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本編第一章

「かぞく」になりました2

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「おまえに話しておかなければならないことがある」

 書斎で、男爵は私をソファに座らせ、その正面に座した。まるで対等な大人の扱いみたいで、私も背筋を伸ばした。

 ちょうどいい、私も聞きたいことがたくさんある。昨日からこの屋敷で暮らして湧き上がってきたいくつかの疑問。それをこの人に確認してみたかった。

「おまえは我が家に正式に引き取られることになる。だからこれからはダスティンの名を名乗ってほしい。ただ、おまえの家名であるコーンウィルは、先の戦争で立派な働きをなされた亡き騎士伯のものでもある。騎士伯の爵位は受け継がれるものではないが、その家名まで奪ってしまうのは偲ばれるから、今後も使ってかまわない。アンジェリカ・コーンウィル・ダスティンというのが新しい名前だ。それでかまわないだろうか」

「はい、問題ありません」

 構うも何も、すべてこの人たちが決めていいことだ。それを、5歳児相手に律儀に尋ねてくるあたりに男爵の人の良さを感じた。

「ありがとう。それから……ここからが大事な話になる。おまえはこの家名とともに、将来、男爵位と領地を受け継ぐことになる。私にはほかに子どもがいないし、今後も持つことはおそらくないだろう。おまえは我が家の跡取りとして恥ずかしくない振る舞いを身につけなければならない。そして将来的にはしかるべき人物を婿にとり、この領地を繋いでいくとともに、我が一族の人生すべてを背負ってもらうことになる」
「……はい」
「5歳のおまえに、それも昨日まで平民として暮らしてきたおまえに、いきなりこんなことを言うのは酷かもしれない。しかしそれが、貴族の、当主としての役割なんだ。私たちはその役割から逃れることはできない。私たちの去就に、一族すべてと領民の人生がかかっている。どんなに辛くとも投げ出すことはできないし、ほかに譲ることもできない。その覚悟を、なるべく早くから身につけてもらいたくて、今、この話をしているんだよ」

 男爵の話を聞きながら、私はこの国の貴族間でのみ受け継がれる、ある常識を思い出す。これは前世の記憶ではなく、アンジェリカ・コーンウィルの持っている記憶だ。

 この世界の貴族社会は何より「血」を尊ぶ。爵位は必ず直系で受け継がれなくてはならないという厳然たるしきたりがあるのだ。

 次期当主は今の当主の血を受け継ぐ子どもでなくてはならない。つまり、現当主の子どものみが、次の代の当主となる権利があり、現当主の兄弟姉妹や縁戚にはその権利が与えられない。当主が代替わりした時点で、彼らの兄弟姉妹はその権利を失うのだ。そして当主が亡くなれば、爵位はその直系の子どもの誰かに渡る。ちなみに子どもが男であっても女であっても問題はなく、何番目の子であってもかまわない。だから末っ子の女の子が当主になる、ということもありうる。

 では、もし当主に子どもがいなければ……その家は断絶することになる。たとえ当主の兄弟姉妹や甥姪が生きていたとしても、だ。

 ダスティン男爵夫妻には子どもがいない。このままでは家が断絶する可能性がある。

 だからこそ、彼らには私が、アンジェリカが必要なのだ。

 大事なのは「直系の血」であって、この場合、ダスティン男爵の血を継いでいるかどうかであり、正妻であるカトレア夫人の血はどうでもいい。愛人の子であっても、ダスティン男爵の血を受け継いでいれば、次期当主の権利が与えられる。

 こういう状況だから、この国の貴族社会では愛人を持つ者も多い。愛人から正妻にのし上がる身分差婚も、眉を顰める者はいるだろうが、血をつなぐために必要な措置であると理解される。

    なんて泥臭い因習かと、二十一世紀の世界に生きていた私なら思う。いつの時代、どの家にも子どもができるかどうかわからないし、その子がちゃんと育つかどうかもわからないのに、そんなしきたりに縛られるなんて馬鹿げている。だが、ここ、セレスティア王国では、貴族はその因習から逃れられない。

