重なる月

志生帆 海

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第7章 

影を踏む 2

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 恐る恐る目を開くと、そこにはSoilさんが少年を後ろから羽交い絞めにして立っていた。

「あっsoilさん!」
「涼、大丈夫か」 
「おいっお前っこんなことしてただで済むと思うな。今までの下積みを無駄にしたいのかっ」
「あっ……俺は」

 カッターがカランっと乾いた音を立てて床に滑り落ち、正気に戻ったモデルの少年は真っ青な顔をしてガタガタと震え出した。

 きっと彼は子役から必死にやってきたのだろう。だから僕みたいに急にスカウトされて、彼のいない穴を埋めるように仕事が舞い込んで来た人間のことが許せなかったのだろう。彼の立場や心のすべてが分かるわけではないが、僕に向けられた憎しみの意味を辿っていけば、思い当たる。

「こいつっ」
「Soilさん駄目です! そんなことしたら」

 Soilさんがかっとして、その少年に殴りかかろうとしていたので慌てて止めた。これではSoilさんにまで迷惑がかかってしまう。

「今回のことを僕は訴えたりするつもりはないです。でもこの先は僕も本気でモデルの道を進んでいくつもりなので、今後の理不尽な暴力は許せません」
「涼……それでいいのか」
「はい。だから今日はもういいから。さぁもう君は帰って」

 血がうっすら滲んだシャツを見つめて固まっていた少年は我に返り、とても後悔しているような思いつめた表情をしていた。

「……ごめんなさい」

 そしてぺこりとお辞儀をして逃げるように去って行った。
 
「ふぅ」

 遠のいていく足音にほっとした。無我夢中だったけど、Soilさんが間に入ってくれなかったらどうなっていたか……ぞっとして来た。

「涼、大丈夫なのか」
「かすり傷ですよ、こんなの」

 そう何とか笑みを浮かべて答えたのに、Soilさんは眉間に皺を寄せていた。

「見せてみろ」
「痛っ」

 シャツをまくられ腕の傷を確かめられると、やっぱり少し痛んだ。Soilさんは自分のハンカチを当てて止血してくれた。傷をじっと確かめると、シャツは見事に切れていたが皮膚の表面はうっすらかすった程度だったので、これなら血が止まれば大丈夫そうだ。

「来いよ。治療してやる」
「え? あっ……でも」
「騒ぎにしたくないんだろ、シャツも切れているし、そんな恰好で帰るわけにいかないだろう、さぁこっちだ」

 僕にSoilさんは自分のセーターを着せてくれて腕を掴まれて、駐車場へと連れて行かれた。

「あっあのSoilさん、何でさっきロッカーに? 」
「あぁ……あいつと廊下ですれ違った時に思いつめた顔していて、ただごとじゃないような気がしたんだ。それでロッカーにいた涼のことが気になったのだ。悪い一本電話していいか」
「そうだったのですね。あっどうぞ」

 Soilさんみたいな大先輩が、僕のこと心配し助けてくれたなんて信じられない。そういえばSoilさんは今日飲みに行くって言っていたのに、僕のせいでダメにしてしまったな。

「あぁ俺だ。悪い、ちょっとアクシデントあって後輩を家に連れて行くから、お前もあとからうちに来てくれ」

 ええっ! Soilさんの家に僕が行くのか。電話相手は誰だろう? Soilさんの友達? それとも恋人とか……なんだかお邪魔なんじゃないかと思うと居たたまれない気分になってくる。

「悪かったな、約束していた奴をすっぽかすわけにいかないから、後から来てもらうことにした。涼、俺の家に来いよ。治療して服も貸してやるから」
「あの……なんで僕なんかにそんなに親切に? 」
「さぁなんでだろうな。それよりなんでお前はそんなに一生懸命なんだ? まだ若いのに…普通モデルになったばかりで思いあがっていてもいい頃だ」

 言われたことの意味が一瞬分からなかった。でもすぐに洋兄さんの美しい顔を思い出した。

「僕はこの顔に恥じないように生きたい…それに気づいて欲しい人がいるから」

 思いがけず始めることになったモデルの仕事だが、決して浮ついた気持ちではない。僕と同じ年頃の時、いつも俯いて顔を隠していた洋兄さんのことを思うと切なくなるんだ。この胸が!

 僕が前を向いて顔をあげて真っすぐに歩くことによって、洋兄さんにもこれからはそうやって生きて行っていいということに気が付いて欲しい。

 自分勝手かもしれないが、洋兄さんにそっくりなこの容姿……隠さなくてもいい、顔をあげてもいい。そういうことを示してあげたかった。そのためにも僕は絶対に洋兄さんに恥じるような行動はしない!

 僕の答えにSoilさんは意外そうに呟いた。それは独り言のように小さな声だった。

「人のため? 人のためにそんなことが出来るのか。結局はみんな自分が可愛いだけじゃないのか」

 Soilさんから漏れた言葉は意外だった。

 モデルとしての実績も素晴らしいスタイルに容姿を持ったこんなに完璧そうな人にも、やはり悩みはあるのか。

 人は皆、何かを抱えて今を生きている。その見た目だけ表面上のことだけで、勝手にすべてを判断するのは早い。そのことに改めて気づかされた。


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