銀狼様とのスローライフ

八百屋 成美

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 季節は巡り、秋の気配がいっそう色濃くなってきた頃。
 天気予報は、大型の台風が今夜、この地域を直撃すると告げていた。

「……古い家だからなぁ。しっかり戸締まりしておかないと」

 僕は朝から家の周りの点検に追われていた。
 飛びそうな植木鉢を屋内に入れ、物干し竿を下ろす。そして一番の難関が、長年使われていなかった縁側の雨戸だ。
 木製の雨戸は湿気で膨張し、戸袋の中でガッチリと固まってしまっている。

「うぐぐ……動かない……」

 渾身の力で引っ張ってみるが、ビクともしない。
 額に汗を滲ませて格闘していると、背後から気配を感じた。

「ミナトよ、何をして遊んでいるのだ?」

 リュカだ。
 彼は僕が貸した少し大きめのTシャツとハーフパンツ姿で、手には先日収穫した巨大キュウリを齧りながら立っていた。完全に休日のパパの風情だ。

「遊んでるんじゃないよ。台風が来るから、雨戸を閉めようとしてるんだ。でも、錆びついてるのか全然動かなくて」
「ふむ。また貴様のひ弱な腕力の出番か」

 リュカは呆れたように肩をすくめると、食べかけのキュウリを置いてこちらへ歩み寄ってきた。

「どけ。我がやってやる」
「あ、ありがとう。でも気をつけてね、木が古いから無理やりやると――」
「案ずるな。この程度の木の板、指一本で動かしてみせる」

 そう言って、リュカは雨戸の縁に指をかけ、軽く手首を返した。
 バキッ!!
 乾いた破砕音が響き渡った。

「…………あ」

 僕とリュカの視線が、一点に集中する。
 雨戸は動いた。
 ただし、レールの上を滑ったのではなく、枠ごと外れ、さらにリュカが手をかけた部分がめりメリとへし折れて。
 哀れな雨戸は、彼の怪力によって粉砕され、庭へと崩れ落ちたのだった。

「…………」
「…………」

 重苦しい沈黙が流れる。
 リュカは自分の手と、壊れた雨戸を交互に見比べて、気まずそうに視線を泳がせた。

「……ミナトよ。この家の造りが、脆弱すぎるのではないか?」
「違うよ! 君の力が強すぎるんだよ!!」

 僕は頭を抱えた。
 台風が来るというのに、雨戸を閉めるどころか破壊してどうするんだ。これでは窓ガラスが割れてしまうかもしれない。

「す、すまん……。加減をしたつもりだったのだが……」

 シュンと肩を落とすリュカ。その背中には、目に見えない犬耳がぺたんと垂れているのが見えるようだ。
 悪気がないのはわかっている。彼はずっと森で暮らしていた神獣だ。「力加減」という概念が、人間界のそれとは大きくかけ離れているのだ。

「……はぁ。仕方ない。直そう」
「直す? 魔法でか?」
「ううん、日曜大工で。道具箱に板と釘があったはずだから」

 僕は納屋から道具一式を持ってきた。
 割れた雨戸に添え木をして、釘で固定する。応急処置だが、今夜の台風さえ凌げればいい。

「リュカ、そっちの端を持っててくれる?」
「う、うむ」

 リュカは恐る恐る、割れた雨戸の端を支えた。今度は壊さないように、指先だけで慎重に持っている。その真剣な横顔がおかしくて、僕は少し笑ってしまった。

「笑うな。我は真剣だ」
「ごめんごめん。……よし、じゃあ釘を打つよ」

 トントン、と金槌を振るう。
 リュカはその様子を、まるで魔法か何かを見るような目で見つめていた。

「人間というのは、不便な生き物だな。壊れたら魔法で直せばいいものを、わざわざ手で直すとは」
「魔法で直せたら楽だけどさ。こうやって自分の手で直すと、愛着が湧くんだよ。それに、二人でやれば早いしね」
「……二人で、か」

