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本編第一章

と思ったけれど現実はなかなかです

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 じゃがいもは一般的に蔓がすべて枯れてから収穫する。私が石灰を使用して土壌改良に励んだ畑の収穫は、もう2、3日後というところまで来ていた。

 順調に進んでいたことで気分がよく、台所でのお手伝いの最中や夕食時にもその話題を振りまいていた。既に春植えのじゃがいもは底をついており、サツマイモも春まではもたないくらいに減っていた。「こうなることがわかっていたら、アンジェリカにもう少し畑をまかせるべきだったなぁ」と父が言ってくれたことが誇らしかった。

 今回はお試しということもあって、譲ってもらった畑は一面だけ、畝の数でいえば4つという、わずかな量だ。すべて食用に回しても1ヶ月分ももたないだろう。しかし今回の実験で石灰の有効性と量の調節に目処がつくはずだ。本来の目的が果たされるのだからよいとしたものだろう。うきうきした気持ちでその日も眠りについた。

 そして翌朝、事件が起こった。




 その光景を目にしたとき、私は言葉を失った。驚きが大きいと人は言葉を失うものだ。目の前で何が起こっているのか理解できず、ただ立ち尽くすことしかできない。

「アンジェリカ?」

 どれくらいそうしていたのだろう、勝手口の方から聞こえた継母の声で私は我に返った。

「どうしたの? 鶏の卵を取りにいったまま、全然戻ってこないから、何かあったのかと……」
「おかあさま……」

 近づいてきた継母は私の様子が普通でないことに気づいたようだった。そのまま私の視線の先を一緒に追う。そして、彼女も声をあげた。

「これは……! どうしてあなたの畑がこんなめちゃくちゃになってるの!?」

 そう、私と継母の視線の先にあったのは、石灰を使って土壌改良をしたあの小さな畑。楽しみな収穫を今日迎えるはずだったそこは、無残にも踏み荒らされていた。

「バーナードを呼んでくるわ!」

 継母は父の名前を呼びながらすぐさま屋敷にとって返した。その声がまるで遠くの方で聞こえているかのような錯覚に襲われながら、私は畑に足を踏み入れた。

 すっかり枯れた蔓はズタズタに切り裂かれ、綺麗に盛られていた土も大きくえぐられている。それだけではない、その下で育っていたはずのじゃがいもも荒々しく掘り起こされ、かつ無残な様子を晒していた。畑の隅に、潰されたりえぐり取られたりしたようなじゃがいもの残骸が転がっている。とてもではないが収穫できるような代物ではない。

(なんで……。順調に育っていたのに)

 呆然としていると、父を連れた継母が戻ってきた。ロイも一緒だ。
 畑の様子を見た父は眉を潜め、苦々しく呟いた。

「これは……」

 父とロイは目を合わせる。すぐにロイが反応した。

「旦那様、私は裏の柵を確認してきます。旦那様は家畜を」
「わかった」

 父は私たちにこの場で待つように指示をし、ロイと2人でその場を去っていった。

 取り残された私はようやく現実と向き合えるほど、意識がはっきりしてきた。隣で心配そうに見守る継母を見上げ、尋ねた。

「おかあさま、いったい何があったのでしょう」
「たぶん、獣にやられてしまったのでしょうね。バーナードとロイが今、確認してくれているけれど」
「けもの……?」
「たとえば猪ね。キツネやタヌキ、鹿がやってくることもあるのだけど、これだけ大きく荒らされているとなると、猪の可能性が高いのじゃないかしら」
「そんな……」
「アンジェリカは今まで町の方で暮らしていたから、あまり知らないかもしれないけれど、こういうふうに獣に畑が荒らされるのは、決して珍しいことではないのよ。特にうちはすぐ裏が山になっているでしょう? もっとも、こういうことが起きないよう、屋敷の周りを柵で囲っているのだけど」

 継母の説明は納得がいった。猪は前世でも田舎の方で害獣とされ、駆逐されることも多い生き物だった。彼らは山を降り、畑の農作物に被害を与えることがままある。そのため田舎では狩猟がさかんなところもある。この世界でも猪をはじめ、弓を使った狩りは一般的だ。

