忍ぶれど… 兄は俺の光――息が届くほど近くにいるのに、けっして触れてはならぬ想い人

志生帆 海

文字の大きさ
106 / 236
色は匂へど……

我慢の日々 10

しおりを挟む
「お待たせしました。張矢 翠さんの検査結果ですが」
「先生、兄の目の具合は実際のところ、どうなんですか」
「先月に比べたら、ずっと良くなっています。視力回復の兆しをデーター上でも捉えることが出来ましたよ」
「では間もなく見えるようになるのですか!」

 弾んだ声で前のめりで聞くと、渋い顔をされた。

「……残念ながら分かりません。お兄さんの視力低下は精神的なものから来ているので、何とも」
「……そうですか」
「でもこの調子なら可能性は強いですよ。引き続き、穏やかで安心安全な生活を心がけて下さい」
「……必ず守ります」

 定期的に通っている大学病院の眼科の診断結果に、心がざわついた。

 兄さんの目が見えるようになるのは喜ばしいが、そうなったら、この密な関係が終わってしまう。それが寂しいと思うとは、俺はなんて酷い考えを抱いているのか。

 待合室に戻ると、兄さんは窓辺のソファに腰掛けて外をじっと眺めていた。

「兄さん、待たせたな」
「流っ」
 
 兄さんは俺の声に嬉しそうに反応してくれる。

 もう顔や体についた打撲痕も消え、あとは腕のギブスが取れるのを待つだけだ。やつれてかさついていた兄さんの美しい肌や髪には張りが戻り、太陽の光を浴びてつやつやと輝いていた。

 俺の翠は、今日も綺麗だ。
 心の中でそっと呟いた。

「検査の結果はどうだった?」
「あぁ……だいぶいいそうだよ」
「やっぱり? 実は僕もそう思っていたんだ」
「何故そう思える?」
「うん……最近、光をしっかり感じられるようになったし、実は昨日からは、流……お前の輪郭をぼんやりとだけど捉えられるようになったんだ」
「……そうか、そうだったのか」

 そんなに進捗していたとは驚いた。

 兄さんは目をじっと見開き、真っすぐに俺を見つめてくれた。の視線は強く、まるでもう見えているかのようだった。

「兄さん、どうした?」
「早くお前の顔が見たいよ。もう随分長い間、ちゃんと見ていないから」

 その言葉に胸が詰まる。

 ここ数年、兄さんの視界から俺が消えていたのは事実だ。

 待ち遠しく、じれったいような視線で、俺を見上げる兄さんをこの手で抱きしめたい。

 こんなにもすぐ傍にいるのに触れられないもどかしさを、今日もひしひしと感じている。

****

 流が見えそうで見えないもどかしさ。

 分かってくれるか。

 先月、僕は夜の新宿で交通事故に遭いそうになった。

 深夜の遅い時間にかなり酔った状態で、最初は歩道を走っていたそうだが、突然車道に紛れ込んで、危うく車に跳ねられそうになった。

 車に跳ねられることは回避できたが、倒れた時の打ちどころが悪かった。

 目撃者の情報によると、僕がひどく焦った様子で誰かから逃げているようだったと……その結果、全身打撲と腕の複雑骨折、視力を失っていた。

 頭も酷く打ったようで意識不明の状態だったが、幸い後遺症もなかった。

 死んでしまうところだった。

 ただ失った視力に関しては誰にも話していなかったが、事故の前から徐々に衰えていた。

 あの日、医師が僕にこう言った。

「あなたの視力低下は精神的なものからです。今度ショックなことがあったら完全に失ってしまう可能性が高いので、心穏やかに過ごすように」

 突然の離婚を切り出され自暴自棄になって部屋に閉じこもっていた所までは思い出せるのに……その先のことを思い出そうとすると、トンカチで頭を叩かれるように酷い頭痛に苛まれてしまう。

 どうして僕が深夜の新宿に?

 事故現場は飲み屋街でラブホテルが建ち並ぶ、滅多に近づかない場所だ。

 記憶がないというのは怖い。

 その記憶の中に、とんでもないことが潜んでいそうで……

「兄さん、着いたぞ」
「あっ、もう?」
「ん? 顔色悪いな? 車に酔ったのか」
「大丈夫だよ」
「駄目だ。ふらついているだろう。ほら」
「あっ」
「いいから! 階段から落ちたらどうするんだ?」
「だが……」

 流は僕を軽々と横抱きにしてしまうので、僕は落ちないように流の首に手を回すしかなかった。

 あぁ……駄目だ。

 今の僕はこんな風に流に心配ばかりかけてしまう。

 だが流の声はどこまでも甘く優しい。

 この数年ろくに口を聞いてくれなかった流が、いつも傍にいて手取り足取り世話をしてくれる。

 流の顔を早く見たいという気持ちとは裏腹に、このまま見えなかったら、流はずっと傍にこうやって僕に付き添ってくれるのかと問いたくなってしまう。

 生死を彷徨っている間、ずっと流を呼んでいた。

 暗闇の中で光る希望は、ただ、ただ……流だけだった。



                   『我慢の日々』 了
 

この時期の二人をイメージしたSS名刺です。

しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

俺がこんなにモテるのはおかしいだろ!? 〜魔法と弟を愛でたいだけなのに、なぜそんなに執着してくるんだ!!!〜

小屋瀬
BL
「兄さんは僕に守られてればいい。ずっと、僕の側にいたらいい。」 魔法高等学校入学式。自覚ありのブラコン、レイ−クレシスは、今日入学してくる大好きな弟との再会に心を踊らせていた。“これからは毎日弟を愛でながら、大好きな魔法制作に明け暮れる日々を過ごせる”そう思っていたレイに待ち受けていたのは、波乱万丈な毎日で――― 義弟からの激しい束縛、王子からの謎の執着、親友からの重い愛⋯俺はただ、普通に過ごしたいだけなのにーーー!!!

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学時代後輩から逃げたのに、大人になって再会するなんて!?

灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。 オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。 ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー 獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。 そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。 だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。 話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。 そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。 みたいな、大学篇と、その後の社会人編。 BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!! ※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました! ※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました! 旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」

平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)

優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。 本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。

相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】 人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。 その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。 完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。 ところがある日。 篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。 「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」 一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。 いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。 合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)

イケメン後輩のスマホを拾ったらロック画が俺でした

天埜鳩愛
BL
☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです! 元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。 持ち主は、顔面国宝の一年生。 なんで俺の写真? なんでロック画? 問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。 頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ! ☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。

平凡ハイスペックのマイペース少年!〜王道学園風〜

ミクリ21
BL
竜城 梓という平凡な見た目のハイスペック高校生の話です。 王道学園物が元ネタで、とにかくコメディに走る物語を心掛けています! ※作者の遊び心を詰め込んだ作品になります。 ※現在連載中止中で、途中までしかないです。

今日もBL営業カフェで働いています!?

卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ ※ 不定期更新です。

処理中です...