【R18】純白の巫女姫は、憎しみの中で優しいぬくもりに囚われる

夕月

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裏切りと騙し討ち

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 完成した刺繍を見つめて、ファテナは小さく息を吐いた。同じ姿勢をとり続けていたからか、肩が凝っていて痛む。随分長い間集中していたようだ。
 ザフィルとは、もう十日近く会っていない。またどこかに出かけているらしい。族長として忙しい彼に寂しいなどと我儘を言えるわけもなく、ファテナは孤独を紛らわすために刺繍に没頭していたのだ。
 特に目的も決めずに刺し始めたが、黄金の太陽を目指して羽ばたく青い鳥の意匠になったのは、きっとザフィルのことを想っていたからだ。彼の髪や瞳の色を無意識のうちに選んでいたのだろう。
 早く会いたい、そして抱きしめてもらいたい。そんなことを考えながら、ファテナは胸元にそっと手をやった。精霊に与えられたしるしの上にザフィルが残してくれていた赤い痕は、薄くなってもうほとんど消えかかっている。これが完全になくなる前に、彼は戻ってくるだろうか。
 就寝時間には少し早いが、今夜もどうせザフィルは来ない。だからもう眠ってしまおうと決めて、ファテナは針と糸を片付けた。アディヤは夕食のあと、洗濯に行くと言ってまだ戻らない。ファテナは欠伸をひとつ落とすと、寝台に横になった。
 目を酷使していたからか、急激に眠気が襲ってくる。寝衣に着替えなければと思うものの、目蓋が重くて目を開けていられない。
 アディヤが戻ってきたら、きっと起こしてくれるだろう。それまで少しうとうとするだけだ。
 そんなことを考えながら、ファテナは目を閉じた。

