32 / 42
鳴ける作家が身をこがす
しおりを挟む
会場が混乱を極めていたため、結局家族とは別々に帰宅することになった。私とジェスト様を乗せた馬車はエイムズ家へと向かっている。帰りはカトリーナ様も一緒にという話もあったはずだが、この状況だ。渦中の彼女は今日は屋敷に戻れないかもしれない。
「なんだか、とんでもないことになりましたね……」
「……あぁ」
婚約破棄劇場だけでも大事だったのに、王太子の挿げ替えに国王の代替わり~連座で宰相を添えて~という、スペシャルディナーコースも真っ青の盛り合わせだ。
それに加えて。
「まさかアレン殿下がカトリーナ様にプロポーズなさるなんて……」
「……あぁ」
いったいいつから2人はそういった関係だったのだろう。確かアレン殿下はずっと以前からカトリーナ様のことが好きだったと告白していた。カトリーナ様の狼狽する様子から察するに、彼女自身は殿下の気持ちに気づいていなかったようだ。けれど彼女がアレン殿下の手を取ったとき、今まで見たことのないような穏やかな表情をしていたような気もする。
もしそうだったとしたら。
「カトリーナ様もアレン殿下のことが好きだった、ということなんでしょうか」
「…………」
カトリーナ様の立場はダミアン殿下の婚約者。また筆頭公爵家の娘としてすべての貴族子女の模範となるよう行動していた方だ。己の気持ちを押し殺して表情に見せぬことくらい簡単にやってしまうだろう。そうやってお互いが隠していたものは、まさに“秘めたる愛”と呼べるのではないだろうか。
「アレン殿下とカトリーナ様こそ、“秘めたる愛”を育んでいらっしゃったということ?」
「…………」
ぽつりと落とした呟きが、薄暗い馬車の中に響く。ほぅ、と溜息が溢れた瞬間に、向かいにいるその人の存在を思い出した。
「ジェスト様……!」
「……なんだ」
そうだった、いろんなことがありすぎて意識の彼方に飛んでしまっていたけど、この人のことがあった。
「い、いえっ! あの……」
弾みで名前を呼んでしまったが、特に用事があったわけではない。それ以上かける言葉が見つからずに「なんでもないです……」と誤魔化すより他なかった。
ジェスト様が無機質な表情のまま、こちらを見てくる気配があった。顔色を変えないのはカトリーナ様もこの人も一緒だけど、わかりにくい表情の中にいろんな変化があることを、私はすでに知っている。
そして今彼の目に浮かんでいるのは……何かを押し殺すかのような寂しい光だった。情熱の薔薇の色と例えたその薔薇が、痛ましくも散りかけているような、そんな気配。
(そうだった、彼は、カトリーナ様のことが好きだったのだ……)
だがその愛する女性は、自身が忠誠を誓った主君の想い人でもあり、そして彼女はアレン殿下の手を取った。ダミアン殿下との婚約解消が成立し、ようやく自分の気持ちを打ち明けられると安堵した矢先の、まさかの急展開。あのときもしアレン殿下がカトリーナ様に告白しなければ、いや、せめてジェスト様が先にカトリーナ様に告白できていたら———事態は変わっていたかもしれない。今帰りの馬車で向かい合っているのは、偽の婚約者ではなく、真に愛する女性だったかもしれない。
ジェスト様はきっと、己の思いをこのまま封印してしまうのだろう。アレン殿下はすでに王太子、そしてカトリーナ様はその隣に並び立つ決意をされた。多方面が丸く収まる今回の婚約破棄騒動と新たな婚約に水を差すようなことを、ジェスト様がするはずない。
(でも、それってあんまりじゃない……)
アレン殿下がダミアン殿下を王太子の座から引き摺り下ろすためのプロパガンダ小説を書くよう、私に命じたとき、殿下は婚約が白紙撤回された後のカトリーナ様の処遇については当てがあると言っていた。てっきりジェスト様がカトリーナ様に告白するのだろうと思って、その後押しとなるようにと思って全力で取り組んできたのに、こんなトンビが油揚げを掻っ攫うような真似をするだなんて、あまりに酷ではないか。アレン殿下はジェスト様の秘めたる思いに気づいていなかったのだろうか……おそらく気づいてはいなかったのだろう。そうであると信じたい。もし知っていた上で自分が先んじてカトリーナ様を得たのだとしたら、私はあの人を許せない。
