【第1部完結】 エモパレ ―感情が見えるぽっちゃりな私が、オジさま副局長を無自覚なまま搦め捕るまで―

久乃亜

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第1章

第12話 第二調査局副局長『ヴァルグレイ・ゼオファルド』

 大きな衝撃音が響く。

 店のドアが破壊され、吹っ飛ばされた異形の男が、2度3度と地面を打ち、転がっていく。
 店内から聞こえる黄色い歓声。
 そして、あたりに静けさが立ち戻る。

 風に飛ばされ、焼け焦げたリボンケープが地面を滑っていく。

 いつから存在していたのか……建物の影から姿を現したのは、長身痩躯の壮年の男。
 ブルーを基調に黒を差したパリっとした制服と、黒いコートを紳士然と着こなしている。

 男は、焦げたケープをふと拾い上げ、それをじっと観察するようなそぶりを見せた後、そっとポケットに仕舞った。

 後ろから現れたもう一人の軽薄そうな若い男が、うんざりとした表情で問う。

「そろそろっスか?」

 壮年の男は答えない。
 なぜなら、すでにその姿は見当たらなかったからだ。

 軽薄そうな男は、転がった異形の男に視線を切った。
 ……無い。

 壮年の男と同じ、ブルーの制服に身を包んだ軽薄そうな男は、慌てて店内へと足を急いだ。


―――――――


「……君、妹さんか。 彼女を休ませられる場所があれば、教えてほしい」

 低く落ち着いた声が響く。

 驚いて、口に手を当てたまま固まっていたシャリエナが慌てて返事を返す。

「あ、はい。 えっとぉ……じゃあ、ここで!」

 指差したのは、いつもシャリエナが座っている定位置のカウンター裏の丸椅子。
 居心地をよくするんだと、自身で拵えた可愛らしいクッションが見える。

「…………」

 眼帯の灰銀の紳士は、何も語らず、あたしを抱きかかえたままそこへ向かう。
 滑るようにスッと移動する彼の足音は、殆ど音がしなかった。

 あんまり言いたくないけど、あたしは随分と人より重……は、運びづらい、はず。
 なのにまるで羽毛の毛布を抱えるがごとく、とても安定している。
 人を抱えていると感じさせない足取り。

 安定していて……とても、安心した。

「……座れるか?」

 なんとなく雰囲気から感じる紳士の生真面目さ。
 その彼から漏れる気遣いの言葉。

 黙って従い、ゆっくりと椅子に下ろされる。

 灰銀の紳士の腕が離れる。
 ゆっくりと熱が引いていく。

 その温もりが惜しくて、切なくて、思わず「ぁっ……」と小さな甘い吐息がこぼれた。

 紳士の腕が一瞬止まった気がした。

 ――なんて声を出しているの、あたしは。

 耳が熱くなる。
 瞼を閉じて、唇を噛みしめた。

 ふと、露わになった肩に夜気が触れ、無意識に小さく身震いする。

 そういえば、ケープ、燃やしちゃったんだっけ……

 なんだろう……
 むき出しの肩と、鎖骨下のふくらみが、いつもよりずっと恥ずかしい……

 風に晒された素肌を抱き寄せるように腕を回す。
 肌寒いはずなのに、頬が熱い。

 その瞬間、背にふわりと重みが降る。

 見上げれば、琥珀色の瞳と、彼のコート。

 あっ……
 これ知ってる。 アンバー系の香り。
 コートから漂う、人の匂いと軽い香水のような香り。

 それを嗅いでいると、落ち着くと同時になぜだか涙が滲んだ。

 まるで宝物に包まれたような幸福感。

 (あたし……どうしちゃったの……)

 まるで自分が自分でないような……

 気恥ずかしさを感じ、ぎゅっとコートを肌に寄せる。
 あったかい。

 薄い……けど、とても上質な生地。
 その感触を二の腕で楽しんでいると、ふと急に思い出す。

 ……そうだ、あたし、生きてる。

 その瞬間、生まれて初めてかっていうくらい、大きな大きな粒の涙が零れ落ちる。

 ポロポロポロポロ、止めどなく。


 また、泣いちゃった……
 今日、何度目さ、泣き虫ハルネ……

 ――でも、でも、良かった! 生きてたっ!

