【完結】望まれて鬼の辺境伯に嫁いだはずなのですが、愛されていないようなので別れたい

大森 樹

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本編

23 美味い酒【エルベルト視点】

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「八つ当たりして、投げてごめんね。もう絶対しないから許してね」

 声が聞こえたのでボーっとする意識の中で、俺は薄く目を開けた。クリスが上半身だけ起こし、俺に背を向けて誰かと話している。ベッドで誰と? と思っていると……昨日俺に投げたうさぎのぬいぐるみに謝っているようだ。

 彼女はうさぎを撫でて……ギュッと抱きしめて、ちゅっとキスをした。

 うわ、その仕草が可愛すぎてきゅんとする。何だあれ。昨夜のちょっと乱れたセクシーな彼女と同一人物とは思えない。

 ――ほら、また好きが更新された。

 これ以上彼女を好きになったら、俺はどうなるのだろうか。

「クリス、俺があげたそのうさぎは女の子かな?」

 俺の声に彼女はクルリと振り向いた。

「ええ、女の子よ。リボンがついてるもの」
「じゃあ許そう」

 俺は寝転んだまま、彼女の腰にぎゅっとまとわりついた。彼女は不思議そうに首を傾げた。

「クリスがキスをしたのが男なら許せないから。たとえ、ぬいぐるみでもね」
「ふふ、馬鹿ね」
「やきもち妬きなんだ。知ってるだろ?」

 そんな冗談を言いながら、二人で笑い合った。ああ、幸せだ。

 そしてクリスの部屋から二人で出てきたのを使用人達にしっかり見られて、彼女は恥ずかしがっていた。

「みんな……昨日はごめんなさい。私が色々と誤解してて」

 彼女が素直に謝ると、ノエルや他の使用人達はみんな微笑んだ。この家のみんなはクリスが大好きだ。

「奥様が元気になられて良かったです」

 そう、我が家は結局クリスが元気で幸せならば全てが上手くいくのだ。だって、クリスが幸せなら俺も幸せだから。


♢♢♢


 それから一ヶ月後、俺は仕事で王都へ行く事になった。一泊することになったので、ジェフと飲むことになった。

 二人で昔よく行ったバーに行く。俺はあのことを一言文句を言ってやろうと思っていた。クリスのことをまとめた本はとてもありがたいし、嬉しかった。でも! こいつのせいでクリスを泣かせてしまったのだ。許せない。

 高級クラブの名刺と請求書送ってきたせいで、クリスに俺が浮気をしたと誤解されたと説明した。

「あははは、それは傑作だな。でもお前が机に出しっぱなしにしたのが悪いだろ」

 こいつは腹を抱えて笑っている。

「笑い事じゃない。クリスに触れるなと言われた時の俺の気持ちを考えろ」
「ははははは、でもクリスティンちゃん厳しいねぇ。お店の子もだめなら、お前はもう一生遊べないな」

 ジェフはグラスの氷を指でカラカラと弄びながら、笑っている。

「物足りないから遊ぶんだろ? 俺は遊びたいなんて一切思わない」
「へえ? 一切とは言い切るね」
「一番愛した女が傍にいるのに、どうして他が欲しい? 理解に苦しむ」

 俺はグイッと酒を飲み干した。

「いくら好物でも、たまには味を変えたくなるのが男だろ? しかしここまでくると羨ましいね。俺も死ぬまでにそんな恋がしてみたいもんだ」

 ジェフは「吸うぞ」と声をかけ、遠い目をして煙草の煙を吐き出した。

「なんでそんな好きなんだよ? いや、舞踏会で彼女がお前を庇ってくれた馴れ初めは聞いたけどよ。それだけで、そんなに愛せるものか?」
「彼女は……俺をまともな人間に戻してくれたんだ」
「……人間?」

 ジェフは真面目な顔で俺をじっと見つめた。あの時の気持ちを俺はこいつに話すことにした。


♢♢♢


 俺は二十五歳の時いきなり両親を亡くし、父の仇の魔物を倒して辺境伯になった。死に物狂いで魔物と戦い……被害を最小限にできたことは良かったが、胸が張り裂けそうに痛かった。

 家には尊敬する父も、誰よりも優しかった母ももういない。しかし領民や部下の前に立つ俺が泣き言を言うわけにはいかない。俺はあえて感情を殺していた。嬉しいも、哀しいもない。必要な仕事を機械的にこなすだけの毎日。死んだように生きていた。

 ――そんな時、彼女に出逢った。

「エルベルト様のお顔ご覧になりました? 無表情ですごく恐ろしいお顔でしたわ」
「ええ、強い魔物を次々と倒されたらしいですわね。戻ってきて来られた時の姿は血だらけでまるで『鬼』だったそうよ。どちらが魔物かわからない程恐ろしいって。近付きたくないわ」

 陛下の命で強制参加させられた舞踏会で帰ろうとした時、廊下でくすくすと笑いながら声をひそめ悪口を言う御令嬢方の声が聞こえてきた。そんなことを言われたが感情を失っていた俺はどうでもよかった。ただただ虚しかった。

「でも彼等のお陰でこの国が今平和なのでしょう? 私は戦って下さった皆様に心から感謝申し上げますわ」

 それは澄んでいるのに……信じられないほど強い意志のこもったしっかりした声だった。俺はどうしてもその声が気になり、バレないように隠れながら誰が言ってくれたのかとそっと覗き込んだ。

