婚約者に浮気されたので、肩代わりしてた公務その他をお返しします

泉花ゆき

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ヴィクトリアが執務室を去ってから、すぐのこと。

「……ふん、あんな脅しに屈する僕だと思うか」

ジェラルドは誰もいない室内で、虚勢を張るように鼻を鳴らした。
目の前のデスクには、先ほど彼女が置いていった黒分厚いファイルが鎮座している。それを忌々しそうに睨みつけた。

彼は苛立ちに任せて椅子に深く腰掛け、ファイルを乱暴に開く。
けれどもそれをどう読み込んだとしても、彼の分かる言葉は書いていない。母国語が読める読めないではない、執務に使われる専門用語や言い回しの読み取り方が分からないのだ。

「なんだ、これは……」

数秒前までの余裕が、指先から血の気が引くように消えていく。
ジェラルドにとって公務とは、ヴィクトリアが完璧に整理して彼がサインすべき場所に印をつけてくれた書類に、優雅にペンを走らせるだけの作業を指していた。

それだけで父である国王からは褒められ、周囲からは聡明な第二王子として称賛されてきたのだ。
当然だ。自分は王族であり、ヴィクトリアはその伴侶として自分を支える道具に過ぎないのだから。

(あいつも、最近は少し調子に乗っていたようだしな。たまには僕のありがたみを教え込んでやらねばと思っていたところだ。……だが、これは……)

ジェラルドの額に、じわりと嫌な汗が浮かぶ。

一ページ……いや、一行すらまともに理解できない。ヴィクトリアなら数分で判断を下していたであろう文書も、今のジェラルドには未知の言語で書かれた呪文のようにしか見えなかった。

(……いや、落ち着け。あいつがわざと難しく書いたに違いない。僕を困らせるための浅知恵だ。こんなもの、誰か適当な者にやらせればいいだけの話で……)

ジェラルドは名案だと言わんばかりに頷いた。 

自分は第二王子だ。この学園にも、自分の機嫌を伺う取り巻きや王家に忠誠を誓う貴族の令息はいくらでもいる。わざわざ自分がこんな紙束と格闘する必要などない。

ジェラルドは足早に扉へと向かった。
誰か手空きの生徒を見つけて、命令だと押し付けてやればいい。その後で、ミナと美味しい茶でも飲んでこの嫌な気分を晴らすのだ。

なるべく音を立てないように、忍び足で執務室の重い扉を開ける。
静かに、外の廊下の様子を伺おうとしたその時だった。

「うわっ!?」
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