「……グレース嬢!? 大丈夫かっ!」
「え……?」
「その、涙が……」
ジェスト様に指摘され、私は自分が泣いていることに気がついた。涙が溢れ、頬を伝ってぽたりと落ちていく。せっかくエイムズ家のメイドさんたちが仕上げてくれた鉄壁のメイクがこれでは台無しだ。止めなければならないと思うのに、なぜか涙は次から次へと溢れて、綺麗なドレスに滲みを作っていく。ジェスト様が買ってくれた、私のためのドレス。彼の髪と瞳の色を密かに刺繍した、“秘めたる愛”のドレス。
(いやだ、私、ちょっとだけ………嬉しいと、そう思ってしまった)
何が嬉しいのか———ジェスト様とカトリーナ様が結ばれないことが、だ。
それに気づいた瞬間、自身のあまりな身勝手さに背筋が凍った。
(確かに私はジェスト様のことが好き……。でも、ジェスト様が幸せになれない未来を喜ぶだなんて)
こんな気持ちは愛などではない。これは単なる欲望であり、傍迷惑な思い込みだ。ジェスト様を意のままに操ろうとしたメリンダ様と何も変わらない。
「ごめんなさ……っ」
誤って許されることではないとわかっていながら、空虚な謝罪言葉が舌の上を滑っていく。
不意にジェスト様の指が私の頬に伸びてきたかと思うと———触れる直前で止まった。
「ジェス、ト、様」
「…………すまない」
彼の大きな手は私に触れることなく、そのまま落ちていく。
「……いえ、大丈夫です」
私がいつまでもぐずぐず泣いているから、咄嗟に手が出てしまったのだろう。けれど触れる気になるはずもない。
———私は所詮、偽の婚約者。
彼が涙を拭いたいと思った人は、ここにはいない。彼はその機会を永遠に失ってしまった。……私が書いた小説のせいで。
沈黙を乗せた馬車は、まだ夜が始まったばかりの王都を走り抜けていった。
カトリーナ様はあのまま王宮に残ったようで、翌朝になっても帰宅しなかった。
日が明けて私は当初予定していた通りにエイムズ家を引き払い、家族が滞在しているホテルに移動した。私がエイムズ家にいたのは社交界デビューの準備と小説執筆のためであり、2つともが昨日までに終わったのだから、これ以上滞在する理由がない。カトリーナ様に直接お礼が言えなかったことが心残りだけど、あちらもこれから目が回る忙しさになるだろうから、後でお礼状をしたためることにしようと思う。
昨日の王宮パーティは開幕する前に例の騒動で終了してしまい、私の社交界デビューは宙に浮いてしまっていた。国王陛下からのお言葉も賜っていないのだから、実質行われていないことになる。
いったいどうなるものやらと思っていたら、さすがは王宮の仕切り、翌日にはデビューを予定していた子女向けに、二週間後に急遽開催されることになったアレン殿下の立太子記念パーティで、再度社交界デビューの場を設けることとするというお達しが届けられた。私のデビューを見届けた後は即座に領地に戻る予定にしていた家族も含めて、せっかくの機会だからとこのまま王都に残ることになった。
やり直しの社交界デビューを前にして、いくつもの問題が浮上することになった。
「王宮からの招待状には、前回と同じ装いを推奨とありますわね」
母がそう読み上げれば、父もまた頷いた。
「社交界デビュー用のドレスとなれば、皆一生の思い出となる素晴らしいものを用意するものだ。家によってはそう簡単に新しいものを準備できないところもある。そのための配慮だろう」
お貴族様といえば、一度袖を通したドレスは着ないもの……とまではさすがに言わないが、続けてのパーティで同じ格好というのはさすがに哀れに思われる。だが今回は事情が事情だから気にしなくてよいと、わざわざ配慮があったようだ。
となれば、私はまたあの赤と黒の刺繍ドレスを着ることになるのだけど。
「私、もうあのドレスを着たくありません」
強めの口調でそう告げれば、両親はひどく驚いた。それはそうだろう。今までオシャレにはまったく興味がなくひたすら小説を書くことだけに熱中していた娘が、突然こんな我儘を言い出したのだ。
「その、実は、ジェスト様とはもう……うまくいっていないんです。王都で時間を過ごすうちに、お互い合わないなと思うことが増えてしまって。だから婚約の話もなかったことにしてほしいんです。社交界デビューのエスコートも、ジェスト様はもうしてくれないと思います」