 前世の死はもう覚えてない。
 けれど、やっぱり死ぬのは怖かった。

 ほんとにほんとに怖かった。

 何も成せずに死ぬのはイヤ。

 お店でもっともっと色んな事試したい。

 新しく出来たご飯屋さんにも行きたい。

 シャリエナともっとお菓子作りたい!

 異性に愛されて……愛したい!


 良かったっ……!
 失わなかったんだっ……!!


 コートのぬくもりが「もう大丈夫だよ」って安堵の言葉をくれる。
 淡い香水の匂いが「守ってあげるよ」と安心の囁きをくれる。

 胸の奥が痛い。
 喉の奥が詰まる。

「…………っ!」

 声が……出てこない。

 はたはたと、止めどなく涙粒を落とすあたしは、せめて紳士に感謝を伝えねばと、彼へと顔を向けた。

 眼帯の灰銀のオジさまは、とても困った顔をしていた。
 口をちょっとへの字にして、眉をちょっとひそめて、なんだか悪さをした子供のように見えた。

 どうしてだろう、胸がいっぱいで、涙で滲んでるのに、オジさまの表情が良く見える。

 灰銀のオジさまは、後ろを向いてその場を去る……
 ……と、思いきや、何かを逡巡して、またこちらを向いた。

 膝を曲げ、あたしの目線に視線を合わせ、懐から品の良いハンカチを取り出すと、ポロポロと止まらないあたしの涙を、そっと拭ってくれた。

 コートを握る手にぎゅっと力が入る。
 けれどあたしは成されるがまま。

 ハンカチが涙に触れるたび、胸がトクンと虹色に跳ねる。

 オジさまは決してあたしの肌に触れないように、まるで真綿を包むように、繊細に雫を拭う。

 ふふ……なんだか、触れられていないのに、触れられているみたい。

 そして、綺麗な、瞳、琥珀色の、今まで見た、どんな色よりも…………

 聞こえるのはあたしの微かな吐息。
 それから、やけにうるさい心臓の音。

 それらが些末に思えるほど、幸せが心に満ちていく。

 オジさまに涙を拭われるがまま、その時だけは、普段の悪辣な劣等感も鳴りを潜め、ただただココロを満たされながら、じっとオジさまの瞳と、眼帯の模様を見つめていた。
 

 ……その幸福感を切り裂いたのは我が妹。

「ちょっとそこのステキなオジさまっ! わたしのお姉ちゃんを何泣かしてくれてんのよさ!」

 シャリエナ……あたしの口調が移ってるよ。


―――――――


 やっぱり……気になる。

 あたしはすっかりヴァルグレイ捜査官……こと、オジさまから目が離せないでいた。

 肩口にハンカチを押し当てながら、ぼーっとオジさまを見る。

 ――夢、みたいだった。

 心はまだ少し夢心地。
 地に足が着いてなくて力も入らない。

 あんなにどきどきして、でも穏やかな幸福を感じられる時間、初めてだった。

 無意識に「ほぅ……」と、自分とは思えない艶っぽい吐息が漏れ、自分の声に驚いた。

 ちなみにシャリエナは、まるであたしを守るかのように、正面で仁王立ちしている。

 二人の捜査官は、外の野次馬と衛兵の人との対応に向かった。

 あれだけ騒いだんだ。
 あたしだってまだ、生きてる実感がふわふわしてる。

 そういえばヒョロキモはどうしたんだろう?

