銀狼様とのスローライフ

八百屋 成美

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 それから時がたち、山奥の廃神社に、リュカとの二度目の冬が訪れた。
 朝起きると、世界は静寂に包まれていた。
 雨戸を開けると、そこは一面の銀世界。しんしんと降り積もった雪が、朝日に照らされて眩しいほどに輝いている。

「わあ……すごい雪だ」

 白い息を吐きながら、僕は感嘆の声を上げた。
 前の家で見た雪よりも深く、そして美しい。人里離れたこの場所では、誰の足跡もない純白の絨毯がどこまでも広がっている。

「……寒い」

 背後から、不満げな声が聞こえた。
 振り返ると、布団にくるまったままの人間姿のリュカが、イモムシのように這い出してくるところだった。
 神獣様は、どうやら寒さが苦手らしい。

「ほら、起きてリュカ。雪かきしないと、トイレにも行けないよ」
「……我は冬眠する。春になったら起こせ」
「熊じゃないんだから。ほら、朝ごはん作るから」

 僕は苦笑しながら、彼を引きずり出した。
 不満たらたらのリュカに、熱々の雑炊を食べさせると、ようやく彼も機嫌を直してくれた。
          

 日中、僕たちは縁側で並んで座り、雪景色を眺めていた。
 火鉢にあたりながら、温かいお茶をすする。
 リュカは僕の肩に頭を乗せ、僕の手を自分の両手で包み込んで暖を取っている。

「……ミナトよ」
「ん?」
「貴様の手は、あかぎれができているな」

 リュカが僕の指先を撫でた。
 冷たい水で洗い物をしたり、雑巾がけをしたりしているせいで、指先が少し荒れてしまっている。

「冬だからね。ハンドクリーム塗ってるんだけど、追いつかなくて」
「……我の不徳の致すところだ」

 彼は痛ましげに眉を寄せると、僕の指先を口元へ運び、一本ずつ丁寧に舐め始めた。
 温かく濡れた舌の感触。
 唾液に含まれる治癒効果のおかげか、ヒリヒリしていた指先がじんわりと温まり、痛みが引いていく。

「ん……くすぐったいよ、リュカ」
「じっとしていろ。……貴様の美しい手を、ボロボロにしておくわけにはいかん」

 彼は真剣な眼差しで、僕の手指を慈しむようにケアしていく。
 その横顔を見つめながら、僕はふと、胸の奥に小さな棘が刺さったような痛みを感じた。
 リュカは、変わらない。
 出会った時と同じ、若々しく美しい姿のままだ。
 数百年を生きる神獣である彼にとって、一年や二年は瞬きするほどの時間に過ぎないのだろう。
 でも、僕は違う。
 僕は人間だ。二十八歳の、ただの男だ。
 二十年経てばおじさんになり、四十年経てばおじいちゃんになる。
 シミもシワも増えるし、腰も曲がるだろう。

「……ねえ、リュカ」
「なんだ」
「僕がおじいちゃんになって、ヨボヨボになっても……君は、こうして側にいてくれる?」

 口に出してから、女々しい質問だなと自分でも思った。
 でも、聞かずにはいられなかった。
 この幸せな時間が永遠ではないことを、この雪景色が突きつけてくるような気がしたから。
 リュカは指を舐めるのをやめ、顔を上げた。
 黄金の瞳が、僕をまっすぐに見つめる。

「……愚問だな」

 彼は呆れたように鼻を鳴らした。

「前にも言ったはずだ。我は貴様を一生養うと。貴様が老いようと、病もうと、最期の時まで我は貴様の番だ」
「でも……君はずっと若くて綺麗なままでしょう? 僕だけが老いて、醜くなっていくんだよ。それでも、君は僕を愛してくれるの?」

 不安を吐露すると、リュカは強い力で僕の手を握りしめた。
 そして、僕を引き寄せ、正面から抱きしめる。

「醜いなどと、誰が言った」

 耳元で、低い声が響く。

「我には見えるのだ。貴様の魂の色が。……優しくて、温かくて、日向のような色をしている」
「魂の、色……?」
「ああ。肉体が衰えようと、その色は変わらん。むしろ、時を重ねるごとに深みを増し、美しくなるだろう」

 リュカは身体を離し、僕の顔を両手で挟んだ。
 至近距離で見つめ合う。
 その瞳には、僕の不安をすべて溶かしてしまうような、圧倒的な愛情が宿っていた。

「我は、貴様の『若さ』を愛したのではない。貴様という『存在』を愛したのだ」
「リュカ……」
「貴様が白髪になり、シワだらけになろうとも、我にとって貴様は世界で一番愛しい存在だ。……むしろ、我と共に生きた証がその身体に刻まれていくのを、我は誇りに思うだろう」

 目頭が熱くなった。
 涙が溢れて、視界が滲む。
 彼は、僕の全てを受け入れてくれている。過去も、現在も、そして老いていく未来さえも。

「……ありがとう。ごめんね、変なこと聞いて」
「フン、貴様は心配性だからな」

 リュカは親指で僕の涙を拭うと、優しいキスを額に落とした。

「それに、案ずるな。神獣の番となった人間は、普通の人間よりも長く生きるという伝承もある」
「え、そうなの?」
「わからん。だが、我の魔力を注ぎ続ければ、あながち嘘でもなかろう」

 彼はニヤリと笑うと、パンッ、と音を立てて姿を変えた。
 巨大な銀色の狼が、縁側いっぱいに現れる。

『寒いだろう。こっちに来い』

 頭の中に響く声。
 リュカは僕を前足の間に招き入れ、ふかふかの毛皮で包み込んでくれた。
 お腹の毛に顔を埋めると、陽だまりのような匂いと、力強い鼓動が伝わってくる。

「……あったかい」
『だろう? 我の体温は、貴様のためだけにある』

 僕は彼の首元に腕を回し、ぎゅっと抱きついた。
 寿命の差は、埋められないかもしれない。
 いつか別れの時は来るのかもしれない。
 でも、それを嘆いて今を悲しむより、限られた時間の中で、彼を精一杯愛そう。
 一日一日を大切に。
 美味しいご飯を食べて、笑い合って、寒い日はこうして身を寄せ合って。
 そうやって積み重ねた日々が、きっと僕たちの「永遠」になるのだから。

『……ミナトよ』
「なあに」
『腹が減った』

 感動的な空気をぶち壊す発言に、僕は思わず吹き出した。

「もう……。さっき食べたばかりでしょう?」
『寒いと腹が減るのだ。……温かい汁物が食いたい』
「はいはい。じゃあ、夕飯は豚汁にしようか。たっぷり野菜を入れて」
『うむ! 餅も入れてくれ!』
「お正月まで取っておこうと思ったのに……ま、いっか」

 僕はリュカの毛並みに顔を擦り付け、幸せを噛み締めた。
 外は雪。
 けれど、僕たちの家は、今日も温かい。
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