元侯爵令嬢は辺境で友人と平穏に暮らしたい。

あの時削ぎ落とした欲

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15 走るニナ

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 それからというもの、エリスはリーゲルと遭遇すると逃げるようになった。
 これまで友人として接していた人物に突然恋愛感情を持たれていたと知ったのなら戸惑うのも仕方がないと無理矢理納得させていたが、一週間も挨拶すらしてくれないとなるとリーゲルがジメジメになるのも仕方がない事である。

「……エリス様……そんなに僕が嫌いだったなんて」

 王族の所有する辺境の屋敷、つまりはリーゲルの住処の一室でニナはジメジメで項垂れている彼に申し訳なさそうにして言葉をかける。

「エリスはちょっと動揺してるだけだって言ってたぞー。もうちょっとで元に戻るからってー」
「……元の関係に戻って聞かなかったことにするんですね」
「そ、そうはならんと思うがーたぶんーきっとーおそらくー……」

 言い切ることはできないニナにリーゲルは更に消沈する。
 ニナもエリスにリーゲルをどう思っているのか聞こうとしたが、頑ななエリスは話そうとしない。

「僕は失恋したんだな……」
「いや、そうと決まったわけではー……ないとおもうけどー……」

 リーゲルは顔を上げどこを見ているかもわからない瞳で前を向いた。

「もう少し距離を縮めてから告白すれば、まともに話して気持ちに決着をつけられただろうか……」
「うっ」

 リーゲルの好意を突然エリスにバラしてしまったニナにその一言は効いた。そう、しかるべき順序を踏んでいればエリスが逃げの一手を取ることも無かっただろう。恋愛関係に発展するかしないかは置いて、良い雰囲気で締めくくることはできたに違いない。
 恋愛感情の関係ないリオスの提案はすんなり判断できるが、恋愛初心者であるエリスは好意を受け入れるにせよ、断るにせよ、心の準備が必要だったというのに。ニナのせいでなんかグダグダになってしまった。

 虚ろな表情のリーゲルを見てニナは懊悩する。ニナとてリーゲルは嫌いでない。学生時代は友達じゃないと言い張ったが、実際は友達だと思っている。

「うぅ~~~~、わかった! ニナちゃんがどうにかする! 待ってろりーげる!」





 城に返ってきたニナは幼児姿に変身してから滞在する部屋に向かった。今日は休日の為、エリスは部屋で本を読んでいた。

「エリス! 何でリーゲル避ける!」
「何でって、前にも言った通り、すこし動揺しているの。だから少し落ち着いたら……」
「そんなん言ってもう何日!? さすがに逃げられまくるりーげるかわいそかわいそ!」

 リーゲルが可哀想と言われてエリスは言葉に詰まる。

「いますぐ理由だけでも言って!」
「……ええと、理由もよくわからなくて……少し冷静になってから考えたいの」
「今考えて―早くー早く―!」

 ニナは地面に寝転がり手足をバタバタさせて駄々っ子ムーブを始める。だが、エリスは本当にもう少し冷静になってからリーゲルと向き合いたいのだ。

「今考えてくれたら1日ばぶニナちゃんプレゼント!」
「え!? 本当? わかったわ、今すぐ何故か考えてみるわね」

 嬉しそうにしてから、すぐに考え込むように口に手を当てるエリス。自分から言ったもののエリスはどんだけ赤子ニナが好きなんだよ……とニナは腑に落ちない気持ちになった。

 エリスは思考の海に沈みこむ。今まで貴族令嬢としての役割を果たす以外のことを考え無いようにしていた為、苦手ではあるが自分の気持ちを手探りで確かめる。
 心はかつてない程動揺していた。まさか、リーゲルが自分に好意を持っているなどにわかには信じがたかった。しかし、ニナが嘘を吐くとも思えない。だから事実なのだろう。
 そういえば辺境に来たばかりのリーゲルに街を案内した休日、妙に距離が近かった。エリスの中では「親切な殿下が平民となった私が異性との距離に慣れる為、親切で平民としての距離で接してくれた」とぼんやり結論付けていたが、もしやそうではなかったのか。純粋な好意からであったのか。
 そもそも顔見知り程度だったのに、学園在学中急に接してきたのはニナと過ごすようになってから、という事はその時点で少しだとしても興味を持たれていたのは間違いない。ニナに興味があっての事かもしれないと一瞬思い付くものの、恋愛感情があることを前提として思い返せば、リーゲルは分かりやすい程ニナよりもエリスのことを気にしてくれていた。