カトリーナ様への想いが実らなかったから、はい次、とはならないはずだ。まして偽の婚約相手だった私のために、彼が手を差しのべることはない。婚約の白紙撤回についてはアレン殿下が責任をもって両親に説明してくれるという話だったが、あちらも今それどころではないだろうから、自分でできることはなんとかしなくてはならない。
「まぁグレース、それは本当なの?」
「えぇ、お母様。不出来な娘でごめんなさい。だからエスコートはお兄様にお願いできたらと思うの。ドレスは……持ってきているものの中から適当に選ぶことにするわ」
本当は出席しない選択が取れれば一番だが、王太子お披露目のパーティに出席しないという不敬は一貴族として許されない。デビュー申請をしている者ならなおさらだ。
私が淡々とデビューの準備について変更を申し出れば、眉を顰めた父が待ったをかけた。
「グレース、待ちなさい。一度ジェスト様にも確認してだな……」
ちょうどそのとき、渦中のジェスト様からの手紙が届いたと使用人が知らせてきた。父が開封して中身に目を通した後、あからさまにほっとした表情を見せた。
「なんだ、大丈夫そうじゃないか。ジェスト様は二週間後のパーティでもグレースのエスコートをさせてほしいと言ってきているよ」
「お断りしてください」
「グレース、しかしだな」
「ジェスト様は律儀な方なので、一度約束したことだからと礼儀を通そうとしているだけなんです。それに彼には……ほかに愛する方がいらっしゃいます」
「なんだって? そんなことは一言も言ってなかっただろう」
「あのときは言えなかったのです。その……そう! ジェスト様はハーパー侯爵家のメリンダ様のことがお好きなんです」
「ハーパー侯爵家だと? あそこは確か、ダミアン殿下を擁護する家門だったな。ご令嬢は……一人娘か」
「そうなのです! ジェスト様がお仕えするアレン殿下とは相容れないこともあって、諦めてしまわれて。それで仕方なく私と婚約しようとなさっただけなんです。でもダミアン殿下が王太子の座を降りられましたので、ハーパー家もアレン殿下につかざるをえなくなりますから、ジェスト様とメリンダ様の間の障害もなくなります」
まさかのメリンダ様がこんなところで役立つとは。持つべき者は友達だ。お茶会に招かれたくらいだから友達でいいだろう。いろいろあったことは……簡単に許せはしないが、今は棚上げしてあげよう。
つらつらと立板に水のごとく嘘が口をついて出るのは、私のストーリーテラーとしての能力と、ここにほんの一部の真実が混ざっているおかげだった。その一部の真実が私の言い分に信ぴょう性を与えている。父も腕組みをしながら何やら思案顔だ。
「話はわかった。だがここはやはり一度ジェスト様にお会いして……」
父がそうまとめようとした矢先、外出していたはずの兄がバタバタと足音を響かせて部屋に飛び込んできた。
「父上、母上、大変です!」
「どうしたんだ。騒がしい」
「今、若者たちの社交場に出かけていたんですが、一部の貴族たちの間でどうやらグレースの噂が広まっているようなんです」
「グレースの噂だって!? まさか、小説を書いていることがバレたのか!?」
「そのまさかです、いや、それよりさらに酷い話になっています。作家ナツ・ヨシカワことグレース・ハミルトンは小説を使ってダミアン殿下を陥れ、こ、こ、こ、国家転覆を狙った稀代の悪女だと噂されているんですっ!」
ハミルトン家の家族会議に激震が走った瞬間だった。
「なんだか、とんでもないことになりましたね……」
「……あぁ」
婚約破棄劇場だけでも大事だったのに、王太子の挿げ替えに国王の代替わり~連座で宰相を添えて~という、スペシャルディナーコースも真っ青の盛り合わせだ。
それに加えて。
「まさかアレン殿下がカトリーナ様にプロポーズなさるなんて……」
「……あぁ」
いったいいつから2人はそういった関係だったのだろう。確かアレン殿下はずっと以前からカトリーナ様のことが好きだったと告白していた。カトリーナ様の狼狽する様子から察するに、彼女自身は殿下の気持ちに気づいていなかったようだ。けれど彼女がアレン殿下の手を取ったとき、今まで見たことのないような穏やかな表情をしていたような気もする。
