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25. 障害物競走は独壇場
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一条彰人による、前代未聞の「公開忠誠宣誓」によって、私の精神はすでに虫の息だった。
全校生徒から「あれが、一条くんの主君か……」という、好奇と憐憫の入り混じった生暖かい視線を浴びながら、私は応援団席の隅で、できるだけ小さく、石のように固まっていた。
そんな私の心労など、露知らず。
体育祭はプログラム通りに、滞りなく進行していく。そして、いよいよ、騎士団が登場する最初の種目が始まろうとしていた。
『さあ、続きましては、男子障害物競走です! 各クラスの俊足自慢たちが、様々な障害を乗り越えてゴールを目指します!』
アナウンスと共に、スタートラインに各クラスの代表選手たちが並ぶ。その中にひときわ闘志を燃やし、自信に満ちた表情で立つ、一条くんの姿があった。
「乃蒼様! ご覧ください! 貴女様に、最初の勝利を捧げてご覧に入れます!」
彼はスタートラインから、わざわざこちらを振り返り、拳を突き上げて叫んだ。その声に、応援席の女子生徒たちから「一条くーん、頑張ってー!」という黄色い声援が飛ぶ。
私はお願いだからこっちを見ないでと、心の中で念じながら、そっと帽子を目深にかぶった。
パーン!
乾いたピストルの音と共に、選手たちが一斉にスタートする。
一条くんはまるで弾丸のように飛び出した。そのスタートダッシュは、他の選手とは明らかに次元が違う。陸上部のエースであろう他クラスの生徒でさえ彼の爆発的な加速力についていけず、あっという間に数メートルの差が開いていく。
「さあ、まずは第一の障害、網くぐりだー!」
グラウンドの中央に設置された、低い匍匐前進用のネット。選手たちは地面に這いつくばり、泥だらけになりながら、その下をくぐり抜けていく。
しかし、一条くんの選択は違った。
彼は、ネットの手前で、一切スピードを緩めない。
そして、何を思ったか、ネットの端を両手で鷲掴みにした。
「ぬんっ!」
短い気合一閃。
次の瞬間、地面にしっかりと固定されていたはずのネットがビリビリと音を立てて、いとも簡単に引き剥がされてしまったのだ。
シン……と、グラウンドが静まり返る。
選手たちも、審判の教師たちも、観客席の生徒たちも、目の前で起こった信じられない光景に言葉を失っていた。
彼はネットを巨大なハンカチのように丸めてポイと脇に投げ捨てると、障害がなくなったコースを、何事もなかったかのように、悠々と走り抜けていった。
「……あ、一条くん、ただいま、第一障害を、物理的に、破壊しましたー……」
アナウンス担当の生徒が戸惑いながらも、なんとか実況を続ける。
「さ、さて、気を取り直して、第二の障害は平均台渡り! 幅わずか10センチの細い台の上を、バランスを取りながら渡り切れるかー!?」
他の選手たちが両手を広げ、慎重に、ゆっくりと平均台を渡っていく。
しかし、一条くんはまたしても、私たちの想像を遥かに超えてきた。
彼は平均台の手前で、一度だけ、小さく屈伸した。
そして次の瞬間、まるで猫のような、しなやかな跳躍で全長5メートルはあろうかという平均台を一気に、飛び越えてしまったのだ。
「と、跳んだー! 一条くん、平均台を歩くのではなく、跳び越えましたー!」
もはや、アナウンスの声も裏返っている。
グラウンドはもはや、どよめきを通り越して、恐怖にも似た静寂に包まれていた。
そして最後の関門、高さ2メートルほどの壁が、選手の前に立ちはだかる。
普通は壁に設置された足場やロープを使って、よじ登っていくのが、この障害の攻略法だ。
しかし、一条くんは壁の前で立ち止まると、おもむろに振り返った。
そして応援席にいる、私に向かってニッと、太陽のような笑顔を見せた。
(……嫌な予感しかしない)
彼は助走をつけるでもなく、その場で数歩、壁に向かって駆け出すと、トントンッと、まるで重力など存在しないかのように、垂直な壁の表面を駆け上がってしまったのだ。
いわゆる、パルクールや忍者が使う、「壁走り」というやつだ。
壁の上に軽々と着地した彼はまるでヒーローのように、高らかに、宣言した。
「乃蒼様! この程度の障害、貴女様をお守りするための日頃の鍛錬に比べれば、児戯に等しい!」
そして、彼は壁の上から、華麗に宙返りを決めながら着地し、そのまま圧倒的な一位でゴールテープを切った。
しばらくの間、グラウンドは誰一人の声も発しない、完全な静寂に包まれていた。
誰もが今、自分が見たものが現実の出来事なのかどうか、理解できずにいた。
やがて、その静寂を破ったのは審判長である体育教師の、震える声だった。
「……い、一条彰人くん。ゴール後、職員室まで来なさい……」
こうして障害物競走は、一条彰人の独壇場……いや、破壊と超人ショーの末に幕を閉じた。
彼は確かに、私に最初の勝利を捧げてくれた。
しかし、その代償として彼は、全校生徒と教師たちに人間離れした身体能力を持つ「ヤバい奴」という、強烈な印象を、深く深く、刻みつけた。
そして、その「ヤバい奴」が忠誠を誓う「主君」である私の立場もまた、ますます奇妙で、特殊なものになっていく。
私は、もはや胃が痛いのを通り越して、何も感じなくなっていた。
ただ空っぽの頭で、ぼんやりと思う。
(……私の、平凡な体育祭は、どこ……?)
