銀狼様とのスローライフ

八百屋 成美

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13.

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 本格的な冬が到来し、山里は一面の銀世界に包まれた。
 しんしんと降り積もる雪は音を吸い込み、世界を静寂で満たしていく。

「よいしょ、っと……」

 僕は早朝から、家の前の雪かきに追われていた。
 都会育ちの僕にとって、雪かきは重労働だ。吐く息は白く、手足の感覚がなくなりそうになる。
 リュカに頼めば魔法を使って一瞬で吹き飛ばしてくれるだろうが、それでは家の前だけ雪が消滅するという怪奇現象になってしまう。

「おーい、佐伯さーん!」

 ふと、通りから明るい声がかかった。
 顔を上げると、軽トラックに乗った青年が手を振っている。
 近所の農家の息子、田島たじまくんだ。野菜のお裾分けをくれたり、農業のアドバイスをくれたりと、この集落で一番親しくしてくれている青年だ。

「おはよう、田島くん。早いね」
「おはようございます! いやぁ、昨晩は降りましたねえ。大丈夫っすか? 腰とかやってません?」

 彼は車を降りると、人懐っこい笑顔で駆け寄ってきた。
 日に焼けた肌と、作業着から覗く逞しい腕。いかにも健康的な好青年だ。

「あはは、今のところは大丈夫だよ。でも、明日は筋肉痛かも」
「無理しちゃだめっすよ。佐伯さん、細いんだから。……っと、危ない!」

 言いかけたその時、僕の足が凍った地面で滑った。
 尻餅をつく、と身構えた瞬間。
 ガシッ、と力強い腕が僕の腰を支えた。

「――大丈夫っすか!?」
「あ、ありがとう……助かったよ」

 田島くんが僕を抱き止めてくれていた。
 至近距離にある彼の顔。若々しい汗と土の匂いがする。

「よかったぁ。ここ、凍ってるから気をつけてくださいね。俺、ついでに向こうの方まで雪かきしちゃいますよ」

 彼は爽やかに笑い、僕の肩についた雪をパンパンと素手で払ってくれた。
 その、気安いスキンシップに僕が礼を言おうとした、その時だった。
 ゾクリ。
 背筋に、氷柱を突き立てられたような寒気が走った。
 冬の寒さとは違う。もっと根源的な、生物としての恐怖を煽るような冷気。

「……ミナト」

 低く、地を這うような声がした。
 玄関の方を振り返ると、そこにはリュカが立っていた。
 黒いタートルネックに身を包んだ彼は、無表情だ。
 だが、その黄金の瞳は、これまでに見たことがないほど鋭く、剣呑な光を放っていた。

「あ、リュカ……。起きてたのか」
「……誰だ、そいつは」

 リュカは僕の問いには答えず、田島くんを射抜くように睨みつけた。
 田島くんが、ビクリと身体を強張らせる。
 無理もない。今のリュカが放つ威圧感は、人間のものではない。本能が「逃げろ」と警鐘を鳴らすレベルだ。

「え、あ、はじめまして……。俺、近所の田島って言いますけど……」
「……フン」

 リュカは興味なさそうに鼻を鳴らすと、ツカツカと雪の上を歩いてきた。
 そして、僕と田島くんの間に強引に割り込み、僕の腕を掴んで引き寄せた。

「痛っ……」
「帰るぞ、ミナト。身体が冷えている」
「え、ちょっ、待ってよ。田島くんに挨拶くらい……」
「不要だ」

 リュカは田島くんに一瞥もくれず、僕を抱えるようにして家の中へと連れ戻した。 
 バタンッ!
 玄関の扉が、乱暴に閉められる。
 薄暗い土間。
 リュカは僕の腕を離さないまま、無言で僕を壁際に追い詰めた。
 いわゆる「壁ドン」の状態だが、ときめきよりも戸惑いが勝る。

