蝙蝠怪キ譚

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第3章《酔狂の鬼殺し》

第3章4『鬼を探す死霊』

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「きゃあああっ────────!」


「長谷川、今の!」

「裏山の方から聞こえた、急ぐわよ!」

「応!!」

 一度だけ目配せして、白子と私は走り出した。この学園は、今更ながら膨大な敷地に恵まれている。四階建ての校舎に、体育館、さらに裏山まであるのだ。それは、旧校舎に隣接する形で繋がる小さな山のことだった。女生徒の悲鳴、生徒会として聞き逃す訳にはいかなかった。

「長谷川、窓から出るぞ!」

「ええ、開けなさい白子!」

 白子は廊下に面した窓をひと思いにこじ開け、そこから難なく飛び降りてみせた。勿論私も。そこからはまるで五十メートル競走のような激走である。

「置いてくぜ、長谷川!」

「待ちなさいよ、白子! 尋常じゃない速さ……本当に人間なの? あの男……」

 ◆◆◆

 私が現場に着いたときには、既に白子が女生徒の手当を済ませていたところだった。彼女を襲った犯人は逃げたのか。生い茂る木々の先は流石に見ることができなかった。一人、彼女だけが裏山のすぐそこに倒れていたのだと言う。赤茶色の髪をボブカットしている、大人しそうな印象の生徒だ。彼女は頭を両手で押さえ、荒い息をついている。私はすぐに駆け寄り、

「もしかして、頭を殴られたの? 大丈夫? 喋ることはできる?」

「ひ、ひぇえ」 

 しかし、呼びかけにも応じず、彼女は泣くばかりだった。まるで赤子のようだ。
 
「長谷川、そんな剣幕で来られたら誰だって怖がるってば」

「なっ! そんなことは」

「ほら、君何年生? 俺ら生徒会だからね、痛いかもしれないけど、保健室まで行こっか」

「あ、ありがとう……ございます。学年は、一年です……」

 白子はしゃがみこみ、少女を優しく抱き起こした。信じられないが、天性のコミュニケーション力を持ってすれば簡単なことなのかもしれない。白子はその子をおぶり、山道をすたすたと歩き出した。私も、置いていかれないよう歩き出す。

「頭、痛い?」

 白子がそう言うと、彼女は涙を拭って頷いた。

「早速だけど、被害の状況や犯人の特徴を教えてもらえるかしら」

「だから長谷川固いって!」

「あ、あの、ツノを……」

 彼女はかちかちと歯を仕切りに鳴らし、ぎゅっと白子にしがみついた。そして、荒い息の隙間から、こう零したのだ。

「私、ツノを切り落とされたんです……!!」

「ツノ? 長谷川みたいな?」

 失礼な。こちらに振り返った白子の視線は形容し難いものの、彼女が言ったことはそういうことだ。そういうことを意味しているのだ。

 彼女は、獣人だった。
 私と同じ、否、私より一本多くツノを携える、獣人だったのだ。その両ツノを、切り落とされるまでは。

「私は、山羊の獣人なんです。この耳を見てもらえば、分かると思いますけど……」

 と、重たそうな髪を掻き分けた。すると、そこには確かに白く毛深い、少し長い耳が存在していた。一体誰にツノを切り落とされてしまったのか。すっかり泣き止んだ彼女は、ぽつりぽつりと語り始めた。

「信じて、貰えないかもしれないんですけど……」

「うん、話してみて」

「私、今日は化学の授業当番で、化学室で片付けをしていたんです。そしたら、急に奥から物音がして」

「誰、誰、誰が犯人なの!?」

「長谷川、落ち着けって」

 身を乗り出した私を、白子はくすくすと笑った。彼女は控えめに続ける。

「奥から、お団子ヘアの派手な女の子が出て来たんです……! ほ、本当なんです、本当に、驚いちゃって」

「それって……!」

 それは七不思議の一番、絵画に描かれた少女の特徴と完全に一致していた。おまけに真っ赤な中華服まで着ていたのだと言う。彼女はぶるぶると震え始め、

「何か、浮世離れしてるっていうか、怖くて。逃げようとしたら、その人が言ったんですよ」

 ──お前、鬼か?

