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12 寿命
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エリスはニナの事が大好きである。
明るく素直な性格は貴族社会で育ったエリスには新鮮で、天才である故にか自由奔放で幼い言動も庇護欲を抱かせた。そして何より、凍った心を溶かしてくれた、窮屈な人生から解き放ってくれた、大切な恩人だ。
そんなニナが幼児や赤子など、通常以上に手のかかる姿になると愛おしさが増した。ただニナが可愛い生き物だからだと思っているエリスだが、実際は「ニナには私が必要」とより強く実感できるからだ。この事にエリス自身は気付いていない。「恩人のニナに必要とされない自分は無価値」と自己評価の低いエリスは無意識に思っているのである。
辺境伯に好意を向けられようとも聖女だと持て囃されようとも、それは揺るがない。ずっと生きながらに死んでいたエリスはニナと出会ったおかげで蘇った。つまり、何にも縛られない自由な人間としては生まれたばかりとも言える。親鳥を目にしたの雛ようにニナを求めるのも仕方が無いのだ。雛が親鳥の面倒を見ているという逆転した状況だが、それはニナの推察通りにエリスが愛されるより愛したいタイプであるが故である。
時が経てば、自然にエリスの自己評価の低さは改善され、ニナへの強すぎる刷り込み的依存も正常な友愛へと落ち着いただろう。だが、現実はそれを待ってくれるほど優しくは無い。
「えりすー、私……人間じゃなかった……」
突然招集されたニナが心配で転移陣のある部屋の前で待機していたエリスは、夕刻に砦から帰還したニナの言葉に首を傾げる。
「……人間じゃない?」
「うん、正確にはちがうけど、はんぶん魔族なんだって……」
転移陣の部屋の扉前に立っているニナは俯いたまま。何があったのかは分からないが、ニナの雰囲気から冗談では無いと判断したエリスが騒ぐ胸を無理矢理鎮めてニナに微笑みかける。
「でも、ニナはニナでしょう?」
エリスならばそう言ってくれると予想していたニナもぎこちなく笑い返す。それを見て、エリスは更に胸が騒ぐ。ニナが再び口を開こうとする。嫌だ、聞きたくない、聞いてはならない、そんな予感がして耳を塞ぎたくなるのを堪えるエリスは、
「寿命、人とちがうかもって……」
その言葉にただただ絶句するしかなかった。
ニナが自分より早く亡くなるのも、自分が死んだ後に人より長く生き続けて孤独を背負うのも、エリスには受け入れがたい。
二人が何も言えずにいると、部屋の中で転移陣発動の際の大きな魔力放出音が響き、すぐに扉が開かれる。現れたのは辺境伯だった。エリスの顔色からニナに話を聞いたのだと察した辺境伯は、今この場で安い慰めの言葉を掛けるのは逆効果だと判断した。
「ニナ、エリスを部屋に連れて行き、落ち着かせてやれ」
「言われなくてもそうするしー。ところでタナカは?」
「魔族が現れたのでさえ前代未聞だ。その上に亡命など。準備や根回しなく都市に住まわせるのは混乱を招く」
「あっそー。……エリス帰ろー、ニナちゃんおやつ食べたーい」
ニナに服の袖をくいくい引かれたエリスがはっとして、いつも通りを装うニナを目にし、
──そうだわ、私よりもニナ本人の方が衝撃を受けているはず。それなのにニナは私を気遣って平然としている……私は何て情けないの。私が落ち込んだところで状況は好転しない。事実に打ちのめされていても仕方がないわ。
「……そうね、転移陣は魔力を沢山消費するから疲れたでしょう。何か甘い物を用意するわ」
エリスはニナの手をそっと握り、微笑んだ。ニナも先ほどより自然な笑みで返す。
「お昼前に、りーげるんとこでちょこ食べたから、ちょこ以外がいいー」
「殿下との約束はお菓子を頂く事だったの? あまり殿下に迷惑を掛けては駄目よ」
「とりひきのほうしゅうだもん」
「一体何の取引したの?」
「ひみつ」
「あらあら」
ニナと手を繋いで去ろうとしたエリスは、そこで初めて辺境伯の存在に気が付く。