「昨日、聖霊様の話をしたね。この王国の貴族は、聖霊と契約を結んでこの地に住まわせてもらっているんだ。私たちは彼らから加護をいただく返礼に、彼らの住処を守る必要がある。聖霊は代々の当主と契約を結んできた。その聖霊が我々の血を欲する以上、ほかの者にこの土地を任せるわけにはいかないんだよ」

 そう、この国では貴族は平民の上に君臨しており、その貴族の上には王族がいるが、もっと根幹の部分に、聖霊の存在がある。聖霊は血を好み、人を選ぶ。代々の当主を選んでいるのは現当主ではなく、聖霊だ。聖霊がこの子を次期当主に、と認めればその子が爵位を継ぐ。拒否権はない。もし拒否権を発動して当主とならなければ、聖霊は契約を拒否し、家は断絶。聖霊がまた違う者と契約を結ぶまで、その土地は捨ておかれることになる。聖霊に認められていない者を当主にしようとすればまた、聖霊は契約を破棄し、その土地は加護を失う。それがこの世界の慣し。

 さらに、もっと現実味を帯びた事情もある。当主となれなかった者たちの存在だ。

 彼らは身分的には貴族位を維持できる。だから貴族の社交場にも、たとえばダスティン男爵家の者、という立場で出ることができる。ただし爵位はない。当主は、そんな彼らの生活の面倒も見てやらなければならない。

 たとえば自分に5人の兄弟がいて、全員が嫁取り婿取りをしてそれぞれ家族を持てば、その家族全員の生活を支えてやる義務が当主にはある。とりわけ多くの末端貴族にとってはこれが負担で、当主になどなりたくないと思う者もいたりする。爵位という名誉は得るし、家屋敷や事業なども引き継げるが、膨れ上がる一族を養うために奴隷のように働く。これがこの世界の貴族の当主の役割だ。

 もちろん、全員がただのプータローなら一族は破滅するだけなので、それぞれがなんらかの仕事をしていることがほとんどだ。たとえば領地の一部を与えられて農業を営んだり、資金を元手に商売を興したり、騎士や官吏になって王宮などに伺候したり、あとは当主となった者のところに嫁入り婿入りするという方法もある。それぞれが自活の道を模索するのが当たり前ではあるが、それでもいざとなった場合に頼るのは、それぞれの当主だ。

 つまり私は、この家名とともに、この地の火の聖霊様と、ダスティン男爵一族を生涯に渡り面倒みなくてはならない。めまいのする思いだが、きらきらしいイケメンたちと恋愛するよりは、少なくともこっちの方が現実味がある。

「おまえにはあまりにも大きな物を背負わせてしまって申し訳ないと思っているよ。その代わり、おまえが望むことはできるだけ多く叶えてやりたい。欲しい物ややりたいことがあれば言っておくれ。それくらいしか、私たちが与えてやれるものはないから……」

 心底申し訳なさそうに男爵が眉を歪める。私はこのタイミングを逃さず、口を開いた。

「伯父様にお伺いしたいことがあります」
「なんだい?」
「私が泊めていただいたお部屋も、用意されていた洋服も、母が亡くなってから準備したには用意が良すぎると思いました。まるでずっと前から用意されていたようです」

 なるべく無邪気な5歳児が空気を読まず思ったことを口にしたといった風を装ってみた。男爵は少し黙ったあと、静かに説明してくれた。

「あの部屋は、おまえが生まれたときからこの屋敷にあったんだよ」
「どういうことですか?」
「もともとおまえは、生まれてすぐこの屋敷に引き取られることになっていたんだ。だから、カトレアと私が準備をしていた。おまえの母、ハンナともそういう約束だった。でも、おまえが生まれたとき、ハンナが心変わりをしたんだ。手元でおまえを育てたい、とね。私もカトレアも、彼女の希望を無碍にすることができなかった。彼女にはその、負い目があったんだ」
「負い目?」
「おまえの母のハンナのことを、愛しいとは思っているよ。いっときとはいえ、私の側にいて、おまえを産んでくれたのだから。しかし、私はカトレアを愛しているんだ、それは今も昔も変わらない。でも、カトレアとの間には子どもができなかった。私はこの男爵家の当主として子をなす義務があった」
「つまり伯父様は、母のことを利用した?」
「ハンナは私たちの事情を理解して、承知してくれたんだ。だけどおまえが生まれる直前に、約束を反故にしたいと申し出た。私たちはハンナの希望を汲み、おまえを引き取ることをいったん諦めた。月に一度、おまえに会いにいくこと、援助をさせてもらうことを条件にね」

