夕凪の空 京の香り

志生帆 海

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第五章

彷徨う人 9

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大鷹屋での大展示会は大盛況、夕凪の渾身の作品の披露も大好評で、実に気分がいい。

 今宵は美しく着飾った夕凪と一緒にいたいと思った。

 このまま彼を宇治にすぐに戻したくなくて祇園の行きつけの料亭で飲む約束を交わした。後片付けがあったので、先に信二郎と共に料亭へ行ってもらった。

 俺は従業員に急いで指示を出してから、少し遅れて料亭に向かう。

 ふぅ……少し遅くなってしまったな。

 美しい女装姿の夕凪と早く合流したくて、気が急いてしまう。

 それにしても休日の表通りは人が多くて歩きにくいな。

 裏道にするか。

 そう思い……道を変えたことを後悔した。

 そこでバッタリと……一番会いたくない奴にあった。

「親父っ……」

「なんだ律矢じゃないか。へぇ私を追い出していい身分だな、こんな所で会うなんて」

「……そういうあなたこそ、また男遊びですか」

 ちょうどこの先には、男娼がいることで有名な遊郭がある。

「くくくっ……いやいや、今宵の魚は新鮮だよ、はーははっ。さぁ私は急いでいるんだ。どけ!」

 ゾクっとした。

 血を分けた親ながら、相変わらず気色悪い。

 女癖も酷いが、もっと悪いのは男癖。

 夕凪……君がこの男の毒刃に倒れなくて良かった。

 本当に……危なかった。

 俺も夕凪の躰を最初は無理矢理に奪ってしまったので人の事は言えないが……親父の性の捌け口に……餌食にならなくて本当に良かった。

 もしもあの日、俺が先に抱かなければ、夕凪はあのまま親父に身を委ねることになっていたと聞いた。抱かれる前に……身を清めるために入浴していたと聞いた。

 きっと散々……親父に躰だけを弄ばれ、心の尊厳を踏みにじられ……捨てられただろう。

 俺の夕凪が親父に組み敷かれる……哀れな姿を想像すると背筋が凍る。

 しかしあいつは相変わらず男癖が悪いのか。

 今宵もまた男娼の館に行くのか。

 蔑むような視線で親父を行方を追うと、当然そこに入って行くと思ったのに遊郭を素通りしてしまった。

 一体どこに?

 そこでなく何処へ行くつもりだ。

 気になって、そっと後をつけた。

 すると『胡蝶』という料亭にいそいそと身分の低そうな男と入っていった。

 なんだ?

 胡蝶といえば……全室離れのような個室が連なる料亭だ。

 何かとてつもなく嫌な予感がするが、親父のことはここまでにしよう。

 あいつがどこで何をしようが、もう大鷹屋から追放した身だ。

 俺には関係ない。

 手切れ金を食い潰して、早くくたばってしまえと思った。


****

 布団……何故こんな場所に布団が敷いてあるのか分からない。

 分からないが、心臓が潰されるように苦しかった。

 あぁ僕の目は……どうしてこんな時に役に立たないのか。

 僕はとんでもない失敗を犯したのでは。

 信じてはいけない人を信じてしまったのでは。

 逃げよう……何とかしてここから脱出しよう。

 見えない目で……必死に壁を辿り出口を探す。

 何度も壁や柱にぶつかりながら、出口を求めて部屋を彷徨い歩いた。

 ここだと思い、襖を開いてもその先にあるのはまた部屋だった。

 やっと出口を見つけたと思ったところで、僕の手をあの介助の男がぬっと掴んだ。

「ひっ」
 
「おおっと!旦那さまどこへ行くつもりですか。厠ですかね?案内しますよ」

「結構だ!それより僕は帰る。もう帰るから早く車を呼んでくれ」

「何言ってるんですか?せっかく大鷹屋さんを連れてきたのに」

「嘘だ!律矢さんはここにいない」

「何を言うんだ?私も大鷹屋のものだよ」

「だっ誰?」

 第三者の声がしたので、驚愕した。

 律矢さんよりもっと年配の、酒臭い息遣い、ねちっこい喋り方にぞっとする。

「君は一体誰を連れてきたんだ?僕は……信じていたのに!」

「旦那さん悪く思わないでくださいよ。この方は前の大鷹屋の旦那さまですよ。話ならこのお方でもいいと思いましてね」

「そんな……」

 絶句した。
 
 驚いて固まっている隙をとられ、僕はいきなりさっき見つけてしまった布団に勢いよく押し倒された。

「やめてくれ!何をするつもりだ!」

「ほぉ初心だねぇ。しかしえらい別嬪さんだな。清廉潔白そうな顔にそそられるよ。どれ関東の男の味をみてやろう」

「やめっ!」

 行き成り仰向けにされた躰に巨体がのしかかってきて、圧死しそうになった。

 とにかく逃げたい一心で闇雲に手を振り回して抵抗した。

「おい!お前、抵抗できないように手を縛れ。そして口には猿轡を!」

「うっ──、ううっ」

 両腕を無理やり上にあげられ手首を一つにまとめて、結わかれてしまった。

 口には手ぬぐいを捩ったものを回される。

「や……」

 すごい勢いで……抵抗なんてする間もなく、僕の躰は縛り上げられしまう。

「ほぅ……いいね。実に旨そうな光景だな。涎が出るよ」

 ぽたっと頬に振って来たのは、男の欲望の汁だった。

 気持ち悪くて吐き気が込み上げる。

「よし、しっかり押さえつけておけよ!」

 帯を解かれて……裾を割られ、ざらついた厚ぼったい手で乱暴に太ももを撫で上げられた。

「うっ──うぅ」

 僕に触れるな!

 僕に触れてもいいのは流水だけだ!

 双眸から屈辱の涙が伝い降りていく。

 頬を走る涙をざらついた下でベロリと掬い取られて、喉が詰まる。

 (嫌だ!嫌だ!嫌だーーー!!!!)

 どんなに叫んでも……声にはならない悲鳴しか出てこない。

 こんなはずじゃ。

 こんなつもりでは……

 流水!!

 どこだ?

 どこにいる?

 僕を助けてくれ!

 こんな奴に汚されたくないよ……

 お前との情痕が消えてしまうじゃないか。

 お前が唯一残してくれたものが……

 なくなってしまう!!!
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