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決別 1

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 どうやって戻ってきたのかも分からないまま、気がつけば部屋の中にいた。そのままファテナは、ふらりとその場に崩れ落ちた。全身に力が入らなくて、立ち上がることができない。
 床についた手の上にぽたぽたと生温かいものが落ちてきたと思ったら、目の前にしゃがみ込んだザフィルが頬に触れた。親指でそっと目の下を撫でられて、ファテナは自分が泣いていることに気づく。
「あんなやつらを家族だと、今でも思うか」
 静かな声で問われて、ファテナはうつむいた。彼らの本心を知った今、自分の存在意義が分からない。精霊に愛された巫女だからという理由で距離を置かれ、亡くなった前妻の子ということで軽んじられていることは理解していたが、それでも自分は長の娘なのだという誇りを胸に生きてきた。最初から彼らにとって、ファテナは家族でも何でもなかったのに。
 精霊の力を使うための道具のように思われていたことも、自分たちが助かることしか考えずウトリドの民のことを守ろうともしないことも、信じたくない。
 だが、彼らを見捨てたのだという思いもあって身体の震えが止まらない。ディアドの絶叫が、両親が名前を呼ぶ声が、今も耳の奥に張りついたように残っている。
「……分からない。だけど、どうすればよかったの。本当に処刑してしまうの」
「嫌か」
「人が死ぬのは……それが誰であっても嫌」
 一度泣いていると自覚したら、涙は次々とあふれて止まらない。ファテナはしゃくりあげながら首を振った。
「あんたは優しいな。だけどあいつらを生かしておいたら、あんたのその優しさはまた利用されてしまう」
 ザフィルはため息をつくと、ファテナの頭にゆっくりと触れた。下ろしたままの髪を撫でるように、指先が滑っていく。まるで労わるようなその手の優しさに、家族の誰にもこうして触れられたことがなかったのを思い出して、ますます涙が止まらなくなる。
「俺には、族長としてテミム族を守る必要がある。この先テミム族として生きていくつもりのないやつを受け入れるつもりはないし、利用価値のない捕虜をいつまでも養うことはできない。あの三人は、生かしておいたらテミム族にとっても危険だ。だから排除する」
「私には……利用価値が、あるの?」
 両親たちと同じく捕虜という立場でありながら、こうして別の場所に隔離されているファテナには何の価値があるのだろう。精霊を呼べないファテナには、身体を差し出すくらいしかできなさそうだが、彼は最初の晩以降ファテナを抱こうとしない。
「あんたはウトリドの民にも信頼されていたからな。もしもやつらが反旗を翻すようなことがあれば、その時の切り札になる」
「そんなの……精霊を呼べなくなった私を見れば、皆きっと失望するわ。切り札になんてならない。私は、何の役にも立たないもの」
 半ば投げやりな気持ちで言うと、ザフィルが頬に触れて顔を上げられる。
「それなら、あんたも処刑を望むのか」
「分からないわ。死にたいとは思わないけれど、生きていても何の役にも立たないのなら、死んだ方がいいとも思う」
 じっと見つめるザフィルの青い瞳から視線を逸らすことなく、ファテナはつぶやいた。
「だけど、生かすも殺すもあなた次第でしょう。私は、捕虜だもの。勝手に死ぬことを許さないと言ったのは、あなたよ」
 舌を噛もうとして止められたことを思い出しながら、ファテナはザフィルの指を見つめた。人差し指には、まだ微かにあの時の傷が残っている。
 視線に気づいたのか、ザフィルは隠すように手を引っ込めるとファテナの身体を抱き寄せた。すっぽりと包み込まれるようなぬくもりは、家族の誰からももらえなかったもの。ファテナから奪ってばかりのこの男に与えられるものが、どうしてこんなにもあたたかいのだろう。
 固まって動けないファテナを強く抱きしめながら、ザフィルは小さく息を吐いた。
「俺は、あんたを処刑するつもりはない」
「それがあなたの決定なら、従うわ。もう、どうだっていい。好きにして」
 身体の力を抜いて、ファテナは目を閉じる。まだ止まらない涙が頬を伝い、ザフィルの腕に落ちた。
 死ぬことすら許されず、家族も精霊もいなくなった。ザフィルは、どうしてファテナから何もかも奪っていくのだろう。ウトリド族への恨みをぶつけ、苦しむ姿を見て溜飲を下げるつもりなのか。
 しゃくり上げて震える吐息を漏らすと、ふいに耳元に吐息がかかった。その微かな刺激に一瞬身体を震わせた時、あたたかく柔らかなものが頬に触れた。
 思わず目を開けると、ザフィルが涙を受け止めるように頬に口づけていた。何度も触れる唇から伝わる熱は、まるでファテナを癒すかのように優しい。
「やめて、触らないで」
 掠れた声でつぶやくと、目を伏せていたザフィルが視線を上げた。青い瞳は傷ついたような、悲しそうな表情でファテナを見つめている。
「どうしてあなたが、そんなにも泣きそうな顔をしているの」
「そんな顔、してない」
 ザフィルは怒ったように顔を背けたが、抱きしめた腕はそのままだ。 
「優しくしないで。捕虜なら捕虜らしく扱って。あなたを酷い人だと、憎ませて」
「酷くしてほしいのか」
「そんなふうに触れられたら、縋りたくなる。あなたのことなんて、大嫌いなのに……」
 再びこみ上げた涙を隠すように、ファテナは両手で顔を覆った。声をあげて泣いたら叱責されたから、ファテナは幼い頃から唇を噛みしめて声を押し殺して泣いてきた。なのに今、閉じた唇の隙間から声が漏れていく。
 震える唇から唸るような声があふれ出すのを堪えようとするのに、止まらない。
 抱きしめるザフィルの腕が強くなり、くぐもった声は彼の胸に吸い込まれて消えていく。頬に感じる体温も、まるで慰めるように髪を撫でる手も、ずっとファテナが欲しかったもの。だけど、それをくれるのはファテナを傷つけた張本人だ。
「離して……っ」
 腕の中から逃れようと身体をよじると、強く抱きしめていた手が緩んだ。ぬくもりが離れていって心許ない気持ちになるが、それを振り払うように距離を取るとファテナはザフィルをにらみつけた。
「嫌い。あなたなんて大嫌い。私から全てを奪っておいて、今更抱きしめたりしないで。前みたいに、無理矢理抱けばいいじゃない。私の価値なんて、もうそれしかないのに」
 泣きじゃくりながら、ファテナは自ら衣服を脱ぎ捨てた。生まれたままの姿になると、挑発するようにザフィルを見上げた。
「せめてこの身体くらい、何かの役に立つと思わせて」
 黙ってそれを見ていた彼は、ゆっくりと近づいてくるとファテナの腕を掴んで引き寄せた。一瞬怯みそうになるのを堪えてそれに身を任せると、ザフィルはファテナの身体を抱き上げた。
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