もしそうだったとしたら。
「カトリーナ様もアレン殿下のことが好きだった、ということなんでしょうか」
「…………」
カトリーナ様の立場はダミアン殿下の婚約者。また筆頭公爵家の娘としてすべての貴族子女の模範となるよう行動していた方だ。己の気持ちを押し殺して表情に見せぬことくらい簡単にやってしまうだろう。そうやってお互いが隠していたものは、まさに“秘めたる愛”と呼べるのではないだろうか。
「アレン殿下とカトリーナ様こそ、“秘めたる愛”を育んでいらっしゃったということ?」
「…………」
ぽつりと落とした呟きが、薄暗い馬車の中に響く。ほぅ、と溜息が溢れた瞬間に、向かいにいるその人の存在を思い出した。
「ジェスト様……!」
「……なんだ」
そうだった、いろんなことがありすぎて意識の彼方に飛んでしまっていたけど、この人のことがあった。
「い、いえっ! あの……」
弾みで名前を呼んでしまったが、特に用事があったわけではない。それ以上かける言葉が見つからずに「なんでもないです……」と誤魔化すより他なかった。
ジェスト様が無機質な表情のまま、こちらを見てくる気配があった。顔色を変えないのはカトリーナ様もこの人も一緒だけど、わかりにくい表情の中にいろんな変化があることを、私はすでに知っている。
そして今彼の目に浮かんでいるのは……何かを押し殺すかのような寂しい光だった。情熱の薔薇の色と例えたその薔薇が、痛ましくも散りかけているような、そんな気配。
(そうだった、彼は、カトリーナ様のことが好きだったのだ……)
だがその愛する女性は、自身が忠誠を誓った主君の想い人でもあり、そして彼女はアレン殿下の手を取った。ダミアン殿下との婚約解消が成立し、ようやく自分の気持ちを打ち明けられると安堵した矢先の、まさかの急展開。あのときもしアレン殿下がカトリーナ様に告白しなければ、いや、せめてジェスト様が先にカトリーナ様に告白できていたら———事態は変わっていたかもしれない。今帰りの馬車で向かい合っているのは、偽の婚約者ではなく、真に愛する女性だったかもしれない。
ジェスト様はきっと、己の思いをこのまま封印してしまうのだろう。アレン殿下はすでに王太子、そしてカトリーナ様はその隣に並び立つ決意をされた。多方面が丸く収まる今回の婚約破棄騒動と新たな婚約に水を差すようなことを、ジェスト様がするはずない。
(でも、それってあんまりじゃない……)
アレン殿下がダミアン殿下を王太子の座から引き摺り下ろすためのプロパガンダ小説を書くよう、私に命じたとき、殿下は婚約が白紙撤回された後のカトリーナ様の処遇については当てがあると言っていた。てっきりジェスト様がカトリーナ様に告白するのだろうと思って、その後押しとなるようにと思って全力で取り組んできたのに、こんなトンビが油揚げを掻っ攫うような真似をするだなんて、あまりに酷ではないか。アレン殿下はジェスト様の秘めたる思いに気づいていなかったのだろうか……おそらく気づいてはいなかったのだろう。そうであると信じたい。もし知っていた上で自分が先んじてカトリーナ様を得たのだとしたら、私はあの人を許せない。
「……グレース嬢!? 大丈夫かっ!」
「え……?」
「その、涙が……」
ジェスト様に指摘され、私は自分が泣いていることに気がついた。涙が溢れ、頬を伝ってぽたりと落ちていく。せっかくエイムズ家のメイドさんたちが仕上げてくれた鉄壁のメイクがこれでは台無しだ。止めなければならないと思うのに、なぜか涙は次から次へと溢れて、綺麗なドレスに滲みを作っていく。ジェスト様が買ってくれた、私のためのドレス。彼の髪と瞳の色を密かに刺繍した、“秘めたる愛”のドレス。
(いやだ、私、ちょっとだけ………嬉しいと、そう思ってしまった)
何が嬉しいのか———ジェスト様とカトリーナ様が結ばれないことが、だ。
それに気づいた瞬間、自身のあまりな身勝手さに背筋が凍った。
(確かに私はジェスト様のことが好き……。でも、ジェスト様が幸せになれない未来を喜ぶだなんて)
こんな気持ちは愛などではない。これは単なる欲望であり、傍迷惑な思い込みだ。ジェスト様を意のままに操ろうとしたメリンダ様と何も変わらない。
「ごめんなさ……っ」
