夕凪の空 京の香り

志生帆 海

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第五章

彷徨う人 10

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「夕凪待たせたな」

 夕凪と信二郎が待つ料亭の個室に入ると、夕凪が何故か信二郎の胸に抱かれてぐったりしていた。
 
 はぁ?全く……何しているのだか。

 俺の到着前に抜け駆けでいちゃついていたのかと呆れてしまったが、そうではないようだ。
 
 夕凪の表情は見えないが、信二郎は酷く深刻な表情を浮かべていた。

「どうしたんだ?」

 俺の問いに信二郎が答える。

「それが……ここまでの道すがらに、お前の父親に会ってしまってな」

 なんと!まさか夕凪達まで、あいつとすれ違っていたのか。

 さっきの父親の気色悪い笑みを思い出し、ぞっとした。あれが血の繋がった父だなんて最低だ。

「まさか夕凪だと見破られたわけじゃないよな」

「あぁそれは大丈夫のようだった。遠目だったし……普通の男女を見るような目つきだった。だが……夕凪が当時のことを思い出し傷心してしまってな」

「そうか……夕凪、大丈夫だ。あいつには指一本触れさせないから、さぁ俺の元へおいで」

「……律矢さん」

 女装姿のままの艶やかな夕凪のことを、今度は俺が優しく抱きしめてやる。信二郎も俺の気持ちを理解しているようで、素直に渡してくれた。

 俺は親父と血がつながっているが、全く違う人格であることを分からせるためにも、俺自身がそうしたかった。

 夕凪も俺に躊躇うことなくしがみついてくれる。

「律矢さん……律矢さんで良かった。あの日、あの人にいいようにされなくて……でもどうしてこんなに不安なのか。さっきから頭の中に悲鳴が鳴り響いていて、嫌な予感しかしない。俺……どこか変だ」

 夕凪はその端正な顔を歪ませガタガタと震え出してしまう。

 一体どうしたのだ?

「よせ、もう過去は思い出すな」

 もしや、かつて軍人に二人がかりで凌辱されてしまったことを思い出したのか。

「怖い!あっ……嫌だ!誰か助けて!」

 手を空に必死に彷徨わせる。

 助けを求めているのが手に取るようにわかる。

 君があの日どんなに助けを求めても……誰も来てくれなかったことを知っているから、その仕草に胸が痛んで仕方がない

 双眸から溢れる涙が切なく苦しい。

「くそっ、おいっ!しっかりしろ……」
 
 次の拍子に、夕凪はどこかぼんやりと空を見つめた。

「流水さん……何で……どうして今頃?」

 夕凪が指さす方向を見るが、そこには誰もいない。

「どうした?夕凪しっかりしろ!そっちには誰もいないぞ」

「いえ……います!あそこに流水さんが……早く助けてやって欲しいと訴えているんです」

「助けるって、一体誰を?」

 それは幻覚だ!

 流水さんがここに来れるはずはない。

 あの人は夕凪に見守られるようにして、確かに身罷ったのだから。

 亡骸は、俺たちも確認した。

 墓だって宇治の山荘に建立した。

 なのに……これは一体何の騒ぎなんだ?

 嫌な胸騒ぎは、俺にも連鎖してしまう!

「まさか湖翠さんに何か……」

 夕凪の声にはっとする。

 亡くなった流水さんには、とても大切に敬っていた人がいた。

 実の兄である湖翠さんという男性の姿が、まざまざと脳裏に浮かんだ。

 彼は凛と研ぎ澄まされた澄み渡った美しい容貌をしていた。

 最期までその人に知らせるなと意地を張っていた流水さんの言葉の意味に、今になって気が付いてしまった。

 彼らは愛し合っていたのか。

 結ばれない恋をしていたのか。

 その流水さんが黄泉の国から訴えてくる程の危機が起きているのだ。

 さっきの親父の卑猥な笑みと言葉……まさか!!

 (くくくっ……いやいや、今宵の魚は新鮮だよ、はーははっ。さぁ私は急いでいるんだ。どけ!)

 「まさか!湖翠さんが京都に来ているのでは……」

 夕凪の声がますます震える。

 その言葉と同時に、俺は部屋を飛び出してた。

「夕凪と信二郎もすぐに『胡蝶』という料亭の来てくれ!大鷹屋といえば通してくれる部屋がある!」

 まさか!親父は今日は男狩りをするような目つきをしていた。

 湖翠さんとどこかで知り合って、彼を手籠めにするつもりだ!

 湖翠さんの洗練された美しさ、穢れない姿が格好の餌食だろう!

 急げ!

 流水さんが現れるなんてよっぽどだ。

 彼に危機が迫っている!


****

 猿轡をされ手首を結わかれ、布団に投げ出された躰。

 すでに着物はほとんど意味をなさないほどに、乱されていた。

 さっきからずっと躰中を舐められている。

「あぁ美味しい、君は絹のような肌をしているな。それになんともいえない、よい香を焚いているのか、風情がある男よのぉ。関東の男とは格別だ」

 ぴちゃっ、べちゃっ……

 なんて……なんておぞましい感触なんだ。

 ナメクジが這いまわるような生温かな唾液が、自分の躰から糸を引いているのが分かる。

「くっ……」

 抵抗したいのに二人がかりで身体を押さえつけられ、全く動けない。

 夕凪っ……

 涙に滲む暗黒の世界の向こうに、ふと色艶やかな振袖を着る夕凪の姿を見たような気がした。

 心配そうに俺を見ている。

 君もかつてこんなにも男としての自尊心を根こそぎ剥ぎ取られる……惨めな目に逢ったのか。

 僕はまだまだだった。

 夕凪の苦しみを本当には理解していなかったことを、思い知らされた。

 死んでしまいたいほどの屈辱に塗れ、声もろくに出せず……

 流水をどんなに呼んでも……誰も助けに来てはくれない。

 こんな場所で僕がこんな目に逢っているなんて知るはずもない。

 すべてはこのまま進んでしまうのか……
 
 それだけは嫌だ!

「そろそろいただこうかねぇ、君の純潔を」

 指があらぬところに触れた。

 ビクッと身体を逸らせて抵抗した。

 そこには触れるな!

 そこは……そこは流水と唯一……情を交わした大切な秘所だ!


 
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