 リュカは小さく呟いて、支えている手に少しだけ力を込めた。

「我にも、やらせてみろ」
「え? 釘打ち? 大丈夫?」
「見ていたからやり方はわかった。貴様にできて、我にできぬはずがない」

 負けず嫌いな神獣様だ。
 僕は金槌を渡した。
 リュカは金槌を握りしめ、釘を板に当てる。

「ふんっ!」

 ドゴッ!
 凄まじい音がして、釘は一撃で板を貫通し、下の台にまでめり込んだ。板には亀裂が走っている。

「……あ」
「……うん、まあ、打てたね。打てたけど、力は百分の一くらいでいいかな」

 その後、数本の釘を犠牲にして、リュカはようやく「人間並みの力加減」を習得した。
 不器用ながらも一生懸命に釘を打つ彼の額には、うっすらと汗が滲んでいる。
 なんでも魔法や膂力で解決してきた彼が、小さな釘一本に真剣に向き合っている。その姿が、なんだかとても愛おしく思えた。

「できた……!」

 最後の一本を打ち終え、リュカが歓声を上げた。
 継ぎ接ぎだらけの無骨な雨戸だが、二人で直した達成感は格別だ。

「上出来だよ、リュカ。ありがとう」
「フン、他愛もないことだ。……だが、悪くない気分だな」

 彼は満足げに笑い、僕の手から金槌を受け取って道具箱に片付けた。
 その自然な動作に、彼がこの家での生活に――そして僕との生活に、少しずつ馴染んできているのを感じた。
          

 夜になり、予報通り嵐がやってきた。
 風が唸りを上げて家を揺らし、雨粒が横殴りに窓を叩く。
 昼間に修理した雨戸が、ガタガタと悲鳴のような音を立てている。

「……大丈夫かな、あれ」

 リュカのリクエストで唐揚げタワーを作った夕食を終え、居間でくつろいでいた僕は、不安げに窓の方を見やった。
 古い家だ。ミシミシと軋む柱の音が、不安を煽る。
 その時、不意に温かい重みが肩に乗せられた。
 リュカが、隣に座って僕の肩を抱き寄せたのだ。

「案ずるな、ミナト」

 耳元で、低く落ち着いた声が響く。

「この家には我が結界を張ってある。風ごときに飛ばされるような柔な結界ではない」
「そ、そうなんだ……」
「それに、万が一何かが起きても、我がお前を守る」

 リュカの手が、僕の二の腕を優しく撫でる。
 大きく、分厚い手。
 昼間、不器用に釘を打っていた手と同じものとは思えないほど、今は頼もしく、安心感に満ちていた。

「お前はただ、我のそばにいればいい。外の世界がどれほど荒れ狂おうと、この腕の中だけは安全だ」

 その言葉は、単に台風のことを言っているだけではない気がした。
 僕が逃げてきた「外の世界」――会社や、社会のしがらみ。そういったもの全てから、僕を守ると言っているように聞こえた。
 ドクン、と心臓が跳ねる。
 至近距離にある黄金の瞳が、暗い部屋の中で爛々と輝いている。
 そこにあるのは、獲物を狙う獣の目ではなく、大切なものを慈しむ守護者の目だった。

「……リュカ」
「なんだ」
「ありがとう。……君がいてくれて、よかった」

 素直な気持ちを伝えると、リュカは一瞬だけ目を見開き、それから目を細めて微笑んだ。

「当たり前だ。我は貴様の飼い主……いや、同居人だからな」

 彼はそう言うと、抱き寄せた腕に力を込め、僕の頭を自分の肩に乗せた。
 彼の体温と、微かに香る森の匂い。
 外では激しい雨風が吹き荒れているのに、彼と触れ合っているこの場所だけは、世界のどこよりも静かで、温かかった。
 僕たちはそのまま、嵐が通り過ぎるのを待つように、静かに寄り添って過ごした。
 修理した雨戸がガタガタと鳴るたび、リュカが「よしよし」と僕の背中を叩く。
 そのリズムが心地よくて、僕はいつの間にか、嵐の夜だというのに深い眠りへと落ちていった。
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