「辺境伯様! いつからそこに居られたのですか」
「……今しがた帰還した所だ」
「そうですか、辺境伯様も転移でお疲れでしょう。今日はゆっくりなさってくださいね」
「……ああ」
昼に片付けしているエリスへの告白も聞かれておらず、帰還した今も存在を認識されていなかった。
背が高く、美しい見目で否が応でも人の目を引き、上に立つ者特有の高貴さを纏う圧倒的存在感な辺境伯でさえ、ニナを前にしたエリスにとってはちっぽけな存在、というより空気になるのだ。辺境伯はようやく、誰もが気が付いているエリスのニナに対する愛の重さを、その身をもって思い知ったのだった。
□
辺境伯とタナフォスとが交渉した結果、魔族が亡命した事は極秘とされ、この事を知るのは国王と王太子と辺境伯、その側近、そして軍の上層部のごく限られた人間のみとなった。例外としては魔族の因子を持つニナ本人と、ニナを養育したシェンテ男爵一家、最も近しい友人のエリスと第四王子リーゲルだ。
タナフォスは魔族であることを隠す事に難色を示した。魔術で人間へと姿を変える事は簡単だが、魔族にとってそれは相当屈辱的というか、気分が悪いようで「我こそ真の人間であり、貴様らは劣等種」などと公言しない代わりに魔族だと堂々としていたいと主張していたのだ。魔族が人間の国に存在しているとなれば、大なり小なり問題を引き起こすのは間違いなく。その様子を観察しようという魂胆だ。アリの巣観察気分である。当然人間側は許可できない。
辺境伯はタナフォスにここ二百年の人間社会や文化の変化と同時に、魔族の亡命が公表された際に起こりうる出来事の予想を余す事なく伝えた。それは、人間の大半が持つ「人間にとって都合の良い解釈」を排除していた為、タナフォスは感心した。
「ふうん。俯瞰的視点を多少は持ってるんだ。果たして劣等種の何割が君と同程度なのか。気が変わった。いいよ、劣等種に扮してあげる」
と言って、人外めいた姿から、白髪緑瞳の青年へと変化。人間離れしている程整った顔つきのままであるが、色白くとも血の通っているように見える肌色と粒子を放たない瞳になるだけで人間そのものになるのだった。本人曰く、内臓も人間のものになっているらしいが確かめる事は誰も出来ない。
「というわけで、エリスー。こいつが魔族のタナカ」
子供姿のニナは隣に立つタナフォスをぞんざいに指差してから、たたたっと向かいに立つエリスの隣に移動した。現在、場所は城の応接間。ここは辺境伯が私用で使う一室だ。エリスの斜め後方にはリーゲル。彼は事前に王家へ報告する関係でこの魔族と相見しているが、正真正銘初めて対面したエリスはその美しさに思わず何度か瞬きした後に挨拶をする。
「初めまして、ニナの友人で同居人のエリスと申します」
「やあ、劣等種……じゃなくて人間にしては美しいお嬢さん。実験体の世話をしているのは君か。僕は魔族のタナフォスカファバー、タナフォスと呼んで」
ニナがエリスの右手を両手で握りながら訂正する。
「タナカ」
「うん、まあ、実験体と同じく君もそう呼びたいのであれば止めはしないよ」
「い、いえ、タナフォス様とお呼びします……」
小声で「こら、ニナ」と叱るがニナはぷいと顔を背けるだけであった。先に着席した辺境伯に続き、皆がソファへと腰掛ける。
「すみません、ニナがご迷惑をおかけしている様で」
「いや、構わないよ。そもそもタナフォスカファバーという名でさえ正確では無いからね」
タナフォスは机からティーカップを手に取る。湯気の立つ紅茶を見詰め「やっぱり変な匂い」と呟いてから静かに口に含む。不味いとも美味しいとも感じていなさそうな表情である。
「それで、今日聞きたいのは実験体の寿命だったよね」
エリスは膝の上の拳を握りしめる。
「はい」
「今、走査魔術で実験体を調べたけど」
「勝手にニナちゃんしらべたのかーこぬやろうー」
抗議の声を上げるニナに向けて辺境伯が棒付きキャンディを差し出した。砦の一件以来、ニナは辺境伯から食べ物を差し出されても拒否しなくなった。エリスの為の言葉で、ほんの少しだけ見直したのだろう。上機嫌になり飴を静かにぺろぺろ舐める。
