銀狼様とのスローライフ

八百屋 成美

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 夏の日差しが少し和らぎ、風に秋の気配が混じり始めた頃。
 僕は、裏庭に立って腕組みをしていた。

「……よし、やるか」

 目の前に広がるのは、腰の高さまで伸びた雑草の海だ。
 祖父母が健在だった頃は立派な畑だった場所だが、数年間放置されていたせいで、見る影もない。
 この家での生活も落ち着いてきたし、そろそろ自給自足の真似事でも始めてみようと思ったのだ。

「何を睨んでいるのだ、ミナトよ」

 縁側から、暢気な声がかかる。
 リュカだ。彼は人間姿で寝転がり、僕が昨日図書館で借りてきた図鑑をパラパラとめくっている。白いシャツのボタンをふたつほど開け、長い足を組んでいる姿は優雅そのものだが、やってることはニートの休日だ。

「睨んでるんじゃないよ。ここに畑を作ろうと思ってさ」
「畑? 土いじりか」
「うん。野菜を育てれば食費も浮くし、採れたてを食べられるしね。……ただ、まずはこの草むしりから始めなきゃいけないんだけど」

 僕はため息をついて、軍手をはめた。
 鎌を手に、鬱蒼と茂る草むらへと足を踏み入れる。
 ザッ、ザッ。
 無心で草を刈る。単純作業は嫌いじゃない。けれど、夏の終わりの湿気を含んだ草は重く、根は深く張っていて、なかなか骨の折れる作業だった。
 三十分もしないうちに、僕は汗だくになった。

「ふぅ……。これは今日中には終わらないかもな」

 額の汗を腕で拭う。
 すると、いつの間にか縁側から降りてきたリュカが、僕の背後に立っていた。

「貸せ」
「え?」
「見ていられん。貴様の細腕では、日が暮れてしまうだろう」

 リュカは僕の手から鎌をひょいと取り上げると、面倒そうに草むらを見下ろした。

「リュカ、手伝ってくれるの?」
「フン、同居人が過労で倒れられては、飯の支度に差し障るからな。……下がっていろ」

 彼はそう言うと、鎌を振るう……のではなく、スッと右手を前にかざした。
 その瞬間、嫌な予感が僕の背筋を走った。
 前回の「台所爆発事件」の記憶が蘇る。

「ちょっと待ってリュカ! まさか燃やす気じゃ――」
「安心しろ。学習はしている」

 リュカはニヤリと笑うと、指先を軽く弾いた。
 パチン。
 乾いた音が響いた次の瞬間、目に見えない風の刃のようなものが、裏庭全体を駆け抜けた。
 ザザザザザザザッ!!
 一瞬だった。
 あれほど生い茂っていた雑草たちが、根元から一斉に刈り取られ、宙に舞ったかと思うと、庭の隅に綺麗に積み上がったのだ。
 あとには、綺麗に整地された黒土だけが残っている。

「…………」

 僕は開いた口が塞がらなかった。
 半日かかると覚悟していた重労働が、わずか一秒で終わってしまった。

「どうだ。これなら文句はあるまい」
「す、すごい……。すごいけど、近所の人に見られたら通報レベルだよこれ……」
「誰も見ておらん。結界も張ってある」

 リュカは涼しい顔で言った。
 なるほど、これが神獣の力か。草刈り機なんて目じゃない。これなら農業革命が起こせる。

「ありがとう、助かったよ。……じゃあ、次は土を耕して、肥料を混ぜて……」

 僕は気を取り直して、ホームセンターで買ってきた種や苗と肥料を取り出した。
 小松菜、カブ、キュウリ。初心者向けのものだ。
 クワで土を掘り返し、畝を作る。これは流石に手作業だ。リュカも珍しそうに隣にしゃがみ込み、僕の作業を眺めている。

「人間というのは、食うために随分と手間をかけるのだな。我ならば、森に入って獲物を狩れば済むものを」
「育てる楽しみっていうのもあるんだよ。芽が出て、実がなって、それを収穫する時の喜びといったら……」