誤って許されることではないとわかっていながら、空虚な謝罪言葉が舌の上を滑っていく。
不意にジェスト様の指が私の頬に伸びてきたかと思うと———触れる直前で止まった。
「ジェス、ト、様」
「…………すまない」
彼の大きな手は私に触れることなく、そのまま落ちていく。
「……いえ、大丈夫です」
私がいつまでもぐずぐず泣いているから、咄嗟に手が出てしまったのだろう。けれど触れる気になるはずもない。
———私は所詮、偽の婚約者。
彼が涙を拭いたいと思った人は、ここにはいない。彼はその機会を永遠に失ってしまった。……私が書いた小説のせいで。
沈黙を乗せた馬車は、まだ夜が始まったばかりの王都を走り抜けていった。
カトリーナ様はあのまま王宮に残ったようで、翌朝になっても帰宅しなかった。
日が明けて私は当初予定していた通りにエイムズ家を引き払い、家族が滞在しているホテルに移動した。私がエイムズ家にいたのは社交界デビューの準備と小説執筆のためであり、2つともが昨日までに終わったのだから、これ以上滞在する理由がない。カトリーナ様に直接お礼が言えなかったことが心残りだけど、あちらもこれから目が回る忙しさになるだろうから、後でお礼状をしたためることにしようと思う。
昨日の王宮パーティは開幕する前に例の騒動で終了してしまい、私の社交界デビューは宙に浮いてしまっていた。国王陛下からのお言葉も賜っていないのだから、実質行われていないことになる。
いったいどうなるものやらと思っていたら、さすがは王宮の仕切り、翌日にはデビューを予定していた子女向けに、二週間後に急遽開催されることになったアレン殿下の立太子記念パーティで、再度社交界デビューの場を設けることとするというお達しが届けられた。私のデビューを見届けた後は即座に領地に戻る予定にしていた家族も含めて、せっかくの機会だからとこのまま王都に残ることになった。
やり直しの社交界デビューを前にして、いくつもの問題が浮上することになった。
「王宮からの招待状には、前回と同じ装いを推奨とありますわね」
母がそう読み上げれば、父もまた頷いた。
「社交界デビュー用のドレスとなれば、皆一生の思い出となる素晴らしいものを用意するものだ。家によってはそう簡単に新しいものを準備できないところもある。そのための配慮だろう」
お貴族様といえば、一度袖を通したドレスは着ないもの……とまではさすがに言わないが、続けてのパーティで同じ格好というのはさすがに哀れに思われる。だが今回は事情が事情だから気にしなくてよいと、わざわざ配慮があったようだ。
となれば、私はまたあの赤と黒の刺繍ドレスを着ることになるのだけど。
「私、もうあのドレスを着たくありません」
強めの口調でそう告げれば、両親はひどく驚いた。それはそうだろう。今までオシャレにはまったく興味がなくひたすら小説を書くことだけに熱中していた娘が、突然こんな我儘を言い出したのだ。
「その、実は、ジェスト様とはもう……うまくいっていないんです。王都で時間を過ごすうちに、お互い合わないなと思うことが増えてしまって。だから婚約の話もなかったことにしてほしいんです。社交界デビューのエスコートも、ジェスト様はもうしてくれないと思います」
カトリーナ様への想いが実らなかったから、はい次、とはならないはずだ。まして偽の婚約相手だった私のために、彼が手を差しのべることはない。婚約の白紙撤回についてはアレン殿下が責任をもって両親に説明してくれるという話だったが、あちらも今それどころではないだろうから、自分でできることはなんとかしなくてはならない。
「まぁグレース、それは本当なの?」
「えぇ、お母様。不出来な娘でごめんなさい。だからエスコートはお兄様にお願いできたらと思うの。ドレスは……持ってきているものの中から適当に選ぶことにするわ」
本当は出席しない選択が取れれば一番だが、王太子お披露目のパーティに出席しないという不敬は一貴族として許されない。デビュー申請をしている者ならなおさらだ。
私が淡々とデビューの準備について変更を申し出れば、眉を顰めた父が待ったをかけた。
「グレース、待ちなさい。一度ジェスト様にも確認してだな……」
ちょうどそのとき、渦中のジェスト様からの手紙が届いたと使用人が知らせてきた。父が開封して中身に目を通した後、あからさまにほっとした表情を見せた。