「って。違うって言ったんですけど、聞いてくれなくて、何か言ってることもよく分からなくなって、走って裏山まで逃げてきたんですぅ……」

「それは、怖かったな。ツノ、ナイフとかで切られたの?」

「手刀でした。でも、切ったツノを見て、私が鬼じゃないって理解したらしくて……。そのまま、どこかへ去っていきました」

 ツノ。鬼。まるで昔話の世界のようだった。まあ、彼女の話と、噂が正しければ、これは絵の中から飛び出た怪異が引き起こした事件なのだろうけど。
 急に襲いかかるなんて、危険極まりない。それほどまでに鬼を探しているのだろうか。考えている間もなく、もう旧校舎に着いてしまった。彼女を、本校舎の保健室まで送り届けて、私たちは旧校舎へと戻った。獣人の一年生はぺこぺことお礼を述べ、去り際に、

「先輩も気をつけてくださいね。もしかしたらツノ、鬼と間違えられちゃうかもしれませんから」

 と、私に念を押していった。もうすっかり回復したようで、何よりだったが。

「ツノって、切られても生えてこないもんなんだな」

「いいえ、生えてくるわ。きっとあの子はまだ若いから、生える速度も遅いのよ」

「じゃあ長谷川は、切ったらすぐ生えてくんの?」 

「ええ、切っても切れない縁だから」

 生まれたときから付き纏う、獣人の証。最悪の象徴。それが私にとってのツノだった。少しの間だけでもツノを失えたあの子が、羨ましいくらいだ。
 二度と生えてこないように切り落とせたら、どんなに楽だったか。鏡を見て、何度自分でツノをへし折ろうとしたか、数え切れない。その度に苦痛を味わい、虚しくなって、いつの間にか鏡を見ることもやめていた。白子みたいな、何の弊害も無い日に焼けたおでこが羨ましかった。

「七不思議の一番、内容変わっちゃったってことよね」

「絵から飛び出す少女、だもんな。もう最初が何だったか忘れたちゃったよ」

 白子は窓の外から日の暮れた森を眺めながら笑った。私も隣に立って、

「《死人を映す絵画》よ、本当かどうか分からないけど」

 絵画も、少女もどこへ行ってしまったのか。
 今日はもう探すことはできないだろう。もうじき、見回りもやってくる。見回りの先生が、絵画の中の少女と鉢合わせないことを祈るばかりだ。私は、旧校舎の軋む床に大きく踏み込んだ。ぎぃいっと床が悲鳴を上げた。

「なあ長谷川、もしさ、その絵画が本当に死後の世界に繋がってたらどうする?」

「死後の世界……?」

「だって、死人が見えるってことは、そこが入口なんだろ。あの世の」

「絵が、入口?」

「本当にそうだったら、死んだ人に会えんのかな。長谷川は、会いたい人とか居る? 死んだ人限定だけど」

「会いたい人……」

 私は口を開けたまま、白子の言葉を繰り返していた。それしか、出来ない。考えることが、出来ない。言いたくなかった。でも、明かしたかった。

「──私、父と母が小さい頃に亡くなっているの」

 会いたい人、とは言えないけれど。私の身の回りの故人は、その二人だった。
 分かってくれなくていいから、ただ聞いてほしかったのだ。廊下を歩きながら、何となく言葉を紡いだ。白子の足音が、聞こえる。真っすぐで、歪みのない一つの音。