「まったく駄目、やっぱりそれなりの設備で解析しないと。といっても人間の技術じゃ無理なんだよね。困った困った」
全く困ってい無さそうにあははと笑うタナフォス。
「ニナの寿命はわからないまま……?」
悲し気なエリス。辺境伯がタナフォスに胡乱な目を向ける。
「凄いね、君。喧嘩したら確実に僕に負けるのにそういう態度取れるって。感心するよ。まあ、それは置いといて、僕も実験体がどの程度生存するかは把握しておきたいから方法は考えてきたよ」
ニナが死んである程度の期間が過ぎれば、タナフォスは魔族の国へ帰れる可能性が高い。多少高位魔族が五月蠅いかもしれないが、責任を追及される原因となった存在が消えたとなれば何とでもなる。
「まず用意してほしいのは、そうだな……『鑑識眼』を持つ人間」
「かんしきがん?」
飴を舐めながらニナが首を傾げる。エリスが物事を識別する判断力だと教えてやる。
「そんなのでニナちゃんの寿命わかんの?」
「僕が言っているのは能力としての鑑識眼さ。他人の魔力の質がわかったり、魔力の流れを視認できたりする、そこそこ珍しい眼の事。この星の生物なら魔物でさえ保持している個体が出てくるから、人間も同様のはずだよ。鑑識眼の持ち主に実験体の魂の年齢を見て貰えれば、実験体の魔力量、魔力回復速度から計算して、おおよその寿命はわかるんだけど」
エリスはそんな眼の持ち主は聞いたことが無いと絶望しかけるが、辺境伯は「ふむ」と少し考えて口を開く。
「もしや、『鑑定』の固有魔術を使える者の事では無いか?」
固有魔術とは、その使い手のみが使用できる、通常の魔術では再現不可能な術の事である。血によって受け継がれる事が多いが、それも絶対では無く、突然変異的に現れる事も多い。分かっているのは、魔力持ちの人間にしかその使い手は現れないという事だけ。
「ええ、まさか人間って鑑識眼を固有魔術だと思っているのかい? 無知ってすごいねー、あはは」
わざとらしく驚くタナフォスに構わずに辺境伯は席を立つ。
「徴税請負人にその固有魔術の使い手がいる。至急呼び寄せよう」
□
「嫌っす、嫌っすー。勘弁っすー」
秘書官アルバが眼鏡をかけた女性をずりずり引き摺りながら入室してきた。
「給金はいくらでも上乗せしてやると言っているでしょう」
「それでも嫌っすよー。昔、不倫調査してって頼まれて人間に『鑑識』使って大変なことになったんすよー。そいつ五人くらいと不倫してたし、しかも金目当てで金持ちの小太りオッサンとも……オェッオッサンの汚い情事現場突撃に道連れされた時を思い出して吐き気が……とにかく逆恨みされて破傷沙汰に巻き込まれるわでホント大変だったんすよ」
「今回はそんな事にならないから安心しなさい」
「地形変えるほどの魔術師とか逆恨みされたら木っ端みじんすっよーひええ」
涙と鼻水を流しはじめた徴税人に成人姿に戻ったニナがてくてく歩み寄る。
「オッサンの汚いじょうじについて詳しくー」
「ニナ、何を聞こうとしているの!」
エリスが顔を青くしてめっと叱る。
「彼女が件の魔術師です」
「えっ子供?」
「ニナさんは成人なのだ」
「ちんまい成人っすねー。まさか地形変えるほどの魔術師とは」
「ニナさんは凄いのだ」
「そうは見えないっすー」
「なんだとー爆散させちゃるぞー」
「怒っても可愛いので怖くないっす」
後方の椅子に座す辺境伯がが声を上げる。
「そろそろ本題に戻ってくれないか」
「はっそうだった。ちょーぜーにんのねえちゃん! ニナさんの魂の年齢をみてみて!」
徴税人は聞きなれない単語に「は?」となる。
「鑑識眼を持つ君なら、普段から生物のおおよその年齢はわかるはずだよ」
とてつもない美形の男に驚きつつ徴税人は答える。
「私でなくとも誰でも外見でおおよその年齢はわかるはずっすよ。確かにサバ読んでるオバサンとかはすぐに看破できるっすけど。それは感が良いからで……」
「違う。君は人間以外の生物の年齢もわかるはずだよ」
「それも毛並みとかで誰でもわかるは……」
「いや! わからんよ!?」
ニナが大きな声で徴税人の言葉を遮る。
