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本編第一章

はじめての慰問活動です2

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「申し訳ございません、お見苦しいところを」

 院長先生がシンシア様と私に頭を下げるのを、シンシア様が軽く制した。

「いいのよ。あの子は?」
「はい、ルルと申しまして、今年8歳になります。針仕事を練習させているのですが、なかなか上達しなくて」
「針仕事が好きではなさそうでしたわね」
「あまり器用な子ではないのです。それで、ああして癇癪を起こすことがありまして」
「院長先生のご見識は信頼できるものですけれど、でも、あの子にはほかの仕事の方が向いているのではないのかしら」
「体が少し弱くて、よくぜんそくの発作を起こすのです。ですから自分のペースでできる仕事を身につけた方がよいかと思いまして、針と織物の仕事を練習させているのです」
「あぁ、そういう事情がおありだったのですね」
「働くこと自体は好きなようです。厨房の手伝いや掃除などは熱心にしてくれます。本来でしたらハウスメイドの修練をさせたいところですが、メイドは体力あってのことですので、あの子には厳しいのではないかと。ああしてはっきりした物言いをする子なので、接客などもできるとは思うのですが、病気がちだとこちらもなかなか」

 院長先生なりに考えて役割を振っていることはわかったが、それをルルという少女が汲み取れているかは難しいところだ。いずれにせよ子どもが仕事を選ぶのではなく、大人が適性を見て斡旋している以上、こうした衝突は珍しくないのだろう。

「どれだけ修練をつけても、結局“孤児”というのは、身元の保証が不確かですので、就職には不利なのです。幸いうちは長い歴史があって、ここから巣立った多くの子どもたちが各世界で活躍してくれています。その縁もあって、信頼をいただいて仕事をもらえているのはありがたいことなのですが、やはりルルのように、適性に合わない子どももいます。そうした子のために新たな仕事の先を開拓したいと思っています」

 院長先生はじめスタッフは、時間があるときに王都のお店などを回り、子どもたちの実習をお願いしているらしい。また定期的にバザーを開いたりして、子どもたちの仕事ぶりを知ってもらう活動も行っている。

「クレメント院長はじめ、皆様の活動が実を結ぶことを祈っておりますわ」
「ありがとうございます」

 そうこうするうちに食堂についた。






 今日のおやつは私たちが持ち込んだクッキーとスコーンだ。係の子どもが配膳して回るのを今か今かと小さな子どもたちが待ち構えている。甘いものは嗜好品のこの世界、クッキーひとつといえどご馳走になる。

 私は案内されたテーブルに着いた。シンシア様とは別の席だ。同じ席になった子どもたちは私より年上の子ばかりで、皆、私の着席にかしこまった様子になった。それはそうだろう。孤児院に支援をしているシンシア様が連れてきた、一応貴族の子だ。何か失礼があってはと空気がぴん、と張り詰めるのも仕方ない。

 私は彼らの気をほぐしたくて、にっこり微笑んだ。

「どうぞ気楽にしてくださいね」

 しかしその微笑みは逆効果になったようだ。一瞬呆けたような顔つきをしたものの、彼らは顔を赤くして、より背筋をこわばらせた。うーん、おかしいな。

 私は改めて彼らに声をかけた。

「このクッキーは、昨日私がシンシア様と一緒に作ったんです。じゃがいもが入っているんですよ。スコーンも同じです」
「じゃ、じゃがいものですか……?」
「あの、家畜の餌になる……?」
「もともとは家畜の餌として使用されていましたけれど、うちの領で食用化に成功したんです。うちの領はもちろん、シンシア様のご主人のご実家であるアッシュバーン領でも今では大勢の人が食べていますし、ここから近い王立騎士団の騎士団寮でも、毎食食べられているんですよ」

 彼らを安心させるように、私はひとつつまんで口に入れた。笑顔で咀嚼しながら同じテーブルの子どもたちを見回す。

 他のテーブルでは事情を知らない子どもたちがさっそく頬張り「おいしい!」と声をあげていた。テーブルの子どもたちは周囲を見廻し、お互い顔を見合わせたものの、やはり食欲には勝てなかったようだ。次々と口に入れ始めた。

「あ、おいしい……」
「う、うん、ちゃんと甘いね」
「普通のクッキーみたいだ」
「スコーンもおいしいよ」

 一度口にしてもらえればこちらのもの。あっという間に皿を空にする子もいれば、大切に少しずつ口にする子もいる。

「じゃがいもは栄養もありますし、麦よりも育てるのが簡単ですから、いずれはパンに代わる主食にしたいと思っているんです」

 案内しながら、この孤児院にもポテト料理を根付かせてはどうかと思いはじめていた。騎士団が予算削減のために採用したほどだから、孤児院でも取り入れてもらえれば、同じく予算面でプラスになるのではないか。