「……リュカ? どうしたの、急に」

 彼は答えない。
 ただ、怒りを堪えるように荒い息を吐き、僕を見下ろしている。

「あいつは、誰だ」
「だから、近所の田島くんだよ。野菜をくれたり、親切にしてくれる……」
「親切? あれがか?」

 リュカの瞳がギラリと光った。

「あいつは貴様に触れた。腰を抱き、肩を触り、あまつさえ至近距離で貴様の匂いを嗅いでいたぞ」
「えっ、いや、それは僕が転びそうになったから助けてくれただけで……匂いなんて嗅いでないよ」
「嗅いでいた! 雄が雌……いや、好いた相手にする距離感だった!」

 リュカは叫ぶように言った。
 そこでようやく、僕は事態を理解した。
 彼は、嫉妬しているのだ。
 ただの近所付き合いに、過剰なまでに反応して。

「リュカ、落ち着いて。彼はただの親切なご近所さんだよ。それに僕らは男同士だし……」
「性別など関係ない! 貴様は無防備すぎるのだ!」

 リュカが僕の肩を掴む。その力は強くて、少し痛い。

「貴様からは、あの男の匂いがする。土と、安っぽい汗の臭いが……。不愉快だ。我慢ならん」

 彼はそう言うと、不意に顔を近づけてきた。
 整った鼻先が、僕の首筋に押し付けられる。

「ひゃっ……!?」

 スンスン、と強く匂いを嗅がれる。
 温かい吐息が首筋にかかり、僕は思わず身をよじった。

「りゅ、リュカ! くすぐったいよ!」
「動くな。……上書きする」
「え?」

 上書き? 何を?
 僕が問い返す間もなく、リュカは僕の首筋に唇を寄せ――そして、甘噛みした。

「いっ……!」

 痛みと、それ以上に走る甘い痺れ。
 彼は僕の首筋を、頬を、耳の裏を、執拗に唇と舌でなぞっていく。
 まるで、自分の所有物であることを主張するかのように。
 他の誰かの匂いなど、欠片も残さないように。

「や、やめ……リュカ、変だよ……っ」

 抵抗しようとするけれど、彼の腕の中に閉じ込められて力が入らない。
 それに、彼の行為からは、怒りだけでなく、切実な不安のようなものも感じられた。
 ひとしきり僕に自分の匂いを擦り付けた後、リュカはようやく顔を上げた。
 その黄金の瞳は、熱っぽく潤んでいる。

「……ミナト。貴様はわかっていない」

 彼は僕の頬に手を添え、親指で唇をなぞった。

「我ら銀狼族にとって、一度定めた相手は唯一無二。魂を分かち合った半身も同然なのだ」
「半身……?」
「そうだ。貴様は我の『番』だ。我の庇護下にあり、我だけのものだ」

 番。
 その言葉の響きに、僕は息を呑んだ。
 それはきっと、人間で言うところの「恋人」や「伴侶」よりも、もっと重くて、逃れられない契約のような響きを持っていた。

「他の雄に触れられるなど、あってはならない。……次に同じことがあれば、あの男を食い殺してしまうかもしれん」

 低い声で囁かれたそれは、冗談には聞こえなかった。
 けれど、その瞳の奥にあるのは、僕を失うことへの怯えにも見えた。
 最強の神獣である彼が、こんなにも無力な人間に執着し、不安を感じている。
 その事実に、僕の胸は締め付けられるように痛んで、そして熱くなった。

「……わかったよ」

 僕は観念して、彼の手の上に自分の手を重ねた。

「気をつける。だから、そんな怖いこと言わないで」
「……約束しろ。我以外の男に、肌を許すな」
「はいはい、約束するよ。……そもそも、僕に触れてくるような物好きな男なんて、君くらいしかいないって」

 僕が苦笑すると、リュカはようやく満足したように表情を緩めた。
 そして、今度は優しく、僕の額に自分の額をコツンと当てた。

「物好きで結構だ。……貴様は、我だけのものだからな」

 甘く、重く、独占欲に満ちた言葉。
 逃げ場のない腕の中で、僕は自分が思っている以上に、この「重さ」を心地よく感じていることに気づいてしまった。
 外では雪が降り続いている。
 けれど、僕を抱きすくめるこの銀色の獣の体温は、火傷しそうなくらいに熱かった。
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