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「エフラさんは、おれたち元ウトリドの者に対しても良くしてくれた。だから、双子の弟であるガージがしようとしていることに彼は無関係であると信じられるし、おれたちが長を助けに行かなければならないと思ってます。今こそ、受けた恩を返す時だ」
燃え盛る館を目の前にして、ニダールが険しい表情を浮かべる。空は真っ赤に染まり、吹きつける風も火傷するほどに熱い。
ニダールの言葉通り、消火活動にあたる人々の中には見覚えのある元ウトリドの民の姿もある。
だが、ウトリド族が襲撃された時のことを思い出して、ファテナは胸を押さえた。目に映る光景は、あの晩と同じだ。火を消すことができず、自分の無力さに絶望した気持ちがよみがえる。
それでも、今度は違う。この命に代えても、ザフィルを助けると決めたのだから。
「私は、ザフィルを探しに行くわ。ニダールは消火と人々の誘導をお願い」
「ですが姫様、危険です」
「平気よ。何のためにここまで来たと思うの。黙って見ているだけなんて、できないわ」
こんなところで言い争う時間がもったいない。今にもザフィルが危険な目に遭っているかもしれないのだ。焦るファテナと困ったように眉を顰めるニダールの前に、アディヤが進み出た。
「ファテナ様のことは、ザフィル様に護衛役を仰せつかっていたこの私が、ちゃんとお守りしますから」
彼女の力強い言葉に、ニダールも分かったとうなずいた。くれぐれもファテナを頼むと言い残して、彼は消火活動のために駆け出していった。
「ありがとう、アディヤ。でも無理はしないでね。あなたも怪我をしていたのだから」
「あんなもの、大したことないです。それに、すぐに治していただきましたから」
そう言ってアディヤは、まだ火の回っていない東側の扉からファテナを館の中へと促した。
館の内部はまだ燃えていないが、煙が充満している。咳込むファテナに布で口元を抑えるように言いながら、アディヤは館の奥へと進んでいく。
その時、外からわぁっと叫び声が聞こえてファテナは思わず足を止めた。ザフィルの声ではなさそうだが、剣を打ち合うような金属音も響き、明らかに誰かが外で戦っている。
「ファテナ様はここで待っていてください。そこの窓から確認します」
アディヤが囁くと、警戒しつつ窓から身を乗り出した。厳しい表情で外を確認していた彼女は、やがて戻ってくると眉を寄せた。
「恐らくガージ側についた者ですね。火を放ったのも彼らでしょう。先程のニダールらが応戦しているようです」
「大丈夫なのかしら」
「人数はこちら側の方が圧倒的に多いですから、何とかなると思います。ですが、ガージの姿は見えなかったので、別の場所にいる可能性が高いですね。あいつはザフィル様を自らの手で倒すことを目的としているはずですから、配下の者には足止めを命じていると考える方が自然です」
「それなら、急がなくちゃ」
「ザフィル様の部屋は、ここを曲がった先の突き当たりです。この状況で、部屋にいるかどうかは分かりませんが」
「精霊に聞けば、居場所が分かるかしら」
ファテナがつぶやくと、ふわりと冷たい風が吹きつけた。
「精霊の力を何だと思っているのかな。私は、人探しをするために呼ばれたのか」
そう言いながら、ヤーファルがファテナのうしろにあらわれた。その瞬間、しっとりとした霧があたりに広がる。おかげで煙混じりの空気がかき消えて、呼吸がしやすくなる。
「煙を吸い過ぎれば死んでしまうよ、ファテナ。おまえの魂を欲してはいるが、苦しんで死ぬようなことはさせたくないのだ」
深く呼吸をするよう促され、ファテナは大きく息を吸い込んだ。冷たい空気によって、肺の中に入り込んだ煙が浄化されていくような心地になる。隣でアディヤも、安堵した表情で深呼吸していた。
「あの男は、この先の部屋にいるようだね。血の臭いがするから、あまり近づきたくはないが」
ヤーファルは嫌そうに顔をしかめるが、ファテナは唇を引き結んで首を横に振った。
「その血を流しているのが、ザフィルかもしれないでしょう。私の魂を欲しいというのなら、一緒に来てもらわないと困るわ」
「まったく、このわたしにそんなことを命じるのはおまえだけだよ、ファテナ。我が愛し子は、精霊すら手玉に取る恐ろしい子だ」
苦笑しつつ、ヤーファルはファテナに手を差し出した。その仕草に、渋々ながらも一緒に行くという精霊の意志を感じ取って、ファテナは深くうなずいた。
ひんやりとした精霊の手を握りながら、もう片方の手で扉をそっと開く。軋むことなく静かに開いた扉の向こうは、広い部屋だった。灯りはついていないが、大きな窓から月の光が差し込んでいて中は案外明るい。
その部屋の中央に、二つの人影。片方は床に膝をつき、もう片方が斬りかかった剣を何とか受け止めている状況だ。すさまじい力で斬りかかられているのか、剣を持つ手がぶるぶると震えている。