「なんだ、大丈夫そうじゃないか。ジェスト様は二週間後のパーティでもグレースのエスコートをさせてほしいと言ってきているよ」
「お断りしてください」
「グレース、しかしだな」
「ジェスト様は律儀な方なので、一度約束したことだからと礼儀を通そうとしているだけなんです。それに彼には……ほかに愛する方がいらっしゃいます」
「なんだって? そんなことは一言も言ってなかっただろう」
「あのときは言えなかったのです。その……そう! ジェスト様はハーパー侯爵家のメリンダ様のことがお好きなんです」
「ハーパー侯爵家だと? あそこは確か、ダミアン殿下を擁護する家門だったな。ご令嬢は……一人娘か」
「そうなのです! ジェスト様がお仕えするアレン殿下とは相容れないこともあって、諦めてしまわれて。それで仕方なく私と婚約しようとなさっただけなんです。でもダミアン殿下が王太子の座を降りられましたので、ハーパー家もアレン殿下につかざるをえなくなりますから、ジェスト様とメリンダ様の間の障害もなくなります」
まさかのメリンダ様がこんなところで役立つとは。持つべき者は友達だ。お茶会に招かれたくらいだから友達でいいだろう。いろいろあったことは……簡単に許せはしないが、今は棚上げしてあげよう。
つらつらと立板に水のごとく嘘が口をついて出るのは、私のストーリーテラーとしての能力と、ここにほんの一部の真実が混ざっているおかげだった。その一部の真実が私の言い分に信ぴょう性を与えている。父も腕組みをしながら何やら思案顔だ。
「話はわかった。だがここはやはり一度ジェスト様にお会いして……」
父がそうまとめようとした矢先、外出していたはずの兄がバタバタと足音を響かせて部屋に飛び込んできた。
「父上、母上、大変です!」
「どうしたんだ。騒がしい」
「今、若者たちの社交場に出かけていたんですが、一部の貴族たちの間でどうやらグレースの噂が広まっているようなんです」
「グレースの噂だって!? まさか、小説を書いていることがバレたのか!?」
「そのまさかです、いや、それよりさらに酷い話になっています。作家ナツ・ヨシカワことグレース・ハミルトンは小説を使ってダミアン殿下を陥れ、こ、こ、こ、国家転覆を狙った稀代の悪女だと噂されているんですっ!」
ハミルトン家の家族会議に激震が走った瞬間だった。
9
あなたにおすすめの小説
転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。
琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。
ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!!
スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。
ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!?
氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。
このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。
崖っぷち令嬢は冷血皇帝のお世話係〜侍女のはずが皇帝妃になるみたいです〜
束原ミヤコ
恋愛
ティディス・クリスティスは、没落寸前の貧乏な伯爵家の令嬢である。
家のために王宮で働く侍女に仕官したは良いけれど、緊張のせいでまともに話せず、面接で落とされそうになってしまう。
「家族のため、なんでもするからどうか働かせてください」と泣きついて、手に入れた仕事は――冷血皇帝と巷で噂されている、冷酷冷血名前を呼んだだけで子供が泣くと言われているレイシールド・ガルディアス皇帝陛下のお世話係だった。
皇帝レイシールドは気難しく、人を傍に置きたがらない。
今まで何人もの侍女が、レイシールドが恐ろしくて泣きながら辞めていったのだという。
ティディスは決意する。なんとしてでも、お仕事をやりとげて、没落から家を救わなければ……!
