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「ひ……っ」
 まっすぐに向けられた剣はディアドの頬を薄く切り、耳を斬り落とす寸前で止まっている。凍りついたように動けないディアドの傷口から垂れた血が、顎を伝ってぽたりと落ちた。
「汚らしいものを見せるな。あんたなんかを相手にするほど、女には困ってない」
「や、野蛮だわ……若い娘の顔に傷をつけるなんて……!」
 悲鳴をあげた母親を押しのけるようにして、今度は父親が前に出る。
「それなら宝石はどうだ。ウトリド族の館に帰してくれれば、宝物庫から何でも好きなものを持って行っていい。ほら、指輪だって欲しいならいくらでも」
 両手につけた指輪を見せようとした父親は、ザフィルの剣が今度は自分に向いたのを察知して慌てたように口をつぐんだ。
「……その指輪の出どころがどこなのか、俺が知らないとでも思うのか。私利私欲のために罪もない者たちを、あんたたちは何人殺めた? 何が精霊に愛された一族だ。ふざけるな、散々人を殺しておいて」
「それは」
「実の娘を生贄にして精霊の力を使わせ、奴隷のような生活を強いておいて自分たちばかりは贅沢三昧。それに飽き足らず、他部族の者を殺して奪った金品で醜く着飾って。強欲の塊のようなやつだな。生かしておく価値があるのかどうかすら、疑わしい」
 地を這うようなザフィルの低い声は、押し殺しているものの激しい怒りがちらついている。彼が語った内容はファテナにとって到底信じられるものではなかったが、家族は皆黙りこくって反論しようとしない。人を殺していたというのは、事実なのだろうか。
「……嫌よ、死にたくないわ。何でもするから助けて」
 ぶるぶると震えながら、ディアドがその場に崩れ落ちた。流れる涙が、頬に残る血の跡を洗い流していく。
「何でも、か。なら、あんたには井戸を掘る作業についてもらおうか。そうすれば、そのたるんだ身体も少しは痩せるだろう」
「そんな……無理よ、泥がついて汚れるじゃない。このあたしに肉体労働をしろと言うの」
「何でもすると言ったのは嘘だったのか?」
「だって、あたしはウトリド族の姫よ。今まで働いたことなんてないもの。そう、それにこの状況を招いたのはお姉様なのよ。守るべき純潔を失い、精霊を呼べなくなった責任をとって、お姉様があたしの代わりに働くべきだわ」
「そうよ、ファテナが精霊に見限られていなければ、私たちはこんなところにいないもの。何もかもあなたのせいよ、ファテナ」
「俺たちを解放してくれるなら、そいつは好きにしていい。貧相な身体だが案外丈夫だから、多少雑に扱っても死なんし、精霊お気に入りの餌になる子供を産むかもしれんぞ」
 次々に投げつけられる言葉が胸に刺さってファテナは思わず小さくうめいた。精霊の力を使えなくなったことを責められる覚悟はしていたが、ここまで酷い言葉を向けられるとは思わなかった。
 最初からファテナは精霊の力を使うためだけの存在で、彼らにとっては家族ですらなかったのだろう。それでも、せめてウトリドの民のことは大切に思っていると信じたい。
 ファテナは震える拳を握りしめると、顔を上げた。
「お父様もお母様も……ディアドも。ご自分のことばかりだけど、ウトリドの民のことは心配ではないのですか」
「そんなもの……、長である俺たちが一番に決まってるだろう。むしろ何故あいつらは助けに来ない」
 父親の言葉に、ザフィルが鼻で笑った。
「所詮、ウトリド族の長はその程度の存在だったということだ。彼らはすでにウトリドの名を捨て、テミム族として生きる道を選んでるよ」
「そんなまさか……。いいえ、ラギフはきっと助けに来てくれるわ。だってあたしの婚約者なのよ、あたしがいないと生きていけないって言ったもの」
「ほう、その婚約者とやらは、右腕に星の刺青がある男か」
「……どうしてあなたが知ってるの」
 ディアドの言葉に、ザフィルは冷たい笑みを浮かべた。
「そいつが焼け落ちた館から宝飾品をかき集めて逃げ出そうとしてるところに、ちょうど行き合った。ウトリド族一番の戦士だと偉そうに挑んできたが、口ほどにもなかったな。命乞いのつもりか、長に命じられて仕方なく盗賊まがいのことをしていただけで、自分は悪くないとしきりに言ってたが。今頃は裏山で獣の餌にでもなってるんじゃないか」
「酷い、なんて野蛮なの」
「酷い? あんただってそうやって要らなくなった男を捨てていただろう。同じことをしただけだ」
 ザフィルは平坦な口調で言う。ディアドはわなわなと震えながら首を振った。
「嘘……嘘よ、そんな。全部……お姉様のせいよ。精霊に見限られたと分かっていて、何故のうのうと生きてるの。さっさと精霊を呼んであたしたちを助けなさいよ!」
 髪を振り乱し、血走った目でディアドが叫ぶ。どんなに揺すっても檻はびくともしないが、両手につけた指輪が擦れてがちがちと耳障りな音をたてた。
 これほどまでに強烈な憎しみを向けられたことなどなくて、ファテナは思わず逃げるように身体を引いた。もう一度精霊を呼ぶことができたなら、家族を救い出せたら、また認めてもらえるのだろうか。
 震える手を組んで精霊に呼びかけようとした時、うしろからザフィルが肩を掴んで止めた。
「必要ない。こいつらは処刑することに決めた。生かしておいても何の意味もない」
「嫌、死にたくない……! お姉様、早く助けなさいよぉ……っ」
 絶叫するディアドの声が、地下牢の壁に反響して耳が痛いほどの大きさでファテナに襲いかかる。両親にも口々に名前を呼ばれ、どうすればいいか分からなくなって身体が勝手に震えだす。
「拘束して黙らせろ」
 ザフィルが低く命じると、そばに控えていた背の高い男がディアドたちを檻のそばから引き剥がして拘束していく。それを確認して、ザフィルはファテナの腕を引いた。
「行くぞ」
「でも」
「自分の命を捧げてでも精霊を呼んでみるか? たとえそうしたとしても、あいつらはあんたに感謝なんかしない。あんたを家族とも思っていないのは、よく分かっただろう。そんなやつらを、本当に命を懸けて救いたいと思うか?」
「……っ」
 ザフィルの言う通りだ。ファテナは精霊の力を使うための餌であって、家族なんかではなかった。
 咄嗟に言葉の出なかったファテナを見て、ザフィルは再び腕を引っ張った。留まればいいのか、それともザフィルに従えばいいのか、どちらが正しいのか分からないまま、ファテナは引きずられるようにして地下牢をあとにした。
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