 店内を見渡すと、隅にぶっ倒れているヒョロキモ。
 そしてその傍にいつの間にか戻ってきた捜査官が二人。
 ちょうど会話が聞こえてきた。

「……どうだ、レルガ? 生きては、いるか?」
「ギリギリっスね。 もう虫の息。 隊長の拳を食らって生きてるなんてなかなかしぶといッスね、こいつ。 意識も無いんで、このまま病院送りにしてもらいやしょう」
「……隊長はやめろ、と、言ったはずだが?」

 「わたし達があんなに苦労したのに……」とシャリエナが呟く。

 レルガ、と呼ばれた軽薄そうな捜査官……

――ほんの一瞬だけ、恐れのベルベットブルーの感情色が視えた。

 よほどヴァルグレイ捜査官がおっかないらしい。

 さきほどの自己紹介のやりとりを思い出す。


―――――――


――数分前。

「ちょっとそこのステキなオジさまっ!! わたしのお姉ちゃんを何泣かしてくれてんのよさ!」

 シャリエナの威勢に負けたのかは分からないが、あたしの前にいた灰銀の紳士のオジさまは、手を止め、一歩下がった。

 その隙にシャリエナが鼻息荒く、あたしとオジさまの間に割って入る。

 オジさまは、手を胸に置き、お辞儀のように軽く頭を下げる。

「……申し遅れた。 私は、軍務省第二調査局の副局長をさせてもらっている、ヴァルグレイ・ゼオファルド、と言う」

 見た事ある。
 軍の敬礼だ。

 第二調査局……オジさまの身を包む、青を基調に黒を差した格調高そうな制服。

 ブルーに記憶がある。
 以前どこかで見た軍の人の制服。
 あれは調査局のものだったんだ。

 オジさまを改めて観察する。

 ずいぶん背が高い。
 ギルド長と同じかそれ以上?

 灰銀(アッシュグレー)の髪色、サイドを後ろに撫でつけたように流して、前は無造作に下ろしている。
 一見すると無精にも思えるけど、雰囲気、佇まいがそうさせるのかすごく上品。

 琥珀色の綺麗な瞳。
 左目は紋様の刻まれた黒い眼帯をしている。

 シックな制服をパリっと着こなし、白い手袋がより清潔感を感じさせる。

 とっても整ったお顔だけど、皺の具合から、多分40~50歳?
 あ、目元にクマ。 ちょっとお疲れみたい。

「……君は、妹のシャリエナ・サフラン、かね? そちらにいるのが姉の、ハルネ……ハルネ・サフラン。 間違いないかね?」
「はい……」
「そうですっ! わたしたちに何か用ですか!」

