56 / 65
彼を慕う人 1
しおりを挟む
「精霊って……あんなに気安く言葉を交わせる相手なんですか?」
足早にザフィルの館を目指しつつ、隣を歩くアディヤがこそりとファテナの耳元で囁く。怪我をしていたのだから動かず待機していてほしいと伝えたファテナの言葉に彼女は決してうなずかず、結局一緒に小屋を出たのだ。
まるで遠慮なく会話をするファテナとヤーファルを見て、アディヤは信じられないといった表情をずっと浮かべている。
「わたしが言葉を交わすのは、愛し子であるファテナだけだ」
ファテナが答える前に氷のように冷たい声が響き、アディヤはびくりと肩を縮める。
「そんな意地悪なこと言わなくてもいいのに。ザフィルとは色々と話していたじゃない」
「あの男とも、楽しく会話をした記憶などない」
不機嫌そうに顔を背けるヤーファルを見て、ファテナはため息をついて苦笑した。
集落の中央部、やはりザフィルの館が燃えているようで、近づくほどに空の赤さが増していく。
急がねばと足を早めた時、前方に人だかりができていることに気づいた。その中心に倒れる人影を見た瞬間、ファテナは思わず駆け出していた。
「エフラさん……!」
周囲が止めるのも構わず、震える手で地面を掴んで何とか立ちあがろうとするエフラだが、力が入らないようで起き上がることができないでいる。身体のまわりには真っ赤な血溜まりができていて、彼がどれほどの血を失ったのかと恐ろしくなる。
周囲に集まる人をかき分けてそばに膝をついたファテナに気づいたのか、エフラは微かな吐息を漏らした。
「……ァテナ、さん。どうしてここに……」
「喋らないで。酷い傷だわ」
元は白かった服も、血に濡れて赤黒く染まってべったりと肌に貼りついている。どうやら傷は身体を貫かれたもののようで、腹部と背中から今も血が滲み出している。
見たことのない量の出血に手が震えるが、それを堪えてエフラに触れようとした時、ファテナの耳に囁くような精霊の声が響いた。
――このまま傷口を撫でてやるといい。おまえの手を通じて、わたしの力を流し込もう。
あまり多くの人前に姿をあらわすことを好まない精霊は、いつの間にかいなくなっていた。声が聞こえるということは、そばにはいるのだろう。
小さくうなずいて、ファテナはエフラの傷口にそっと触れた。それと同時にひんやりとしたものが腕を伝う感覚があり、傷口が綺麗に塞がっていく。
「……傷が」
痛みが消えたためか、不思議そうに腹部を押さえたエフラは、ファテナを見上げて微かに表情を緩めた。傷を治したのが誰なのか、言わなくとも感じ取ったのだろう。
「ザフィル様のもとへ行かなければ。弟が――ガージが、長を打ち倒すと」
立ち上がったエフラは、先程よりもしっかりとした表情をしているものの、顔色は青白いままだ。大量の血を失ったせいか、ふらついている。
「私が行くから、エフラさんは休んでて」
「そんなこと……っ、ガージはあなたのことも狙っている」
「分かってる。私もガージには会ったわ。あの人の企みも知ってる。だけど、大丈夫だから」
「でも」
言い合っていると、うしろで不安げに見守っていた男の一人が前に進み出てきた。
「あの……もしかして、姫様?」
「え、あ……」
「やっぱりそうだ。髪の色が違ったから最初は分からなかったけど、声で分かりました。おれのこと、覚えてますか? ウトリド族で何度かお話ししたことある、ニダールです」
笑顔でそう自己紹介をしたニダールのことは、ファテナも覚えていた。ウトリド族の中でも手先が器用で、人々の頼りにされていた男だ。
今更正体を隠しても仕方がないと考えて、ファテナは顔を上げてうなずいた。
「もちろん覚えているわ。久しぶりね、ニダール」
「館の火事で亡くなったと聞かされていましたが、無事だったんですね。本当に良かった。……ウトリドの長たちのことは、ご存知ですか」
「えぇ、知ってるわ。両親と妹がした罪深い行いも、彼らが処刑されたことも、分かってる。私は精霊を呼ぶ力を一度失ったけど、テミム族の長であるザフィルに救われたの」
「そうだったんですね。かつてはおれたちも、テミム族は野蛮だと思い込んでいましたが、今となってはウトリド族の方がよっぽど酷かったと思います。襲撃には驚きましたが、彼らはおれたちを決して傷つけなかったし、こうして新たな生活の場所も与えてくれた」
白い歯を見せて笑うニダールの表情は明るく、心からテミム族に馴染んでいることが分かる。そのことに安心しながらも、ファテナは館の方に視線を向けた。
「……だから私は、ザフィルを助けたいの」
「おれたちも同じ気持ちですよ。長の館が燃えていることに気づいて、皆で向かっているところだったんです」
その途中で、同じくザフィルのもとを目指していたエフラとも出会ったのだという。酷い怪我をしている彼のために別の者が医者を呼びに行っており、もうじき到着するとのことだった。
傷は塞がっても消耗している様子のエフラは動くことすら困難なようで、ファテナはニダールとアディヤと共にザフィルの館を目指すことにした。エフラのことは、医者が対応してくれるだろう。
