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16. 白銀の狼は考えるのが苦手
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騎士団長・一条彰人が「知識は身体で覚えるものだ!」と、校庭を絶叫しながら走り回るという奇行に走ったあの衝撃的な日から一夜。
彼の突飛な行動は残念ながら、私たちの学習計画に何一つ良い影響をもたらさなかった。翌日、彼は疲労からか、授業中はほとんど船を漕いでいたのだ。当然、前日に絶叫したはずの英単語は、何一つ覚えていなかった。
一条くんの「動」の暴走が、我々の貴重な学習時間を奪った。
だが、問題は彼だけではなかったのだ。彼が紅蓮の獅子ならば、もう一人、白銀の狼もまた、私たちの頭を悩ませる深刻な問題を抱えていた。
早苗翔。
彼は一条くんのように、椅子に座っていられないというタイプではない。むしろ、彼はじっと座っていること自体はそれほど苦ではないようだった。
彼の問題はもっと根本的なところにあった。
――彼は、「考えること」そのものが、絶望的に苦手なのだ。
その日の放課後も、私たちは図書室に集まっていた。
一条くんは如月くんによる特別メニュー「座学に耐えうる精神を鍛えるための瞑想」を命じられ、壁に向かって静かに座禅を組んでいる。ある意味、昨日より平和な光景だ。
今日の学習テーマは、「数学A:場合の数と確率」。
サイコロを振ったり、カードを引いたり、様々な事象が起こる確率を計算する、論理的思考力が問われる単元だ。
「いいか、早苗。この問題は、まず全ての事象のパターンを洗い出すことから始めるんだ」
私が教導官として、早苗くんの隣で基本問題を解説する。
「A、B、C、D、Eの5人が一列に並ぶ時、その並び方は何通りあるか。まず、先頭に来る可能性があるのは、5人全員だから……」
「うーん……」
早苗くんはシャーペンを片手に、うんうんと唸っている。その表情は、これまで見たことがないほどに真剣だった。これなら、今日はスムーズに進むかもしれない。
そんな私の淡い期待は、次の瞬間、彼が放った一言によって無残にも打ち砕かれた。
「なあ、乃蒼さま。そもそも、なんでこいつら、一列に並ぶ必要があんだ?」
「……え?」
「だってよ、5人もいるんだぜ? 普通、もっと自由に動くだろ。例えば、AとCが先行して斥候に出て、Bが中央で指揮を執り、DとEが両翼を固める、みたいな陣形の方がよっぽど効率的じゃねえか?」
……陣形?
彼は数学の問題を前に、本気で戦闘隊形のシミュレーションを始めていた。
「ち、違います、早苗くん! これは、ただの計算問題だから! 戦いとか、そういうのは一切関係なくて……!」
「関係なくねえだろ! どんな状況でも、最善の行動を考えるのが、遊撃担当の仕事なんだよ!」
彼は悪びれることもなく、きっぱりと言い切った。その瞳は純粋な探求心と、前世での己の役割への誇りに満ち溢れている。
一条くんが全ての事象を「身体で覚える」対象と捉えるなら、早苗くんは全ての事象を「どう戦うか」という観点で捉えてしまうのだ。
「わかった、乃蒼さま。俺ちょっと集中するわ」
そう言うと彼は突然、椅子の上であぐらをかき、ぴたりと動きを止めた。そして、ゆっくりと目を閉じる。
「……早苗くん? 何してるの?」
「――考えるな。感じろ」
彼はどこかの映画で聞いたことのあるようなセリフを、実に渋い声で呟いた。
そして、そのまま本格的な瞑想状態に入ってしまった。すー、はー、と、静かな寝息のような呼吸音だけが、彼の口から漏れている。
「…………」
私はもはやツッコむ気力も失い、その場で固まった。
隣のテーブルでは莉緒ちゃんが「出たー! 考えることを放棄したー!」と、スマホのカメラを起動していた。もう、彼女の存在は完全に戦場カメラマンだ。
壁際で座禅を組んでいたはずの一条くんがいつの間にか目を開けて、その様子を見ていた。
「……ほう。早苗の奴、「心眼」を開くつもりか。さすがは、我が騎士団の切り込み隊長。戦場で生き残るためには、時に思考を超えた直感こそが重要になるからな」