分が悪い方がザフィルで、ガージは勝利を確信したかのように唇を歪めて笑っている。
「……っザフィル!」
ファテナは思わず、彼の名前を叫んでいた。
燃え盛る館を目の前にして、ニダールが険しい表情を浮かべる。空は真っ赤に染まり、吹きつける風も火傷するほどに熱い。
ニダールの言葉通り、消火活動にあたる人々の中には見覚えのある元ウトリドの民の姿もある。
だが、ウトリド族が襲撃された時のことを思い出して、ファテナは胸を押さえた。目に映る光景は、あの晩と同じだ。火を消すことができず、自分の無力さに絶望した気持ちがよみがえる。
それでも、今度は違う。この命に代えても、ザフィルを助けると決めたのだから。
「私は、ザフィルを探しに行くわ。ニダールは消火と人々の誘導をお願い」
「ですが姫様、危険です」
「平気よ。何のためにここまで来たと思うの。黙って見ているだけなんて、できないわ」
こんなところで言い争う時間がもったいない。今にもザフィルが危険な目に遭っているかもしれないのだ。焦るファテナと困ったように眉を顰めるニダールの前に、アディヤが進み出た。
「ファテナ様のことは、ザフィル様に護衛役を仰せつかっていたこの私が、ちゃんとお守りしますから」
彼女の力強い言葉に、ニダールも分かったとうなずいた。くれぐれもファテナを頼むと言い残して、彼は消火活動のために駆け出していった。
「ありがとう、アディヤ。でも無理はしないでね。あなたも怪我をしていたのだから」
「あんなもの、大したことないです。それに、すぐに治していただきましたから」
そう言ってアディヤは、まだ火の回っていない東側の扉からファテナを館の中へと促した。
館の内部はまだ燃えていないが、煙が充満している。咳込むファテナに布で口元を抑えるように言いながら、アディヤは館の奥へと進んでいく。
その時、外からわぁっと叫び声が聞こえてファテナは思わず足を止めた。ザフィルの声ではなさそうだが、剣を打ち合うような金属音も響き、明らかに誰かが外で戦っている。
「ファテナ様はここで待っていてください。そこの窓から確認します」
アディヤが囁くと、警戒しつつ窓から身を乗り出した。厳しい表情で外を確認していた彼女は、やがて戻ってくると眉を寄せた。
「恐らくガージ側についた者ですね。火を放ったのも彼らでしょう。先程のニダールらが応戦しているようです」
「大丈夫なのかしら」
「人数はこちら側の方が圧倒的に多いですから、何とかなると思います。ですが、ガージの姿は見えなかったので、別の場所にいる可能性が高いですね。あいつはザフィル様を自らの手で倒すことを目的としているはずですから、配下の者には足止めを命じていると考える方が自然です」
「それなら、急がなくちゃ」
「ザフィル様の部屋は、ここを曲がった先の突き当たりです。この状況で、部屋にいるかどうかは分かりませんが」
「精霊に聞けば、居場所が分かるかしら」
ファテナがつぶやくと、ふわりと冷たい風が吹きつけた。
「精霊の力を何だと思っているのかな。私は、人探しをするために呼ばれたのか」
そう言いながら、ヤーファルがファテナのうしろにあらわれた。その瞬間、しっとりとした霧があたりに広がる。おかげで煙混じりの空気がかき消えて、呼吸がしやすくなる。
「煙を吸い過ぎれば死んでしまうよ、ファテナ。おまえの魂を欲してはいるが、苦しんで死ぬようなことはさせたくないのだ」
深く呼吸をするよう促され、ファテナは大きく息を吸い込んだ。冷たい空気によって、肺の中に入り込んだ煙が浄化されていくような心地になる。隣でアディヤも、安堵した表情で深呼吸していた。
「あの男は、この先の部屋にいるようだね。血の臭いがするから、あまり近づきたくはないが」
ヤーファルは嫌そうに顔をしかめるが、ファテナは唇を引き結んで首を横に振った。
「その血を流しているのが、ザフィルかもしれないでしょう。私の魂を欲しいというのなら、一緒に来てもらわないと困るわ」
「まったく、このわたしにそんなことを命じるのはおまえだけだよ、ファテナ。我が愛し子は、精霊すら手玉に取る恐ろしい子だ」
苦笑しつつ、ヤーファルはファテナに手を差し出した。その仕草に、渋々ながらも一緒に行くという精霊の意志を感じ取って、ファテナは深くうなずいた。
ひんやりとした精霊の手を握りながら、もう片方の手で扉をそっと開く。軋むことなく静かに開いた扉の向こうは、広い部屋だった。灯りはついていないが、大きな窓から月の光が差し込んでいて中は案外明るい。
その部屋の中央に、二つの人影。片方は床に膝をつき、もう片方が斬りかかった剣を何とか受け止めている状況だ。すさまじい力で斬りかかられているのか、剣を持つ手がぶるぶると震えている。
分が悪い方がザフィルで、ガージは勝利を確信したかのように唇を歪めて笑っている。
「……っザフィル!」
ファテナは思わず、彼の名前を叫んでいた。
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