す僕の腰には、相変わらずリュカの手が回されている。
 肉売り場でも、野菜売り場でも、彼は僕を片時も離そうとしなかった。
 周囲の客が「あらあら」「まあまあ」と生温かい視線を送ってくるのが、穴があったら入りたいほど恥ずかしい。
 けれど。

「ミナト、これはなんだ? 食えるのか?」
「それはピーマン。苦いから君は嫌いかもね」
「なんと! 我に好き嫌いなどない!」

 はしゃぐリュカの横顔と、腰に感じる体温の温かさに、悪い気はしなかった。
 独占欲も、過保護も、彼なりの「守ろうとする意思」なのだと思えば、むしろ愛おしくすら思えてくる。

「……ま、番犬代わりだと思えばいいか」

 僕は小さく呟いて、特売の豚肉をカゴに入れた。
 今夜は、彼が好みそうなガッツリ系の生姜焼きにしよう。
 そう決めた瞬間、リュカの尻尾がブンブンと振られるのが見えた気がした。
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