 説明しながら種を植えていく。
 土の匂い。植物の緑の匂い。
 ふと見ると、リュカが僕の頬に手を伸ばしてきた。

「ん?」
「土がついている」

 彼の長く綺麗な指が、僕の頬を滑る。
 ひんやりとした指先が、火照った肌に心地いい。
 至近距離にある黄金の瞳が、優しく細められる。

「……貴様は、土の匂いが似合うな。泥臭いという意味ではないぞ。大地に根ざした、安心する匂いだ」
「……そりゃどうも」

 ドキリとして、僕は視線を逸らした。
 無自覚にこういうことを言うから、この神獣様は困るのだ。心臓に悪い。

「さて、植え終わった。あとは水をやって、大きくなるのを待つだけ……」
「待つ? どのくらいだ?」
「うーん、種類にもよるけど、収穫できるのは一ヶ月とか二ヶ月先かな」
「なんと! そんなにかかるのか?」

 リュカは驚愕の表情を浮かべた。

「待てん。我は今すぐ、貴様の育てた野菜とやらを食いたい」
「いやいや、生き物なんだから時間はかかるよ。魔法じゃないんだから」
「……魔法?」

 その単語が出た瞬間、リュカの瞳が怪しく光った。

「そうか。ならば、少し力を貸してやろう」
「え、ちょっと、何をする気!?」

 止める間もなかった。
 リュカが植えたばかりの畑に手をかざすと、淡い緑色の光が溢れ出したのだ。
 それは温かく、生命力に満ちた光だった。

「大地の精霊よ、恵みを与えよ。……育て!」

 ボボボボボッ!
 マンガのような効果音が聞こえた気がした。
 僕の目の前で、さっき植えたばかりの種が、猛烈な勢いで育っていく。
 茎が太くなり、葉が茂り、花が咲き、そして――。

「……ええぇぇ……」

 光が収まった後、そこには「森」が出現していた。
 いや、大げさではなく。
 僕の背丈を遥かに超える、もはや草ではない巨大な小松菜の木?が、ジャングルのように裏庭を埋め尽くしていたのだ。
 そして、そこには。

「……これ、小松菜?」
 
 カブもキュウリも同様だ。キュウリに至っては、丸太のような太さになっている。

「ふむ。少し張り切りすぎたか」

 リュカは悪びれもせず、巨大小松菜を引きちぎった。
 ずしり、と重そうな音がする。

「しかし、見ろミナト。これなら腹一杯食えるぞ」
「……規格外すぎるよ」

 僕は呆然と呟いた。
 スローライフとは。家庭菜園とは。
 僕の知っている常識が、また一つ音を立てて崩れ去っていく。
 けれど。

「ほら、貴様も食ってみろ」

 リュカが差し出してきた巨大小松菜にかぶりついてみると、その味は驚くほど濃厚で、甘かった。
 太陽の恵みを数ヶ月分凝縮したような、爆発的な旨味。

「……美味しい」
「だろう? 我の魔力は、生命力を活性化させるからな」

 リュカは得意げに笑い、豪快に小松菜にかぶりついた。

「まあ……美味しいからいいか」

 庭はジャングルになってしまったけれど。
 近所の人に見られたら「新種の植物か!?」と騒ぎになりそうだけれど。
 
 楽しそうに巨大野菜を頬張るリュカを見ていると、細かいことはどうでもよくなってくる。

「リュカ、今日の夕飯は小松菜の煮浸しにカブの煮物、そして生キュウリをいっぱい食べよう」
「ほう! それは楽しみだ。……やはり、貴様を養うと決めた我の判断は正しかったな」

 彼は満足そうに頷き、僕の頭をポンポンと叩いた。
 その手は大きくて、温かくて。
 僕は苦笑しながら、巨大なキュウリを抱えて家の中へと戻った。
 こうして我が家の食卓には、しばらくの間、巨大野菜料理が並び続けることになったのだった。
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