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本編第一章
「貴族」についてのお勉強です2
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「ほら、アンジェリカ、このページよ。文字は読めるのかしら」
「はい、大丈夫です」
開かれたページにはバーナード・ダスティン男爵と妻カトレアの名前が記されていた。二人の間に子どもはない。
「おかあさまのご実家は子爵家なのですか?」
「えぇそうよ。でも直系ではないの。私の祖父が子爵家の当主で、私の父は当主には選ばれなかったから、私は貴族といっても本当に端っこね。子爵家は今、従姉妹が継いでいるわ」
身分的には男爵家より上なのだろうが、継母自身は傍流ということもあり、男爵家と釣り合いはとれている。むしろ男爵家当主に嫁入りできたのはよくできた方かもしれない。
「私の父は音楽の才能があって、芸術院で音楽教師をしていたのよ。だから傍流とはいえ経済的にはそこそこ恵まれていて、そのおかげで社交界デビューもさせてもらえたの。恵まれた方だったと思うわ」
貴族に名を連ねるとはいえ、傍流の家ともなれば、自らの食い扶持を稼ぐのに精一杯で、皆が皆貴族らしい生活を送れるわけでもない。もちろん、当主には彼らを支える義務があるが、傍系にまで社交界に出られるほどの贅沢がさせられる家というのは相当少ない。
「私には兄がいるんだけど、彼は今家具職人になっているわ。貴族として生きる気はなくて、だから息子のスノウも、その下の娘のフローラも、たぶん社交界デビューはしないわね。いつまでも当主の従姉妹に頼るわけにはいかないもの」
そう、現実はこうだ。貴族として生まれても、皆が貴族として生きていくわけでも、生きていけるわけでもない。血はいろいろ混ざって、そのうち平民も貴族もわからない程度に薄まっていくものだ。
私の無言を、継母は違うふうにとったようだった。
「スノウもフローラも自由に生きていけるのに……。本当はあなたにも自由をあげたいの。自由にいろんなことを学んで、自由に恋をして、好きな人と結ばれて……子どもが生まれても生まれなくても、幸せな家庭を築いて、自分の好きな人生を歩んでほしいと……そう願う気持ちもあるの。だけど、私たちの慣習がそれを許さない。あなたには、本当にひどいことをしようとしている。私たちは本当に……」
「おかあさま、そんなふうに悲しまないでください。私は、とても幸せです。おとうさまと、新しいおかあさまができました。ここでは毎日おいしいごはんが食べられますし、こうして勉強することもできます。私はもっともっと努力して、いつの日かおとうさまのような立派な当主になってみせます」
私はついに腹を括った。血がどうだの貴族がどうだの、という気持ちは正直ある。しかしそれをぐだぐだ言っても始まらない。
アンジェリカはこの家の次期当主として生まれてきた。それならその役割を全うし、優しい両親を支えていこう。それが私ができるこの人たちへの恩返しだ。
継母は感極まったように私を抱きしめた。いつのまにかルビィの姿は消えていた。私たちはしばらく貴族名鑑をめくりながらいろんな話をした。とくに王家のことは念入りに聞いた。
「王妃のヴィオレッタ様は隣国のトゥキルスご出身なの。あなたが生まれるずっと前、この国は隣国と戦争状態にあったの。やがて和解し、そのときに、和平の証としてそれぞれの王家で花嫁と花婿を送り合うことになったの。セレスティア王国からは先王の弟君があちらに婿養子に入られたのよ。現在のトゥキルスはアナスタシア女王が治めていらっしゃるわ」
戦争の話は大人から聞いたことがある。祖父が騎士爵を賜ったのが、たしかトゥキルスとの戦争でのことだった。
「アナスタシア女王と婿入りされた王配の間には二人の王子がお生まれになって、ご長男が今の王太子よ。トゥキルスからはアナスタシア女王のいとこ姫であらせられるヴィオレッタ様がお輿入れされることが決まったのだけど、当時はまだヘンドリック様もヴィオレッタ様も小さくていらっしゃったから、アナスタシア様たちと比べて輿入れが遅れたの。私たちの結婚よりもあとだったのよ。そして生まれたのがカイルハート殿下。歳はあなたよりひとつ上だから、あなたが学校にあがったら、お目にかかれるかもしれないわね」
「学校?」
「えぇ、そうよ。セレスティア王立学院。貴族の子女は13歳から18歳までを学院で過ごさなければならないの。貴族が過ごす貴族科のほかにも、試験をパスした平民が所属できる普通科があるの。私も通っていたのよ。バーナードとはそこで出会ったの」
「ソウデスカ……」
できれば攻略対象たちとは顔を合わせたくないのだが、そうもいかないようだ。いや、まだ時間はあるから、これからなんとかならないか考えていこう。
そもそも王太子と恋に落ちるなぞ、身分的な問題も大きいし、そもそもあちらは一人息子だ。こちらは一人娘。片方が片方に嫁入り婿入りすれば片方の家が断絶する話になる。王家を断絶させるわけにはいかないから、仮にそんなことになってしまったら、私がダスティン男爵家を捨てなければならなくなる。
もちろん、今後王家に新しい子どもが生まれる可能性もあるかもしれないが、妹の話では確か一人息子のままの設定だった。ヒロイン・アンジェリカは家と愛の間で揺れるのだ。
(ていうか、ヒロイン馬鹿じゃないの?)
血を繋ぐために引き取られ、婿養子をとって、家を存続させ聖霊と契約を結ばなければならない存在であるにもかかわらず、色恋沙汰にうつつを抜かし、義務を放棄して王太子やその他の攻略対象の手をとるなんて。
もちろん、その他の攻略対象全員が一人息子という設定ではないだろうが、宰相の息子なんて、どう見ても宰相職を継ぐに決まってるだろう。こんな田舎の(失礼)男爵領で当主配として一生を終える玉であるはずがない。
妹の見せてきたスチルでは、ウエディングドレスと白いタキシードで寄り添う王太子とヒロインの姿や、その周辺でヒロインに熱い視線を注ぐ男性キャラクターたち、あるいはその他のキャラクターとのカップリングの姿があったが、あの影で男爵家は断絶し、火の聖霊の加護は消え、両親やその一族が露頭に迷う現実があったのだ。そんな血も涙もない所行、よくできたなと思う。
(私はそんなこと絶対しない。私はこの両親のために男爵家を継ぐ。この家に婿入りしてくれる穏やかで優しい男性を探すんだから!)
見た目なんてどうでもいい。身分も……貴族社会に馴染めないのは困るからそのあたりを最低限理解してくれる人であってほしいけど、あまりとやかくは言わない。私だって半分平民だ。うちの事情を理解してくれて、一族と男爵領を一緒に支えてくれる人。幸いアンジェリカはこの美貌だ。うまく立ち回れば婿の一人や二人ゲットできるはず。
私の目標は決まった。ヒロイン? 攻略? 逆ハー? 冗談じゃない。そんな甘ったるいこと言ってられるか。
(ヒロインなんかじゃいられない!! 私にはやらなきゃいけないことがあるんだ!!!)
アンジェリカ・コーンウィル・ダスティン、5歳。この日、私は人生の大いなる目標を打ち立てた。
「はい、大丈夫です」
開かれたページにはバーナード・ダスティン男爵と妻カトレアの名前が記されていた。二人の間に子どもはない。
「おかあさまのご実家は子爵家なのですか?」
「えぇそうよ。でも直系ではないの。私の祖父が子爵家の当主で、私の父は当主には選ばれなかったから、私は貴族といっても本当に端っこね。子爵家は今、従姉妹が継いでいるわ」
身分的には男爵家より上なのだろうが、継母自身は傍流ということもあり、男爵家と釣り合いはとれている。むしろ男爵家当主に嫁入りできたのはよくできた方かもしれない。
「私の父は音楽の才能があって、芸術院で音楽教師をしていたのよ。だから傍流とはいえ経済的にはそこそこ恵まれていて、そのおかげで社交界デビューもさせてもらえたの。恵まれた方だったと思うわ」
貴族に名を連ねるとはいえ、傍流の家ともなれば、自らの食い扶持を稼ぐのに精一杯で、皆が皆貴族らしい生活を送れるわけでもない。もちろん、当主には彼らを支える義務があるが、傍系にまで社交界に出られるほどの贅沢がさせられる家というのは相当少ない。
「私には兄がいるんだけど、彼は今家具職人になっているわ。貴族として生きる気はなくて、だから息子のスノウも、その下の娘のフローラも、たぶん社交界デビューはしないわね。いつまでも当主の従姉妹に頼るわけにはいかないもの」
そう、現実はこうだ。貴族として生まれても、皆が貴族として生きていくわけでも、生きていけるわけでもない。血はいろいろ混ざって、そのうち平民も貴族もわからない程度に薄まっていくものだ。
私の無言を、継母は違うふうにとったようだった。
「スノウもフローラも自由に生きていけるのに……。本当はあなたにも自由をあげたいの。自由にいろんなことを学んで、自由に恋をして、好きな人と結ばれて……子どもが生まれても生まれなくても、幸せな家庭を築いて、自分の好きな人生を歩んでほしいと……そう願う気持ちもあるの。だけど、私たちの慣習がそれを許さない。あなたには、本当にひどいことをしようとしている。私たちは本当に……」
「おかあさま、そんなふうに悲しまないでください。私は、とても幸せです。おとうさまと、新しいおかあさまができました。ここでは毎日おいしいごはんが食べられますし、こうして勉強することもできます。私はもっともっと努力して、いつの日かおとうさまのような立派な当主になってみせます」
私はついに腹を括った。血がどうだの貴族がどうだの、という気持ちは正直ある。しかしそれをぐだぐだ言っても始まらない。
