銀狼様とのスローライフ

八百屋 成美

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 ドンドンドン!!
 静かな雨音を切り裂くように、玄関の戸が激しく叩かれた。
 それは来訪を告げるノックではなく、中にいる者を威圧するような暴力的な響きだった。

「……ッ」

 僕が身を硬くするより早く、リュカが動いた。
 彼は音もなく立ち上がると、僕を背中に隠すようにして玄関の方へ向き直る。その背中は、先ほどまでの甘えた様子など微塵もなく、張り詰めた弓弦のように殺気立っていた。

「ミナト。ここから動くな」
「で、でも……」
「いいから、じっとしていろ!」

 強い口調で制止される。
 リュカは裸足のまま土間へと降りた。その足取りは音もなく、獲物を狙う獣そのものだ。
 戸が、再び激しく叩かれる。

「おい、いるんだろう! 開けろ!」

 怒鳴り声と共に、鍵のかかっていない引き戸が乱暴に開け放たれた。
 湿った風と共に、黒いレインコートを着た男たちが三人、土足のまま土間へと踏み込んできた。

「……何ですか、あなたたちは」

 僕は恐怖を押し殺し、リュカの背後から声を上げた。
 ここは僕の家だ。不法侵入者に対して、家主として毅然としなければならない。
 先頭に立つ男が、フードを脱いで僕を睨みつけた。無精髭を生やした、爬虫類を思わせる冷たい目をした男だ。
 男は僕を一瞥した後、興味なさそうに視線を外し――そして、リュカを見て、口元を歪めた。

「へえ……。やっぱりここにいたか、化け物」

 その言葉に、リュカの喉がゴルルル……と低く鳴った。
 黄金の瞳が、憎悪に燃えている。

「貴様ら……まだ懲りずに我を追ってきたか」
「ハッ、逃げられたままじゃ俺たちの査定に響くんでね。その腹の傷、随分と良くなったみたいじゃないか。……誰のおかげかな?」

 男の視線が、再び僕に向けられる。
 ねっとりとした、品定めするような目つき。僕は寒気がするのを感じた。

「あんたか? この瀕死の化け物を拾って、餌付けしたのは」
「……彼は化け物じゃありません。僕の大切な、同居人です」

 震える声で、それでも精一杯の虚勢を張って言い返す。
 男は鼻で笑った。

「同居人? 笑わせるな。そいつは『銀狼』だ。この国の研究機関が血眼になって探している、貴重なサンプルなんだよ」
「サンプル……?」
「ああ。その毛皮、その血、その肉……すべてが宝の山だ。あんたも知ってるだろ? そいつの力が、どれほど規格外か」

 男の言葉に、これまでの出来事が蘇る。
 一瞬で雑草を刈り取り、野菜を巨大化させ、壊れた雨戸を粉砕しかけた力。
 確かに、常識では測れない。
 けれど。

「それがどうしたって言うんです。彼は……リュカは、ここで僕と静かに暮らしているだけです。誰にも迷惑なんてかけていない!」
「存在自体が迷惑なんだよ、管理外の生物ってのはな!」

 男が合図をすると、後ろに控えていた二人の男が前に出てきた。その手には、スタンガンのような、バチバチと電気を帯びた警棒が握られている。
 それを見た瞬間、リュカが吠えた。

「ミナトに近づくなッ!!」

 ボンッ!!
 爆風のような魔力が弾け、視界が白く染まる。
 次の瞬間、土間を埋め尽くさんばかりの巨大な銀色の狼が、そこに顕現していた。

『グルルルルル……ッ!!』

 天井に届きそうな巨躯。逆立った銀毛。
 剥き出しになった牙の間から、雷鳴のような咆哮が轟く。
 その姿は、僕が知る「モフモフの可愛い同居人」ではなく、まさしく神話に語られる荒ぶる神の姿だった。

「ひっ……!」

 男たちが悲鳴を上げて後ずさる。
 しかし、リーダー格の男だけは、怯むどころか嗜虐的な笑みを深めた。

「そうこなくちゃな。人間態じゃ、剥製にする時につまらない」

 男が懐から拳銃のようなものを取り出した。
 銃口が、リュカに向けられる。

「やめろッ!!」

 僕は考えるよりも先に飛び出していた。
 リュカの前に立ち塞がり、両手を広げる。

『ミナト!? どけッ!!』

 リュカの焦った声が頭に響く。
 けれど、僕は動かなかった。

「撃つなら僕を撃て! ここは僕の家だ、不法侵入で警察を呼ぶぞ!」
「警察だと? この田舎の駐在がか? 俺たちは国家公認の『特務機関』だぞ、一般人が口を出すな!」

 男は苛ただしげに舌打ちをした。
 銃口は僕に向けられたままだ。引き金にかかった指が、白く濁っている。
 撃たれるかもしれない。
 足がガクガクと震える。心臓が早鐘を打っている。
 それでも、僕はここを退くわけにはいかなかった。
 だって、彼は僕の家族だ。
 傷ついて、雨の中に倒れていた彼を拾ったのは僕だ。
 美味しいと言ってご飯を食べてくれたのも、不器用に看病してくれたのも、寒い夜に温めてくれたのも、全部、彼だ。

