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「……随分と早い呼び出しだね、ファテナ。あと数十年はかかると思っていたのに」
そう言いながらもヤーファルは、嬉しそうに目を細めてファテナをじっと見つめている。薄暗い夜の闇の中にあってさえ、精霊は自ら発光しているかのようにほんのり輝いて見える。
今からこの精霊に魂を捧げるのだと覚悟を決めて、ファテナはヤーファルを見上げる。
「助けてほしくて、呼んだの」
「助け?」
「ザフィルが危険な目に遭ってるから……。私は、あの人を助けたい」
「それをわたしに願うとはね。おまえにとってあの男は、それほどまでに大切だというのか」
じっと見つめる精霊の視線に負けないよう、ファテナは強い視線を返す。澄んだ泉のように透き通った色をした瞳は、何を考えているか分からない。
しばらく黙ったあと、ヤーファルはゆっくりと首をかしげた。せせらぎのような音と共に、長い髪が肩を流れる。
「あの男はまだ生きているし、今現在、命の危機に瀕しているわけではないようだが」
「本当に?」
眉を顰めたファテナを見て、ヤーファルはうなずいた。
「あの男が死にそうであれば、臭いで分かる。精霊は、血や死の臭いに敏感だからね」
殺生を嫌う精霊がそう言うのなら、確かなのだろう。ファテナは少し安心して、肩の力を抜いた。
「本当ならば、わたしを呼び出した時点で対価をもらう約束だが、せっかくだから何か願いを叶えてあげよう。ファテナ、おまえは何を望む?」
「それなら……アディヤを助けて。それから、エフラさんって人も怪我をしているはずなの。彼も助けてほしい」
ファテナは、すぐそばのアディヤを振り返って視線でヤーファルに示す。彼女は、突然あらわれた精霊の姿に戸惑いつつも、黙って見守っていた。その額に流れる血は、未だ止まっていないようだ。
「おまえは困った子だね、ファテナ。そんなにいくつもの願いを口にするなんて」
苦笑しつつも、ヤーファルはファテナの手をそっと握った。精霊の指先が触れた場所から、焼けただれていた皮膚がみるみるうちに治っていく。じんじんと熱をもって痛んでいたのがすうっと引いていき、ファテナは驚きに目を見開く。だがすぐにその手を振り払って首を横に振った。
「違う……、私の怪我なんてどうでもいいの、アディヤとエフラさんを助けてと願ったのよ」
「分かっているよ。おまえはわたしの愛し子だからね、傷ついたままだと可哀想だと思っただけだ。おまえの望む二人の治癒は、確かに叶えてあげよう。対価は――その美しい髪だ」
「……え?」
ファテナが目を瞬くと、首元をひんやりとしたものが掠めた。と同時に頭が急に軽くなる。確かめるために頭に手をやると頬に毛先が触れ、腰ほどまであった長い髪が顎の下あたりで切り揃えたように短くなっていることが分かった。
「ファテナ様……っ」
思わずといった様子で声をあげたアディヤは、ヤーファルの視線を感じて慌てたように口をつぐむ。精霊の手には、濃紺の長い髪の束が握られていて、それがファテナの髪であることは明白だ。
「ふむ、この色も悪くはないが、やはりおまえには白が良く似合う」
握りしめた髪にヤーファルが口づけると、それはあっという間に真っ白に染まった。色の変わった髪を満足げに見つめると懐にしまい、精霊はアディヤにそっと手を伸ばした。怯えたようにびくりと身体を縮めた彼女を気にする様子もなく、ヤーファルは傷口を撫でるように頭に触れる。その瞬間、絶え間なく血を流していた傷は綺麗に塞がって跡形もなくなった。
「あ……ありがとうございます……」
掠れた声で礼を言うアディヤには目もくれず、精霊はファテナを見つめて微笑む。
「これでおまえの望みのひとつは叶えられた?」
「えぇ、ありがとう」
ファテナが礼を言うと、ヤーファルは笑みを浮かべてうなずいた。
「もう一人は、ここから離れた場所にいるようだね。血の臭いが濃いから、放っておけば遠からず死ぬことになるだろう。あの男のもとを目指しているようだけど、そこへ向かえばいいのか」
「そうね。エフラさんを治したら、ザフィルのところに行かなくちゃならないもの。一緒に来てもらうわよ」
「おまえの願いは二人の治癒だろう。わたしの仕事はそこまでだ」
怪訝そうな表情を浮かべる精霊を見て、ファテナは唇を引き結んで首を横に振る。
「ザフィルの危機だって、まだ去っていないのよ。私は、あの人を助けるって決めたの。そのための対価は、あなたが一番欲しているものよ。だから、あなたにはずっとそばにいてもらわないと困るの」
「それも……そうだね。ならば一緒に行くことにしようか」
うなずいて差し出された精霊の手を握り、ファテナは笑みを浮かべた。
決して精霊の手を取ることなどないと思っていたけれど、ザフィルを助けることができるのなら構わない。精霊の力を使ってでもガージを止め、ザフィルを――そして、テミム族を守らなければならない。
それが、テミム族の族長に救われたファテナができる、唯一のことだろう。