 しかし猪をはじめ害獣は、見境なく畑を食い物にしているわけではない。

「普通は山から降りてこないですよね」
「えぇ。だけど山で食べるものが無くなってしまったり、数が増えすぎたりするとこうして畑を襲うこともあるわ」

 継母の話に相槌を打ちつつも、私は頭のなかで考えを巡らせていた。今は12月になったばかりだ。山はついこの間まで秋の実りのおかげで食べ物の宝庫だったはず。猪が飢えて降りてくるには早すぎるのではないだろうか。

 そこまで考えたとき、見回りに出ていた父が戻ってきた。

「家畜は皆無事だったよ。小屋も壊されていないし、動物たちが特に興奮した素振りもない」

 畑のすぐ隣には牛小屋と馬小屋があり、反対側には鶏小屋もある。夜のうちに猪が来たとすれば、動物たちも興奮して騒ぎそうなものだが、昨晩はそんな気配も聞こえてこなかった。もっとも屋敷から距離があるので、聞こえなかっただけかもしれない。

「旦那様、裏の柵ですが、一部壊された跡がありました」

 敷地の一番奥、山との境に巡らされた柵をチェックしに行っていたロイが戻ってきてそう報告した。

「ということは、やはり猪か何かが柵を突破して進入したということか……」

 父が畑と裏山を交互に見ながら呟く。だが、何かを不思議に思っているのか、畑に足を踏み入れてゆっくりと歩き始めた。ロイもぐるりと周辺を見回している。

 私は改めて、足元に転がったじゃがいもの残骸を見た。潰されてえぐれて、土まみれになってはいるものの、その大きさには目を見張るものがある。今回の目的は石灰が農作業に効果的だということを証明するためのもので、収穫そのものを目指したわけではない。そして本来の目的は収穫前に父が瞠目するほど十分に果たされていた。実験は成功だ。

 だが、それを考慮したとしても、これはあまりに辛い結末だった。暑い夏の最中、ひとりで石灰と格闘し、残暑残る中スノウとフローラの手を借りて、種芋を植え付けた。じゃがいもは基本的に放置していてもよく育つ。それでも毎日の見回り、雑草の駆除など、細々働いてきたのは、やっぱり収穫という未来が楽しみだったからだ。

「アンジェリカ、とても残念だけど、私たちの生活にはこういうこともあるわ。私は畑仕事はバーナードにまかせっきりで、自分では何もしたことがないのだけど、でも、あなたが努力していたことはずっと見てきたから、知っていてよ」

 言いながら継母が私を抱きしめる。彼女は普段、家の中のことがメインで畑仕事や家畜の世話はしていない。それでも、私が畑作業を行っているところをずっと見守って応援してくれていた。私の努力を見てくれていた人がちゃんといる。そう思うことで、やり過ごすしかない。泣きそうになりながらも、私は必死に我慢した。これは自然災害のひとつ、誰も悪いわけじゃない。田舎で生きていく以上、避けられない事象のひとつだ。

「おかあさま、大丈夫です。よくわかりました」

 少なくとも当初の目的は達せられた。父は石灰の効果を実感しつつ、農作関連の本をもう一度読み直すなどしている。私の努力はきっと次の季節に花開くと信じたい。

 そう思い直して顔をあげる。畑の様子のチェックを終えた父は、なんとも言えない表情でこちらを見ていた。

「おとうさまも、私は大丈夫です。むしろ、これが春植えの季節やサツマイモのときに起こらなくてよかったです。今回の被害はたいしたことありません」

 落ち込みから完全に復活したわけではないけれど、元気な素振りを見せる。むしろ被害が畑のじゃがいもだけでよかった。鶏などの家畜が襲われていたら、もっと悲惨なことになっていただろう。それがわかっているのか、父も曖昧な表情で頷いてくれた。喜ばしいことではないが、最悪でもない。

 だが、そんな私たち親子のやりとりに割って入る声があった。

「お待ちください。今回の被害、猪によるものだとは思えません」
「え?」

 振り返った先で、我が家の優秀な執事兼秘書のロイは、縁のないメガネを正しながら、冷静な声でそう告げた。





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