「サンプルなんかじゃない……。リュカは、心を持った、僕の大切な家族だ! 指一本触れさせるもんか!!」

 僕の叫びが、狭い土間に反響した。
 一瞬の静寂。
 男は呆気に取られたような顔をし、それから歪んだ笑みを浮かべた。

「……家族、ねぇ。化け物に情を移すと、ろくな死に方をしねえぞ?」

 男が引き金を絞ろうとした、その時。

『……貴様ら、よくも』

 地獄の底から響いてくるような、低く、冷たい声が脳内に響いた。
 僕の背後から、圧倒的な圧力が膨れ上がる。

『我が番に、その薄汚い武器を向けたな』

 銀色の影が、僕を飛び越えた。

「うわああっ!?」

 男たちが反応する間もなかった。
 リュカの前足が、風のような速さで男の腕を薙ぎ払う。
 銃が弾き飛ばされ、男は壁まで吹き飛んで激突した。
 残りの二人も、リュカが尻尾を一振りしただけで、木の葉のように外のぬかるみへと叩き出された。

『失せろ。二度と、我らの視界に入るな』

 リュカが喉を鳴らすと、周囲の空気がビリビリと震えた。
 それはただの威嚇ではない。空間そのものを捻じ曲げるような、神獣としての本気の怒りだった。
 リーダーの男は、腕を押さえて呻きながらも、恐怖に顔を引きつらせて這いずり出した。

「く、くそっ……! 覚えてろよ、化け物め!」

 捨て台詞を残し、男たちは雨の中へと逃げ去っていった。
 
 静寂が戻る。
 残されたのは、泥だらけの土間と、荒い息を吐く巨大な銀狼。
 そして、腰が抜けて座り込んだ僕だけ。

『……ミナト』

 リュカがゆっくりと振り返った。
 その黄金の瞳から、殺気は消えていた。代わりに浮かんでいたのは、痛々しいほどの後悔と、悲しみだった。

『すまない。……我のせいで、貴様を危険な目に遭わせた』

 彼はスッと姿を小さくし、人間の姿に戻った。
 けれど、いつもの尊大な態度はどこにもない。
 彼は膝をつき、震える手で僕の頬に触れた。

「怪我はないか? 怖かっただろう……」
「……ううん。平気だよ」

 僕は彼の手を握り返した。
 彼の手は、氷のように冷たくなっていた。

「リュカこそ、大丈夫? 傷、開いてない?」
「……そんなことはどうでもいい。それより、なぜ飛び出した。私が殺せば済む話だったのに」
「殺すなんてダメだ! それに……君を守りたかったんだよ。君が僕を守ってくれるように」

 僕が言うと、リュカは泣きそうな顔で笑った。

「馬鹿な人間だ。……本当に、愛しい馬鹿だ」

 彼は僕を抱きしめた。
 その体は小刻みに震えている。
 最強の神獣が、僕を失うかもしれない恐怖に震えていたのだ。

「もう大丈夫だよ。あいつらは追い払ったんだから」
「……いや、奴らは諦めん。執念深い連中だ」

 リュカは僕の肩に顔を埋めたまま、重く呟いた。

「ここも、もう安全ではない。……ミナト、我と一緒に来てくれるか?」
「え?」
「この家を捨てて、逃げるのだ。奴らの手の届かない場所へ」

 それは、僕のささやかなスローライフの終わりを意味していた。
 祖父母の家。手入れした畑。馴染みの商店街。
 それら全てを捨てて、あてのない逃避行に出るということ。
 けれど、僕の答えは決まっていた。

「うん。行くよ」

 僕はリュカの背中に手を回した。

「君がいない生活なんて、もう考えられないからね」

 リュカが顔を上げ、僕を見る。
 その瞳に、強い光が戻った。

「……誓おう。この命に代えても、貴様だけは守り抜く」

 雨はまだ降り続いている。
 けれど、僕たちの心は決まっていた。
 二人なら、どこへだって行ける。そう信じて。
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