「父は私と同じ獣人だった、一角獣のね。ツノが生えてるの、私より大きくて立派なツノ」

「長谷川家、みんな顔似てそうなイメージだな」

「母以外、全員そっくりだった。母は、ツノが生えていないの。普通の人間だから……」

「そうなんだ、二人とも事故で……?」

 白子の無神経な言葉は、確かに聞こえていた。この耳に届いていた。しかし、私は無視をする。何も、聞こえなかったふりをする。

「──一角獣ってね、不純を嫌うの。逸話とかで聞いたことはないかしら、一角獣は処女しか受け入れないって」 

「ほ、ほお。初耳。ユニコーンってもっとハッピーな森でハッピーに暮らしてると思ってたぜ」

 彼は反応しづらさそうに目を逸らした。まったく、その通りだ。私は、ハッピーな森で育まれたユニコーンじゃない。潔白しか許されない檻で育った、一角獣だ。

「気持ち悪いわよね、まだ男を許していない、清らかな女の膝でしか眠らないの。それで、その女が処女じゃなかったら、ツノで一突きにしてしまうのよ」 

「え、じゃあ長谷川の父ちゃんと母ちゃんって──」

「私の父は、母を一突きにした。その後、父は無責任にも自殺したわ」

 被せるように、私は言い放った。母は、確かに兄と私を産んだ。父は、確かに母を孕ませた。それなのに、ある日突然、父は処女でなくなった妻を許せなくなったのだ。妻を穢した自分自身を、許せなくなったのだ。白子は口の中で、そっかと呟いて、

「ごめん、変なこと聞いちゃってさ」

 らしくもなく、そう言った。私は、首を振る。

「全然。すごく小さかった時のことだし、目撃した訳でもないから。会いたいとも、思えないの」

 他人に話すと、少しこそばゆい思いがした。あるのは、恐怖だけなのに。

「私も、いつかそうなってしまうのかしらね」

 人を好きになって、恋をして。

 穢れたら、死なないといけないのかしら。
 穢したら、殺さないといけないのかしら。

 私の性格じゃ、一角獣は向いてないのに。
 一角獣の父と、こんな性格に産んだ母を、私はやんわりと恨み続けてきた。

「長谷川は、恋できないってこと?」

「しちゃいけないのよ。恋人なんて作ったら、いつ殺してしまうか分からないわ。そうやって、父に教わっていたから」

 血を吐くような思いだった。
 異性を必ず好きになる私は、異性を好きになってはいけなかった。だからこそ、例外である白子オンドになら、話せると思ったのだ。しかし、迂闊だった。何せこいつは、

「そっか。それなら、長谷川より強いやつなら良いんだな」

「は────」

 馬鹿だった。大馬鹿だった、白子オンドという男は。目をはためかせ、白子は続ける。

「長谷川のツノを受け止められるやつなら、死なないじゃん」

「お、お前、それはそうかもしれないけど……!」

「だってずりぃよ。長谷川の父ちゃんは自由に恋して、子供まで作ってんのに、何で長谷川が我慢しねぇといけねぇの?」

 絶句してしまった。
 それは、そうだけど。父は、ずるいけど。産んだ子供だけを残して、無責任で。母を殺して、自殺して。
 負の連鎖をここで止めなきゃ、もう止まれない気がしたんだ。二の舞いになっちゃいけない、父が命を賭けて伝えたことだ。

 なのに、それなのに。
 喉が、乾いて張り付いた。声を絞ろうと、怒声を溢そうとするのに、出ない。いつものように、白子の軽口を軽口とも思えない。私は、


「もし、自分を許せなくなっても、相手を許せなくなっても。俺なら止められるのにな、お前のこと」

「────白子」

 白子は、良いやつだ。
 私でも分かる。こいつは馬鹿で、馬鹿正直で、素直なのだ。こいつは私の境遇にも、ツノにも同情していない。純粋に、信じているのだ。
 彼は小学生みたいに、鞄の紐を人差し指で回していた。かなりの重量あるはずの鞄が、あまりの遠心力に着いて行けず、ひどく大きくぐるんぐるんと回っていた。
 夜風に揺れる木々が、さらさらと音を立てている。彼のちゃらちゃらした赤髪も、同じように揺れていた。私は思わず、くすりと笑ってしまった。

「何だよ、長谷川。言っとくけど俺、鬼強ぇからな?」

 そんな馬鹿げたことを、あまりにも真剣な顔で言うのだ。私は耐えきれず、こう言ってしまった。

「べ、別に何も言ってないでしょう。白子が超人なのは知ってるわ、知りすぎているわ。というか、私に質問ばかりして、あなたはどうなの?」

「へ?」

 その言葉に、白子の表情は固まった。

「あの世にいるの? お前の、会いたい人は」
 
 まるで、あの世のものみたいに。固まって、白くなった。
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