足早にザフィルの館を目指しつつ、隣を歩くアディヤがこそりとファテナの耳元で囁く。怪我をしていたのだから動かず待機していてほしいと伝えたファテナの言葉に彼女は決してうなずかず、結局一緒に小屋を出たのだ。
まるで遠慮なく会話をするファテナとヤーファルを見て、アディヤは信じられないといった表情をずっと浮かべている。
「わたしが言葉を交わすのは、愛し子であるファテナだけだ」
ファテナが答える前に氷のように冷たい声が響き、アディヤはびくりと肩を縮める。
「そんな意地悪なこと言わなくてもいいのに。ザフィルとは色々と話していたじゃない」
「あの男とも、楽しく会話をした記憶などない」
不機嫌そうに顔を背けるヤーファルを見て、ファテナはため息をついて苦笑した。
集落の中央部、やはりザフィルの館が燃えているようで、近づくほどに空の赤さが増していく。
急がねばと足を早めた時、前方に人だかりができていることに気づいた。その中心に倒れる人影を見た瞬間、ファテナは思わず駆け出していた。
「エフラさん……!」
周囲が止めるのも構わず、震える手で地面を掴んで何とか立ちあがろうとするエフラだが、力が入らないようで起き上がることができないでいる。身体のまわりには真っ赤な血溜まりができていて、彼がどれほどの血を失ったのかと恐ろしくなる。
周囲に集まる人をかき分けてそばに膝をついたファテナに気づいたのか、エフラは微かな吐息を漏らした。
「……ァテナ、さん。どうしてここに……」
「喋らないで。酷い傷だわ」
元は白かった服も、血に濡れて赤黒く染まってべったりと肌に貼りついている。どうやら傷は身体を貫かれたもののようで、腹部と背中から今も血が滲み出している。
見たことのない量の出血に手が震えるが、それを堪えてエフラに触れようとした時、ファテナの耳に囁くような精霊の声が響いた。
――このまま傷口を撫でてやるといい。おまえの手を通じて、わたしの力を流し込もう。
あまり多くの人前に姿をあらわすことを好まない精霊は、いつの間にかいなくなっていた。声が聞こえるということは、そばにはいるのだろう。
小さくうなずいて、ファテナはエフラの傷口にそっと触れた。それと同時にひんやりとしたものが腕を伝う感覚があり、傷口が綺麗に塞がっていく。
「……傷が」
痛みが消えたためか、不思議そうに腹部を押さえたエフラは、ファテナを見上げて微かに表情を緩めた。傷を治したのが誰なのか、言わなくとも感じ取ったのだろう。
「ザフィル様のもとへ行かなければ。弟が――ガージが、長を打ち倒すと」
立ち上がったエフラは、先程よりもしっかりとした表情をしているものの、顔色は青白いままだ。大量の血を失ったせいか、ふらついている。
「私が行くから、エフラさんは休んでて」
「そんなこと……っ、ガージはあなたのことも狙っている」
「分かってる。私もガージには会ったわ。あの人の企みも知ってる。だけど、大丈夫だから」
「でも」
言い合っていると、うしろで不安げに見守っていた男の一人が前に進み出てきた。
「あの……もしかして、姫様?」
「え、あ……」
「やっぱりそうだ。髪の色が違ったから最初は分からなかったけど、声で分かりました。おれのこと、覚えてますか? ウトリド族で何度かお話ししたことある、ニダールです」
笑顔でそう自己紹介をしたニダールのことは、ファテナも覚えていた。ウトリド族の中でも手先が器用で、人々の頼りにされていた男だ。
今更正体を隠しても仕方がないと考えて、ファテナは顔を上げてうなずいた。
「もちろん覚えているわ。久しぶりね、ニダール」
「館の火事で亡くなったと聞かされていましたが、無事だったんですね。本当に良かった。……ウトリドの長たちのことは、ご存知ですか」
「えぇ、知ってるわ。両親と妹がした罪深い行いも、彼らが処刑されたことも、分かってる。私は精霊を呼ぶ力を一度失ったけど、テミム族の長であるザフィルに救われたの」
「そうだったんですね。かつてはおれたちも、テミム族は野蛮だと思い込んでいましたが、今となってはウトリド族の方がよっぽど酷かったと思います。襲撃には驚きましたが、彼らはおれたちを決して傷つけなかったし、こうして新たな生活の場所も与えてくれた」
白い歯を見せて笑うニダールの表情は明るく、心からテミム族に馴染んでいることが分かる。そのことに安心しながらも、ファテナは館の方に視線を向けた。
「……だから私は、ザフィルを助けたいの」
「おれたちも同じ気持ちですよ。長の館が燃えていることに気づいて、皆で向かっているところだったんです」
その途中で、同じくザフィルのもとを目指していたエフラとも出会ったのだという。酷い怪我をしている彼のために別の者が医者を呼びに行っており、もうじき到着するとのことだった。
傷は塞がっても消耗している様子のエフラは動くことすら困難なようで、ファテナはニダールとアディヤと共にザフィルの館を目指すことにした。エフラのことは、医者が対応してくれるだろう。
24
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる