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精霊に願う 1

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 見張りの男の視線を感じながら、ファテナはそばのアディヤを見つめた。血が乾いているところをみると出血は止まっているようだが、油断はできない。一刻も早くここを抜け出して彼女の治療をしなければならないし、ザフィルを助けに行かなければならない。
 胸元に触れられなくても、願えば精霊を呼び出すことはできる。魂を差し出す代わりに、アディヤとザフィル、それからエフラを助けて欲しいと言えば、ヤーファルは叶えてくれるだろうか。
 胸元のしるしに意識を向けようとした時、そばでアディヤが小さくうめいて目を開けた。
 ぼんやりと焦点の合わなかった目が、ファテナの姿を捉えた瞬間、大きく見開かれる。その表情はしっかりとしており、少なくとも怪我によって動けないほどに消耗しているわけではないようだ。
 起きあがろうとしたアディヤは、縛られていることに気づくとすぐに警戒するような表情を浮かべ、周囲に目を向けた。見張りの男はアディヤが意識を取り戻したことに気づいておらず、ファテナはそれとなく体勢を変えて彼女が見張りの視界に入らないようにする。
 アディヤが戦いに長けていることはガージも知っていたようで、彼女は腕だけでなく足首も縛られている。表情はしっかりしており怪我は酷くなさそうだが、この状況では自力でここから出るのは難しいだろう。
 やはり自分が精霊を呼ぶのが一番だと考えた時、アディヤがほとんど吐息のような声でファテナの名を口にした。
 見張りに気づかれないよう視線は向けないまま、ファテナは聞こえていると伝えるようにゆっくりと顎を引いた。
「……見張りの注意をひいて、こちらに近づけてください。私が倒します」
 縛られている状況でそんなことが可能なのかと、微かに視線を向ければ、アディヤはいつの間にか足首の拘束から抜け出していた。腕は動かせなくても、何とかなるということなのだろう。
 ファテナは一度うなずくと、見張りの男を見た。布を噛まされているから言葉は発せないが、声をあげることはできる。
 唸るように呼びかけてみると、男は眉間に皺を寄せてファテナをにらむ。
「黙ってろ。喋ったら殺すぞ」
 脅すように男は剣をちらつかせるが、この男の一存でファテナの命を奪うことはないだろう。ガージは、ザフィルを倒すためにファテナを人質として使うつもりだ。ここで勝手に命を絶たれることはないはずだ。
 そう判断して、ファテナは再び唸り声をあげた。
「喋るなと言ってるだろう」
 いらだった様子で男はファテナのそばにやってくる。殺されなくとも、殴られるくらいはあるかもしれない。思わず身構えたファテナのうしろで、音もなく立ち上がったアディヤが勢いよく男に蹴りかかった。
「ぐ……っあ」
 油断していた男は一瞬で倒され、床で頭を打ったのか低くうめいて動かなくなる。腕を縛られた状態でここまで動けるなんてと目を瞬いたファテナに、アディヤは穏やかに笑いかけた。
「ひとまずこれで自由に動けるようになりましたね。腕の縄を噛み切ってみますので、こちらに背を向けていただけますか」
 そう言ってアディヤが懸命に縄に歯を立てるが、指よりも太い縄を噛みきるのは至難の業だ。どれほど時間がかかるかも分からない。
 それよりも手っ取り早いことを思いついて、ファテナは彼女を振り返った。
「ファテナ様?」
 訝しげなアディヤの視線を感じつつ、ファテナは古びた机の上に置かれた燭台に腕を近づけた。蝋燭の火がちりちりと肌を掠めるが、その熱さに耐えて縄を焼く。焦げ臭い煙があがるのと同時に縄が微かに緩んだ。炎が手首にも触れて鋭い痛みを感じるが、縄を焼き切らねば動くことはできない。痛みに耐えてじっとしていると、ようやく縄が切れて腕が動かせるようになった。
 口に嚙まされていた布を取り払うと、ようやく自由になったという安堵感でため息がこぼれ落ちる。
 ハラハラとした様子で見守っていたアディヤが、ファテナの腕を見て小さく息をのんだ。炎に炙られた肌は真っ赤になり、皮が剥けているところもある。
「……っファテナ様、腕が」
「このくらい、平気。アディヤの縄を切るから、待ってね」
 見張りの男が持っていた剣を使ってアディヤの腕を拘束する縄を切ると、彼女はすぐさま男をその縄で縛り上げた。

「あの人……ガージは、ザフィルを倒すつもりだと言ったわ。エフラさんもきっと怪我をしているはずよ」
「すみません、ファテナ様。私がもっと用心していれば……」
 アディヤはうつむいて唇を噛む。彼女がファテナの部屋に出入りするところをガージに見られてしまったのだという。どこかでファテナの存在を知り、居場所を探していたのだろう。
 ガージはずっと族長にのし上がる機会を狙っていたらしく、ザフィルも警戒していたという。彼が簡単にやられるとは考えられないが、自信満々だったガージの様子を思えば不安は募る。
「とにかく、ザフィルを助けに行かなくちゃ」
「いえ、ファテナ様はひとまず身を隠すべきです」
「そんなことできないわ」
 硬い表情で首を横に振るアディヤを説得しようとした時、どこかからどぉんと低い地響きがした。思わず言葉を切ってアディヤと顔を見合わせ、二人は小屋の外に出た。
「……空が」
 右手の方角の空が炎に照らされて真っ赤に染まっている。アディヤによると、ここは集落の西の外れで、空が明るく見えるのは集落の中心部――恐らくは、ザフィルの館。
 ガージが館に火を放ったのだろう。
「やっぱり行かなくちゃ。ザフィルだけじゃなく、エフラさんのことも心配だもの」
「でも、危険すぎま……」
 そう言ってファテナの腕を掴んだアディヤが途中で言葉を切り、ふらついて膝をつく。よく見ると、額には血が新たに幾筋も流れている。先程激しく動いたことで、傷口が開いてしまったのだろう。このまま彼女を無理させるわけにはいかない。
 ファテナは覚悟を決めるように唾を飲み込むと、目を閉じた。
 そして胸元のしるしに触れて心の中でヤーファルに呼びかける。こうして自分から精霊を呼ぶのは、随分と久しぶりだ。
「ファテナ様?」
 訝しげなアディヤの声が聞こえるのと同時に、その場の空気がひんやりとしたものに変わる。精霊があらわれたことを確信して、ファテナは目を開けた。
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