 そんなことを考えていると、お向かいに座っていた年長の男の子が思わぬ発言をした。

「じゃがいも畑なら、孤児院にもありますけど、あのじゃがいももこんなにおいしくなるのですか?」
「え? じゃがいも畑があるの?」
「はい。王立騎士団のお馬様たちのために、孤児院の畑でじゃがいもを育てているんです。できたじゃがいもは毎年騎士団が買い取ってくれます」

 なんと、騎士団と孤児院、こんなつながりがあったのかと驚く。聞けば孤児院では専用の畑で野菜なども育てており、その一角に騎士団に卸すためのじゃがいも畑もあるらしい。そういえば、王立騎士団には去年の初夏にとれるはずのじゃがいもがまだたっぷり残っていた。不思議に思ってバレーリ団長に尋ねたら、近隣のたくさんの農家と栽培契約を結んでいて、そこから買い取っているとの返事だった。保存の関係で必要分だけ定期的に取り寄せているそうだ。じゃがいもは一度採れたあと、適切な処置をすることで一年もたせることができる。そうやって種芋を保存して、翌年の農作分に回すのだ。アッシュバーン伯爵の領地やタウンハウスで未だじゃがいもが残っているのも同じ理由だ。

「孤児院でじゃがいもを育てているなら好都合です。ぜひ作り方をお伝えしたいわ。クッキーは砂糖を使うので難しいかもしれませんが、スコーンなら普段も召し上がっていますよね。使う小麦粉の量も少なくてすみますから、いつもよりたくさん作れると思いますよ。あとでクレモント院長に提案してみますね」

 いつもよりたくさん食べられるという言葉に反応したのか、正面の男の子が顔色を輝かせた。この孤児院で食べる物に困る、ということはないだろうが、食べ盛りの年頃だ。おやつだってたくさんある方が嬉しいだろう。

 じゃがいもの話題のおかげで垣根が取れたのか、そこからは子どもたちからの質問責めだった。「アンジェリカ様はどこからいらしたのですか?」「得意なことはなんですか?」「好きな食べものは?」「大きくなったらなんになりたい?」等々、他愛のないものばかりだけど、子どもらしいものばかりで、微笑ましく思いながらひとつひとつ答えていった。ま、私も子どもなんだけどさ。

 そうしておやつの時間が終わりになった。このあと子どもたちは掃除やベッドメイク、片付けの時間らしい。食べたお皿は自分で片付けるとのことだったが、年長の女の子が気を利かせて私に声をかけてくれた。けれど私のお皿にまだクッキーとスコーンが残っているのを見て、お皿に手を伸ばすのを躊躇った。

「あの、アンジェリカ様、あまりおなかがすいていないのですか?」
「そうなんです、だからこれは院長先生に戻してきますね」

 私は彼女に礼を言って立ち上がった。本当はおなかが空いていないわけではないのだけど、私には別の目的があった。

 院長先生とシンシア様は同じテーブルにいた。2人のお皿は別の子どもたちが回収済みで、テーブルには2人だけだ。

「アンジェリカ様。おやつの時間は楽しめましたでしょうか。あら、そのお皿……」
「アンジェリカ、あなた残してしまったの?」

 最初に口に入れたクッキーひとつ分だけ減ったのみで、ほぼ手付かずのお皿を見て、2人が不思議そうに首を傾げた。

「あの、院長先生、これ、ルルにあげてもらえないでしょうか」
「まぁ、ルルに?」
「はい。あの、孤児院の規則があるのはわかっています。でしゃばりかとは思うのですが……じゃがいもを使ったクッキーはとても珍しいですし、ルルにも食べてもらいたいのです」
「アンジェリカ様……」
「実は、私も針仕事が苦手で。継母はとても上手なのですけど、私にはその才能はないようです。ルルのように葉っぱですらまだ上手に刺繍できませんし、ボタンつけすら時間がかかってしまう有様です。あの、それはもちろん関係ないのですが……」

 私はお針子になる必要はない。私は将来、男爵となって領地を継ぐ。その仕事を、私は自分でも望んでいるし、やりがいも感じている。そんな私の未来と、苦手でもやらざるを得ないルルの未来とが重なることはない。何かをしてあげることもない。つまり、何もできないわけで。

 だから、お菓子をわけてあげるような、こんなことくらいしかできない。

 院長先生は一瞬、シンシア様と顔を見合わせた。シンシア様が軽く目を眇める。院長先生はその視線を受け止め、小さく頷いたかと思うと、次の瞬間、穏やかな目で私を見た。

「アンジェリカ様の優しさに感謝申し上げます。それでは今回はありがたく頂戴して、ルルに与えることにいたしますね」
「あ……ありがとうございます」
「アンジェリカ、ちょうど切りもいいので、このあたりで失礼しましょう。院長先生にご挨拶を」

 先ほど意味ありげな表情を見せたシンシア様は、いつものにこやかな表情に戻っていた。私は言われたとおり別れの挨拶を告げ、はじめての慰問活動はこうして終了した。
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