遠くの夜空を赤く染める炎を見つめて、ファテナは唇を引き結んだ。
そう言いながらもヤーファルは、嬉しそうに目を細めてファテナをじっと見つめている。薄暗い夜の闇の中にあってさえ、精霊は自ら発光しているかのようにほんのり輝いて見える。
今からこの精霊に魂を捧げるのだと覚悟を決めて、ファテナはヤーファルを見上げる。
「助けてほしくて、呼んだの」
「助け?」
「ザフィルが危険な目に遭ってるから……。私は、あの人を助けたい」
「それをわたしに願うとはね。おまえにとってあの男は、それほどまでに大切だというのか」
じっと見つめる精霊の視線に負けないよう、ファテナは強い視線を返す。澄んだ泉のように透き通った色をした瞳は、何を考えているか分からない。
しばらく黙ったあと、ヤーファルはゆっくりと首をかしげた。せせらぎのような音と共に、長い髪が肩を流れる。
「あの男はまだ生きているし、今現在、命の危機に瀕しているわけではないようだが」
「本当に?」
眉を顰めたファテナを見て、ヤーファルはうなずいた。
「あの男が死にそうであれば、臭いで分かる。精霊は、血や死の臭いに敏感だからね」
殺生を嫌う精霊がそう言うのなら、確かなのだろう。ファテナは少し安心して、肩の力を抜いた。
「本当ならば、わたしを呼び出した時点で対価をもらう約束だが、せっかくだから何か願いを叶えてあげよう。ファテナ、おまえは何を望む?」
「それなら……アディヤを助けて。それから、エフラさんって人も怪我をしているはずなの。彼も助けてほしい」
ファテナは、すぐそばのアディヤを振り返って視線でヤーファルに示す。彼女は、突然あらわれた精霊の姿に戸惑いつつも、黙って見守っていた。その額に流れる血は、未だ止まっていないようだ。
「おまえは困った子だね、ファテナ。そんなにいくつもの願いを口にするなんて」
苦笑しつつも、ヤーファルはファテナの手をそっと握った。精霊の指先が触れた場所から、焼けただれていた皮膚がみるみるうちに治っていく。じんじんと熱をもって痛んでいたのがすうっと引いていき、ファテナは驚きに目を見開く。だがすぐにその手を振り払って首を横に振った。
「違う……、私の怪我なんてどうでもいいの、アディヤとエフラさんを助けてと願ったのよ」
「分かっているよ。おまえはわたしの愛し子だからね、傷ついたままだと可哀想だと思っただけだ。おまえの望む二人の治癒は、確かに叶えてあげよう。対価は――その美しい髪だ」
「……え?」
ファテナが目を瞬くと、首元をひんやりとしたものが掠めた。と同時に頭が急に軽くなる。確かめるために頭に手をやると頬に毛先が触れ、腰ほどまであった長い髪が顎の下あたりで切り揃えたように短くなっていることが分かった。
「ファテナ様……っ」
思わずといった様子で声をあげたアディヤは、ヤーファルの視線を感じて慌てたように口をつぐむ。精霊の手には、濃紺の長い髪の束が握られていて、それがファテナの髪であることは明白だ。
「ふむ、この色も悪くはないが、やはりおまえには白が良く似合う」
握りしめた髪にヤーファルが口づけると、それはあっという間に真っ白に染まった。色の変わった髪を満足げに見つめると懐にしまい、精霊はアディヤにそっと手を伸ばした。怯えたようにびくりと身体を縮めた彼女を気にする様子もなく、ヤーファルは傷口を撫でるように頭に触れる。その瞬間、絶え間なく血を流していた傷は綺麗に塞がって跡形もなくなった。
「あ……ありがとうございます……」
掠れた声で礼を言うアディヤには目もくれず、精霊はファテナを見つめて微笑む。
「これでおまえの望みのひとつは叶えられた?」
「えぇ、ありがとう」
ファテナが礼を言うと、ヤーファルは笑みを浮かべてうなずいた。
「もう一人は、ここから離れた場所にいるようだね。血の臭いが濃いから、放っておけば遠からず死ぬことになるだろう。あの男のもとを目指しているようだけど、そこへ向かえばいいのか」
「そうね。エフラさんを治したら、ザフィルのところに行かなくちゃならないもの。一緒に来てもらうわよ」
「おまえの願いは二人の治癒だろう。わたしの仕事はそこまでだ」
怪訝そうな表情を浮かべる精霊を見て、ファテナは唇を引き結んで首を横に振る。
「ザフィルの危機だって、まだ去っていないのよ。私は、あの人を助けるって決めたの。そのための対価は、あなたが一番欲しているものよ。だから、あなたにはずっとそばにいてもらわないと困るの」
「それも……そうだね。ならば一緒に行くことにしようか」
うなずいて差し出された精霊の手を握り、ファテナは笑みを浮かべた。
決して精霊の手を取ることなどないと思っていたけれど、ザフィルを助けることができるのなら構わない。精霊の力を使ってでもガージを止め、ザフィルを――そして、テミム族を守らなければならない。
それが、テミム族の族長に救われたファテナができる、唯一のことだろう。
遠くの夜空を赤く染める炎を見つめて、ファテナは唇を引き結んだ。
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