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26. 借り物競走と軍師の策略
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一条彰人が障害物競走で残した衝撃は、あまりにも大きかった。
グラウンドの片隅では教師たちが集まって、破壊されたネットの修復と今後の彼の処遇について、何やら深刻な顔で話し合っている。
そんな異様な雰囲気の中、体育祭は、次のプログラムへと移行していた。
『えー、続きましては、男子借り物競走です! お題の紙に書かれたモノやヒトを、いかに早く見つけ出せるか! 選手の皆さんの、運と、コミュニケーション能力が試されます!』
スタートラインに立つ、如月伊呂波。
彼は一条くんとは対照的に、燃え盛る闘志を一切表に出さず、ただ静かに眼鏡の位置を直しながら、フィールド全体を冷静に見渡していた。その姿はまるで戦場全体の地形と兵力配置を把握しようとする、歴戦の軍師そのものだ。
莉緒ちゃんが私の隣で、面白そうに囁いてきた。
「さあ、次はクールな軍師様のお手並み拝見だね。あの人、絶対、普通に走るだけじゃ終わらないでしょ」
「……もう、何も期待しないことにした」
私は、達観したような表情で力なく首を振った。これ以上、何が起きてももう驚かない。私の心は、すでに無の境地に達しているのだから。
パーン!
ピストルの音と共に、選手たちがスタートする。
彼は先頭集団から少し遅れて、中間あたりを冷静なペースで走っていた。
やがて、コースの中間地点に設置された、お題の紙が入った箱に選手たちが次々と到達する。
皆、慌てて箱の中に手を突っ込み、一枚の紙を掴み取るとそこに書かれた文字を必死に読み解き、観客席や本部テントへと散っていく。
「『赤い帽子』! 誰か、貸してください!」
「『〇〇先生』はどこだー!?」
あちこちでそんな声が飛び交う。
しかし、如月くんの行動はまたしても、異質だった。
彼は箱の前で立ち止まると、紙を引く前におもむろに目を閉じた。
そして、数秒間、何かをブツブツと呟きながら指を複雑な形に動かしている。
「……何やってんの、あの人」
「さあ……。おそらく、確率論と過去の体育祭のデータ、そして、今日の風向きや湿度、教師たちの心理状態などを総合的に分析し、箱の中にある全てのお題の内容とその配置を脳内でシミュレートしているんじゃないかしら」
「……乃蒼ちゃん、あんたもだいぶあの人たちに毒されてきたね」
莉緒ちゃんの的確なツッコミも、もはや私の耳には届かない。
やがて、目を開けた如月くんは一切の迷いなく、紙をピンポイントで引き抜いた。そして、その内容を一瞥すると小さく、フッと、笑みを漏らした。
それは全てが自分の計算通りに進んでいることを確信した、絶対的な自信に満ちた笑みだった。
そして、彼は一直線に、こちらへと向かってきた。
観客席ではなく、私たちがいる応援団席のど真ん中へと。
(……え?)
まさか、とは思った。
しかし、そのまさかはいとも簡単に、現実のものとなる。
彼は私の目の前で、ピタリと足を止めると、実に優雅な仕草で手を差し出してきた。
「参りましょう、乃蒼様」
「……は?」
「私のお題は、『世界で一番、大切なもの』です」
彼の甘く、そして、どこまでも真剣な声。
その言葉に周囲にいた応援団の女子生徒たちから、「キャアアアアア!」という、今日一番の甲高い悲鳴が上がった。
私は差し出された彼の手と、その手に握られた紙を交互に見つめた。
紙には確かに達筆な文字で、こう書かれていた。
【お題:世界で一番、大切なもの】
……いや、待て。
そんなロマンチックで、抽象的なお題が、高校の体育祭の借り物競走で出題されるはずがないだろう。
「如月くん……! それ、本当にお題の紙ですか……!?」
「ええ。私が論理的に導き出した、最適解です」
彼は悪びれることもなく、きっぱりと言い切った。
その時、後方から審判の教師が、血相を変えて走ってくるのが見えた。
「こらー! 如月! お前が引いたお題は、『校長先生のカツラ』だろうが! 勝手にお題を捏造するなー!」
教師の魂の叫び。
その言葉に、今度は悲鳴ではなく、爆笑の渦がグラウンド中に巻き起こった。
「カツラ!?」
「校長、カツラだったのか!」
「マジかよ!」
全校生徒が長年抱いていた疑惑が、今、この瞬間、公式に真実であると証明されてしまったのだ。
しかし、如月くんはそんな教師の叫び声など、全く聞こえていないかのように、私の手をそっと、しかし力強く握った。
「さあ、乃蒼様。ゴールは、目の前です」
「いや、だから、お題が違うって……!」
私の抵抗も虚しく、彼は私の手を引いたまま、ゴールへと再び走り出した。
「おい、待て、如月! 失格だぞ、お前は!」
背後から、教師の怒声が追いかけてくる。
「失格? 結構です」
走りながら、如月くんは冷ややかに、言い放った。
「私にとって、この戦いの勝敗など、些末な問題。重要なのは、ただ一つ。乃蒼様こそが、私にとっての『世界で一番、大切なもの』であるという、揺るぎない事実をこの世界の全てに、証明することなのですから」
彼のあまりにも真っ直ぐで、あまりにもズレている愛の告白。
その言葉に私は、もはや、つっこむ気力もなかった。
グラウンドの片隅では教師たちが集まって、破壊されたネットの修復と今後の彼の処遇について、何やら深刻な顔で話し合っている。
そんな異様な雰囲気の中、体育祭は、次のプログラムへと移行していた。
『えー、続きましては、男子借り物競走です! お題の紙に書かれたモノやヒトを、いかに早く見つけ出せるか! 選手の皆さんの、運と、コミュニケーション能力が試されます!』
スタートラインに立つ、如月伊呂波。
彼は一条くんとは対照的に、燃え盛る闘志を一切表に出さず、ただ静かに眼鏡の位置を直しながら、フィールド全体を冷静に見渡していた。その姿はまるで戦場全体の地形と兵力配置を把握しようとする、歴戦の軍師そのものだ。
莉緒ちゃんが私の隣で、面白そうに囁いてきた。
「さあ、次はクールな軍師様のお手並み拝見だね。あの人、絶対、普通に走るだけじゃ終わらないでしょ」
「……もう、何も期待しないことにした」
私は、達観したような表情で力なく首を振った。これ以上、何が起きてももう驚かない。私の心は、すでに無の境地に達しているのだから。
パーン!
ピストルの音と共に、選手たちがスタートする。
彼は先頭集団から少し遅れて、中間あたりを冷静なペースで走っていた。
やがて、コースの中間地点に設置された、お題の紙が入った箱に選手たちが次々と到達する。
皆、慌てて箱の中に手を突っ込み、一枚の紙を掴み取るとそこに書かれた文字を必死に読み解き、観客席や本部テントへと散っていく。
「『赤い帽子』! 誰か、貸してください!」
「『〇〇先生』はどこだー!?」
あちこちでそんな声が飛び交う。
しかし、如月くんの行動はまたしても、異質だった。
彼は箱の前で立ち止まると、紙を引く前におもむろに目を閉じた。
そして、数秒間、何かをブツブツと呟きながら指を複雑な形に動かしている。
「……何やってんの、あの人」
「さあ……。おそらく、確率論と過去の体育祭のデータ、そして、今日の風向きや湿度、教師たちの心理状態などを総合的に分析し、箱の中にある全てのお題の内容とその配置を脳内でシミュレートしているんじゃないかしら」
「……乃蒼ちゃん、あんたもだいぶあの人たちに毒されてきたね」
莉緒ちゃんの的確なツッコミも、もはや私の耳には届かない。
やがて、目を開けた如月くんは一切の迷いなく、紙をピンポイントで引き抜いた。そして、その内容を一瞥すると小さく、フッと、笑みを漏らした。
それは全てが自分の計算通りに進んでいることを確信した、絶対的な自信に満ちた笑みだった。
そして、彼は一直線に、こちらへと向かってきた。
観客席ではなく、私たちがいる応援団席のど真ん中へと。
(……え?)
まさか、とは思った。
しかし、そのまさかはいとも簡単に、現実のものとなる。
彼は私の目の前で、ピタリと足を止めると、実に優雅な仕草で手を差し出してきた。
「参りましょう、乃蒼様」
「……は?」
「私のお題は、『世界で一番、大切なもの』です」
彼の甘く、そして、どこまでも真剣な声。
その言葉に周囲にいた応援団の女子生徒たちから、「キャアアアアア!」という、今日一番の甲高い悲鳴が上がった。
私は差し出された彼の手と、その手に握られた紙を交互に見つめた。
紙には確かに達筆な文字で、こう書かれていた。
【お題:世界で一番、大切なもの】
……いや、待て。
そんなロマンチックで、抽象的なお題が、高校の体育祭の借り物競走で出題されるはずがないだろう。
「如月くん……! それ、本当にお題の紙ですか……!?」
「ええ。私が論理的に導き出した、最適解です」
彼は悪びれることもなく、きっぱりと言い切った。
その時、後方から審判の教師が、血相を変えて走ってくるのが見えた。
「こらー! 如月! お前が引いたお題は、『校長先生のカツラ』だろうが! 勝手にお題を捏造するなー!」
教師の魂の叫び。
その言葉に、今度は悲鳴ではなく、爆笑の渦がグラウンド中に巻き起こった。
「カツラ!?」
「校長、カツラだったのか!」
「マジかよ!」
全校生徒が長年抱いていた疑惑が、今、この瞬間、公式に真実であると証明されてしまったのだ。
しかし、如月くんはそんな教師の叫び声など、全く聞こえていないかのように、私の手をそっと、しかし力強く握った。
「さあ、乃蒼様。ゴールは、目の前です」
「いや、だから、お題が違うって……!」
私の抵抗も虚しく、彼は私の手を引いたまま、ゴールへと再び走り出した。
「おい、待て、如月! 失格だぞ、お前は!」
背後から、教師の怒声が追いかけてくる。
「失格? 結構です」
走りながら、如月くんは冷ややかに、言い放った。
「私にとって、この戦いの勝敗など、些末な問題。重要なのは、ただ一つ。乃蒼様こそが、私にとっての『世界で一番、大切なもの』であるという、揺るぎない事実をこの世界の全てに、証明することなのですから」
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