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愛し子 1

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 眩い光が消えた時、ザフィルの腕の中でファテナは目覚めた。真っ白な世界に囚われていたような記憶があるものの、瞬きを繰り返すうちにそれも朧げになっていく。
 ぽたりと頬に熱いものが垂れてきて、視線を上げると、ザフィルの瞳からいくつもの雫があふれてはこぼれ落ちていた。
「……泣いてるの? ザフィル」
「ファテナ……戻ってきたんだな……良かった」
 乱暴に手の甲で涙を拭ったザフィルは、ファテナを強く抱きしめた。その腕はぶるぶると震えている。
 泣いてはいるものの顔色は悪くないし、ザフィルの身体を蝕んでいた毒は消えたのだろう。その対価として、ファテナは精霊に魂を捧げたはずだ。
 何故自分がこうして今も生きているのか分からなくて、ファテナは戸惑って身じろぎする。そこに、ゆっくりとヤーファルが近づいてきた。
「ファテナ」
 優しく名前を呼ばれて、ファテナは顔を上げる。ザフィルが守るように強く抱きしめるが、それを止めて精霊の前に進み出た。
「あの、私の……魂を」
 あらためて対価を捧げようと、覚悟を決めて口を開くと、ヤーファルの指先がそっと唇に触れた。
「おまえは精霊には向かない。魂にまで、その男の臭いが染みついているからね。だから、おまえの魂をもらうことはやめにした」
「で、でも、それじゃあ……」
 ファテナは慌てて首を振る。魂を捧げられないのなら、ザフィルの治癒も取り消されてしまうかもしれないのだ。
 青ざめたファテナを見て、精霊は優しく微笑むと手を伸ばした。ひんやりとした指先が、短くなった髪をゆっくりと梳く。
「我々の仲間にはなれないが、おまえがわたしの愛し子であることに変わりはない。わたしは、おまえの純白の髪がとても気に入っていたのだ。だから、対価にはその髪の色をもらおう」
 その言葉と同時に、さらさらと指からこぼれ落ちる髪が白く色を変えていった。あっという間に根元まで真っ白に染まった髪は、発光しているかのように輝いている。
「その色は、もう二度と戻らない。一生、純白のままだ」
 思わず頭に手をやったファテナを見て、精霊は満足げにうなずく。
「精霊になるのは幸せなことだと思っていたが、おまえにとってどうやらそうではなさそうだからね。おまえは、その男のそばにいたいのだろう?」
「……それは」
 ヤーファルの言葉に、ファテナは一瞬言葉に詰まる。だが、優しく見つめる精霊の瞳はファテナの気持ちなどお見通しだというように笑っている。
 その表情に勇気をもらって、ファテナはザフィルの手を握りしめるとヤーファルをまっすぐに見上げた。
「えぇ、私はザフィルのそばにいたい。初めて一緒にいたいと思った人なの。許されるなら、ずっと共に生きていきたい」
「それが、おまえの望みなのだね」
 穏やかな声で確認されて、ファテナは深くうなずく。
「だけどこれは、私自身が叶えることだから。精霊の力は、借りない」
 はっきりと宣言すると、精霊が分かっているというように微笑んでうなずいた。
 同時に、ザフィルがファテナの身体を引き寄せると、しっかりと抱きしめた。
「俺の望みも、あんたと一緒にいることだ、ファテナ。ずっとそばにいて欲しい」
 耳元で願われた言葉に、ファテナはもちろんと囁いて強く抱きしめ返した。
 固く抱き合う二人を見て、ヤーファルは小さなため息をついた。
「お互いの魂にまで染みつくほどの深い絆だとは思わなかったよ。本当におまえは、予想外のことばかりしでかすから目が離せない」
 呆れたような口調ながらもその表情は明るく、ファテナを見つめる瞳は慈しむように優しい。
「わたしには、愛し子の幸せを見守る義務があるからね。ずっとおまえのそばにいるよ」
 そう言って頭を撫でようと伸ばされた精霊の手は、ザフィルがファテナの身体を背に隠したために空を切る。
「ファテナのそばにいるのは俺だし、ファテナを幸せにするのも俺の役目だ。あんたはさっさと森へ帰れ」
 威嚇するようなザフィルの言葉を受けて、ヤーファルは凄みのある美しい笑みを見せた。
「おまえにそう言われると、ますます森へ帰りたくなくなった。近くに水の枯れかけた泉があっただろう。わたしはそこに棲むことにするよ」
「泉に……?」
「かつては他の精霊が棲んでいたようだが、今は誰もいない。だからこそあの泉は枯れかけているのだ。わたしがあの泉に棲むことで、水は再び湧くだろう。おまえたちは水がなければ生きていけないのだから、わたしを拒絶できまい」
 勝ち誇ったような精霊の言葉に、ファテナは思わずザフィルと顔を見合わせた。
 砂漠の多いこの地に暮らす者にとって、水源の確保は何よりも大切なものだ。精霊が泉に棲むことで水が湧くのなら、確かにそれを拒絶なんてできない。
「いずれおまえは、子を産むだろう。おまえの血を引いているなら、その子もわたしの愛し子に変わりはない。愛し子がこの地にある限り、わたしは見守り続けると約束しよう」
 いつの間にかすぐそばに立っていた精霊は、まるで誓いを立てるかのようにファテナの白い髪を掬い上げて口づけた。
――幸せにおなり、我が愛し子。わたしは、いつでもおまえを見守っているよ。
 最後にふわりとファテナの髪を撫でるように揺らしたあと、精霊の声が遠くで響いた。
 目の前にいたはずの精霊の姿はすでになく、ひんやりとした空気だけが残っていた。
「……いなく、なっちゃった」
 つぶやいたファテナに、ザフィルも黙ってうなずく。棲み処と定めた泉へ行ったのだろうか。
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