 すると可愛いらしい少女がニコリと微笑みながら「失礼致しますわ」とその場を颯爽と去っていった。

 ドクン

 その一瞬で心を奪われた。単純かもしれないが命懸けで戦ったことが報われた気がしたし、あの子が住んでいる王都に魔物が来ないように守れた自分が誇らしかった。

 俺は帰るのをやめて、会場に戻りその少女が踊ったり笑ったりする様を遠くから眺めていた。

 彼女に出逢った瞬間、目の前の景色がパッと明るくなった。俺の心臓がバクバクと動き出し、身体中に血が巡る感じがした。ああ、俺は生きてたんだなと思った。

 彼女は俺を人間に戻してくれた。これは大袈裟じゃない。本当にそうなんだ。

 彼女が俺が戦ったことを認めてくれて、感謝してくれたことで心が救われた。でもきっと同じ言葉を言われても、他の人じゃだめだった。彼女は……本当に忖度などなしで、素直にそう言ってくれたのがわかったから。

 ――好きだ。彼女が欲しい。

 しかしこんな気持ちは二十五年生きてきて初めてなので、戸惑った。今まで会った女性達とは……比べものにならないくらいの強い衝撃。

 彼女のストロベリーブロンドの柔らかそうなカールがかった髪にそっと触れてみたい。くりっとした大きなピンクの瞳に俺の姿を映してほしい。明るく澄んだ綺麗な声で俺の名を呼んでほしい。

 ずっとそう思っていた。恋焦がれていた。だから、結婚できて幸せすぎるくらい幸せなのだ。だって……したかったこと全部できてるんだから。


♢♢♢


「だから、クリスには感謝してる。一生大事にしたい。たまに……朝彼女が隣にいて『俺は幸せだな』って泣きそうな時がある」
「確かにあの時のお前は、見ていて心配だったよ。話しかけても瞳が死んでたもんな。そうか……彼女がお前を人間に戻してくれたか」

 ジェフはフッと嬉しそうに笑って酒を飲んだ。あの当時、こいつにもかなり心配をかけた。

 陛下に頼み慣れない辺境伯の仕事や魔物討伐の後処理、両親の葬儀……全てが落ち着くまでしばらく辺境地に滞在するとまで言ってくれていた。

 しかし、俺はそれを断った。気持ちは有難いが、一人で頑張らないといけないと無理をしていたのだ。

「お前にもかなり助けられた」
「どこがだよ。俺は何もできなかったな、と後悔していたさ」
「お前が生きてるだけでいい。お互い違う場所にいて、違う仕事をしてても……それだけで俺の励みになる」

 素直な気持ちを告げると、ジェフは珍しく恥ずかしそうに頬を染めた。

「まあ、素敵な奥様がいるのに口説くなんて酷い男ね」

 その照れを誤魔化すように、いつもの軽口を言っている。

「気持ち悪い声色やめろ」
「生きてるだけでいいなんて言われたら、うっかり惚れそうだわ。次、女の子口説く時に使おう」

 そんな風にいつも通りケラケラと笑っている。そして他愛のない話をしながら夜通し飲んだ後、支払いの話になった。お互い金は余りあるが……こいつはいつも俺に払わせようとする。

 そうは言ってもこの男は決してケチなわけではない。どちらかといえば、派手に金を使う。そして俺以外の人には金払いはとてもいい。つまり、俺に甘えているのだ。

「俺がお前に迷惑かけられたんだから、お前が払え。こっちは離婚危機だったんだぞ!」
「そうだな」

 珍しく素直にそう言ったこいつに、拍子抜けする。いつもはなんだかんだ言って、俺に支払わせるのに。むしろどう払わせようかと、楽しんでいる節がある。

 ジェフは顎に手を当てて「ふむ」と考えるような素振りをした。

「一つ聞きたいんだが」
「なんだ?」
「誤解は解けて、クリスティンちゃんと仲直りしたんだよな?」
「ああ」
「それ……めちゃくちゃ盛り上がっただろ? 大喧嘩の後の仲直りの夜は激しくて甘くなるって相場が決まってる」

 こいつはニヤニヤと揶揄うように笑いながら、俺の頬をツンツンと指で突いている。

 ゔっ……確かにあの夜は凄かった。彼女から積極的にしてくれることなんて、初めてだったし。俺は扇情的なクリスを思い出して頬が染まった。

「なら、良い思いしたのは結局お前だよな? 俺の請求書がなければそんな素敵な夜は一生なかったんだぜ? そういうわけで、支払いよろしく」
「……っ!」

 俺は無言で金を支払った。

「ははっ、ご馳走様。お前の奢りで飲む酒が一番美味いんだ」

 ケラケラと笑いながら、こいつは手をあげて「じゃあな」と去って行った。

 俺はこの迷惑極まりないが、何事も気兼ねなく話せる優しい親友の背中を見送った。口の立つジェフになんだかんだでいつもやり込められてしまうが、本当はいつも救われている。

 明日は朝一で起きて、彼女の好きそうな焼き菓子でも買って帰ろう。いくら馬を飛ばしても帰るまでには数日かかる。愛するクリスに早く逢いたいなと思いながらホテルへ戻り、俺は彼女の喜ぶ様子を想像しながら幸せな気持ちで眠りについた。


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