 何故、リーゲルの想いに気付けなかったのか。辺境伯の好意には気が付くのに。
 考えてみれば簡単なことだった。気付かなかったのではない、早々気付いていて無意識に目を逸らしていたのだ。なにせ当時は対立していた派閥の人間、しかも婚約者の弟である。いや、派閥や家については言い訳だ。単に婚約者の弟ということで、最初から除外していたのだ。あのまま結婚して、王子妃になったとして、リーゲルから想いを寄せられたままだとしたら、険悪な夫との仲やニナが傍にいない辛さから確実にリーゲルを頼ってしまっただろう。その結果、よからぬ噂などされればリーゲルの名誉に傷が付く。それだけは避けたかったのだ。

 避けたい。どうして。

 ───だって、リーゲル殿下は元婚約者と兄弟のはずなのに正反対で。王太子候補と思えないほど浅慮で短気な元婚約者、常に笑みを崩さず冷静で穏やかなリーゲル殿下。

 エリスを罵倒して得意げだった婚約者はリーゲルには何も言い返せていなかった。兄弟の中で一番武術は優秀だったらしいが、弟に言葉で勝てないからと逃げていた。力では勝てない筈の相手にリーゲルはその知性で戦う前から勝っていたのだ。

 ──素敵と思わない方が難しいわ。だから私は殿下に迷惑を掛けたくなかった。

 迷惑を掛けて嫌われたくなかった。彼にエリスさえいなければ、なんて少しでも思われたくなかった。彼はそんな他責思考ではないと信じているが、彼だって人間だ。不貞を疑われ疲れてしまった時にエリスさえ好きにならなければ、何て少しも思わないのは難しいかもしれない。でも、それは嫌だ。

「ねえ、ニナ。嫌われたくないというのは、どういうこと?」
「ふぁっ? 嫌われたくないなら好かれたいなんでは? 知らんけど」

 ──そうか、私は殿下に好かれたかった。つまり私は殿下が好きだった……のかしら。だからこそ、好意から目を逸ら……あら?

 好きなままでいて欲しいから、好意から目を逸らした。結果だけみれば悪女に近い。

「私、殿下になんて酷いことをっ……」

 もう平民であるエリスはリーゲルの好意を素直に受け取っても良かったのだ。平民と貴族の身分問題はあるが、以前の立場にくらべれば容易い壁だ。だというのに今が幸せだからと引き続き無意識に無視し続けた。

「私……殿下に顔向けできない……」

 真っ赤になった顔を両手で覆って小刻みに震えるエリス。

「あれー?」

 リーゲルから逃げるエリスをどうにかしたかったのに悪化させてしまったニナは焦る。エリスを揺さぶっても何の反応が無い為、困ったニナはリーゲルの元へと走っていった。





「りーげる! どうにかしようと思ったらエリスがりーげるに顔向けできないとか言い出しちゃった!」

 飛び出していったニナがすぐ戻ってきたと思ったら、この一言。リーゲルはもう何も発言できなかった。その何も感じさせない無の表情にニナは流石にやばいと感じ、いままでかいたことの無い種類の汗を感じた。

「りーげるりーげるしっかりしろ! あー、えーっと、エリスはリーゲルのこと好きっぽいから顔向けできないって! 嫌いとかじゃないから! な! な!?」

 その言葉にリーゲルの瞳に僅かに光が戻り、ホッとするニナ。

「その好きは……友人としてだと?」
「うーん、ニナさんにはよくわからんが違う気がする?」

 まさか本当に? とは思ったが、鈍いエリスが気が付かなかったリーゲルの好意を、それがわかりやすいものだったとはいえ感じ取っていたニナだ。その彼女の意見が全く外れているとは思いにくいとリーゲルは判断した。顔をあげニナを見詰める。

「少なくとも恋愛対象として論外ではないということでしょうか」
「うん! それは多分まちがいないぞ!」

 リーゲルからジメジメが晴れてゆく。

「しかし、そうとなると何故顔向けができないのか……」
「それは知らん」
「……エリス様に理由を伺いたいですが、それは難しいでしょうか」

 顔を真っ赤にしていたエリスを思い出しニナは頷く。

「ちょっとあの様子だと無理かも?」
「そうですか……続けて避けられるのであればどうしてよいのやら。無理矢理こちらから押し掛けるのは失礼ですし」
「焦らんでいーんでは?」
「僕もそうしたいのですが……」

 少しづつ恋愛対象として仲を深めていきたいと思うリーゲルだが、エリスが現在辺境伯の元で暮らしているのを忘れてはいけない。接する機会はあちらの方が多いのだから、ふとした何かの切っ掛けでエリスの心が辺境伯に傾いてしまうかもしれないのだ。
 それを説明されてニナは気が付く。エリスが辺境伯の元で暮らすようになったのは聖女騒動のせい。聖女騒動は何故起こったか、エリスの薬が神殿に知られたせい。エリスの薬が知られたのは何故か、ニナがエリスの薬は凄いと広めようとしたせい。