 シャリエナ、意気込みが空回りしてるよ……

「……店主の、アイリス・サフランは在宅かね? 店の事を聞きたくて伺った沙汰だ」
「お母さんは……まだ帰っていません。 今日も遅くなると思います」

 この時間に帰ってこないって事は、飲みのコースだ。
 帰宅は深夜か、ヘタすると朝帰り。

「お店の事なら、わたしとお姉ちゃんで回してますので! わたしに聞いてください!」
「あ、シャリエナ、いいよ。 あたしが……」

 と、立ち上がろうとすると、肩口にズキっと痛みが走り、バランスを崩す。

「……っつ!」
「お姉ちゃん!」
「…………ケガを、しているのかね?」

 ツカツカと近づき、グッと顔を寄せてくる。
 くぅっ……このオジさま、顔が良くて……

「見せてみなさい」

 有無を言わさぬ威圧的な態度。

 しかし、コートをふわっと触る手付きはとても優しい。

 しかし、コートをガバっと躊躇なく開ける仕草は厳しい。

「…………」
「うわっ、お姉ちゃん、すごい痣痕になってるよ」

 二人して覗き込まれるととても恥ずい。

 頬が、耳が、熱くなる。
 うぅ、男の人に……オジさまに、見られてる……

「何か虫みたい! クモみたいな痕だよ、お姉ちゃん!」

 気持ち悪いからほんとやめて。
 冷や水をかけてくれてありがとうシャリエナ。

 オジさまは懐から小さな白銀色の瓶を取り出すと、中身をハンカチに浸す。
 そのままあたしの肩口にハンカチを当てる。

「……そのまま薬液に付けるように押さえていなさい」

 すごい。

 とても即効性のあるポーションのようで、どんどん痛みが引いていく。
 どんな調合なんだろう?
 ちょっと興味ある。

「あーーー! それ、緊急時用のヒールポーションじゃないスかっ! プラチナ級の!」

 そう叫んだのは、今しがたお店の入り口に来たと思しき、軽薄そうな男。
 オジさまと同じブルーの、調査局の制服を着ている。

「……痕が残っては可哀想だろう」
「緊急用ッスよ! 特別支給品ッスよ! ……まぁ、隊長がそれを必要とする場面なんて想像できやせんけどね」
「……隊長は止めろと言ったはずだ、レルガ」
「へいへい、ゼオファルド卿」

 軽薄そうな男の人は見た目を裏切らず、軽薄な人だったようだ。

「おっ、申し遅れましたお嬢さん方。 レルガ・ディンベルっス。 第二調査局で下っ端やらしてもらってやす」

 腰が低そうに名乗ってくれたレルガさん。

 茶髪でちょっとタレ目で柔らかい顔立ち。
 人当りも良さそうで女の子にモテそう。

 調査局って確かお貴族様しかなれないって聞いてたけど、この人からはそんな高貴な感じは見受けられない。

 男性にしては背が低めかな、と一瞬思ったけれど、比較したオジさまが大きいだけだった。

「調達部から怒られますよ~? プラチナ級なんて調査局に入って初めて見やしたからね、オレ」
「……どうせ書類を通すのは私だ。 構わん」
「職権乱……」
「何か言ったか?」
「いえいえ! ゼオファルド卿の判断に間違いはありやせん!」

 レルガさんって人から――一瞬だけ恐怖のダークブルーの感情色が乗る。
 オジさまってよっぽどおっかないんだ。
 なんだかおかしい、ふふ……ん?

 ――そこで気付いた。

「レルガさんは貴族の人じゃないの? なんだか気安い感じだね?」

 ふと湧いたあたしの疑念は、シャリエナのほんわかした疑問で霧散した。

「ええ、そうなんスよ。 え~っと……こちらは?」
「……妹のシャリエナ・サフランさんだ」
「おお! 噂に違わずカワイイッスね! オレが花でも持ってたら思わずプレゼントしちまうくらいチャーミングッス!」
「ありがと。 お兄さんもかっこいいよ」

 さすエナ。
 褒められ慣れてる。 全っ然動じてない。
 あたしがもしもカワイイなんて、オジさまに言われたら……
 うぐぐ、また死んじゃうかも……

「あはは! 手強いッスね! えーと、そうそう、オレは調査局でも変わり種でね。 平民上がりなんスよ。 あ、ちなみにゼオファルド卿は騎士爵様ッス」
「……レルガ、あまり余計な事は言うな」

 憮然と静止するオジさまだけど、そんなに本気ではないみたい。

 騎士爵かぁ、お貴族様だぁ。
 でもオジさまには、すっごく似合う。

「……で、どうした。 貴様がこちらに来たという事は障りがあったか」
「ええ、そうなんッス。 衛兵の方がね、どうやらちょっとお偉いさんだったみたいで、オレなんかの言う事じゃ聞きそうに無くて、ここはひとつゼオファルド卿に一喝を、と」
「……分かった。 ……すまないが、外の様子を見てくるので、少しお待ちいただけるか?」
「あ、はい。 じゃあワタシはお姉ちゃんのケガを見てます」
「……我々が戻ってくる頃には、治っているハズだ。 では、失礼」