アンジェリカはこの家の次期当主として生まれてきた。それならその役割を全うし、優しい両親を支えていこう。それが私ができるこの人たちへの恩返しだ。
継母は感極まったように私を抱きしめた。いつのまにかルビィの姿は消えていた。私たちはしばらく貴族名鑑をめくりながらいろんな話をした。とくに王家のことは念入りに聞いた。
「王妃のヴィオレッタ様は隣国のトゥキルスご出身なの。あなたが生まれるずっと前、この国は隣国と戦争状態にあったの。やがて和解し、そのときに、和平の証としてそれぞれの王家で花嫁と花婿を送り合うことになったの。セレスティア王国からは先王の弟君があちらに婿養子に入られたのよ。現在のトゥキルスはアナスタシア女王が治めていらっしゃるわ」
戦争の話は大人から聞いたことがある。祖父が騎士爵を賜ったのが、たしかトゥキルスとの戦争でのことだった。
「アナスタシア女王と婿入りされた王配の間には二人の王子がお生まれになって、ご長男が今の王太子よ。トゥキルスからはアナスタシア女王のいとこ姫であらせられるヴィオレッタ様がお輿入れされることが決まったのだけど、当時はまだヘンドリック様もヴィオレッタ様も小さくていらっしゃったから、アナスタシア様たちと比べて輿入れが遅れたの。私たちの結婚よりもあとだったのよ。そして生まれたのがカイルハート殿下。歳はあなたよりひとつ上だから、あなたが学校にあがったら、お目にかかれるかもしれないわね」
「学校?」
「えぇ、そうよ。セレスティア王立学院。貴族の子女は13歳から18歳までを学院で過ごさなければならないの。貴族が過ごす貴族科のほかにも、試験をパスした平民が所属できる普通科があるの。私も通っていたのよ。バーナードとはそこで出会ったの」
「ソウデスカ……」
できれば攻略対象たちとは顔を合わせたくないのだが、そうもいかないようだ。いや、まだ時間はあるから、これからなんとかならないか考えていこう。
そもそも王太子と恋に落ちるなぞ、身分的な問題も大きいし、そもそもあちらは一人息子だ。こちらは一人娘。片方が片方に嫁入り婿入りすれば片方の家が断絶する話になる。王家を断絶させるわけにはいかないから、仮にそんなことになってしまったら、私がダスティン男爵家を捨てなければならなくなる。
もちろん、今後王家に新しい子どもが生まれる可能性もあるかもしれないが、妹の話では確か一人息子のままの設定だった。ヒロイン・アンジェリカは家と愛の間で揺れるのだ。
(ていうか、ヒロイン馬鹿じゃないの?)
血を繋ぐために引き取られ、婿養子をとって、家を存続させ聖霊と契約を結ばなければならない存在であるにもかかわらず、色恋沙汰にうつつを抜かし、義務を放棄して王太子やその他の攻略対象の手をとるなんて。
もちろん、その他の攻略対象全員が一人息子という設定ではないだろうが、宰相の息子なんて、どう見ても宰相職を継ぐに決まってるだろう。こんな田舎の(失礼)男爵領で当主配として一生を終える玉であるはずがない。
妹の見せてきたスチルでは、ウエディングドレスと白いタキシードで寄り添う王太子とヒロインの姿や、その周辺でヒロインに熱い視線を注ぐ男性キャラクターたち、あるいはその他のキャラクターとのカップリングの姿があったが、あの影で男爵家は断絶し、火の聖霊の加護は消え、両親やその一族が露頭に迷う現実があったのだ。そんな血も涙もない所行、よくできたなと思う。
(私はそんなこと絶対しない。私はこの両親のために男爵家を継ぐ。この家に婿入りしてくれる穏やかで優しい男性を探すんだから!)
見た目なんてどうでもいい。身分も……貴族社会に馴染めないのは困るからそのあたりを最低限理解してくれる人であってほしいけど、あまりとやかくは言わない。私だって半分平民だ。うちの事情を理解してくれて、一族と男爵領を一緒に支えてくれる人。幸いアンジェリカはこの美貌だ。うまく立ち回れば婿の一人や二人ゲットできるはず。
私の目標は決まった。ヒロイン? 攻略? 逆ハー? 冗談じゃない。そんな甘ったるいこと言ってられるか。
(ヒロインなんかじゃいられない!! 私にはやらなきゃいけないことがあるんだ!!!)
アンジェリカ・コーンウィル・ダスティン、5歳。この日、私は人生の大いなる目標を打ち立てた。
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