心根の優しいお世話係の令嬢と、無口で不器用な皇帝陛下の話です。
異世界で悪役令嬢として生きる事になったけど、前世の記憶を持ったまま、自分らしく過ごして良いらしい
千晶もーこ
恋愛
あの世に行ったら、番人とうずくまる少女に出会った。少女は辛い人生を歩んできて、魂が疲弊していた。それを知った番人は私に言った。
「あの子が繰り返している人生を、あなたの人生に変えてください。」
「………はぁああああ?辛そうな人生と分かってて生きろと?それも、繰り返すかもしれないのに?」
でも、お願いされたら断れない性分の私…。
異世界で自分が悪役令嬢だと知らずに過ごす私と、それによって変わっていく周りの人達の物語。そして、その物語の後の話。
※この話は、小説家になろう様へも掲載しています
外れ婚約者とは言わせない! 〜年下婚約者様はトカゲかと思ったら最強のドラゴンでした〜
秋月真鳥
恋愛
獣の本性を持つものが重用される獣国ハリカリの公爵家の令嬢、アイラには獣の本性がない。
アイラを出来損ないと周囲は言うが、両親と弟はアイラを愛してくれている。
アイラが8歳のときに、もう一つの公爵家で生まれたマウリとミルヴァの双子の本性はトカゲで、二人を産んだ後母親は体調を崩して寝込んでいた。
トカゲの双子を父親は冷遇し、妾腹の子どもに家を継がせるために追放しようとする。
アイラは両親に頼んで、マウリを婚約者として、ミルヴァと共に自分のお屋敷に連れて帰る。
本性が本当は最強のドラゴンだったマウリとミルヴァ。
二人を元の領地に戻すために、酷い父親をザマァして、後継者の地位を取り戻す物語。
※毎日更新です!
※一章はざまぁ、二章からほのぼのになります。
※四章まで書き上げています。
※小説家になろうサイト様でも投稿しています。
表紙は、ひかげそうし様に描いていただきました。
死亡予定の脇役令嬢に転生したら、断罪前に裏ルートで皇帝陛下に溺愛されました!?
六角
恋愛
「え、私が…断罪?処刑?――冗談じゃないわよっ!」
前世の記憶が蘇った瞬間、私、公爵令嬢スカーレットは理解した。
ここが乙女ゲームの世界で、自分がヒロインをいじめる典型的な悪役令嬢であり、婚約者のアルフォンス王太子に断罪される未来しかないことを!
その元凶であるアルフォンス王太子と聖女セレスティアは、今日も今日とて私の目の前で愛の劇場を繰り広げている。
「まあアルフォンス様! スカーレット様も本当は心優しい方のはずですわ。わたくしたちの真実の愛の力で彼女を正しい道に導いて差し上げましょう…!」
「ああセレスティア!君はなんて清らかなんだ!よし、我々の愛でスカーレットを更生させよう!」
(…………はぁ。茶番は他所でやってくれる?)
自分たちの恋路に酔いしれ、私を「救済すべき悪」と見なすめでたい頭の二人組。
あなたたちの自己満足のために私の首が飛んでたまるものですか!
絶望の淵でゲームの知識を総動員して見つけ出した唯一の活路。
それは血も涙もない「漆黒の皇帝」と万人に恐れられる若き皇帝ゼノン陛下に接触するという、あまりに危険な【裏ルート】だった。
「命惜しさにこの私に魂でも売りに来たか。愚かで滑稽で…そして実に唆る女だ、スカーレット」
氷の視線に射抜かれ覚悟を決めたその時。
冷酷非情なはずの皇帝陛下はなぜか私の悪あがきを心底面白そうに眺め、その美しい唇を歪めた。
「良いだろう。お前を私の『籠の中の真紅の鳥』として、この手ずから愛でてやろう」
その日から私の運命は激変!
「他の男にその瞳を向けるな。お前のすべては私のものだ」
皇帝陛下からの凄まじい独占欲と息もできないほどの甘い溺愛に、スカーレットの心臓は鳴りっぱなし!?