 そう言ってオジさまはレルガさんという人と二人、店の外へ出て行った。

 調査局の制服の背中の十字架の意匠に「かっこいいな……」と呟きつつ、
 ハンカチを握る手と、泣き腫らした目を意識した。


―――――――


「……すまない、待たせたな」

 ヒョロキモの様子を見て戻ってきた、オジさまとレルガさん。

 オジさまの言った通り、肩のケガは痛みどころか痕すら無くなっていた。

 うーん、すっごい効き目。

 レシピ教えてくれないかな?と思ったが、プラチナ級の特別品とか言ってたから多分ムリだ。

「で、何ですか? ワタシ達のお店に、何の用なんですか?」

 敵意丸出しで再び正面に立つシャリエナ。
 これこれ、そんなに敵意と怒りの感情色を出すんじゃない。

 とはいえ、助けてもらった身といえど、あたしも完全に警戒を解いているワケじゃない。

 なぜなら……

「いや、実はそんな大した話じゃないんスよ。 南街では茶類、薬類を扱ってるのがここサフラン香房だけって話を聞きやしてね」

 そう語り始めたのはレルガさん。
 オジさまは後方で腕組みしている。

「……『ノクセラ草』って知ってやスか?」
「有りますよ。 今は在庫切らしちゃってますけど」
「あ、やっぱそうなんスね」

 急にレルガさんの感情色が変わる。
 これは……むむ、どんな色?

――黄系……いや暗い、あんまり見た事無い色だ。

「聞きたいのは3つっス。 そのノクセラ草、
 『誰が買っていくのか?』、
 『どこで仕入れているのか?』、そして
 『どんな使い方をしているのか?』ッス」
「え? え? ……お姉ちゃん」

 あたしに確認を求めるシャリエナ。
 あたし達だけじゃなく他人が関わる事だから、だ。

 まあ調査局さまに聞かれてるんだから、素直に答えるべきだとは思うけど……

 ふとオジさまを見ると、眼帯をごそごそ弄っている。
 なんだか違和感のある所作だけど……表情は真剣そのもの。

 そして、くぅっ、顔がイイ……っ!

 とりあえず、答えてもいいよと、シャリエナに頷きを返す。

「……うん。 えっとー、買ってくのは主におじいちゃんおばあちゃんかな。 昔からの常連さん。 仕入れてるのは西街のリゼラっちの農場でー、お茶にブレンドして売ってます」
「……ゼオファルド卿?」

 シャリエナの返答に、レルガさんも後ろのボス……ヴァルグレイのオジさまの顔色をうかがう。

「……ああ、問題ない」

 オジさまは、いつの間にか後方腕組み姿勢に戻っている。

「……もう一つ。 ノクセラ草はあまり有り触れた素材とは言い難い。 各街でも調べたが、販売していたのはこの店だけだ。 なぜノクセラ草を?」
「え? ……お姉ちゃぁん」

 口を挟んだのはオジさま。
 そして再びあたしに確認を求めるシャリエナ。

 これはさすがにシャリエナには答えられない。

「確かにノクセラ草はちょっと苦いし、薬効も低くて錬金素材としても人気がありません。 でもウチではその人気の無さに目を付けて、買い叩いて、試しに良い感じになるようにブレンド茶を作ったら結構売れたんです。 それ以来レギュラー商品として販売してます」
「……ふむ…………ノクセラ草の薬効については、詳しいのかね?」
「え? ちょっとしたリラックス効果ですよね? 弱いけど鎮静作用があって安眠に良くて……」

 本当にそれくらいだ。
 最初は在庫を余らせたリゼラちゃんが愚痴ってるのを、あたしが買い叩いたのがきっかけ。
 なんとか売れるように持って行けたのは運も良かったかも。

「どうっスか?」
「……どうやら嘘はないようだ」

 二人の間で何か納得する何かがあったようだ。

「あとは、その西街の農場の人の詳しい情報を頂いて、ご協力感謝ッス~、で、おしまい。 ……というだけの用事だったんスけどねぇ……」
「……ああ、この店の惨状を見て、それだけでは済まなくなった」