「あっ……」

 エリスに好きなように結婚相手を探して欲しい、そして幸せになって欲しいのだと気が付いたニナは特に誰も推してはいない。しかし、辺境伯に有利でリーゲルに不利な状況を作ったのはニナだ。
 辺境伯がエリスに接しようとする度ばぶニナで邪魔することもできるが、エリスに選んで欲しいなら邪魔するべきではない。再び困ったニナはリーゲルに直接言う事も出来ず、エリスの元へ急いで帰ることにした。





「ニナ、どこへ言っていたの? 心配したのよ」

 少し落ち着きを取り戻すとニナが居ないことに気が付いたエリスは門番からニナが出たことを聞いて少し嫌な予感がした。しかし外に出る事もできず部屋でニナを待っていた。

「りーげるのとこいってた」
「えっ」
「りーげるにエリスはりーげる好きっぽいって伝えて安心させてきたんだけどー、そこで問題に気づいちゃってー……」
「えっ」

 嫌な予感が的中してしまった。

 ──そんな、今まで好意を無視していたことでさえ失礼なのに、避けていたことも謝らずに、先に好意があることだけ殿下に知られた……? どうすればいいの、どんな顔して会えばいいの。恥ずかしい。こんな小さな事で動揺する自分が情けない……。ニナの為に子孫を残すなんて言ったのに、恋愛感情を意識しただけでこの体たらく……心優しい殿下と言えど私に呆れるかもしれないわ。

 エリスの顔からじわじわ血の気が引くのを目にし、ニナが固まる。そうだ、リーゲルの好意をバラすのはよくないことだった、なのにエリスの好意をリーゲルに伝えてしまった。しかも、その事をエリスに伝えてしまった。せめて黙って置けば良かった。

「ごめん、エリス、ごめん……」

 今迄散々迷惑を掛けているのに、エリスの初めての恋愛事も台無しにしている。ニナの目に涙が滲み始める。
 ここで、いつものエリスならばニナの涙に気が付き「ニナは悪く無いわ」と声を掛けただろう。だが、現在エリスは俯いたままふらふらと寝室へ向かった。様子がおかしいニナは追いかける。たどり着いた寝室、エリスは自分のベッドに上がり、毛布をばさりと被り蹲る。そう、それは白いパン。ニナの寝方である。何かもう精神が限界になったエリスはパンになってしまったのである。

「えりすー……? えりすー?」

 名を呼び何度揺さぶっても微動だにしない白いパン。真っ青になったニナは寝室を飛び出した。





 帰ったはずのニナがリーゲルの元へまたもや現れた。何故か号泣しながら。

「うぇっうぇっ」
「どうしたんですか、ニナ嬢!」

 とりあえず止まらない涙と鼻水を拭ってやりながらソファに座るよう促し、落ち着くまで待ってやってから理由を尋ねる。

「エリスが白いパンになっちゃって、全然動かなくてェ……」
「はい?」
「エリスがりーげる好きっぽいのりーげるに言ったのエリスに言うのダメだった……」
「あぁ、成程……」

 先ほどはジメジメしていて気が回らなかったが、ニナがエリスの好意をリーゲルに伝えたことを黙っていられるはずが無いのだ。理由はわからないが顔向けできないと言っているエリスがそれを知ったら更に動揺するだろう。その結果、これ以上の外からの情報を拒むように布団に引きこもったのだと推測した。それにしてもニナの呼びかけにも反応しないとなると余程のことである。

 ──そこまで動揺が悪化というのは……自惚れかもしれないが、もしかすると辺境伯よりも僕はエリス様に好感を持たれている? それならば焦る必要はそれほどないかもしれない。だが……。

 リーゲルはそこで、鼻水をかんでいるニナへ視線を向ける。

 恋愛初心者であるリーゲル、同じく恋愛初心者であるエリス、そこにニナを投入すると──何か、グダグダになる。それは現在の状況を見ても明らか。女性の好む恋愛劇や恋愛小説のようなロマンチックな恋愛はまず不可能であると考えた方がいい。それに、今後エリスと恋人になれたとして、ニナが無意識に良い雰囲気をクラッシュしてゆくのは間違いない。それどころか、些細なすれ違いがニナを介して悪化していく様さえ目に浮かぶ。予測できたとしても奔放なお子様ニナを対処しつつ、上手く恋愛関係を発展させてゆく自身がない。

 ──ニナ嬢の存在が悪いのではない。ニナ嬢の言動に対処できない僕が悪い。僕が恋愛経験豊富であれば……。

 リーゲルは少しの間瞼を伏せて黙考し、決意を確かに目を開けた。

「ニナ嬢、僕はエリス様の元へ向かいます」
「えっ?」
「貴女は落ち着くまでここに居てかまいませんよ」
「……んーん、付いてく……」

 リーゲルは元気なくぽてぽて歩くニナと手を繋いでゆっくりと歩いて向かった。
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