彼はなぜか感心したように、うんうんと頷いている。違う。あれはただの現実逃避だ。
「早苗の馬鹿が、また面倒なことになっているな」
如月くんが冷ややかにため息をつく。
「あれは、前世からの彼の悪い癖だ。複雑な状況に陥ると、思考を放棄し、『勘』に頼ろうとする。その勘が不思議と当たることもあったから、余計にタチが悪い」
「つまり、あれは……」
「そうだ。ただの、サボタージュだ」
軍師の冷徹な分析が下された。
瞑想を始めてから数分後。
「……見えた!」
突然、早苗くんがカッと目を見開き、叫んだ。そして、彼はまるで天啓を得たかのように、猛烈な勢いで解答用紙に答えを書きなぐり始めた。
そして、自信満々の顔でその解答用紙を私に差し出した。
「どうだ、乃蒼さま! 俺の直感が答えを導き出したぜ!」
恐る恐る、私はその解答用紙を受け取る。
そこには、問題の答えであるはずの数字ではなく謎の図形が描かれていた。
問:A,B,C,D,Eの5人が一列に並ぶ時、その並び方は何通りあるか。
答:V
(※鶴が翼を広げたような、美しいV字型の陣形の図)
「鶴翼の陣。これが、最適解だ」
私は無言で、その解答用紙をテーブルの上に置いた。
そして、両手でそっと顔を覆った。
紅蓮の獅子は、座学が苦手。
そして、白銀の狼は考えるのが苦手。
この絶望的なまでに勉強に向いていない二人を一体どうすれば、中間試験という戦場で生き残らせることができるというのだろうか。
もはや、奇跡でも起きない限り不可能なのではないか。
瞑想を終えてスッキリした顔の早苗くんと、その答えを見て「見事な陣形だ!」と感心する一条くん。
その光景を冷ややかに見下ろす如月くんと、面白そうに写真を撮る莉緒ちゃん。
そして、全てを諦めた顔で天を仰ぐ倉吉くんと私。
放課後の図書室は、今日も混沌と絶望に満ちていた。
私の教導官としてのキャリアは始まる前にすでに終わりを告げているのかもしれない。
彼の突飛な行動は残念ながら、私たちの学習計画に何一つ良い影響をもたらさなかった。翌日、彼は疲労からか、授業中はほとんど船を漕いでいたのだ。当然、前日に絶叫したはずの英単語は、何一つ覚えていなかった。
一条くんの「動」の暴走が、我々の貴重な学習時間を奪った。
だが、問題は彼だけではなかったのだ。彼が紅蓮の獅子ならば、もう一人、白銀の狼もまた、私たちの頭を悩ませる深刻な問題を抱えていた。
早苗翔。
彼は一条くんのように、椅子に座っていられないというタイプではない。むしろ、彼はじっと座っていること自体はそれほど苦ではないようだった。
彼の問題はもっと根本的なところにあった。
――彼は、「考えること」そのものが、絶望的に苦手なのだ。
その日の放課後も、私たちは図書室に集まっていた。
一条くんは如月くんによる特別メニュー「座学に耐えうる精神を鍛えるための瞑想」を命じられ、壁に向かって静かに座禅を組んでいる。ある意味、昨日より平和な光景だ。
今日の学習テーマは、「数学A:場合の数と確率」。
サイコロを振ったり、カードを引いたり、様々な事象が起こる確率を計算する、論理的思考力が問われる単元だ。
「いいか、早苗。この問題は、まず全ての事象のパターンを洗い出すことから始めるんだ」
私が教導官として、早苗くんの隣で基本問題を解説する。
「A、B、C、D、Eの5人が一列に並ぶ時、その並び方は何通りあるか。まず、先頭に来る可能性があるのは、5人全員だから……」
「うーん……」
早苗くんはシャーペンを片手に、うんうんと唸っている。その表情は、これまで見たことがないほどに真剣だった。これなら、今日はスムーズに進むかもしれない。
そんな私の淡い期待は、次の瞬間、彼が放った一言によって無残にも打ち砕かれた。
「なあ、乃蒼さま。そもそも、なんでこいつら、一列に並ぶ必要があんだ?」
「……え?」
「だってよ、5人もいるんだぜ? 普通、もっと自由に動くだろ。例えば、AとCが先行して斥候に出て、Bが中央で指揮を執り、DとEが両翼を固める、みたいな陣形の方がよっぽど効率的じゃねえか?」
……陣形?