「ミョーって寿命長いけど、ニナさん見ても若いのか年寄りなのかとかさっぱりわからん!」
「え?」
きょとんとする徴税人。その場の者が次々にニナの意見に同意する。
「私も馬ならまだしも他はわからない」
「猫も小さいと子猫だと分かるだけで大人猫は区別がつきません」
「犬も同様です。余程の老犬は確かに毛並みでわかりますが」
「そ、そうなんすか……」
自分が他と少し違うと知った徴税人は少しショックを受けている。
「さて、それを意識した上で、僕とじっけ……じゃなくてニナ以外の人間を視てご覧。違和感が無いだろう」
「はあ……そっすね」
「そして僕を視て」
「はあ……ん?????????????」
「違和感の塊だろう?」
「そ、そっすね?」
現在、内臓まで人間に化けているタナフォスは肉体と魂年齢の乖離が著しい。鑑識眼と言えど情報が読み取れない。
「さ、次はニナを」
「……そこの美形の兄さん程じゃないっすけど、違和感あるっすね」
その言葉にエリスが息をのむ。
「なんか……見た目より小さい子っぽい感じが……」
「まさか、一歳にも満たない赤ちゃん……!?」
「いや、そこまでではないっす。五、六歳の子って感じっす」
少しガッカリした顔をするエリス。ばぶニナに余程再来して欲しいらしい彼女へ、ニナは真ん丸な目を向けるしか無かった。
「五、六歳か。少し待ってくれ計算する」
タナフォスが手をかざすと彼の前に光る数字らしきものが浮かび上がり、人間の目には捉えられない速さで処理されてゆく。その光景に驚きと興奮で釘付けの徴税人をアルバが連れて来た時と同じように引き摺りながら強制退出させた。
「なるほど、大病しなければだけどニナは後六百年は生きるね。思ったより長いな、まあいいけど」
エリスはその言葉に胸の辺りにドスンと重い物がのしかかる錯覚を感じた。ニナがエリスの顔色が悪くなった事にいち早く気が付いたが何も出来なかった。気にするなと言った所で無意味だからだ。
「そんな……ニナは……私が死んだ後も、ずっと……」
ニナはこれから人の世で、人ならざる者としてその長い時間を過ごす事になる。それがどれほど寂しいものかは常人になど想像できない。
何やら重い空気になっているが気にせずタナフォスは明るい声を出す。
「お嬢さん気にしすぎだよ。ほら、僕が居るからニナは独りじゃない。良かったね」
「タナカのことよく知らんから、うれしくないでーす」
正直、ニナの事を実験体と呼んだタナフォスがニナの傍に居続けるのはエリスにとってはまた別の不安である。今すぐは無くとも、百年経過すればもう許されるだろうとニナを殺して帰国を試みる可能性があるからだ
タナフォス本人は同僚がこっそり逃がしたニナを殺す気はさらさら無いのだが、それを言われて信じるほどの関係は、会ったばかりの現時点で構築できていないので仕方がない。
「……早く……子供を作らなければいけないわ」
エリスの口から零れた言葉に辺境伯とリーゲルが驚く。
「エリス―? なんでそうなるー?」
ニナが眉を八の字にして尋ねるとエリスは真面目な顔でニナを見詰めた。
「私の子供が、子孫が、ニナの傍に居続ければニナは孤独じゃない、そうでしょう?」
「こどもにニナさんの傍に居ろ強制はこどもにとってはとても微妙では? エリスのこども、みんながみんなニナさん好きになるとは思えないんだなー」
「でも、私が居なくなっても私に似た子がいればニナはどう? 嬉しくない?」
「……うれしいかもだけどー」
「ならいいでしょう? これしか方法がないのよ」
引かないエリスにニナは困ってしまう。
「エリス様、今後については落ち着いてから考えましょう」
リーゲルの言葉に辺境伯も頷く。
「動揺しているのだろう、顔色も悪い。今日はもう部屋で休むといい」
ニナは二人の発言に驚いた。子供を作るのには相手が必要。正常な精神状態で無いエリスに「子作りの相手は自分が」と言質を取るかもしれないと思っていたのに。特に聖女騒動で弱ったエリスに付け入ろうとした辺境伯は意外だった。砦での発言といい、今回といい、ニナが絡む件は利用しないのは色惚けにしては賢いと評価を改めざるを得ないのだった。
明るく素直な性格は貴族社会で育ったエリスには新鮮で、天才である故にか自由奔放で幼い言動も庇護欲を抱かせた。そして何より、凍った心を溶かしてくれた、窮屈な人生から解き放ってくれた、大切な恩人だ。
そんなニナが幼児や赤子など、通常以上に手のかかる姿になると愛おしさが増した。ただニナが可愛い生き物だからだと思っているエリスだが、実際は「ニナには私が必要」とより強く実感できるからだ。この事にエリス自身は気付いていない。「恩人のニナに必要とされない自分は無価値」と自己評価の低いエリスは無意識に思っているのである。
辺境伯に好意を向けられようとも聖女だと持て囃されようとも、それは揺るがない。ずっと生きながらに死んでいたエリスはニナと出会ったおかげで蘇った。つまり、何にも縛られない自由な人間としては生まれたばかりとも言える。親鳥を目にしたの雛ようにニナを求めるのも仕方が無いのだ。雛が親鳥の面倒を見ているという逆転した状況だが、それはニナの推察通りにエリスが愛されるより愛したいタイプであるが故である。
時が経てば、自然にエリスの自己評価の低さは改善され、ニナへの強すぎる刷り込み的依存も正常な友愛へと落ち着いただろう。だが、現実はそれを待ってくれるほど優しくは無い。
「えりすー、私……人間じゃなかった……」
突然招集されたニナが心配で転移陣のある部屋の前で待機していたエリスは、夕刻に砦から帰還したニナの言葉に首を傾げる。
「……人間じゃない?」
「うん、正確にはちがうけど、はんぶん魔族なんだって……」
転移陣の部屋の扉前に立っているニナは俯いたまま。何があったのかは分からないが、ニナの雰囲気から冗談では無いと判断したエリスが騒ぐ胸を無理矢理鎮めてニナに微笑みかける。
「でも、ニナはニナでしょう?」
エリスならばそう言ってくれると予想していたニナもぎこちなく笑い返す。それを見て、エリスは更に胸が騒ぐ。ニナが再び口を開こうとする。嫌だ、聞きたくない、聞いてはならない、そんな予感がして耳を塞ぎたくなるのを堪えるエリスは、
「寿命、人とちがうかもって……」
その言葉にただただ絶句するしかなかった。
ニナが自分より早く亡くなるのも、自分が死んだ後に人より長く生き続けて孤独を背負うのも、エリスには受け入れがたい。
二人が何も言えずにいると、部屋の中で転移陣発動の際の大きな魔力放出音が響き、すぐに扉が開かれる。現れたのは辺境伯だった。エリスの顔色からニナに話を聞いたのだと察した辺境伯は、今この場で安い慰めの言葉を掛けるのは逆効果だと判断した。
「ニナ、エリスを部屋に連れて行き、落ち着かせてやれ」
「言われなくてもそうするしー。ところでタナカは?」
「魔族が現れたのでさえ前代未聞だ。その上に亡命など。準備や根回しなく都市に住まわせるのは混乱を招く」
「あっそー。……エリス帰ろー、ニナちゃんおやつ食べたーい」
ニナに服の袖をくいくい引かれたエリスがはっとして、いつも通りを装うニナを目にし、
──そうだわ、私よりもニナ本人の方が衝撃を受けているはず。それなのにニナは私を気遣って平然としている……私は何て情けないの。私が落ち込んだところで状況は好転しない。事実に打ちのめされていても仕方がないわ。
「……そうね、転移陣は魔力を沢山消費するから疲れたでしょう。何か甘い物を用意するわ」
エリスはニナの手をそっと握り、微笑んだ。ニナも先ほどより自然な笑みで返す。
「お昼前に、りーげるんとこでちょこ食べたから、ちょこ以外がいいー」
「殿下との約束はお菓子を頂く事だったの? あまり殿下に迷惑を掛けては駄目よ」
「とりひきのほうしゅうだもん」
「一体何の取引したの?」
「ひみつ」
「あらあら」
ニナと手を繋いで去ろうとしたエリスは、そこで初めて辺境伯の存在に気が付く。
「辺境伯様! いつからそこに居られたのですか」
「……今しがた帰還した所だ」
「そうですか、辺境伯様も転移でお疲れでしょう。今日はゆっくりなさってくださいね」
「……ああ」
昼に片付けしているエリスへの告白も聞かれておらず、帰還した今も存在を認識されていなかった。
