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第2章 《蜘蛛の意図決戦》
第2章19『はやく死ねばいいのに』
しおりを挟む「私に協力してくれたら、シオンさんの呪いに関する情報をあげる。これで、少しは話を聞く気になったかな、レイ」
ぱ、りっ。
氷が砕けるようなそんな繊細な音を最後に、この空間の時が止まった。
ボクの時が止まって、息が思うように吸えなくなった。目の前の少女は、こちらの動きに一つも動揺を見せず、挙句にはその薄い唇に嘲笑さえも浮かべている。全ては彼女の手の中に。
ボクは振られるサイコロの一つに過ぎない。ここは彼女のフィールドで、本拠地で、同じ土俵にすら立てていないことに今更ながら気付かされた。彼女は、ボクの欲しいものを持っている。今、縋るものが無いボクの状況を、打開案に飢える不思議部部長を、知っているのだ。そして、この逆境を揺るがす情報を、彼女は持っているのだ。顎を、つぅっと汗が滴った。ゆっくりと、言葉を探す。ここは彼女に、エコトちゃんに従うべきだ。
「お願いだよ、レイ。私のこと怖がらないで、見捨てないで、見放さないで。君に協力しよう。だから君も、私を救うと約束をしてほしい」
「─────分かった」
酷く芝居めいた彼女の渇望に、ボクはにわかに顎を引く。得体の知れない少女との、夜の学校での取引。それはあまりに、理不尽で、不本意で突然なものだったけれど。ただ一人の少女を救うには、安すぎる対価である。
「約束する。君も救う。だから、もう一回、教えてくれ。君はこの学校の生徒なのか? 一体君は、何者なんだ?」
「私は、エコト。この学校を出られない、地縛霊みたいなものなんだ」
ああそうか。幽霊。地縛霊だから。だから取ろうとした手は、絡めようとした小指は、こんなにも透き通っているのか。彼女からは生への欲望も、情に満ちた眼差しも感じられなかった。ただ、恨みも念も無い、薄っぺらい幽霊なのだ。
「いずれ、私の願いも聞いてもらおっかな。幽霊と契りを交わしたんだ。破ったらどうなるのかなんて、……言わなくても分かるよね」
「怖いな、幽霊さんとやらは」
「そう? 本当に心外過ぎて逆に私がびっくりしてるけど。レイはあんまり驚いてないように見えるなあ」
「何が“びっくり”だ。お前こそさっきから何一つ表情が変わってねえじゃねえか。確かにボクは幽霊とか、そういう類には弱いけどさ」
「不思議部部長のくせに軟弱なことで」
「部長が軟弱でも、副部長が最強ゴリラなんでな、バランス取れてんだよ──それに、タイミングが良かったんだ。今会ってなかったら、多分お前のことも信用できてなかったぜ」
「それはそれは、私は随分ラッキーガールじゃないか。言い換えれば、今、君が私を信頼してくれているということだもんね」
「────黙れ、エコト」
歩き出したボクの後ろに、いささか不満そうに口をつぐんだ少女が音もなく着いてきた。軽口を交わすために取り引きをしたのではない。何より、彼女と話していると、心がいやにざわついて仕方が無かったのだ。
静まり返った夜の学校には、ボクと彼女の二人だけ。月明かりさえ届かない廊下に、一人分の足音と二人分の話し声が響いた。
「それで、私は都合がいいことにユーレーだからさ。見てたんだよ、全部」
「全部って……!」
「ああ、全部だ。君の醜態も、臼居少年の頑張りも、清田少年の守ってきた秘密も、私は知ってる。──シオンさんの背中に張り付いた痣、蜘蛛の形なんでしょう」
蚊取り線香みたいな渦を巻いた蜘蛛の痣、だったよね。ボクは沈黙を落として、被服室の角を曲がった。
「シオンさんと同じ痣を持っているヒト、知ってるんだよね、私」
「はあっ!?」
思わず振り返ってしまったじゃないか。
案の上、エコトちゃんは性格の悪そうな笑みを浮かべていた。同じ痣を持っているということは、呪いの大元か、同じく呪いをかけられた者である可能性が高い。ボクは鼻息荒く、
「そっ、それはどこの誰で、どのくらい強そうなんだ。あと、下半身は蜘蛛か!?」
「はいはいどうどう。ちゃんと待てが出来ない子は嫌いだよ」
「それなら両想いじゃないか、ボクも君が大嫌いだ」
「イトモクハルサメ、この町の大図書館で働く女性職員。……女性の下半身事情を口にするのは気が引けるから、レイが自分で確認してくれないかな。捕まらないことを祈ってるよ」
「何の問題も起こさねえよ! 本当にその人が、痣を……?」
「彼女は、私の知人でね。優しくしてあげてもらえると嬉しい。何せ、私やレイと同じく、友達の少ない子だからね」
「何でぼっち枠にボクも加入してんだよっ」
「え? 一匹狼代表及びぼっち協会公認戦隊、友情飢餓隊のリーダーは君じゃないか、レイ」
「初耳なんだよ、そんな協会!」
「ちなみに、私はロンリーピンキー担当だよ」
「それならボクは───」
そこで、少女の足がぴたりと止まった。別校舎から本校舎へ通ずる、渡り廊下の境。彼女はそれ以上、こちらに来ようとはしなかった。人形よりいくらか生気の抜けた顔、古びたセーラー服から覗ける手足には、やはりサァーッと鱗が這っている。だが、よくよく見ればその瞳にはかすかに光が灯っていた。情でもない、怨念でもない。それは屈託の無い、澄み切った輝きで。
「なあ、エコトちゃん、君は」
「ただのユーレーだよ。勘違いしたら、いけない。こうして君と話せているけれど、魂の灯し火だって尽きていないけれど。私は確実に、あっちの世界の者なのだから」
ぱりっ。
「探し物が、あるんでしょう。さあ、振り返らず、私を置いて進んでお行き」
昔話に出てくる老婆のような言葉遣いで、彼女はボクを急かした。
「あ! 携帯、取りに来たんだっけ……。じゃあ、行くよ。教えてくれてありがとな、エコトちゃん。君のことについては、また今度、絶対解決するから!」
振り返らず、ボクはひらひらと手だけを振って走った。不思議と、もう夜の学校に微塵も恐怖を感じなくなっていたことを、ボクは覚えている。
◆◆◆
「──この世に“絶対”が存在するなら」
────ぱりっ。
「ごめんね、あなたは絶対に約束を守れない」
────闇に浮き出た赤い双貌が。
「だってハルちゃんには、誰も勝てないんだもん」
────ぱりっ。
「私の幸せも、空白も心情も渇きも哀愁も。何一つ、あなたの手には負えないんだから」
────凍てついた空気を砕く唇が。
「手向けの花束は豪華にしなくっちゃ。いささか気は向かないけれど、飾りには貧相な雑草も添えて。だから、ね」
─────ぱりっ。
「はやく死ねばいいのに、氷雨レイ」
───ぱりんっ。
少女の悲愴を掻き毟るように、それは、いっそう大きく響いたのだった。
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