彼は数学の問題を前に、本気で戦闘隊形のシミュレーションを始めていた。
「ち、違います、早苗くん! これは、ただの計算問題だから! 戦いとか、そういうのは一切関係なくて……!」
「関係なくねえだろ! どんな状況でも、最善の行動を考えるのが、遊撃担当の仕事なんだよ!」
彼は悪びれることもなく、きっぱりと言い切った。その瞳は純粋な探求心と、前世での己の役割への誇りに満ち溢れている。
一条くんが全ての事象を「身体で覚える」対象と捉えるなら、早苗くんは全ての事象を「どう戦うか」という観点で捉えてしまうのだ。
「わかった、乃蒼さま。俺ちょっと集中するわ」
そう言うと彼は突然、椅子の上であぐらをかき、ぴたりと動きを止めた。そして、ゆっくりと目を閉じる。
「……早苗くん? 何してるの?」
「――考えるな。感じろ」
彼はどこかの映画で聞いたことのあるようなセリフを、実に渋い声で呟いた。
そして、そのまま本格的な瞑想状態に入ってしまった。すー、はー、と、静かな寝息のような呼吸音だけが、彼の口から漏れている。
「…………」
私はもはやツッコむ気力も失い、その場で固まった。
隣のテーブルでは莉緒ちゃんが「出たー! 考えることを放棄したー!」と、スマホのカメラを起動していた。もう、彼女の存在は完全に戦場カメラマンだ。
壁際で座禅を組んでいたはずの一条くんがいつの間にか目を開けて、その様子を見ていた。
「……ほう。早苗の奴、「心眼」を開くつもりか。さすがは、我が騎士団の切り込み隊長。戦場で生き残るためには、時に思考を超えた直感こそが重要になるからな」
彼はなぜか感心したように、うんうんと頷いている。違う。あれはただの現実逃避だ。
「早苗の馬鹿が、また面倒なことになっているな」
如月くんが冷ややかにため息をつく。
「あれは、前世からの彼の悪い癖だ。複雑な状況に陥ると、思考を放棄し、『勘』に頼ろうとする。その勘が不思議と当たることもあったから、余計にタチが悪い」
「つまり、あれは……」
「そうだ。ただの、サボタージュだ」
軍師の冷徹な分析が下された。
瞑想を始めてから数分後。
「……見えた!」
突然、早苗くんがカッと目を見開き、叫んだ。そして、彼はまるで天啓を得たかのように、猛烈な勢いで解答用紙に答えを書きなぐり始めた。
そして、自信満々の顔でその解答用紙を私に差し出した。
「どうだ、乃蒼さま! 俺の直感が答えを導き出したぜ!」
恐る恐る、私はその解答用紙を受け取る。
そこには、問題の答えであるはずの数字ではなく謎の図形が描かれていた。
問:A,B,C,D,Eの5人が一列に並ぶ時、その並び方は何通りあるか。
答:V
(※鶴が翼を広げたような、美しいV字型の陣形の図)
「鶴翼の陣。これが、最適解だ」
私は無言で、その解答用紙をテーブルの上に置いた。
そして、両手でそっと顔を覆った。
紅蓮の獅子は、座学が苦手。
そして、白銀の狼は考えるのが苦手。
この絶望的なまでに勉強に向いていない二人を一体どうすれば、中間試験という戦場で生き残らせることができるというのだろうか。
もはや、奇跡でも起きない限り不可能なのではないか。
瞑想を終えてスッキリした顔の早苗くんと、その答えを見て「見事な陣形だ!」と感心する一条くん。
その光景を冷ややかに見下ろす如月くんと、面白そうに写真を撮る莉緒ちゃん。
そして、全てを諦めた顔で天を仰ぐ倉吉くんと私。
放課後の図書室は、今日も混沌と絶望に満ちていた。
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