背が高く、美しい見目で否が応でも人の目を引き、上に立つ者特有の高貴さを纏う圧倒的存在感な辺境伯でさえ、ニナを前にしたエリスにとってはちっぽけな存在、というより空気になるのだ。辺境伯はようやく、誰もが気が付いているエリスのニナに対する愛の重さを、その身をもって思い知ったのだった。
□
辺境伯とタナフォスとが交渉した結果、魔族が亡命した事は極秘とされ、この事を知るのは国王と王太子と辺境伯、その側近、そして軍の上層部のごく限られた人間のみとなった。例外としては魔族の因子を持つニナ本人と、ニナを養育したシェンテ男爵一家、最も近しい友人のエリスと第四王子リーゲルだ。
タナフォスは魔族であることを隠す事に難色を示した。魔術で人間へと姿を変える事は簡単だが、魔族にとってそれは相当屈辱的というか、気分が悪いようで「我こそ真の人間であり、貴様らは劣等種」などと公言しない代わりに魔族だと堂々としていたいと主張していたのだ。魔族が人間の国に存在しているとなれば、大なり小なり問題を引き起こすのは間違いなく。その様子を観察しようという魂胆だ。アリの巣観察気分である。当然人間側は許可できない。
辺境伯はタナフォスにここ二百年の人間社会や文化の変化と同時に、魔族の亡命が公表された際に起こりうる出来事の予想を余す事なく伝えた。それは、人間の大半が持つ「人間にとって都合の良い解釈」を排除していた為、タナフォスは感心した。
「ふうん。俯瞰的視点を多少は持ってるんだ。果たして劣等種の何割が君と同程度なのか。気が変わった。いいよ、劣等種に扮してあげる」
と言って、人外めいた姿から、白髪緑瞳の青年へと変化。人間離れしている程整った顔つきのままであるが、色白くとも血の通っているように見える肌色と粒子を放たない瞳になるだけで人間そのものになるのだった。本人曰く、内臓も人間のものになっているらしいが確かめる事は誰も出来ない。
「というわけで、エリスー。こいつが魔族のタナカ」
子供姿のニナは隣に立つタナフォスをぞんざいに指差してから、たたたっと向かいに立つエリスの隣に移動した。現在、場所は城の応接間。ここは辺境伯が私用で使う一室だ。エリスの斜め後方にはリーゲル。彼は事前に王家へ報告する関係でこの魔族と相見しているが、正真正銘初めて対面したエリスはその美しさに思わず何度か瞬きした後に挨拶をする。
「初めまして、ニナの友人で同居人のエリスと申します」
「やあ、劣等種……じゃなくて人間にしては美しいお嬢さん。実験体の世話をしているのは君か。僕は魔族のタナフォスカファバー、タナフォスと呼んで」
ニナがエリスの右手を両手で握りながら訂正する。
「タナカ」
「うん、まあ、実験体と同じく君もそう呼びたいのであれば止めはしないよ」
「い、いえ、タナフォス様とお呼びします……」
小声で「こら、ニナ」と叱るがニナはぷいと顔を背けるだけであった。先に着席した辺境伯に続き、皆がソファへと腰掛ける。
「すみません、ニナがご迷惑をおかけしている様で」
「いや、構わないよ。そもそもタナフォスカファバーという名でさえ正確では無いからね」
タナフォスは机からティーカップを手に取る。湯気の立つ紅茶を見詰め「やっぱり変な匂い」と呟いてから静かに口に含む。不味いとも美味しいとも感じていなさそうな表情である。
「それで、今日聞きたいのは実験体の寿命だったよね」
エリスは膝の上の拳を握りしめる。
「はい」
「今、走査魔術で実験体を調べたけど」
「勝手にニナちゃんしらべたのかーこぬやろうー」
抗議の声を上げるニナに向けて辺境伯が棒付きキャンディを差し出した。砦の一件以来、ニナは辺境伯から食べ物を差し出されても拒否しなくなった。エリスの為の言葉で、ほんの少しだけ見直したのだろう。上機嫌になり飴を静かにぺろぺろ舐める。
「まったく駄目、やっぱりそれなりの設備で解析しないと。といっても人間の技術じゃ無理なんだよね。困った困った」
全く困ってい無さそうにあははと笑うタナフォス。
「ニナの寿命はわからないまま……?」
