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発展編

花の行先 9

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「おにいちゃんとも、おたんじょうび会したいよ。ねぇパパいいでしょう?」
「もちろんだ」
「じゃあ今から夕食の支度をするか。瑞樹も手伝ってくれるか」
「あっはい」

 そうか……こうやって自然に時は戻るのか。

 まるで時計の針が巻き戻されるように、再び動き出すのか。

 宗吾さんと芽生くんと築き上げていく幸せは、泡のように消えないで、逃げて行かないのか。

 ずっと僕の中では幸せな時間とは、その瞬間にのみ存在し、通り過ぎてしまったら消えて、もう二度と戻らないと思っていたけれども……違った。

 その事に気付く事が出来て嬉しい。

 この温かい家庭の一員になれたことが嬉しい。

 玲子さんから受け継いだバトンのお陰で、自信を持って進んでいける事も、本当に嬉しい。

 僕は宗吾さんと前の奥さんとの関係をこじれさせたくなかった。それは芽生くんのためでもあり、僕のためでもあった。

 綺麗事、絵空事だと、人からは笑われてしまうかもしれない。それでも僕はいつだって、それを願ってしまう。

 今日は僕の心が弱くて、宗吾さんが前の奥さんと並んでいる姿を直視出来ないと思いケーキ屋では逃げてしまったが、もう大丈夫だ。

 玲子さんは、宗吾さんとの関係を完全に吹っ切っていた。
 宗吾さんも同じだった。

 そして……僕もブランコで吹っ切ってきた。

 そんな僕と玲子さんのバトンタッチの光景を、宗吾さんと芽生くんにしっかり見てもらえた。

 途中までは切なく苦しい気持ちで目を背けたくなる程に辛かったが、登り切った山頂からの景色は格別だった。

「瑞樹は……本当にすごいよ」
「えっ」
「あの玲子を、あそこまで丸く出来るなんて」
「いや、それは……違います。玲子さんご自身が変わったからですよ」
「ふっ相変わらず君は謙虚だな」
「いえ、本当の事です」
「人の気持ちを変えるのって大変なことだ。何だか瑞樹の今までの生きざまを評価されたようで、俺はすごく嬉しかった。瑞樹……今日はごめんな。さぁもう仕切りなおそう」
「……嬉しいです」
「夕食は何がいいか」
「んーそうですね。芽生くんは何が食べたい?」

 ハンバーグはなくなってしまっても、僕たちの幸せはここにちゃんと残っていた。もうそれだけで胸が一杯で、お腹も一杯になりそうだ。

「じゃあねぇ……えっと、おすし!」
「なるほど! 瑞樹はどうだ?」
「お寿司は大好きです」
「そうだよな」

 函館で生まれ育った僕の好物は、お寿司だ。

「よし、決まりだな。といっても今日はスペシャルにしたいから、出前でなく外に食べに行くか」
「え?」
「実家の近くに美味しい店があるんだ。そこはどうだ?」
「嬉しいです。あっそれなら、お母さんにも声をかけませんか」
「ん? いいのか」
「ぜひ! きっと芽生くんの誕生日に会いたいと思っていますよ」
「そうかな。瑞樹はいつも優しいな。俺はさっさと食事して、その後瑞樹をデザートに食べたいと思っているのに」

 耳元でまた甘い言葉を囁かれ、頬を火照らす羽目になる。

「そうだ、出かける前に、芽生くんに僕からのプレゼントを渡しても?」
「あの時買った『花の図鑑』だな」
「えぇ」
「ぜひ頼むよ」

 芽生くんに渡すと、目を輝かせてくれた。

「わぁ~おにいちゃんが朝つくってくれたお花も、さっきママに渡したお花もここにのってる! すごいすごい!」
「まだ難しいと思うけれども、まずは写真から眺めるといいよ」
「ボク、キレイなお花がダイスキだからうれしいよ」

 ゲームを投げ出して、花の図鑑に見入る様子にホッとした。

 気に入ってもらえてよかった。


****

 宗吾さんのお母さんとはすぐに連絡がつき、お寿司屋さんに誘うと喜んでもらえた。

 芽生くんはおばあちゃんっ子でもあるので、会った途端に飛びつき、思慕の心をストレートに伝えていた。

「おばーちゃん、だいすき!」

 無邪気で素直な言葉に、お母さんも擽ったそうに笑い、すぐ横で僕も頭を下げて挨拶をした。

「瑞樹くんこんばんは。函館旅行は楽しかったわね」
「はい、ご一緒出来て嬉しかったです」
「あら、あなた……」
「え?」

 ジッとそのまま顔を見つめられた。なんだろう……何か顔についている?

「もしかして、今日また泣いた?」
「あっ……ハイ……」
「やっぱりね。その顔は……あの時と似ているわね」
「えっ」

 あの時とは……きっと以前、玲子さんにコーヒーをかけられた時だろう。辛くても泣くに泣けないで切羽詰まっていた時に、お母さんに救ってもらった。

「宗吾、もしかして今日……家に玲子さんが来たの?」
「わっ母さんは鋭いな」
「まぁあの人にとっては息子の誕生日であるし、女の勘は鋭いのよ」
「参ったな」
「宗吾……可愛い瑞樹くんを、もう泣かせては駄目よ」
「あぁ俺の気が回らなくて、哀しい思いをさせてしまった」
「宗吾は素直に認められるようになったのね」
「あいつさ、最後に瑞樹にバトンタッチしていったよ。らしいよな」
「まぁ……そうなのね」

 二人が僕の心配をしてくれているのが、心に染みた。

「宗吾さんのせいではありません。僕が弱くて。もっと強くなりたいです」
「それは違うのよ。瑞樹くんは無理して強くならなくていいのよ」

 あっ、また見透かされてしまった。

「『柳に雪折れ無し』という諺を知っているでしょう」
「はい」
「柔らかくしなやかなものは、意外にも堅いものより丈夫なのよ、瑞樹くんは物事を柔軟に受け止めていけばいいの。だから無理に強がったり、強くなろうとしないで。泣きたい時は泣いて……ずっと縛っていた心をもう解放してね」

 宗吾さんのお母さんの言葉は、年の功なのか。

 いつだって深い所まで降りて来て、悩める僕を救い出してくれる。


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