 しばらく眠っていたが、近づいてくる足音に気づいてファテナは目を覚ました。
 一瞬ザフィルかと思ったが、聞きなれた彼のものとは違う。アディヤが戻ってきたのかと思って身体を起こしたその時、部屋の扉が開いた。
「……エフラさん?」
 背の高いその男の顔を見て、ファテナは目を瞬いた。彼がここにいるということは、ザフィルも帰ってきたのだろう。ザフィルよりも先に彼がやってくるのが不思議だが、何か言伝を頼まれたのかもしれない。
 エフラは、にこりと笑うと部屋の中に入ってきた。
「夜分遅くにすみません。ザフィル様に頼まれて、呼びに来たんです」
「何かあったの、……っ」
 問いかけようとしたファテナは、エフラの服にべったりとついた血を見て息をのんだ。彼は平然としていることから、彼自身の怪我ではないのだろう。
「あぁ、これ」
「もしかして、あの人が……」
 戻ってきたはずなのにザフィルが顔を出さないということは、この血は彼のものなのだろうか。震える声でつぶやくと、エフラはこくりとうなずいた。
「そうなんです、どうかそばにいてやってくれませんか」
「わ、分かりました。あの人は……ザフィルは、大丈夫なの?」
「えぇ、大丈夫ですよ。あなたの顔を見れば、きっと喜びます」
 安心させるようなエフラの笑みを見て、ファテナは騒ぐ胸を落ち着かせようと押さえながら立ち上がった。うっかり寝衣に着替えず寝てしまっていたが、今となってはそれもよかったと思える。
「では、行きましょうか」
 エフラに促され、ファテナは彼のあとについて部屋を出た。
 彼が向かったのは、アディヤの使う小部屋の奥。いつもザフィルが来るのとは反対方向だ。
「あの、出口はあちらでは」
 思わず声をかけると、エフラは怪訝そうな顔をして振り返った。
「え? あぁ、今回はこちらを使うんで」
 エフラの言葉通り、棚の裏に古びた扉があった。恐らくアディヤが日常的に使う入口なのだろう。扉は小さく、小柄なファテナですら背を屈めなければ通り抜けることが難しい。ゆっくりと開いた扉の向こうは薄暗いが、外に通じているらしくひんやりとした風を感じる。くぐり抜けようと腰を曲げた時、うしろでエフラが小さく舌打ちをするのが聞こえた。
「……やっぱり、もうひとつ入口があるわけか。あとでゆっくり探してみないと」
「え?」
 振り返って問いかけたが、エフラは何でもないと笑って首を振った。
 扉を出た先はどうやら今は使われていない小屋のようで、埃をかぶった布袋や瓦礫などが雑多に集められている。がらくたの合間を縫うように進んで小屋から出ると、近くに集落もなく、あたりは真っ暗だった。エフラの持つ小さな灯りを頼りに進み、ファテナはぽつんと建つ小屋へと案内される。
「ここに、ザフィルがいるの?」
 ファテナは思わず隣のエフラを見上げて問いかけた。小屋の中はぼんやりと明るいが、中に人の気配がない。怪我をしているはずのザフィルを、こんな人気のない場所に放置しているのだろうか。ファテナを呼びに来るより先に、医者を呼ぶべきではないだろうか。
 眉を顰めたファテナは、突然エフラに強く背中を押された。小屋の鍵は閉まっていなかったらしく、ファテナが体重をかけたはずみで鈍く軋みながら開く。よろめいて思わず膝をつくと、埃っぽい床に擦れて痛んだ。
「人を疑うことを知らないなんて、幸せな生き方をしてきたんだね、あんた」
 嘲るような口調で言いながら小屋の中に入ってきたエフラは、座り込んだままのファテナを見下ろした。
「エフラさん?」
「ぼくはエフラじゃない、弟のガージだ。あいつ――ザフィルは、ぼくらが双子だってあんたに教えてなかったみたいだね」
「双子……?」
「ふふ、そうだよ。兄さんにそっくりだろ? あんたと兄さんがどれほど親しかったのかは知らないけど、あっさり騙されてくれてよかったよ」
「嘘、それじゃあエフラさんは……」
「さぁね。計画の邪魔になるから動けなくしてきたけど、もう死んでるかもしれないなぁ。双子なのにぼくより要領が良くて、頭も切れて、結構目障りだったんだよね」
 ガージと名乗った男は、笑いながら自らの服に染み込んだ血を見つめる。ザフィルのものかと思ったが、どうやら怪我をしているのはエフラのようだ。
「そう、ザフィルはまだ生きてるよ。まだ何も知らずに寝てるんじゃないかな。部屋を見る限りあんたは随分と大切にされてたみたいだし、攫われたと知ったら、驚くだろうな。動揺させればその分だけ、ぼくが有利になる。あんたは、ザフィルを倒すための切り札になるんだ」
「そんな、何を……っ」
 問い詰めようとしたファテナの口を塞ぎ、ガージはあっという間に後ろ手に縛りあげた。布を噛まされて声を発することもできなくなる。
「最近のあいつは腑抜けだからさ、テミム族の長に相応しくないんだよ。強くなければここでは生きていけないのに、あいつは女に溺れて戦うことすらやめてしまった」
 きつく縄を締めつけながら、ガージはファテナの顔をのぞき込んだ。腕の痛みに思わず顔を歪めるのを見て、にまりと笑う。
「――そう、あんたに出会ってから、あいつは変わった。他部族に攻め込むことを躊躇するようになった。きっと、戦って死ぬのが怖いんだろうね。信じられないくらい臆病者に成り下がった。だけど、ぼくはあんたに感謝してるんだよ。あいつから戦う意欲を喪失させてくれたんだから。明日になればテミム族の族長は、このぼくだ」
 目の前の男は、ザフィルを打ち倒して次の族長になることを画策している、ということらしい。ガージの言うように、ザフィルが腑抜けかどうかはファテナには分からない。だが、彼はいつも民のことを大切にしていた。交わした言葉はそう多くないけれど、族長としての仕事を語るザフィルの表情は、テミム族への思いにあふれていた。今は亡きウトリド族の長であった父親よりも、よっぽど民のことを大切にしていた。
「ぼくが族長になったら、最初の仕事はフロト族に攻め込むことだ。あいつらは大きな川を独り占めしてるからさ、奪い取ってやるんだ。そうしたら水不足に悩むことだってなくなるだろ」
 そう言いながら、ガージは腰につけた剣をそっと撫でた。
「さっき兄さんを刺したせいかな、早く戦いたくて、うずうずしてるんだ。本当はザフィルを倒すことが一番の目標だったんだけど、どうせろくに戦えそうにないからね。ぼくのこの衝動は、フロト族を相手にするしかなさそうだ」
 フロト族を全滅させてしまうかもしれないと笑いながら、ガージはファテナを床に蹴り倒した。肩を打ちつけて酷く痛むし、舞い上がった埃で一瞬、目の前が白く霞んだ。
 その時ファテナは、すぐそばに誰かが倒れていることに気づいて眉を顰めた。ザフィルかと思ったが、乱れた長い髪に見覚えがある。同じように縛り上げられて転がされているのは、アディヤだった。固く目を閉じている彼女の額には血が流れ落ちた跡があり、思わず息をのむ。微かに胸が上下していることから生きてはいるようだが、怪我をしていることは間違いない。
「……!」
「あぁ、アディヤも一緒だから少しはさみしくないだろ? こいつのおかげで、あんたの居場所を見つけることができたんだ。とりあえずは、ここでゆっくりしててよ。ぼくは今からザフィルを倒しに行かなきゃならないからさ。あぁ、もう精霊を呼べないとは聞いてるけど、万が一精霊を呼び出したりしたら、その時は殺すから」
 無表情でファテナを見下ろして、ガージは冷たく宣言する。精霊を呼べば対価として魂を回収されることを知っているファテナにとって、殺されることなど脅しにもならない。だが、ここで反抗しても何も変わらないだろう。黙ってうつむくと、ガージはしゃがみこんでファテナの頬に触れた。
「ぼくが族長になったら、あんたを妻の一人にしてやってもいい。まぁ、あいつのお下がりってところは癪だけど」
 目を合わすまいと視線を逸らし、怒りに震える身体を堪える。ガージにとっては、ファテナが怯えて震えているように見えたのだろう。楽しそうに笑うと、何度か撫でるように頭に触れた。
「そうだ、あいつを殺す前に、目の前であんたを抱くのもいいかもしれないな。民を見捨てるほどに溺れ、大切にしていた女を奪われる時、あいつはどんな顔をするかな」
 おぞましいことを言いながら、ガージは立ち上がった。いつからいたのか、そばには黒ずくめの男が一人立っている。ガージはその男にファテナとアディヤを見張るよう言い残して、小屋を出て行った。
 
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