悲し気なエリス。辺境伯がタナフォスに胡乱な目を向ける。
「凄いね、君。喧嘩したら確実に僕に負けるのにそういう態度取れるって。感心するよ。まあ、それは置いといて、僕も実験体がどの程度生存するかは把握しておきたいから方法は考えてきたよ」
ニナが死んである程度の期間が過ぎれば、タナフォスは魔族の国へ帰れる可能性が高い。多少高位魔族が五月蠅いかもしれないが、責任を追及される原因となった存在が消えたとなれば何とでもなる。
「まず用意してほしいのは、そうだな……『鑑識眼』を持つ人間」
「かんしきがん?」
飴を舐めながらニナが首を傾げる。エリスが物事を識別する判断力だと教えてやる。
「そんなのでニナちゃんの寿命わかんの?」
「僕が言っているのは能力としての鑑識眼さ。他人の魔力の質がわかったり、魔力の流れを視認できたりする、そこそこ珍しい眼の事。この星の生物なら魔物でさえ保持している個体が出てくるから、人間も同様のはずだよ。鑑識眼の持ち主に実験体の魂の年齢を見て貰えれば、実験体の魔力量、魔力回復速度から計算して、おおよその寿命はわかるんだけど」
エリスはそんな眼の持ち主は聞いたことが無いと絶望しかけるが、辺境伯は「ふむ」と少し考えて口を開く。
「もしや、『鑑定』の固有魔術を使える者の事では無いか?」
固有魔術とは、その使い手のみが使用できる、通常の魔術では再現不可能な術の事である。血によって受け継がれる事が多いが、それも絶対では無く、突然変異的に現れる事も多い。分かっているのは、魔力持ちの人間にしかその使い手は現れないという事だけ。
「ええ、まさか人間って鑑識眼を固有魔術だと思っているのかい? 無知ってすごいねー、あはは」
わざとらしく驚くタナフォスに構わずに辺境伯は席を立つ。
「徴税請負人にその固有魔術の使い手がいる。至急呼び寄せよう」
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「嫌っす、嫌っすー。勘弁っすー」
秘書官アルバが眼鏡をかけた女性をずりずり引き摺りながら入室してきた。
「給金はいくらでも上乗せしてやると言っているでしょう」
「それでも嫌っすよー。昔、不倫調査してって頼まれて人間に『鑑識』使って大変なことになったんすよー。そいつ五人くらいと不倫してたし、しかも金目当てで金持ちの小太りオッサンとも……オェッオッサンの汚い情事現場突撃に道連れされた時を思い出して吐き気が……とにかく逆恨みされて破傷沙汰に巻き込まれるわでホント大変だったんすよ」
「今回はそんな事にならないから安心しなさい」
「地形変えるほどの魔術師とか逆恨みされたら木っ端みじんすっよーひええ」
涙と鼻水を流しはじめた徴税人に成人姿に戻ったニナがてくてく歩み寄る。
「オッサンの汚いじょうじについて詳しくー」
「ニナ、何を聞こうとしているの!」
エリスが顔を青くしてめっと叱る。
「彼女が件の魔術師です」
「えっ子供?」
「ニナさんは成人なのだ」
「ちんまい成人っすねー。まさか地形変えるほどの魔術師とは」
「ニナさんは凄いのだ」
「そうは見えないっすー」
「なんだとー爆散させちゃるぞー」
「怒っても可愛いので怖くないっす」
後方の椅子に座す辺境伯がが声を上げる。
「そろそろ本題に戻ってくれないか」
「はっそうだった。ちょーぜーにんのねえちゃん! ニナさんの魂の年齢をみてみて!」
徴税人は聞きなれない単語に「は?」となる。
「鑑識眼を持つ君なら、普段から生物のおおよその年齢はわかるはずだよ」
とてつもない美形の男に驚きつつ徴税人は答える。
「私でなくとも誰でも外見でおおよその年齢はわかるはずっすよ。確かにサバ読んでるオバサンとかはすぐに看破できるっすけど。それは感が良いからで……」
「違う。君は人間以外の生物の年齢もわかるはずだよ」
「それも毛並みとかで誰でもわかるは……」
「いや! わからんよ!?」
ニナが大きな声で徴税人の言葉を遮る。
「ミョーって寿命長いけど、ニナさん見ても若いのか年寄りなのかとかさっぱりわからん!」
「え?」
きょとんとする徴税人。その場の者が次々にニナの意見に同意する。