 なるほど、と納得がいった。母は男爵夫妻の事情を知った上で、男爵の提案に乗ったのだ。

 男爵は契約を持ち出したと言ったが、母自ら進んで愛人となり、私を産んだという方が正しい気がする。母の気質を考えるとそっちの方がしっくりくる。ところが契約出産では満足できなくなり、私をひきとって育てることにした。私に愛情を抱いたからというより、男爵の気を惹きたかったというのが本音かもしれない。そうでなければ私に暴力を振るったりなどしなかっただろう。私が物心ついて、母がお酒に溺れるようになって以降、母に優しくされたことなどなかった。私を育ててくれたのは、ほぼほぼダリアと町の人たちだ。

 あるいは、子をなしたことで、いったん諦めていた貴族社会との縁を得られるかもしれないと、たいそれた夢を見たのかもしれない。

 はじめから契約を遂行していれば、母は死ぬことはなかった。欲をかいた結果が招いた出来事だ。母がシングルマザーとなったその立場には思うところもあるが、すべてを鑑みると、それはもう同情できない。

「アンジェリカ、ハンナのことは本当に申し訳ないと思っている。だが、ほかに選択肢がなかったことも事実なんだ。理解するのは難しいと思うが、どうか、許してほしい」

 男爵が私に深く頭を下げるのを、私は慌てて止めた。

「頭をあげてください。母のことは、本当にもう大丈夫ですから」

 もとより母との間にはお互い愛情はなかった。それに前世の記憶が大半を占める私にとって、母ハンナはもはや他人だ。

 話を聞いているうちに、父親である男爵が私のことを大事に思っていることは伝わった。何せ私はこの家の唯一の後嗣。未来の希望なのだ。

「アンジェリカ、もうひとつおまえに謝らなくてはならないことがある。カトレアから聞いたんだが……おまえ、身体にアザを作っていたそうだね。カトレアが、その、虐待を受けていたんじゃないかと言うんだ。おまえのワンピースのサイズが合ってなかったり、伸びきった下着を身につけさせられていたり、それに靴のサイズも合っていなくて、足に豆ができていたそうだね。一緒に湯あみをしたとき気がついたと聞いているよ」

 昨日夫人には背中とお尻のアザを見られていた。ワンピースも下着も。靴のサイズまで気がついていたとは。道理で今日、違う靴が用意されていたはずだ。

 私はなんとも答えられず俯いた。死者のことをあげつらうのもなんだし、自業自得で同情の余地はないとはいえ、母が置かれた状況も苦しいものだっただろうということは想像できる。

 男爵は黙っている私の隣に移動したかと思うと、その大きな手で私をそっと抱きしめた。

「本当に申し訳なかった。私は毎月おまえに会っていたのに、おまえがそんな目にあっていることにまったく気がつかなかった。気づいてやれなくてすまない、おまえを……守ってやれなくてすまない」

 大の男が咽び泣くような口調で私に謝っている。私はそれを止めたくて、男爵の背中をぽんぽんと叩いた。

「もう、大丈夫ですから。今までもなんとかやってきました。これからもたぶん、どうにかなります」

 私に課せられた未来も、新しい世界での生活も、あまりにも取り止めがなくて正直戸惑っている。

 それでも、かつての私がすべてを失った状態で妹とやり直したり、何もなかった場所に産業を根付かせたりした、その経験があるから、どうにかやれるんじゃないかと思った。

 何よりこの人は、今生での実の父は、私のことを愛してくれている。大きな男の人に抱きしめられるという懐かしいその感触に、なんだか嬉しくなった。

 そのまま父の暖かさを感じていると、部屋にノックの音が響いた。




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