 そう言って、オジさまは胸ポケットから銀の懐中時計を取り出し、時間を確認する。

 細かい意匠の時計だ。
 時計を見るオジさまもカッコイイ。
 とても様になっている。

「……分析を……いやその前に、レルガ、先ほどの男は何も持っていなかったんだな?」
「はい、間違いありやせん」
「ねえ、さっきの人の事、もしかして知ってるの? おかしくなっちゃった原因知ってるの? お姉ちゃん、ケガまでしたんだよっ!? 知ってるなら教えてよ!」

 シャリエナが必死になって問うが、その返答は帰ってこなかった。

「……すまない、もう一つ。 『ノクセリウム』という名に聞き覚えは?」
「ちょっと! 隊長!」
「隊長は止めろ。 いいんだ」

 『ノクセリウム』?

 初めて聞いたよ。

 もちろんシャリエナもそのようで、頭に疑問符が浮かんでいるような顔をしている。

「……どうやら無いようだな。 あの男からもその名を聞かなかったか? どこからか薬を手に入れた、貰った、そのような事を言ってはいなかったか?」
「あ~っ! なんかそんな事言ってたかも!」

 そうだ。
 何か言ってた、勇気が出るとかなんとか。

 あんまり覚えてないけど、え~っと、誰かから貰ったような事を言ってた気がする。

「あ~、こりゃもしかしてまずいんじゃないッスか?」
「……ふむ、そうだな……」

 オジさまはそう呟くと口元に手を当て、深く考え始めた。

 え? 何? どゆこと?
 全く情報が足りない。
 お店の安全に関わる事だからちゃんと説明してほしい。

 ……でも、実はそんな事よりずっと気になってる事がある。

 考え中のオジさまをじっと見る。
 それに気付いたのか、ふとオジさまと目が合う。

 心臓がドクンと高鳴った。

 考えるより先に身体が反応する。
 目は見つめ合ったまま、逸らす事は出来ない。
 ドキドキが高まっていく。

 オジさま、ヴァルグレイのオジさま。

 見れば見るほど、あたしが理想としたオジさま像そのままだった。

 灰銀の髪、無造作っぽく見えるのにとっても上品。
 頬に刻まれた皺が、経験と年齢を語る。 あたしには頼りがいの証左と思えた。

 清潔そうな白い手袋。 潔癖なのかな?
 涙を拭ってくれた時、その手袋の下の手で頬を撫でてもらいたいと思った。

 どんな感触がするんだろう。
 ……欲張り過ぎかな。

 背は高いし、筋肉もありそうだけど、ちょっと痩せている。
 ちゃんと食べてるのかな?

 もしもあたしが奥さんだったら、ちゃんとご飯作ってあげて、お弁当も作ってあげて、そこだけはちゃんとお世話してあげられる自信あるのにな……ってぇ! 何考えてんのあたし!?

 ちなみに、オジさまはすでにあたしから目線を外していた。

 長いような短いような沈黙の後、オジさまは深刻な口調で、驚きの事実を伝えた。

「……最悪のケースで言えば、おそらく……この、サフラン香房は、狙われている」
「えええぇぇっ!!!」

 と、驚いたのはシャリエナだ。
 もちろん感情色は――驚きのシアンブルーで一面に染まっていた。

 レルガさんの方はというと、なんだか疲れたような表情で――諦めの青翠色が滲みだしていた。

 あたしは正直そんなに驚かなかった。
 ずいぶん溜めてたし、そういう可能性も、実はすぐ思いついたし。

 何よりさ、ずっと、ずっと、最初から気になってた事があるのさ。

 オジさまは、ずっと深刻そうな表情で、何を考えているのか全然分からない。



 ――だってさ、

 このステキすぎる渋いオジさま、

 第二調査局副局長「ヴァルグレイ・ゼオファルド」には、


 感情色が、


 

 

~ 第1章 ―完― ~

感想 3

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