「私も馬ならまだしも他はわからない」
「猫も小さいと子猫だと分かるだけで大人猫は区別がつきません」
「犬も同様です。余程の老犬は確かに毛並みでわかりますが」
「そ、そうなんすか……」
自分が他と少し違うと知った徴税人は少しショックを受けている。
「さて、それを意識した上で、僕とじっけ……じゃなくてニナ以外の人間を視てご覧。違和感が無いだろう」
「はあ……そっすね」
「そして僕を視て」
「はあ……ん?????????????」
「違和感の塊だろう?」
「そ、そっすね?」
現在、内臓まで人間に化けているタナフォスは肉体と魂年齢の乖離が著しい。鑑識眼と言えど情報が読み取れない。
「さ、次はニナを」
「……そこの美形の兄さん程じゃないっすけど、違和感あるっすね」
その言葉にエリスが息をのむ。
「なんか……見た目より小さい子っぽい感じが……」
「まさか、一歳にも満たない赤ちゃん……!?」
「いや、そこまでではないっす。五、六歳の子って感じっす」
少しガッカリした顔をするエリス。ばぶニナに余程再来して欲しいらしい彼女へ、ニナは真ん丸な目を向けるしか無かった。
「五、六歳か。少し待ってくれ計算する」
タナフォスが手をかざすと彼の前に光る数字らしきものが浮かび上がり、人間の目には捉えられない速さで処理されてゆく。その光景に驚きと興奮で釘付けの徴税人をアルバが連れて来た時と同じように引き摺りながら強制退出させた。
「なるほど、大病しなければだけどニナは後六百年は生きるね。思ったより長いな、まあいいけど」
エリスはその言葉に胸の辺りにドスンと重い物がのしかかる錯覚を感じた。ニナがエリスの顔色が悪くなった事にいち早く気が付いたが何も出来なかった。気にするなと言った所で無意味だからだ。
「そんな……ニナは……私が死んだ後も、ずっと……」
ニナはこれから人の世で、人ならざる者としてその長い時間を過ごす事になる。それがどれほど寂しいものかは常人になど想像できない。
何やら重い空気になっているが気にせずタナフォスは明るい声を出す。
「お嬢さん気にしすぎだよ。ほら、僕が居るからニナは独りじゃない。良かったね」
「タナカのことよく知らんから、うれしくないでーす」
正直、ニナの事を実験体と呼んだタナフォスがニナの傍に居続けるのはエリスにとってはまた別の不安である。今すぐは無くとも、百年経過すればもう許されるだろうとニナを殺して帰国を試みる可能性があるからだ
タナフォス本人は同僚がこっそり逃がしたニナを殺す気はさらさら無いのだが、それを言われて信じるほどの関係は、会ったばかりの現時点で構築できていないので仕方がない。
「……早く……子供を作らなければいけないわ」
エリスの口から零れた言葉に辺境伯とリーゲルが驚く。
「エリス―? なんでそうなるー?」
ニナが眉を八の字にして尋ねるとエリスは真面目な顔でニナを見詰めた。
「私の子供が、子孫が、ニナの傍に居続ければニナは孤独じゃない、そうでしょう?」
「こどもにニナさんの傍に居ろ強制はこどもにとってはとても微妙では? エリスのこども、みんながみんなニナさん好きになるとは思えないんだなー」
「でも、私が居なくなっても私に似た子がいればニナはどう? 嬉しくない?」
「……うれしいかもだけどー」
「ならいいでしょう? これしか方法がないのよ」
引かないエリスにニナは困ってしまう。
「エリス様、今後については落ち着いてから考えましょう」
リーゲルの言葉に辺境伯も頷く。
「動揺しているのだろう、顔色も悪い。今日はもう部屋で休むといい」
ニナは二人の発言に驚いた。子供を作るのには相手が必要。正常な精神状態で無いエリスに「子作りの相手は自分が」と言質を取るかもしれないと思っていたのに。特に聖女騒動で弱ったエリスに付け入ろうとした辺境伯は意外だった。砦での発言といい、今回といい、ニナが絡む件は利用しないのは色惚けにしては賢いと評価を改めざるを得ないのだった。
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