その問いに答えてくれる者は、誰もいなかった。
全校生徒から「あれが、一条くんの主君か……」という、好奇と憐憫の入り混じった生暖かい視線を浴びながら、私は応援団席の隅で、できるだけ小さく、石のように固まっていた。
そんな私の心労など、露知らず。
体育祭はプログラム通りに、滞りなく進行していく。そして、いよいよ、騎士団が登場する最初の種目が始まろうとしていた。
『さあ、続きましては、男子障害物競走です! 各クラスの俊足自慢たちが、様々な障害を乗り越えてゴールを目指します!』
アナウンスと共に、スタートラインに各クラスの代表選手たちが並ぶ。その中にひときわ闘志を燃やし、自信に満ちた表情で立つ、一条くんの姿があった。
「乃蒼様! ご覧ください! 貴女様に、最初の勝利を捧げてご覧に入れます!」
彼はスタートラインから、わざわざこちらを振り返り、拳を突き上げて叫んだ。その声に、応援席の女子生徒たちから「一条くーん、頑張ってー!」という黄色い声援が飛ぶ。
私はお願いだからこっちを見ないでと、心の中で念じながら、そっと帽子を目深にかぶった。
パーン!
乾いたピストルの音と共に、選手たちが一斉にスタートする。
一条くんはまるで弾丸のように飛び出した。そのスタートダッシュは、他の選手とは明らかに次元が違う。陸上部のエースであろう他クラスの生徒でさえ彼の爆発的な加速力についていけず、あっという間に数メートルの差が開いていく。
「さあ、まずは第一の障害、網くぐりだー!」
グラウンドの中央に設置された、低い匍匐前進用のネット。選手たちは地面に這いつくばり、泥だらけになりながら、その下をくぐり抜けていく。
しかし、一条くんの選択は違った。
彼は、ネットの手前で、一切スピードを緩めない。
そして、何を思ったか、ネットの端を両手で鷲掴みにした。
「ぬんっ!」
短い気合一閃。
次の瞬間、地面にしっかりと固定されていたはずのネットがビリビリと音を立てて、いとも簡単に引き剥がされてしまったのだ。
シン……と、グラウンドが静まり返る。
選手たちも、審判の教師たちも、観客席の生徒たちも、目の前で起こった信じられない光景に言葉を失っていた。
彼はネットを巨大なハンカチのように丸めてポイと脇に投げ捨てると、障害がなくなったコースを、何事もなかったかのように、悠々と走り抜けていった。
「……あ、一条くん、ただいま、第一障害を、物理的に、破壊しましたー……」
アナウンス担当の生徒が戸惑いながらも、なんとか実況を続ける。
「さ、さて、気を取り直して、第二の障害は平均台渡り! 幅わずか10センチの細い台の上を、バランスを取りながら渡り切れるかー!?」
他の選手たちが両手を広げ、慎重に、ゆっくりと平均台を渡っていく。
しかし、一条くんはまたしても、私たちの想像を遥かに超えてきた。
彼は平均台の手前で、一度だけ、小さく屈伸した。
そして次の瞬間、まるで猫のような、しなやかな跳躍で全長5メートルはあろうかという平均台を一気に、飛び越えてしまったのだ。
「と、跳んだー! 一条くん、平均台を歩くのではなく、跳び越えましたー!」
もはや、アナウンスの声も裏返っている。
グラウンドはもはや、どよめきを通り越して、恐怖にも似た静寂に包まれていた。
そして最後の関門、高さ2メートルほどの壁が、選手の前に立ちはだかる。
普通は壁に設置された足場やロープを使って、よじ登っていくのが、この障害の攻略法だ。
しかし、一条くんは壁の前で立ち止まると、おもむろに振り返った。
そして応援席にいる、私に向かってニッと、太陽のような笑顔を見せた。
(……嫌な予感しかしない)
彼は助走をつけるでもなく、その場で数歩、壁に向かって駆け出すと、トントンッと、まるで重力など存在しないかのように、垂直な壁の表面を駆け上がってしまったのだ。
いわゆる、パルクールや忍者が使う、「壁走り」というやつだ。
壁の上に軽々と着地した彼はまるでヒーローのように、高らかに、宣言した。
「乃蒼様! この程度の障害、貴女様をお守りするための日頃の鍛錬に比べれば、児戯に等しい!」
そして、彼は壁の上から、華麗に宙返りを決めながら着地し、そのまま圧倒的な一位でゴールテープを切った。
しばらくの間、グラウンドは誰一人の声も発しない、完全な静寂に包まれていた。
誰もが今、自分が見たものが現実の出来事なのかどうか、理解できずにいた。
やがて、その静寂を破ったのは審判長である体育教師の、震える声だった。
「……い、一条彰人くん。ゴール後、職員室まで来なさい……」
こうして障害物競走は、一条彰人の独壇場……いや、破壊と超人ショーの末に幕を閉じた。
彼は確かに、私に最初の勝利を捧げてくれた。
しかし、その代償として彼は、全校生徒と教師たちに人間離れした身体能力を持つ「ヤバい奴」という、強烈な印象を、深く深く、刻みつけた。
そして、その「ヤバい奴」が忠誠を誓う「主君」である私の立場もまた、ますます奇妙で、特殊なものになっていく。
私は、もはや胃が痛いのを通り越して、何も感じなくなっていた。
ただ空っぽの頭で、ぼんやりと思う。
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