その頃、王宮では――。
「今頃スカーレットも一人寂しく己の罪を反省しているだろう」
「ええアルフォンス様。わたくしたちが彼女を温かく迎え入れてあげましょうね」
などと最高にズレた会話が繰り広げられていることを、彼らはまだ知らない。
悪役(笑)たちが壮大な勘違いをしている間に、最強の庇護者(皇帝陛下)からの溺愛ルート、確定です!
田舎暮らしの貧乏令嬢、幽閉王子のお世話係になりました〜七年後の殿下が甘すぎるのですが!〜
侑子
恋愛
「リーシャ。僕がどれだけ君に会いたかったかわかる? 一人前と認められるまで魔塔から出られないのは知っていたけど、まさか七年もかかるなんて思っていなくて、リーシャに会いたくて死ぬかと思ったよ」
十五歳の時、父が作った借金のために、いつ魔力暴走を起こすかわからない危険な第二王子のお世話係をしていたリーシャ。
弟と同じ四つ年下の彼は、とても賢くて優しく、可愛らしい王子様だった。
お世話をする内に仲良くなれたと思っていたのに、彼はある日突然、世界最高の魔法使いたちが集うという魔塔へと旅立ってしまう。
七年後、二十二歳になったリーシャの前に現れたのは、成長し、十八歳になって成人した彼だった!
以前とは全く違う姿に戸惑うリーシャ。
その上、七年も音沙汰がなかったのに、彼は昔のことを忘れていないどころか、とんでもなく甘々な態度で接してくる。
一方、自分の息子ではない第二王子を疎んで幽閉状態に追い込んでいた王妃は、戻ってきた彼のことが気に入らないようで……。
白い結婚のはずが、旦那様の溺愛が止まりません!――冷徹領主と政略令嬢の甘すぎる夫婦生活
しおしお
恋愛
政略結婚の末、侯爵家から「価値がない」と切り捨てられた令嬢リオラ。
新しい夫となったのは、噂で“冷徹”と囁かれる辺境領主ラディス。
二人は互いの自由のため――**干渉しない“白い結婚”**を結ぶことに。
ところが。
◆市場に行けばついてくる
◆荷物は全部持ちたがる
◆雨の日は仕事を早退して帰ってくる
◆ちょっと笑うだけで顔が真っ赤になる
……どう見ても、干渉しまくり。
「旦那様、これは白い結婚のはずでは……?」
「……君のことを、放っておけない」
距離はゆっくり縮まり、
優しすぎる態度にリオラの心も揺れ始める。
そんな時、彼女を利用しようと実家が再び手を伸ばす。
“冷徹”と呼ばれた旦那様の怒りが静かに燃え――
「二度と妻を侮辱するな」
守られ、支え合い、やがて惹かれ合う二人の想いは、
いつしか“形だけの夫婦”を超えていく。
【完結】アラサー喪女が転生したら悪役令嬢だった件。断罪からはじまる悪役令嬢は、回避不能なヤンデレ様に溺愛を確約されても困ります!
美杉日和。(旧美杉。)
恋愛
『ルド様……あなたが愛した人は私ですか? それともこの体のアーシエなのですか?』
そんな風に簡単に聞くことが出来たら、どれだけ良かっただろう。
目が覚めた瞬間、私は今置かれた現状に絶望した。
なにせ牢屋に繋がれた金髪縦ロールの令嬢になっていたのだから。
元々は社畜で喪女。挙句にオタクで、恋をすることもないままの死亡エンドだったようで、この世界に転生をしてきてしあったらしい。
ただまったく転生前のこの令嬢の記憶がなく、ただ状況から断罪シーンと私は推測した。
いきなり生き返って死亡エンドはないでしょう。さすがにこれは神様恨みますとばかりに、私はその場で断罪を行おうとする王太子ルドと対峙する。
なんとしても回避したい。そう思い行動をした私は、なぜか回避するどころか王太子であるルドとのヤンデレルートに突入してしまう。
このままヤンデレルートでの死亡エンドなんて絶対に嫌だ。なんとしても、ヤンデレルートを溺愛ルートへ移行させようと模索する。
悪役令嬢は誰なのか。私は誰なのか。
ルドの溺愛が加速するごとに、彼の愛する人が本当は誰なのかと、だんだん苦しくなっていく――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる