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アリス
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とある小さな町に黒猫のお眼鏡にかなった者だけが訪れることのできるーー不思議な店がある。
店の名は『喫茶 黒猫』
黒猫に魅入られ、その店に足を踏み入れた“客”は、珈琲代の代わりに“あるモノ”を支払うことになるーーー
*
漆黒の艷やかな尾が揺れた。けれど、いつもと少し違うのは尻尾の揺れがぎこちなく、どこか緊張感を宿していたことだ。
ーーアリスの姿が消えた。
そのことが黒猫を激しく動揺させた。
永い永い時間(とき)の中でアリスが自分の傍らを離れることなど一度もなかった。常に寄り添い支えてくれていた同胞……いや同じ苦しみを持つ者同士ゆえに気が遠くなる時間(とき)をともに過ごしてきた大切な……仲間。
一見、淡々と冷めたように見えるが、その実とても思慮深く心優しい娘である。傍を離れるなら必ず一言あるはずだ。それなのに……。
胸がざわつく……愛してやまない“娘”を失いすべてが絶望の色に変わってしまった時の、それとはちがう焦燥感……不安が心を支配し一筋の希望の光さえもまた自分を見捨てるのか……と。
沈みはじめる夕陽が昔日の光のように想いと高台を染め黒猫を木々の影が覆う。
いつも気高い黒猫がこれほど弱々しい姿をみせるとは……。
もしここにアリスがいたならば、ここぞとばかりにしれっと突っ込んだに違いない。
『似合わないですよ』……と。
アリスは黒猫を敬愛しているが、厳しさも持ち合わせている。気まぐれな主人を甘やかしてばかりでは己の体がいくつ合っても足りないーー主人を正しく導くのも仕える者のつとめ……だと。
もうすぐ高台を染める鈍いオレンジの光は深い闇色へと変わる。
闇が心を覆ってしまう前にーー
その時、黒猫の小さいな耳がピクリと跳ねた。
「よかった。珈琲豆切れてたのでびっくりしましたよ!」
どこからともなく姿を現したアリス。欲しかった物が手に入り傍目からはわからないが、上機嫌だ。
黒猫によって店に訪れた“客”に珈琲は欠かせない大切なアイテムである。
それをうっかり切らしていたなんて、ひとこと言っていくのを忘れるほどアリスは慌てていた。
黒猫の心中など知る由もなくーー
「アリス!」
「ダナ……様?」
主の様子がいつもと違うことにアリスは戸惑った。
アリスにとって黒猫は唯一無二の存在だった。
永く一緒に過ごしてきた時間(とき)の中で、主が我を忘れたのは“娘”がーーその存在を“無”にされた時のみ。
あの深い絶望の淵と比すべきものではないが、今、主の大きな瞳から光が失われそうになっている。
………なぜ?
もう大切な存在(もの)を失くしたくはない。
はるか昔の自分なら微塵にも思うことはなかっただろう。
いつからこんなにも弱くなってしまったのか……永い永い時間(とき)は我を絶対無二の存在から脆く儚い者へと変えていったのか……。
アリスがいかになくてはならない存在か……気づいてしまった今、この気持ちを悟られるわけにはいかない。
アリスにとって自分は絶対無二の存在なのだから。
黒猫の瞳を覆っていた闇は消え、いつもの神々しい金色の瞳に戻っていた。
「アリス、気が緩みすぎだ」
「も、申し訳ありません」
主の異変は気のせいだったのだろうか?
今は元の高飛車……気高い主に戻っている。纏う空気も凛と澄んだものに変わっていた。
「では、そろそろ行くとしよう!」
いつの間にか高台は深い闇色に姿を変えていた。
黒猫は艷やかな尻尾を優雅に揺らしながら街へと繰り出していく。
その凛々しい後ろ姿をほんのり頬を染めながら見つめるアリスがいる。
互いの“想い”など知ることなく……この先もふたりは歩いて行くのかもしれない。
それでも、互いの存在が永い永い時間(とき)の糧になるのなら、それでいいのだろうーーー
三角屋根と赤煉瓦の建物が目を引く『喫茶 黒猫』は、
小さな町のどこかで“客”の訪れを待っている。
気まぐれに艶やかなしっぽを揺らしながら……黒猫は今日も街に現れる。
次の“客”を物色するためにーーー
店の名は『喫茶 黒猫』
黒猫に魅入られ、その店に足を踏み入れた“客”は、珈琲代の代わりに“あるモノ”を支払うことになるーーー
*
漆黒の艷やかな尾が揺れた。けれど、いつもと少し違うのは尻尾の揺れがぎこちなく、どこか緊張感を宿していたことだ。
ーーアリスの姿が消えた。
そのことが黒猫を激しく動揺させた。
永い永い時間(とき)の中でアリスが自分の傍らを離れることなど一度もなかった。常に寄り添い支えてくれていた同胞……いや同じ苦しみを持つ者同士ゆえに気が遠くなる時間(とき)をともに過ごしてきた大切な……仲間。
一見、淡々と冷めたように見えるが、その実とても思慮深く心優しい娘である。傍を離れるなら必ず一言あるはずだ。それなのに……。
胸がざわつく……愛してやまない“娘”を失いすべてが絶望の色に変わってしまった時の、それとはちがう焦燥感……不安が心を支配し一筋の希望の光さえもまた自分を見捨てるのか……と。
沈みはじめる夕陽が昔日の光のように想いと高台を染め黒猫を木々の影が覆う。
いつも気高い黒猫がこれほど弱々しい姿をみせるとは……。
もしここにアリスがいたならば、ここぞとばかりにしれっと突っ込んだに違いない。
『似合わないですよ』……と。
アリスは黒猫を敬愛しているが、厳しさも持ち合わせている。気まぐれな主人を甘やかしてばかりでは己の体がいくつ合っても足りないーー主人を正しく導くのも仕える者のつとめ……だと。
もうすぐ高台を染める鈍いオレンジの光は深い闇色へと変わる。
闇が心を覆ってしまう前にーー
その時、黒猫の小さいな耳がピクリと跳ねた。
「よかった。珈琲豆切れてたのでびっくりしましたよ!」
どこからともなく姿を現したアリス。欲しかった物が手に入り傍目からはわからないが、上機嫌だ。
黒猫によって店に訪れた“客”に珈琲は欠かせない大切なアイテムである。
それをうっかり切らしていたなんて、ひとこと言っていくのを忘れるほどアリスは慌てていた。
黒猫の心中など知る由もなくーー
「アリス!」
「ダナ……様?」
主の様子がいつもと違うことにアリスは戸惑った。
アリスにとって黒猫は唯一無二の存在だった。
永く一緒に過ごしてきた時間(とき)の中で、主が我を忘れたのは“娘”がーーその存在を“無”にされた時のみ。
あの深い絶望の淵と比すべきものではないが、今、主の大きな瞳から光が失われそうになっている。
………なぜ?
もう大切な存在(もの)を失くしたくはない。
はるか昔の自分なら微塵にも思うことはなかっただろう。
いつからこんなにも弱くなってしまったのか……永い永い時間(とき)は我を絶対無二の存在から脆く儚い者へと変えていったのか……。
アリスがいかになくてはならない存在か……気づいてしまった今、この気持ちを悟られるわけにはいかない。
アリスにとって自分は絶対無二の存在なのだから。
黒猫の瞳を覆っていた闇は消え、いつもの神々しい金色の瞳に戻っていた。
「アリス、気が緩みすぎだ」
「も、申し訳ありません」
主の異変は気のせいだったのだろうか?
今は元の高飛車……気高い主に戻っている。纏う空気も凛と澄んだものに変わっていた。
「では、そろそろ行くとしよう!」
いつの間にか高台は深い闇色に姿を変えていた。
黒猫は艷やかな尻尾を優雅に揺らしながら街へと繰り出していく。
その凛々しい後ろ姿をほんのり頬を染めながら見つめるアリスがいる。
互いの“想い”など知ることなく……この先もふたりは歩いて行くのかもしれない。
それでも、互いの存在が永い永い時間(とき)の糧になるのなら、それでいいのだろうーーー
三角屋根と赤煉瓦の建物が目を引く『喫茶 黒猫』は、
小さな町のどこかで“客”の訪れを待っている。
気まぐれに艶やかなしっぽを揺らしながら……黒猫は今日も街に現れる。
次の“客”を物色するためにーーー
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